198.崩壊を防ぐための孤独
全力這い這いの威力が上がっていたため、結界を無効化せずに弾かれた。転がりながら受け止めた娘は、ぎゅっと襟を掴んで抱き着く。
「ぱっぱ!」
「イヴ、速いな。立派だぞ」
褒めて育てる方針はリリスと同じなので、褒める場所を見つけてはこまめに声をかけてきた。ほぼ癖になりつつある習慣で、這い這いの速度を褒め千切る。嬉しそうなイヴはぎゅっと腕に力を込めた。襟を掴んだ手を目いっぱい引く我が子が可愛いのだが、やや苦しい。いや、まだ我慢できるぞ。
よく分からない痩せ我慢を続ける夫に、リリスは呆れ顔で肩を竦めた。
「何してるのよ、ルシファー。イヴはこちらにいらっしゃい。お母様が待ってるわ」
「ばぁば!」
胸の上に居座る娘は、くるりと反転して高速這い這いで去っていく。ついでに顎を蹴られたのは、まあ誤差だろう。結界があれば痛みはないのだが、襟を掴んだ際に無効化されたのでモロに食らった。
「いてて……リリス、里帰りしてたのか」
「ええ。ルシファーなら居場所を探せるし、この中は安全だから」
そこで気づく。護衛のヤンやイポスが見当たらない。もう一度周囲を確認して首を傾げた。
「ヤンとイポスはどうした」
「あっちでお母様の近くにいるわよ」
微妙な表現に、嫌な予感を覚える。護衛なのにイヴやリリスを放置する連中じゃない。だとしたら動けないのか? 心配になり、腕を組んだリリスと足早で向かった。
リリスより年上の美女が手招きする。そっくりの黒髪だが、赤い瞳だった。拾った頃のリリスの色だ。魔の森であるこの世界の支配者、魔王を生み出した母でもある女性は微笑む。
「母君、お久し振りです。お名前をいただけますか?」
丁重に尋ねると困った顔をして黙り込む。どうやら名前は考えていなかったらしい。魔の森と呼ばれ続け、それで通じていたのだから当然だが。人の形をしているなら、その間だけでも個体を識別する名を呼びたいと願えば、彼女はほわりと笑った。
「リリン」
リリスの名をもじった響きが零れ、ルシファーは名を繰り返した。嬉しそうなリリンは、娘であるリリスと最愛の魔王の向かいに腰掛ける。椅子も何もない芝に似た緑の上に座り、伸ばした手でルシファーに触れた。
「触れられた」
幸せそうにその手を胸元に引き寄せ、満面の笑みを浮かべる。そこへ全速力のイヴが帰ってきた。危険なので身構えて待てば、速度を緩めずにリリンへ激突する。けろりと受け止めたリリンは、孫にあたるイヴを蔓で絡め取って膝に乗せた。
「ばぁば、ぱっぱ。まま!」
順番に指さして笑うイヴの無邪気さに、全員が頬を緩めた。視線を動かすと、少し先に巨木の幻影が見えた。向こう側が透けて見える木の根元に、ヤンらしき毛玉が見える。広場になった空間の距離が測りづらいが、かなり遠いようだ。
拳程度の毛玉に見えるが、本来の小山サイズかも知れない。リリスの言い方ではイポスも一緒なのだろうが、毛玉に埋もれて見えなかった。
「リリンは外へ出られないのですか?」
「普通に話してあげて」
リリスに注意され「リリンは外へ出ないのか?」と尋ね直した。途端に嬉しそうにはにかむ。年齢を重ねたリリスを思わせる魔の森は、首を横に振った。眠りの時期で力を抑えているからではなく、出られないのだとリリスが説明する。
「この空間は違う世界なの。お母様が外へ出たら、崩壊してしまうわ。そうしたら私達が暮らす世界も崩れてしまうの」
自分が生み出した世界と生き物を守るため、ここから動けない。それが定めと聞いて、ルシファーは不思議と納得してしまった。民のために尽くし、人々を守る拠点として魔王城に住まう。そんな自分の在り方と共通していると思ったから。そのまま伝えると、リリンは「同じ」と呟いた。
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