35.首が落ちるから動くな
話が佳境に入ったところで、妙な音が響いた。ばきっ……ぼりぼり。硬い焼き菓子を頬張るのは、ベルゼビュートだった。隣で獣のエリゴスも焼き菓子を牙で砕いている。
「姉さん、雰囲気が台無しよ」
「あら……でも、あの時は驚いたのよ。アスタロトが真っ二つになったと思ったもの」
つい先日の騒動を語るような彼らの記憶力は、驚くばかりだった。話の内容からして7万年以上前の事件である。ルーサルカは義父のピンチを聞きながら、ぎゅっと両手を握りしめていた。嬉しそうなアスタロトが口角を少し持ち上げる。
「あの時は失敗したかと思ったぞ」
苦笑いするルシファーが再び続きを語り出した。
頭を庇おうとしたアスタロトの両腕を切り、頭から腰の辺りまで一気に鎌が降りた。するりと腰から横へ逃げた刃が太腿を抜けていく。どう見ても即死の切り裂き方だった。がくりと膝を突いたアスタロトが俯き、紫がかった瞳が髪で隠れる。
「ぐぁあっ!」
獣の唸り声をあげ、剣を杖代わりに身を起こしたアスタロトに、ルシファーは容赦しなかった。敵であれば切り落として当然とばかり、遠慮なく刃を振るう。首を横に切り落としたことで、首に細く赤い線が生まれた。
肩から下に流れた金髪はすべて切り落とされた。ぱらぱらと散る髪が、地面で光を弾く。周囲で燃えていた赤黒い炎が急速に小さくなり、嘘のように消えた。
「おっと! 首が落ちるから動くな」
恐ろしいセリフを吐いたルシファーは、愛用の鎌から手を離す。乾いた音を立てて倒れるはずの武器は、双頭の犬となった。ぐるると唸りながら、アスタロトへの警戒心を剥き出しにする。
その場に座り込んだアスタロトの首に、自己治癒の兆しが現れる。じわじわと滲んでいた血が消え、細く残った傷が癒えていく。体も崩れることはなく、力尽きた様子の彼の前に少年は膝を突いた。目線を合わせて、アスタロトの赤い瞳を覗き込む。
「どうだ? 戻ったか」
「あ、ああ」
誰もが狂ったと表現する状況で、戻ったと問うルシファーの勘の鋭さに驚いた。これは勝てない。苦笑いが浮かび、口元が緩む。肩を震わせて笑い始めた。解放されて自由になった気分だ。笑い続けるアスタロトの様子に、ベルゼビュートは残念そうに剣を鞘に収めた。
「本気で戦う状況じゃなさそうね」
本気を出せる相手は限られている。狂ったアスタロト相手なら、手加減せずに切り掛かれると思ったのに。不満を表情に出したベルゼビュートだが、内心では安堵の息を吐いてた。このまま戻らなければ、殺す選択肢もあったのだから。
ルシファーを交えた4人での会話は、ベルゼビュートにとって居心地が良かった。己と対等以上の存在がいることで、バランスが取れている。純白の少年はまだ幼く見えるのに、誰よりも強かった。魔族は弱肉強食、強い者に惹かれ従う。
「ルシファー様が王でいいじゃない」
ベールもアスタロトも反論しなかった。すぐ同意する気はないみたいだけど、やがて時間が解決するわ。だって反対しないんだもの。ふふっと笑うベルゼビュートは、鞘に入れた剣を収納空間へ放り込んだ。
デスサイズを魔犬に変えたルシファーは、少し考えて眉を寄せる。
「魔王になる気はないぞ」
「そうですか。でしたら、あなたが一番向いています」
否定した途端、ベールが賛成に回った。やりたいと願い口にする者は向いていない。天邪鬼な理由で肯定され、ルシファーは頼みの綱となったアスタロトを振り返った。彼なら否定してくれるはず。
「我が君に忠誠を。私の中にいる呪いごと、お引き受けくださいね」
「え、やだ」
即答した、心底嫌そうなルシファーの顔を見上げ、擦り切れた服の裾を額に当てる。アスタロトは立ち上がると、収納からローブを数枚取り出して、無造作に長さを整えた。
「ひとまず……着替えてください。見窄らしい格好はやめていただきます。それと権威の象徴になる城を建設しましょう。ドワーフあたりを捕らえて働かせればいいですね」
傅くと決めたら揺るがない。参謀に望んだアスタロトは、ルシファーが思う以上に勤勉で真面目だった。
「いま思うと、騙されたような気がする」
大公3人が揃って、オレを詐欺にかけたんじゃないか。ぼやくルシファーの姿に、若い大公ルキフェルと大公女達は顔を見合わせる。騙されたというか、自ら厄介ごとに飛び込んだのは魔王自身――全員の見解は一致していた。
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