第7章 幼子は小さな暴君である

94.そうやって甘やかすから

 イヴ誕生から1年――まだ保育園への道は遠い。せめておむつは卒業しないと預かれない、とシトリーに拒まれた。ここはルシファーが喜んだ。幼いうちから預けて社会性を身に付けさせたいリリスと違い、少しでも長く手元に置きたいのが父親の心境だった。


「いいじゃないか、オレと一緒に視察に行こうか。イヴ」


「……そうやって甘やかすから。いつまでも成長しないのよ」


 かつてリリスを甘やかすルシファーへ、アスタロトが告げたのとそっくり同じ内容だ。因果は巡る……いや、違うか。舐めるように可愛がる魔王の様子に、魔王城の住人達は特に反応しなかった。リリスから続く20年ほどの間に慣れたのだ。甘やかす対象が、婚約者から娘に代わっただけのこと。


 リリス達の勉強のために広げた執務室の半分ほどを柵で囲い、子ども達を遊ばせるスペースが作られた。ベルゼビュートの息子ジル、ルーサルカの次男リン、レライエの息子ゴルディー、イポスの娘マーリーンが寝転がる。それぞれに1歳から上は3歳まで。イヴを交えた幼子達は遊びに忙しい。


「この中ならいつでも対応できる」


「助かります」


 ルシファーの宣言で集められた子ども達は、要職に就く大公や大公女の子が主流だ。まだ保育園に預けられない以上、仕事に連れていくしかなかった。その時間を、魔王が預かってくれるなら安心だ。リリスは意外にも我が子より仕事を取った。


「ずっと相手してると疲れちゃうのよ」


 大公女達と仕事をして、のんびりお茶をする時間が欲しいそうだ。にっこり笑ったルシファーは、あっさりと許可した。というのも、どうしても赤子は母親に懐く。少しばかりそれが寂しかったのだ。これでイヴに頼ってもらえると喜色満面だった。


「陛下、書類処理をしっかりなさってくださいね」


「わかっている」


 我が侭を叶えたベールに釘を刺されるまでもない。子ども達を置いて出かける選択肢はなかった。個性的な子ども達はそれぞれにハイハイをしたり、柵を掴んで立ち上がろうとしたり。中には転がって泣き喚く子もいた。


 たいていは絶世の美貌を持つルシファーが抱き上げて微笑むと、けろりと泣き止む。哺乳瓶の扱いから、ゲップに至るまで。リリスで履修済みのルシファーは、書類を半分ほど片付けたところで手を止めた。


 柵の中で遊ぶ幼児は、どの子も魔力量が多い。アスタロトの息子ストラスの研究によれば、両親の魔力量はある程度遺伝するという。イヴは、小さなドラゴンの尻尾を掴んで口に運ぶ。このままでは噛みつくので、そっと手を差し入れて止めた。


「いてっ」


 代わりにルシファーの指が噛まれる。まあ、可愛い愛娘のやることなので怒りはしない。だがルシファーの魔力を無効化するイヴは、結界を突き破って歯を立て……ん?


 よいしょと抱き上げて、イヴの口の中を確認する。小さな両手でルシファーの指を掴んで齧る上顎に、白い歯が点々と見えた。


「歯が生えた!!」


 突然叫んだため、書類を受け取りに来た文官が「お、おめでとう、ございます?」と疑問形で祝いを口にする。


「ありがとう、さすがはイヴだ」


 よく分からない理屈で我が子に頬ずりする魔王の足元で、何かが結界を齧った。先日生まれたばかりの黄金竜ゴルティーだ。足を齧ろうと口を開けるが、まだ足を噛めるほど口が大きくなかった。結界に歯を当てる音がゴリゴリ響く。


「どうした、お腹でも空いたか」


 しゃがんだ途端、他の幼児が一斉にルシファーへ向かう。子どもだけの世界に現れた大人を逃すまいと、必死で手を伸ばしたり抱き着こうとした。ベルゼビュートの息子ジルは、正直とろくさい。その所為で、他の子に先を越され呻いた。


「やぁあ!」


 叫んだジルの不満に呼応したように風が巻き起こる。ルシファーがふっと息を吹きかけて竜巻を中和した。あのままだと他の子を巻き込む。一番年長のマーリーンがよたよたと立ち上がり、邪魔なリンを転がした。


 騒ぎは大きくなるばかり。親がいないときの子ども達はこんなもの、そう割り切ったルシファーはケガに注意しながら見守った。

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