第1章 出産から始まる騒動
01.お生まれになりましたわ
銀の雲母が美しい銀龍石で造られた魔王城は、慌ただしかった。城主たる魔王ルシファーは青い顔で、部屋の前を右往左往する。入り口の脇でお座りするフェンリルのヤンが、主君のローブの裾を引っ張った。
「なんだ?」
「落ち着いてくだされ、我が君。女性は生命力が強いから心配は無用ですぞ」
「……リリスが例外だったらどうする」
ムッとした口調で言い返す。さきほどと大差ない会話の不毛さに、苦笑いしたのはアスタロトだった。つい数十分前にも、同じ会話をしていましたね。そんな眼差しを受けて、ルシファーは眉を寄せた。
「アスタロト?」
「何でもありません」
八つ当たりされるのはご免だと笑顔で逃げる臣下に、魔王はそれ以上突っかかることはなかった。目の前の扉の向こうは、建て直した際に作った王妃の部屋だ。実際にはリリスの私室として作られた。しかしリリスがルシファーの部屋に入り浸るため、家具は入っていても使用されずに来たのだ。
豪華な空き部屋に、ようやく女主人リリスが入ったのは理由がある。出産だ。陣痛が来て、あっという間に運び込まれた。アデーレの指揮で準備された部屋は、産湯用の桶やタオルもふんだんに用意されている。出産経験者が多いので、足りない物はなかった。
完璧な準備がなされた部屋に入ろうとして、叩き出されたのはルシファーだ。夫だぞと文句を言った口を塞がれ、乱暴に廊下に蹴り出された。出産は女性の戦場だと言い切ったアデーレの剣幕に負け、大人しく廊下を歩き回っているのだ。多少、配下に八つ当たりをしたとしても……大きな被害はなかった。
「まだか? リリスの苦しそうな声が……」
「出産は激痛を伴うそうです。男なら死んでしまうほどの……」
あ、失言だった。そう思ったベール以上に、ルシファーが過剰反応する。
「死ぬ?! そんなの許さん!!」
扉を蹴破ろうとする魔王を、大公2人かかりで押さえつける。騒動は部屋の中にも響き、ベルゼビュートが扉を内側から押さえて叫んだ。
「陛下、忙しいんですから邪魔しないで!」
「……邪魔」
はっとした顔で動きを止めたルシファーを、ベールとアスタロトが引き摺って回収する。廊下に正座させ、アスタロトが説教を始めようとしたとき……。
おぎゃあああああぁぁぁ! っ、ひっく
奇妙な音が最後についたが、産声が上がった。興奮した様子で立ち上がるルシファーの両肩をベールとアスタロトががっちり掴む。拘束された状態でそわそわと中を覗こうとする魔王の前で、ベルゼビュートが手荒に扉を開いた。
「お生まれになりましたわ! お嬢様です!!」
「「「やった!!」」」
一斉に男性陣が拳を握って叫んだ。早朝の陣痛から始まり昼過ぎまでかかったが、難産ではない。人型の種族としては標準的なお産だが、ルシファーには長い時間だった。涙ぐんだ美貌の魔王へ、大公や侍女が次々と祝いの言葉を述べる。それを受けながら、ベルゼビュートの横をすり抜けてベッドに駆け寄った。
ベッドを囲んでいた大公女達が場を譲り、ルシファーは床に膝をついてリリスを覗き込む。やや上体を起こす形でクッションに埋もれたリリスは汗に濡れ、まだ赤く上気した顔で微笑んだ。
「リリス、ありがとう。娘だったぞ」
「ルシ、ファー……」
「疲れているだろう? ゆっくり休んでくれ」
身を乗り出して彼女の頬や額にキスを落とし、目元を手で覆って眠りに誘う。リリスの体から力が抜けたのを確かめ、振り返った先で目を細めた。産湯で清められた我が子は、白い肌に黒髪が薄く張り付いている。だが閉じた瞳の色は分からなかった。
「……っ、可愛いな」
初めてリリスを抱き上げた時のことを思い出した。可愛い、愛おしい。こみ上げる思いを噛みしめるように声を絞り出し、アデーレが差し出す吾子へ手を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます