156.魔王夫妻のケンカの原因

 吹き飛ばされたのは魔王陛下そのひと。この魔王城の主人である。城門付近まで飛ばされた彼は、結界もあり無事だった。というより、傷つけられる人は少ない。精神的にも物理的にも……。


「リリスっ、悪かった! 許してくれ」


「もうっ!! 知らないんだからぁ!」


 城門の上でふわふわと白い翼を広げた魔王ルシファーは、よく見ると髪が乱れている。さらさらの髪が風に遊ばれ、いつもの状態に戻っていく。それを邪魔するようにリリスの叫び声と炎が飛んできた。親和性の高い魔王妃の攻撃は結界を通過する。


 咄嗟に右手に呼んだ剣で防いだ。それがまたリリスの怒りに油を注ぐ結果となった。


「避けるんじゃないわよ!」


「避けてない、防いだ……うわっ、あぶなっ」


 何か光る物が飛んできて、弾いたルシファーの真下にいたアベル達の方へ落ちてくる。飛びのいたアベルと丸まったヤンの間に、ぐさっと刺さったのはレイピアだ。細く鋭い剣がぶらんと左右に揺れた。突き刺すための剣だが装飾過多なので、おそらく壁に飾っていたのだろう。


「びっくりしたぁ」


「アベルか? 悪い、危ないから城門へ逃げろ。ヤンも……あっ」


 目を離したルシファーを、氷が襲う。剣の形をしてるのに、刃の先が丸い辺りがリリスの愛情だろうか。少なくともルシファーはそう受け取ったようだ。


「優しいな、さすがリリス」


「褒めたって許さないんだから!!」


 攻撃は一見すると激しさを増すが、危険度は少ない。投げつけられた炎の珠も、純白の髪を焦がす程度だ。氷も先が丸いし、風は触れる前にそよ風に変わった。魔王の結界の賜物と思いきや、リリスが手加減しているらしい。


「髪を振り乱す程怒ってるのに、愛されてるなぁ」


 思わず逃げるのも忘れて、感心しきりのアベルだ。呆れ顔のヤンが襟首を咥え、引きずるように城門へ撤退を始めた。背を向けると危険なので、後ずさりながら逃げる。巨大狼のヤンに咥えられ、足がつかない高さでぶら下がるアベル。


 リリスの叫び声と、謝罪するルシファー。誰も止めに入らないのかと首を傾げるアベルだが、さすがに騒動が大きくなったため大公が介入した。


「陛下、何をしでかしたのですか」


「リリス様、落ち着いてください。あんな男でも一応夫です」


 ベールがルシファーを叱り、アスタロトは興奮したリリスを宥めに入る。というのも、リリスの腕には愛娘イヴが抱かれていた。この騒動で欠伸をしているのは豪胆を通り越して、知覚機能に問題がないか心配になるレベルだ。


「そうね、夫だもの。ある程度は我慢したのよ」


「ええ、そうですね。あの人は無神経ですから」


 相槌を打ちながらリリスをテラスから室内へ導き、イヴをベビーベッドへ寝かせるよう促す。素直に従うリリスに状況説明を求めた。


「何があったのですか?」


「……これ」


 ぬいぐるみの中に、レイピアに似た細いバネが突き刺してある。どうやら首に巻く転倒防止用のクッションを制作していたらしい。この辺は情報通のアスタロト、すぐに予想がついた。問題は、そこからケンカに発展した経緯だ。


「良く出来ていますね。龍でしょうか」


「……ぐすっ、ラミアのつもりなの」


 蛇より龍と表現し、蛇だったら「立派だったので見違えました」と誤魔化すつもりだった。アスタロトの予想を超える魔王妃は、上に女性の人形を付け足してラミアにすると言い放つ。首に巻く大きさではなくなるが、本人は真剣に作っていたのだろう。部屋中に材料が落ちていた。


「そうでしたか。ルシファー様が何か失礼なことを言いましたか」


「ええ! 私が真剣に作ってるのを知ってるくせに、あれを、イヴの背中に背負わせたのよ!!」


 リリスが指さした床に、見覚えのある黒猫が転がっていた。あのぬいぐるみは、転倒した赤子が後頭部を打ったないよう使うリュックタイプでしたね。確かリリス様がウサギを利用していたはず。


 気を利かせ「これを使えばいい」と無邪気に取り出した姿が想像出来て、アスタロトは大きく溜め息を吐いた。あの人のこういう無神経さは、死んでも直らないでしょうね。

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