155.夫の面目はぎりぎりで保たれた
魔王の執務室は散々な有様だった。明らかに誰かと誰かがケンカしたと分かる。が、その「誰か」を特定する命知らずは、魔族に存在しなかった。城で働く者は暗黙の了解として理解している。指摘したらとばっちりが来ることを。
「昨夜は大変だったわね」
妻ルーサルカに慰められながら、アベルは自宅で寛いでいた。今日は休みだ。後で城門に勤めるフェンリルの7代目の王ヤンへ、お礼を届ける予定だった。長男のエルは学校へ向かい、足下を這う次男リンが掴まり立ちして後ろに転がる。
「おっと! あぶない」
咄嗟に受け止めたアベルは、リンの首に巻き着いた蛇の形をしたクッションに首を傾げた。
「これは何?」
「ああ、アンナさんの発案でね。このくらいの年齢の子はよく転ぶから、後頭部を強打しないように巻くのよ。神龍デザインが巻きやすくて人気なの」
端の方をくねくねと曲げて、なるほどと頷いた。前の世界なら針金を入れて動くようにした人形を見たことがある。あれの応用と思われた。他にも狼や猫のデザインも人気が高いらしい。動物を巻きつけると可愛いので、お手製で作る種族もいるとか。
「これは売ってるのか?」
「ラミアが家内制手工業で作るんですって。ところで「家内制手工業」って何?」
「うん、日本で習ったけど……たぶん必要な材料を持ってる人が自分達で作ることじゃないかな」
ニュアンスだけでだいぶ違うが、アベルは歴史の授業が苦手だった。近代を習ったあたりで、西洋のどこかで出てきた気がする。その程度の認識で曖昧に答える。
「リリス様もご自分で作りたいと仰って、今日あたり挑戦してると思うの」
「へぇ」
他愛ない世間話をしながら、お菓子を作るルーサルカの手伝いを始める。アベル自身、簡単な自炊は出来た。お菓子はあまり経験がないものの、手伝いならば十分戦力だ。手際よく二人で大量の焼き菓子を作り上げた。
「ヤン様へのお土産はこのくらいでいいかしら」
過去にリリスが焼いたお菓子を与えていた姿を思い出し、大きめの袋にどっさりと取り分けた。残りは息子達のおやつにして、明日のお茶会にも持っていく予定だ。もちろん、夫婦で味見と称してそこそこの量を食べた後だけれど。
「昨日は何があったの?」
「なんでもない」
怖がって抱き着いて寝たくせに、アベルは強がりを顔に貼り付けて抵抗する。カッコ悪いので、出来たら妻には内緒にしたい。すでに義母殿にバレているが、それはそれ。夜に慰めてもらったが、これはこれ。アベルは曖昧に誤魔化した。
「いいわ、別に。もう知ってるから」
爆弾発言をしたルーサルカは、取り出した刺繍入りのテーブルクロスを机に敷き始める。見たことがない新作、それも裁縫が苦手なルーサルカの手による作品ではない。もう知っているの言葉から、早朝にアデーレから聞いたのかと頭を抱えた。
「うわっ、カッコ悪ぅ」
「そう? お義父様と対峙して生きて帰ったなら、恥じゃないわよ」
アデーレはぎりぎりアベルの体面を保ってくれたようだ。巻き込まれて這う這うの体で逃げ出したと言わず、アスタロト大公と対峙したと伝えた。義母の優しさに感謝しながら、アベルは大きな袋を収納空間へ取り込む。
「じゃあ届けてくる」
「あ、もし問題なければリンを連れて行ってくれる? この子、ヤン様が好きなのよね」
大きな犬扱いかも知れないが、幼子に人気が高いヤンを思い浮かべた。まあ問題ないか。立ち上がって椅子に掴まり、ぶんぶんと手を振り回す次男を抱き上げた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
魔王城の敷地内、奥庭の手前にある大公女達の住まいは今日も平和だった。破壊された魔王城の執務室が修復中だろうと、ドワーフが嬉々として直していく。その脇をすり抜け、アベルはやや曇った空を見上げた。この世界は最強の魔王に守られている。今日も安泰だ。
微笑んで息子と頬を当てて笑い合った瞬間、頭上で大きな爆発音がした。
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