423.初めての立ち会いは驚くばかり
「アスタロト閣下、お水を」
「閣下、そっちの……じゃなくて、隣の。それ取ってください」
イポスが指示を出し、大人しく従うアスタロト。魔王城内ではまず見ることが出来ない状況だが、珍しさに驚く暇はなかった。大公夫人アデーレの出産である。ストラスがすでに200歳を超えたので、久しぶり過ぎるお産だった。
体調に気を配り、陣痛の強さを確認しながら、助産婦が手助けする。魔法でつるんと産めれば楽だが、そんな都合のいい魔法は存在しなかった。痛みに青ざめ、いきむたびに真っ赤になる妻。アスタロトは自分も顔色を変えた。
「アスタロト閣下、手をしっかり握って。痛くても離さないでください」
「分かりましたが……イポス、あなたはなぜ私を閣下と……」
呼ぶのですか。咎めるように口にしかけたアスタロトは息を呑んだ。ぐっと強く握るアデーレの爪が肌に食い込む。驚いて目を見開いた。ぶるぶると震える妻の腕、食い込む爪、痛みを耐えるために詰まる呼吸……これほどの思いをして、子を産んでいたなど。彼は考えたこともなかった。
産気づいた連絡が入り、半日ほどで「生まれました」と連絡が入る。それがアスタロトの知る出産であり、全てだった。この状態を半日近く耐えるなど、想像だけでゾッとする。戦いなど軽く感じますね。爪を立てるアデーレの手を、アスタロトは優しく包み込んだ。
「アデーレ」
何を言っていいか分からず、ただ名を呼んだ。微笑むように表情を和らげた妻が、再び呼吸を止めてぐっと力を込める。イポスに指示された腰を撫で、アデーレの汗を拭いた。
「えっと、何でしたっけ?」
イポスはあたふたとアデーレの世話を焼き、先ほどアスタロトが言いかけた言葉に首を傾げる。呼び名に構っている場合ではないが、普段の癖が出ているのだろう。そう判断したアスタロトは手短に用件を伝えた。
「閣下の敬称は不要です。
「あ、はい」
きょとんとした顔で頷く彼女だが、手は汗を拭くタオルを濡らしたり絞ったり忙しい。よく働くイポスに助けられながら、アスタロトはアデーレに付き添った。呼び出されることもなく、夜更けの漆黒城に赤子の元気な産声が響き渡る。
昼過ぎにアデーレが産気づいて、半日近く経過していた。皺になったシーツにぐったり沈む妻の頬に口付け、アスタロトは「お……いえ、ありがとうございます。アデーレ」とお礼を告げた。お疲れ様でしたと労おうとして、言葉を途中で変えたのは息子の助言が生きている。
お疲れ様では仕事のようだが、ありがとうなら彼女も受け取ってくれるはず。アスタロトの気遣いに、イポスとストラスは顔を見合わせた。
「この子の名前は、ゆっくり考えましょう。今は休んでください」
アデーレは頷くと、目を閉じた。頬や首筋に張り付いた髪を、アスタロトは優しく乾かしていく。もう妊婦ではないので、魔法による乾燥が可能だ。浄化は吸血種なので厳禁だが、拭いて乾かすだけでスッキリしただろう。
「赤子は部屋から出すべきですか? それとも同室の方が安心するのでしょうか」
「えっと……お義母様は一緒がいいと言ってました」
イポスはお産を手伝うと申し出ていたので、事前に話をしていたらしい。その助言に従い、ベビーベッドを持ち込んで見える位置に娘を寝かせた。名残惜しく思いながら、アスタロトは隣室へ移動する。
「娘とは、驚きました。ルカとイポスに続いて三人ですね」
嬉しそうに頬を緩める父を前に、ストラスは一枚の紙に提案を書き込んだ。喜びを噛み締めるアスタロト大公へ差し出す。
「今後、父親は我が子の出産に立ち会うこと。この法案を提出します」
「……いいでしょう、検討して回答します」
仰々しいやり取りだが、ストラスはこの案が通ることを疑わなかった。
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