07.こっそり食べるから美味いんだ
「こっそり食べるから美味いんだ」
「わかるわ」
魔王ルシファーは、リリスが眠るベッドに潜り込んだ。シーツを頭まで被り、ひそひそと会話を始める。私室なのだから堂々と過ごせばいいのだが、問題は隠して持ち帰ったチョコにあった。献上された飲食物は、確認してから口にすること。魔王城のルールのひとつである。
魔族は弱肉強食を旨とするが、弱い種族は滅ぼせという方針でもなかった。強者は弱者を労わり守る義務がある。どの種族も弱点はあり、互いに補い合っていた。種族間での争いが起きれば、強者である魔王を頂点とした大公達が動く。故に一方的な虐殺や戦いが起きることはなかった。
彼らにとっての弱肉強食は、ひとつの序列だ。強いと分かっている者とむやみに戦い、傷つくことがないよう振舞う指針だった。そんな強者の集う魔王城は、いくつものルールで動いている。献上された飲食物の確認は、過去のある事件によって定められた。
まだ種族間の争いが激しかった頃、魔王ルシファーの采配に不満を持つ者が毒殺を試みたのだ。だが魔王は猛毒であっても「ぴりっとうまい」程度の感想しか持たない。全く効果はなかった。問題はここから先だ。平然と食べた魔王の様子を見た侍従は、残った菓子を持ち帰って同僚と分け合った。当然毒が回って苦しむこととなる。すぐに解毒されたので、死者がゼロなのは幸いだった。
これ以降、魔王城に住むルシファー以外の魔族のために「飲食物はチェックする」というルールが制定された。ルシファー自身は自分に関係ないと考えており、よく摘まみ食いをして叱られる。故に今回も「叱られないため」にシーツを被っていた。
「先に食べるぞ」
毒見を兼ねて口に入れる。甘く蕩ける味に口元が緩んだ。その表情で安全を確認したリリスへ、ルシファーの白い指がチョコを差し出す。ほんのりとした苦みが残る上質な口どけに、二人でお互いに食べさせ合った。
「久しぶりね。こういうの」
「ずっとリリスの
果物以外ほとんど口に出来なかったリリスは、菓子の甘さに頬を両手で包んだ。零れ落ちそうとはこのことだろう。ふふっと笑みが浮かんで、またチョコへ手を伸ばす。
「……何をしてるんでしょうね、この馬鹿は」
魔王の側近で部下のはずのアスタロトは、容赦なく指摘しながらシーツを剥いだ。胎児のように丸くなって向かい合い、中央にチョコの箱がぽつんと置かれた間抜けな姿を晒す。魔王ルシファーがきりっと言い返した。その手はこっそりチョコの箱を背に隠そうとし、アスタロトに強制徴収された。
「ここは私室だぞ。何をしようと夫婦の自由だ!」
「ルールを守っての自由時間なら、私は何も言いませんよ?」
分かっています。このチョコは毒の有無を確認せずに隠匿しましたね。その上でこっそり魔王妃と食べた。完全にルール違反ですよ。声にしなかった脅迫めいた台詞が伝わり、ルシファーは青褪めた。これは説教案件か?
「いくらあなたに毒が効かなくても、他の人も同じとは限りません。上位の者は手本になるべく手順を踏む、その重要性はお分かりですね?」
上位者がルールを守れば、下の者も自然と従う。逆もまた然り。何度も説明したはずですが? アスタロトの鋭い眼差しに、魔王はそっと目を逸らした。
「……アシュタ、寒いわ」
「これは失礼いたしました」
空気を読まないのか、読んだから口を挟んだのか。リリスは平然とアスタロトに文句をつける。アスタロトもここは争わずに引いた。
「姫君がぐずってるようなので、連れてきてもいいですか?」
口調が少し砕けたことから、アスタロトの機嫌が良くなったと判断したルシファーが頷く。それからもそもそと立ち上がった。皺になったローブをぱっぱと叩く。乱れた純白の髪を手櫛で直し、魔王妃リリスを毛布で丁寧に包んだ。
「ちょっとイヴを連れてくる」
「いってらっしゃい、ルシファー。早く戻ってね」
甘い夫婦の会話に紛れた単語に、側近の吸血鬼王は眉を寄せる。イヴ……ですか? まさかもう名づけを!?
「ルシファー様、今のお名前は……」
「ああ、姫の名前だ。可愛いだろう? イヴリースだと長いからイヴにした」
「は……? はぁああああ!? 何ですか、それは!! こら、待ちなさい」
最初の「は?」の時点で嫌な予感がしたルシファーはさっさと逃げ出し、慌てて追いかける吸血鬼王が姿を消す。蓑虫のように毛布に包まれたリリスはうとうとしながら見送り、欠伸交じりに呟いた。
「まったく。アシュタもルシファーも、どうしてこう騒がしいのかしら」
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