350.魔王の署名付きキャンプ申請書

 企画はあっという間に通ってしまった。魔王の署名付き申請書を断るとしたら、アスタロトくらいだ。次点でベールだろうか。しかし一人は休暇中、もう一人は魔王軍の仕事で出張中だった。


「僕はいいと思うよ。協力するし、あ、翡翠竜が行くんじゃない? 琥珀竜も参加するんでしょ」


 ドラゴン同士は色で呼び合うのか。それとも名前が長いから省略した意味合いかもしれない。アムドゥスキアスは色で呼ばれることが多いが、ゴルティーにも継承されたらしい。


 ルキフェルは悪気なくあっけらかんと言い放ち、賛成を表明した。ルシファーとしては特に問題がないので、頷いておく。リリスの許可も得たし、イヴも参加する気満々だった。


「え? リリスは留守番だぞ」


「嫌よ、一緒に行くわ」


「妊婦だから残って欲しい」


「男はそう言って浮気するって、ベルゼ姉さんが言ってたわ!」


 浮気するつもりなんでしょう! 余計な言葉を吹き込んだベルゼビュートのせいで、今日も魔王一家は大変な状態だった。嵐が吹き荒れる自室内で、ルシファーは眉を寄せる。少し考えて、もっともな反論を思いついた。


「もし浮気するなら、イヴは連れて行かないぞ?」


 幼子は悪気なく、ぺろっと喋る。口止めしても「パッパが内緒って」と言いながら話してしまう生き物だった。それが大好きな母親相手なら、なおのこと口は軽くなる。


 爆発すること確定の時限爆弾を連れて行くほど、愚かじゃない。リリスは言われた内容をしっかり反芻し、噛み砕いてから納得した。


「それもそうね」


「心配なのはわかるが、オレは身重なリリスが心配なんだ。もし木の根に躓いたらどうする?」


「魔の森の娘よ? 私の足を引っ掛ける根なんていないわよ」


「石で転ぶかもしれないし」


「そっちは否定できないわ」


 お腹を打ったらどうするんだ。訴える夫の心配が嬉しくもあり、一緒に参加できないことが悔しくもあり。リリスは複雑な感情を、大きな深呼吸で吐き出した。


「分かったわ、でも夜は帰ってこられる? 一緒に寝たいの」


「うーん。逆に迎えに行くかな。オレの転移なら安全だと思う」


 夫婦は真剣に話し合う。父ルシファーの膝によじ登ったイヴは、ご機嫌で純白の髪にリボンを結び始めた。小さな赤いリボンを幾つも結び、ご機嫌でルシファーの袖を引っ張る。


「ん?」


「できた!」


 どうだ! と胸を張るイヴに、ルシファーが頬を緩める。


「お? 上手にできたな。リリスにそっくりだ、ほら」


 言われたリリスは縦結びになったリボンを指差して首を傾げた。


「上手だけど、縦になってるわよ?」


「リリスも同じだった。何度結んでも縦になって、だが何度も挑戦していたぞ」


 笑いながらリボンを解いていく。数えながらイヴも手伝った。


「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……」


 相変わらずベール譲りの渋い数え方が直らないリリスは、並べたリボンを前に笑った。


「24本ね」


「凄いな、イヴ。リリスと同じ数だ」


 ご機嫌のイヴを中心に盛り上がり、最終的にきちんと話が纏まったのは、翌朝の朝食後だった。食後のお茶を飲み干し、決まった内容を繰り返す。


「リリスはオレの抱っこで参加、イヴの護衛はヤン。仕事の代理はルキフェルが担当してくれるし、空の安全管理はアドキスに任せよう。この案をミュルミュール園長へ提出だ!」


 気合を入れた計画書を作成し、意気込んで提出したルシファーだが「却下」をくらい、あちこちに訂正を入れられた。


 最終的に半分ほどに削られ、リリスの参加は初日と最終日の昼間だけになる。少し不満そうなリリスだが、かつて世話になったミュルミュールに頭が上がらず、最後は納得した。

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