09.子守歌という懐かしい思い出

 赤子は泣いて、飲んで、眠る生き物だ。たまに、本当にたま~に笑ってくれる。まだ親に反応して笑う月齢に届かないイヴは、小さな口で大きな欠伸をした。おむつも交換済み、お腹いっぱい母乳も飲んだ。することはない。うとうとと眠りに落ちかけた時、騒がしさに飛び起きた。


「我が君っ! おやめください!!」


「離せ! こらっ」


 必死で止めるヤンの先で、短剣を片手にルシファーが騒いでいる。呆れ顔のリリスが口を挟んだ。


「ルシファー、ヤン。静かにして。イヴが寝られないでしょう?」


「すまん」


 しょんぼり肩を落とすルシファーが、赤子の様子を覗き込む。自分にそっくりの銀瞳が見開かれているのを見て、眉尻を下げた。短剣を収納へ放り込む。


「ごめんな、イヴ。寝るところだったんだな」


 すっかり目が覚めて興奮状態のイヴを抱き上げ、ちょろっと生えた黒髪を撫でる。首が座っていないので気を付けながら、軽く身を揺すって寝かしつけに入った。小さな声で歌い、数分でイヴはすやすやと眠りの中に落ちた。


「その子守歌、懐かしいわ」


「ああ、よく歌ったっけ」


 懐かしい。ほのぼのと過去の話を始めるが、一般的に判断すればおかしな状況だった。夫である魔王は、魔王妃を赤子の頃からおむつを替えてミルクを飲ませ育てた。立派に大きくなったら嫁にするのは、世間ではロリコンと呼ばれる。


 遠い目をして、そんな疑惑もありましたなぁ……と懐かしむフェンリルが、床にぺたんとお座りした。安心したら気が抜けたのだ。先ほど短剣を取り合っていたのは、お守りを作ろうとしたルシファーの行動が原因だった。


 己の血と毛を使って守護の宝玉を作ると言い出したが、護衛としては止めるのが仕事だ。たとえ魔王自身であっても、護衛対象が傷つくことは見過ごせない。気が逸れてくれて安心したヤンは、リリスへぺこりと頭を下げた。


「いいのよ、ヤン。いつもごめんなさいね」


 大人の対応にほろりと来たヤンだが……我が子に夢中のはずのルシファーに、じろりと睨まれた。びくりと震え、たてがみから尻尾まで毛が逆立つ。


「ヤン?」


「誓って! 妻一筋です」


 魔王妃リリスに色目を使っていないと主張するフェンリルに、ルシファーはそれ以上の嫌疑を掛けることはなかった。怯えて巻き込んだ尻尾が何よりの証拠だ。魔獣は本能に忠実なので、嘘で尻尾を巻き込んだりしない。


「ルシファー、そうやって虐めてると……アシュタに言いつけるから」


 今度は魔王が怯える番だった。青ざめていく顔色が気の毒だが、ここに当事者のアスタロトがいたら「どういう意味でしょうね」と魔王夫妻に詰め寄ったのは確かだ。自爆覚悟のリリスの発言に、ルシファーは大人しく謝罪した。


「悪かった。もうしない」


 幼いリリスに「ダメよ」と言われた頃もそうだが、しっかり尻に敷かれていた。魔族最強の純白の魔王は、黒髪の魔王妃には敵わない。


「守護の宝玉はいらないわ。この子は私達の子だもの……ね?」


 眠った赤子を受け取って覗いたリリスが笑う。言葉通り、ほんのりと薄い結界が見えた。自分で己を守る気らしい。騒がしい親や護衛の声を遮って眠る、魔族らしい豪胆さも兼ね備えていた。


「皆はどうしてるの?」


 大公女達はそれぞれ要職に就いている。結婚式から早12年、彼女らは魔王城の中で己の立ち位置を確立した。もう仕事に戻ったのかと尋ねられ、ルシファーは予定を思い浮かべる。


「シトリーは戻ったが、ルーサルカはまだ休暇中だな。明日からルーシアとレライエが復帰する」


 リリスの出産の手伝いは大公女が最優先する仕事だ。そのため、普段手掛ける仕事を後回しにした。ベッドで欠伸をしたリリスに、ルシファーは上掛けを肩まで引っ張りながら声を掛ける。


「リリスの休みはあと3日あるから。ゆっくり体を休めてくれ」


「ええ。イヴをお願い」


 まだ幼い顔立ちのリリスの横にイヴを移動させ、ルシファーは再び子守歌を口遊む。熟睡する赤子の隣で、母になったばかりの魔王妃が目を閉じ眠るまで。

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