第10章 因果は巡る黒真珠騒動
139.天才の閃きは暴論に近い
朝食を終えたところに、慌ただしくルキフェルが駆けてくる。さきほど研究所に戻ると聞いた気がするのに、何か発見したんだろうか。首を傾げるルシファーへ、手元の報告書が差し出された。
正確には、報告書と称するには字が乱れている。縦横好き放題に書かれた文字や数字は、まだメモの段階だった。
「見てよ、わかるでしょ?」
「いや、まったく分からん」
隣で覗いたリリスも首を横に振る。研究中心のルキフェルは、時々こういった言動をする。自分は理解していて、他人に説明するのを省くのだ。それがルシファーやベールのように付き合いが長くなればなるほど、当たり前のように行われた。
分かったフリをするより、素直に「分からん」と答えた方が理解までの道は短くて済む。今回もルキフェルは文字を次々に示しながら、口頭での説明を始めた。ランダムに指差すように見えるが、当人には答えが描かれた魔法の地図なのだ。
「こことここ、爆発の規模を計算したんだけど……前回と今回は規模が違うんだ。でも僕の把握してる真珠の大きさは同じだった。何かを吸収した量が違うんだと思う。で、この部分を弄って再計算してみたんだけど」
長く続く説明の間に、リリスはこっそりと2回も欠伸をした。ついにはヤンの毛皮を撫でながら、うとうとし始める。曇りだが風が冷たくないので、気持ちいいのだろう。食後で腹が満ちていたことも影響した。
食事の合間に、肉の塊やおこぼれを頂戴したヤンは早々に眠っている。彼の任務は護衛であり、研究者の説明を聞くことは業務に含まれないからだ。こういったドライな面は、魔族の特徴だった。関係ない役割をこなそうとする者はいない。興味を持って首を突っ込むことはあっても、だ。
「つまり、爆発による物理的な被害は、計算上ないんだよ」
とんでもない結論に至った。暴論と言ってもいいが、一理ある。唸るルシファーは、内容を理解したために反論できずにいた。魔王城の自動修復魔法陣が発動したのは、机や椅子など部屋の備品や壁を傷つけたから。それは物理的な被害だ。しかし計算上は存在しないエネルギーだった。
計算式や前提を再度確認するが、見落としはなさそうだ。とすれば、城の備品やルシファー達2人に及んだ被害は、なんだったのか。
「ルシファーとアスタロトが入れ替わったのも、最初は物理的な衝撃波によるものだと考えてたけど、もしかしたら違うかも」
何らかのエネルギーが働いたのは間違いない。その正体が不明なだけだ。一般的な物理エネルギーとは異なるらしい……これが現時点での仮説だった。
「もう少し調べてくれ」
「もちろん!」
途中報告だったルキフェルは、スキップしながら中庭を抜けていった。器用にも転移魔法陣を避ける彼の後ろ姿を見送り、ルシファーは違う部分に声を上げた。
「転移魔法陣を改良して、使わないときは小さくしよう」
「突然どうしたの?」
きょとんとした顔で夫を見上げる魔王妃リリスは、ぐるりと周囲を見回した。腕の中で微睡む娘イヴは、まだ起きる様子がない。お気に入りのヤンの毛皮に顔を埋め、涎をべったり垂らしていた。
「見てみろ、転移魔法陣が大量に並んでいると庭が使えない。普段は小さくしておいて、使う時だけ呼び出して拡大すればいいのでは、と」
ああ、なるほど。リリスは笑った。ルシファーったら、考えるのに疲れちゃったのね。こういう時、私なら眠ったりお茶を飲んで気晴らしするけど、ルシファーは別の案件に没頭するんだわ。
設計を始めた夫の隣で、もう一度うたた寝を始める。隣にいなければ聞こえない小さな呟きを聞きながら、リリスは目を閉じた。何だかんだ、トラブルは起きるけど……平和よね。
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