138.覚えていても言わぬが花

 用意された離乳食は8種類、果物から野菜、魚や肉に至るまで。様々取り揃えてある。この辺は、好き嫌いを想定しての準備だった。


 味覚が未発達の子どもは極端な味を嫌うと聞いた。そのため、調味料は使わないのが一般的らしい。リリスの時は何も知らずに苦労したが、二人目ともなれば余裕だ。そう考えていたルシファーは、打ちのめされていた。


「これも食べないのか」


「うべぇ」


 最後の林檎まで吐き出され、全戦全敗だった。がくりと項垂れたルシファーの純白の毛先を握り締め、口に突っ込みながらイヴはご機嫌である。食べなかったが楽しそうなので、野菜ジュースで誤魔化すことにした。そういえば、リリスはプリンが好きだったな。砂糖控えめで作らせたら与えても平気だろうか。


 いっそ砂糖を無くして、卵と牛乳で作れば……考え込んだルシファーの前に用意された離乳食は、あっという間に片付けられた。これらは処分されるのではなく、加熱調理するシチューや香辛料の入ったスープに隠し味として使用される。捨てるような食糧などないのだ。


「おはよう……」


 目が覚めたリリスは、髪の手入れを諦めたらしい。つばの広い帽子に黒髪を突っ込んでいた。目の下の隈は消えたので、睡眠はばっちり取れたようで安心する。


「おはよう、リリス。イヴの朝食が終わったところだ。一緒に食事をしないか?」


「ルシファーは食べてないのね。それじゃ一緒にいただくわ。ヤンもおはよう」


 挨拶をしながら、ヤンの毛皮に寄りかかる。小山ほどもある巨大なフェンリルの腹は柔らかく、だが人の重さくらいは気にならない。包み込むようにリリスを受け止めた。


「イヴは何か食べられた?」


 食べられる物があったかと尋ねる妻に、魔王は肩を竦めた。その「残念」と書いた顔で、事情を悟ったリリスが笑う。夫の膝で純白の髪を口に入れる愛娘を撫でて、覗き込んだ。


「やっぱり食べなかったわね、悪い子」


「ぶぶぅ」


 リリスの言葉を理解したかのように、唇を尖らせて唾を飛ばす。幼子に多い仕草だが、ルシファーは目を輝かせた。


「すごい! リリスの言葉を理解してるぞ。天才だ!」


「陛下は以前もリリス様に対して同じことを仰っていましたわ」


 くすくす笑いながら、アデーレが離乳食を下げたテーブルへ二人の朝食を並べる。時間としてはお昼の方が近いが、朝の最初の食事という意味で、朝食扱いだった。サラダ、スープ、パン、卵料理だ。イヴがいるので、食べやすいようパンにベーコンが挟んであり、スープもカップに注がれた。これなら片手でイヴを抱いていても食べやすい。


 工夫にお礼を言いながら、ルシファーは首を傾げる。リリスの時と同じ、か。


「ならば、イヴもリリスのように健康で美人で可愛く育つだろうな」


 希望的観測を述べるルシファーへ、アデーレは曖昧に微笑んだ。個人差はあるが、健康で美人になるのは間違いない。ルシファーもリリスも種族名がはっきりしていないので、イヴの分類も不明のままだ。強いて言えば、魔王種になるのだろうか。


 強くなることは確実なイヴは、純白の髪をぐいと引き寄せた。


「いたっ、この辺りもリリスと一緒だな」


「あら、私はそんな乱暴じゃなかったわ」


「「……」」


 アデーレとルシファーは揃って目を逸らした。その姿に、リリスは「そうよね?」と答えを強要する。冷や汗を掻きながら誤魔化す方法を考える主君に、忠犬ならぬ忠臣ヤンは勇気を振り絞って口を挟んだ。


「我が君、食事をなさいませ。イヴ姫様は我が見ておりますゆえ」


「あ、ああ。助かる」


「そうだわ、冷める前に頂かなくちゃ」


 リリスがうまく気を逸らしてくれたことで、安堵の表情を浮かべた主従は目配せしあった。今日の空はやや曇り。この場の微妙な空気を示すような灰色の空は、重い空気を漂わせていた。

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