119.相談しなかったことでしょう

 数日後、魔王城はどんよりと重い空気が垂れこめていた。天気は快晴なのに、城内に入ると空気が重く冷たい気がする。届け物に顔を出したイザヤはぶるりと身を震わせた。物理的に影響を及ぼす程、城の主が落ち込んでいるのか。


 城での勤務状況を話す妻アンナの言葉を思い出す。魔王陛下と魔王妃殿下が喧嘩なさったの。夫婦ならよくあること、そう笑い飛ばせればよかったが。思ったより深刻そうだ。これは外部の助けが必要な状況に思えるが、大公もいるし問題ないだろう。そう考えて用事を済ませるために城内を通過した。


 裏庭に近い別館には、侍女や侍従を始めとした使用人の部屋が用意されている。遠くから早朝勤務に通うのが大変な者はもちろん、独身者既婚者問わず誰でも申請すれば使える。その一角を借りているイザヤは、本城の寒さに肌を粟立てながら足早に通り抜けた。


 エルフにより整備された散歩道の途中で、うっかり純白の魔王陛下と遭遇する。しまったと思うが、そこは顔に出さず笑顔でスルーしようとした。大人の対応だが、これまた予想外に呼び止められたのだ。


「イザヤ、ちょうどよかった! 教えてくれ」


 嫌です。そう断れたら、どれだけ気分が楽か。しかし、イザヤは良くも悪くも典型的な日本人だった。頼まれると嫌とは言えず、愛想笑いを貼り付けて頷いてしまう。彼の座るベンチの隣をぽんと叩かれ、素直にそこへ腰を下ろした。


 妻に頼まれた子ども達の着替えを手に、イザヤはルシファーと並んで座る。アベルなら断ったかも……あいつは意外と肝が据わってる。いや、あれは空気を読まないというべきか。同じ日本人ながら、対照的な性格をした友人を思い浮かべて溜め息を吐いた。


「リリスがなぜ怒っているか、分からないんだ」


 ぽつりぽつりと事情を語りだした。イザヤとしては聞こえなかったフリで通り過ぎたいが、さすがに無理だ。頷き相槌を打ちながら、夫婦喧嘩の内容を聞かされた。


 先日の来訪者は危険だった。子どもから魔力を奪ってエネルギーとして変換し、己の世界に帰ろうとしていた。時間が経てば繋がりが切れて帰れなくなる。焦る気持ちも理解できるが、ルシファーとしては子どもの安全を優先する場面だ。だから子どもの代わりに魔力を与えて帰ってもらった。


 しかしリリスは違う捉え方をしたのだ。子どもを攫って魔力を略奪する危険人物を、無罪放免にしたと受け取る。協力要請もしないで、勝手な行動をとった罰を与えるべきだったと主張した。そのため魔力を与えて追い返したルシファーの裁きを「軽い」と責め立てる。


「オレの何が悪かったんだ?」


「相談しなかったことでしょう」


 ずばり、どちらも悪い。どちらの主張も正しい。問題があるとするなら、夫婦であり魔王と魔王妃の地位にありながら、二人が相談しなかったことだ。互いの主張を事後に突きつける形になった。


 あの場面では仕方なかったと言われたら、現場にいなかったアベルは肩を竦めて口を噤む。だが、二人の間にある問題を解決するなら、相談しなかったことを詫びるのが早い……イザヤはそう考えた。そのまま伝えられ、ルシファーはしばらく考え込む。


 アンナ、待ってるだろうな。そわそわし始めたイザヤに気づき、ルシファーは突然呼び止めたことを思い出した。


「悪い、用事があっただろう。助かったよ、ありがとう」


 イザヤを送り出す。それでも散歩道のベンチから立とうとせず、考え続けた。相談しなかったのは事実で、そこが行き違いの始まりと指摘されるのも分かる。今からどう挽回すべきか。絶世の美貌を曇らせて憂う姿を一目見ようと、城内で働く女性が詰め寄せた。


 微妙な距離を保ちながら、物陰から堪能して甘い吐息を零す。これは既婚者も同じだった。愛する人がいてもアイドルに声援を送るのと同じだが……思わぬ事態に男性陣は懸念する。己の恋人や妻が魔王ルシファーに惚れたのではないか、と。


 結果、彼らは決意した。魔王殿下の隣には、麗しの魔王妃殿下がいなくては! 仲を取り持つ作戦が、こっそり計画され遂行されるのだが……何も知らぬルシファーは憂いの中にいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る