72.何してるの? それはこちらのセリフだ

 温泉地の屋敷に直接転移したので、この地を治めるデカラビア子爵家に連絡を取った。そこで料理や掃除の手配を行う。これはこの地に屋敷を構えてから、ずっと踏襲されてきたルールだった。デカラビア子爵家は火龍の一族で、他の神龍と分派して単独で領地を持っている。


 理由は鳳凰の保護にあった。一時期の乱獲で数を減らした希少種でらう鳳凰を守るため、火に圧倒的な耐性を持つ火龍にこの温泉地が宛がわれた。当初はあちこちから熱湯が噴き出る荒れ地だったが、彼らは熱に強いこともあり、数百年かけて温泉街を整備したのだ。もちろん魔王城から補助金は出ている。


 魔王ルシファーが個人としても補助金を出したため、お礼として造られたのがこの屋敷だった。温泉宿に魔王が泊まると、客達が交流を求めて騒ぎになるので遠ざけられたとも言う。


 余談だが、デカラビア子爵家はシトリーの夫グシオンの実家である。現在もシトリーは転移魔法陣を利用して、この温泉地から通っていた。


「シトリーを誘ってみようかしら」


「そういえば、妊娠したと聞いたぞ。3人目か」


「ええ、火龍の兄妹でしょ? どうしても鳥人族ジズの子が欲しいんですって」


 大公女シトリーの子は、兄ネイトが8歳になる。その妹は年子で7歳のキャロル。どちらも火龍の特性を受け継ぎ、鳥人族ではなかった。自らジズのシトリーとしては、3人目に期待しているらしい。大公女としての仕事に加え、魔王城高等学院の学校長を兼務する彼女は目立ち始めた腹をさすりながら、毎日夫の護衛付きで出勤していた。


「転移魔法は、妊婦に影響ないの?」


「現時点で何も影響がないらしい。ルキフェルの研究室の、えっと……ほら、アスタロトのところの、ストラス! ストラスが調べて結果報告書を出した」


「へぇ」


 感心しているのか、聞いたけど興味はさほどないのか。リリスは平坦に答えると、部屋に荷物を並べ始めた。昔からそうだが、ルシファーは収納に慣れ過ぎて、荷物を外へ出さない。必要な物だけ収納から取り出すタイプだった。


 逆にリリスは収納から荷物を取りだして、部屋に片付けるタイプだ。どちらがいいか判断できないが、この作業をルシファーも黙々と手伝った。それでも自分が持参した荷物は放置なのだから、よく分からない。手伝うことで、リリスにお礼を言われたいだけかも知れないが。


「それはこっちよ」


「よし、いいぞ」


 子供服を並べ終えたところで、リリスは満足そうに頷いた。おむつ魔法陣と呼ばれる汚物転送魔法陣のおかげで、予備を大量に持ち歩かずに済むようになった。リリスも緊急用の予備を1枚だけ持ってきている。残りはすべて魔王城の自室だった。


「うぁ!」


 お腹が空いたのだと声を上げるイヴに気づき、ルシファーが彼女を抱き上げた。リリスを振り返り、休むように伝える。


「オレがミルクをやるから、寝てていいぞ。食事が届いたら食べて、お風呂にいこう」


「わかったわ。お願い」


 ここ数日の寝不足はまだ解消できていない。数年眠らなくても活動に支障がないルシファーが動くのは、現状で合理的だった。鼻歌交じりにイヴを揺らしながら、静かに部屋を出る。早く飲ませろと愚図る娘へ、収納から取り出した哺乳瓶を咥えさせた。


 うっくうっく、夢中で哺乳瓶のミルクを飲むイヴを連れて、廊下を進む。露天風呂の方へ曲がりそうになり、向きを変えた。風呂場は滑りやすいからやめよう。坪庭がある左へ向かい、ふと手前の部屋に気配を感じた。魔力で判断するなら知り合いだが、なぜここに?


 がらっと引き戸を開けると……予想通りの魔力の持ち主がきょとんとした顔で振り返った。


「何してるの?」


「それはこちらのセリフだ」


「あたくしは休みに来たの」


「オレはイヴにミルクをやってる」


 不毛な会話の後、ルシファーは大きく溜息を吐いた。


「お前はいつも勝手にこの屋敷を使うんだな、ベルゼ」


 ベルゼビュートは我が子を窒息させんばかりの勢いで巨乳に埋め込みながら、首を傾げた。

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