158.そもそも亀はなぜ暴れたのか

 魔法陣が変化したのは一大事だが、その解析のために黒真珠に「自爆して死ね」と命じるわけにいかない。この件は棚上げか、と思われたその時、ルキフェルがどんと乱暴にテーブルを叩いた。クッションごと揺れたが、落ちずに済んだ黒真珠が転がる。


 咄嗟に掴んで戻したアスタロトが、眉を寄せた。


「妙な波動がありますね」


 微細な違いだが、魔力とは別の干渉が起きている。そう呟いたアスタロトに、ルキフェルが食いついた。何でもいいから、自分の力作を壊した原因を探りたい。強烈な意識で食い気味にアスタロトに尋ねる。


「何があるの? どんな波動? 何に干渉してる!」


 一息に尋ねられ、アスタロトはゆっくり返答した。


「何かは不明です。波動はそうですね、霊亀から感じたものに近いですが、ゾンビも近いですね。我々と違う感じがします。干渉している先は魔王城の下の地脈だと思います」


 別名龍脈とも呼ばれる、神龍の形をした太く立派な魔力の流れだ。大地の下をめぐり、魔の森が蓄えた魔力を二つの大陸に流す重要な役目があった。地脈の影響で、各地で食物が育ち子どもが生まれ気候や環境の違いが発生する。魔族は様々な種族の集まりであり、生活環境や望む食料が異なっていた。


 多くの種族が求め、暮らしていける環境を育てるのが地脈だ。魔の森の動脈と呼んでも差し支えない大切な存在だった。


「魔の森に影響があると困るな」


 真っ先に口を開いたのはルシファーだった。最愛の妻、魔王妃のリリスは魔の森の娘だ。彼女の生死に関わる状況になるなら、今すぐ抹殺しそうな顔で黒真珠を見やる。


『よくわかりませんが、亀を片付けてもらえたら海に戻ります』


 当たり前のように亀を片付けろと言われ、ベールがムッとした顔で睨む。ルキフェルは手元に呼び出した魔法陣を眺めながら、ぶつぶつと理論を並べ始めた。最高傑作の自動防御システムに搭載した反撃用魔法陣を弄り始める。


 苛烈で敵を排除する能力の高いドラゴン系にとって、攻撃は最大の防御だった。そのため過激な対応を取ることがままあり、今回もその延長だろう。相手の攻撃以上の威力を超える反撃をしないよう、調整すれば問題はないはずだ。ルシファーはそう判断して放置した。


「ねえ、亀はなぜ暴れてるの?」


 そもそも亀が海から排除された理由は何? 基本的な部分を見落としていた。指摘したリリスは、愛娘に巻きつくラミア人形を調整しながら首を傾げる。ラミア人形に襲われているようにしか見えないイヴは、ご機嫌で両手を揺らした。


 リリスとイヴを凝視したルシファーや大公が、その視線を黒真珠に集める。触れて声を聞いたアスタロトが質問をぶつけ直した。


「今のリリス様の発言への回答をお願いします」


『私は亀ではないので、亀の事情は知りません』


 ある意味当然の答えだが、その誤魔化しに乗る大公アスタロトではない。ベールもぴくりと眉を動かした。二人の反応を見たルシファーは「あ、黒真珠死ぬ」と不吉な予言を残して目を逸らす。


 助けるべき民なら命懸けで守るが、海は守備範囲外だ。ましてや黒真珠は生き物か判断できずにいた。たとえ喋ったとしても、それが黒真珠自身の意識か分からない。海からの通信の可能性もあるのだから。


 ベルゼビュートはひたすら無言を通した。同情する気はないし、そもそもうっかり発言でよく首を絞める自身の迂闊さは承知している。今日は息子ジルと夕食を食べる約束をしたので、何が何でも帰らなくては嘘つき扱いされてしまう。


 誰も助け手がいない状況を悟ったのか、黒真珠はアスタロトに降参を告げた。やはり何か隠していたようだ。

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