433.陣痛です! 総出で狩りに出なさい

「アスタロト、休暇中にすまん。ちょっとこれに署名してくれ」


 ふらりと漆黒城に現れた純白の魔王は、明らかに浮いていた。名前の通り、床も壁も家具も黒一色の城だ。ところどころに絨毯や飾られた絵が彩りを添える程度だった。


 吸血種の象徴として王が建てた城だが、実際は明るい日差しが入れば色が違う。漆黒と表現されているが、黒にも様々な変化があった。床は黒い艶のある黒曜石だが、壁は縞模様のある瑪瑙のような素材を使っている。だが日差しを嫌う城の主人によって、すべて影になり黒く覆われた。


「何の書類ですか」


 差し出された紙は、すでにルシファーと三人の大公の署名が入っている。目を通せば、魔の森が創り出したレラジェの処遇だった。幼い頃のルシファーそっくりの顔を持ち、色彩はリリスから受け継いだ。当時は二人の隠し子ではないか? と噂になったものだ。


 すでに婚約者なのだから、あの時点で隠し子にする必要はない。一刀両断した記憶が懐かしかった。そのレラジェは仮に魔王の弟の地位を得ていたが、この度養子縁組されるらしい。しばらく話していないが、本人や魔王妃リリスの承諾が得られているなら問題ない。


 アスタロトはペンを取り、さらさらと署名した。養子縁組なので、不都合が生じたら解消することも可能だ。


「ところで、アデーレはどうだ? 侍女達もまだ産月が近いんじゃないか」


「ええ、元気ですよ。侍女達はもう産月です。血を欲しがるので、定期的に与えています」


 ルシファーは「さすが吸血種」と苦笑いした。以前にストラスが生まれた際は、血が足りないとアデーレに噛み付かれた。我を失っての凶行だったが、まあ今になれば思い出のひとつである。


 魔王城の侍従はコボルト中心だが、侍女は様々な種族が入り混じっている。その中で最も数の多い種族が、吸血種だった。夜勤も平然とこなすところで、他種族の侍女達から評価が高い。


「近づくと危険か」


 アデーレや侍女達の顔ぐらい見て帰ろうと思う。見舞いの申し出に、アスタロトは少し考えた。出産直後は血を求めて危険なので、今の方が安全でしょうか。ルシファーの血は吸血種にとって極上品で、うっかり飲んだアデーレはその後、数十年に渡り苦しんだ。


 今まで美味しかった他の血が薄く感じられて、不味いと言う弊害だった。ルシファーは悪くない。だがあの時の妻アデーレは、大変そうだった。


「結界を三重にして、ついてきて下さい」


「分かった」


 きちんと三重に張り直し、さらに外側に見える色でもう一枚追加した。ルシファーの念を入れた対応は、食事のたびに「不味い」と嘆くアデーレを覚えているからだ。


 二度同じ失敗を繰り返したら、アスタロトに干し魔王にされる。干からびるまで血を奪われるだろう。背筋をぴんと伸ばし、警戒している態度を見せながら寝室の扉の前に立った。


 ノックするアスタロトへ返事があり、そっと彼が滑り込む。可能な限り隙間を小さくして入っていく様子に、同じように身を縦にして続いた。部屋は閉め切って暗く、わずかな間接照明があるものの……ほとんど地下と変わらない。


「アデーレ、具合はどうだ?」


「ありがとうございます。元気ですわ」


 血を飲んだ後らしく、肌がツヤツヤしている。言葉通り、体調は問題なさそうだった。母乳は母親の血が主な成分と聞くが、そう考えれば赤子は等しく吸血種の時期を経験するのかも知れない。


 意外としっかりした受け答えなので、ルシファーは緊張で固まった肩から力を抜く。ベッドに横たわるアデーレは、黒い絹の部屋着だった。ベッドのヘッドレストにクッションを置いて寄りかかり、腹部を圧迫しないよう両足を伸ばした状態。腰が痛くなりそうだ。


「侍女も見舞って帰ろうと思う」


「皆も喜びます。一人は昨夜出産し、もう一人はそろそろ生まれる頃ですね」

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