122.魔王妃殿下、無事帰還です

 海上で周囲を見回す。リリスの魔力を終点にしたのに、転移先で彼女を抱き締められなかった。苛立ちと怒りに魔力が暴走する。背中を切り裂くように白い翼が広がった。魔力によって無理やり引っ張り出されたため、背に血が滲む。それでも魔力の源である翼を解放したことで感知能力は上がった。


 もう少し沖に近い。数歩左へ寄って、前に……そこでぴたりと動きを止めた。リリスの魔力を発する場所が海中なのだ。後ろを振り返れば、かなり沖に出ている。しばらく考え、己の周囲に球体の結界を張った。そのまま海へと沈む。


 魔力を頼りに、最愛の妻と娘の元へ。凪いだ海は光を躍らせながら、明るい青を乱反射させる。その海の底へ近づくにつれて、色は紺、紫、濃紺へと変わった。光が届かなくなる手前で、ようやく海底に到着する。周囲を見回したルシファーの手を、何かが掴んだ。


「うわっ」


「ルシファー、私よ」


 思わず声を上げたルシファーだが、続いて聞こえた言葉に目を輝かせた。結界内にするりと入ってきたのは、娘イヴを抱いたリリスだ。イヴは平然と眠っている。水の中、それも海底にいるのにある意味すごい。ほっとしながら二人を抱き締めたところへ、お邪魔虫が到着した。


「おっと、失礼いたしました」


「濡れ場? あ、ごめん」


「……確かに濡れ場と言えなくもないですね」


 場所的に、海底は濡れている場所だろう。もちろん違う意味だが、誤魔化し方に笑ってしまった。駆け付けてくれた大公達に文句を言う気もないので、ルシファーは状況確認を始める。


「攫われたと聞いたぞ」


「合ってるわ。突然確認もなく引き寄せられたから」


 ルキフェルも「あれは不自然だった」と頷く。ルキフェルが同行していて、魔王城の敷地で展開する魔法陣の中から攫われた。並べてみると不自然で、なおかつ危険な状況を示している。この方法が広く知られれば、魔王城が安全な避難場所であるという認識が根底から覆ってしまう。それは魔王への信頼の失墜を意味した。


「何者かの企みでしょうか」


 ベールはピリピリした雰囲気で眉を寄せた。魔王の権威を落とそうと、魔王妃を狙ったのならそれは宣戦布告に等しい。誰であろうと八つ裂きの対象だと匂わせる。その隣でアスタロトも黒い笑みを浮かべた。


 この状況で、大公3人と魔王がそれぞれに結界を作っていた。外から見ると何とも奇妙な恰好だ。透明の球体が4つ並んだ海底で、お偉いさんが不気味な会議を始めたのだから。その奇妙さに気づいたのはリリスだった。


「ねえ、海底から出ない?」


 言われて全員がはっとする。魔王ルシファーを含め、全員が膨大な魔力を持っている。そのため、負荷を感じないので違和感も置き去りだった。何もわざわざ海底で会議をする必要はないのだ。


「じゃあ帰ろうか」


 アデーレやベルゼビュートも心配してるぞ。休暇中に事件が起きたと聞いたら、繊細なヤンが心痛で禿げるかもしれない。笑わせながら、終点を魔王城の中庭に指定した。自室でもいいが、大公達が直接飛べる場所を指定する方が正しいだろう。


 転移した中庭は、大騒ぎになっていた。魔王妃殿下が攫われたなら、救出の手助けに行くと言い出した者らを、アラエルが城門で押し留める。後ろでベルゼビュートが声を張り上げた。


「陛下から城内で待てと言われてるのよ、大人しく持ち場に戻りなさい」


 正確には職場だが、さして間違ってもいない。大公の命令で、魔王城の使用人達は動き出した。だが外部から入ったドワーフや外注先のアラクネ達は別だ。


「我々は今こそリリス様への恩を返すのだ!」


「おう!!」


 盛り上がる現場を横目に、ルシファーは肩を竦めた。妻の人気が高いのは良いことだ。だが止めた方がいいだろう。


「リリスはもう助けてきた。心配無用だぞ」


 リリスを腕に抱いたまま、彼らの前に浮かんで見せる。背に広げたままの翼4枚の威力は凄い。あっという間に「魔王様万歳、魔王妃様万歳」と騒ぎが起き、宴会に突入する勢いだった。自由にさせておこう。宴会の許可だけ与えて戻ったルシファーは、ふと硬い物に気づく。


「ん?」


 イヴのおくるみに入っている何かを、指先で摘まんだ。見覚えのある紫色の珊瑚――海を巻き込んだ騒動の予感がする。

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