115.過去に例がなかったことばかり
緊急時以外出入り禁止。大きく書かれた紙で封印されたテラスの扉は、ついに使用禁止となった。隣に換気用の新しい窓を設置するドワーフの親方がぼやく。
「先に言ってくんねぇと、設計ってもんがあるんですわ。こういう変更ばかりしてっと、城が倒壊しても責任取れませんぜ」
丁重に応じるベリアルが、小さな尻尾を振りながら頷く。今後は事前に全体の設計も含めて相談すると約束をもらい、仕事の仕上がりに満足した親方は帰っていった。息子テッドを助けてもらったドワーフの直属の上司らしい。
「親方がすんません、これ……皆さんでどうぞ」
「ご丁寧に。ありがたく頂戴します」
お詫びと挨拶、昨夜の礼だと言われて受け取ったものの、箱の中身が酒だったので……ベリアルは厨房へ運ぶよう手配した。執務室に新しく出来た窓を開けて換気を行い、彼は部屋を出る。扉が閉めて足早に別の仕事へ向かった。
その頃、下の会議室で騒動が起きていた。被害に遭った子と親は風呂を使って、さっさと就寝した。コリーが悪夢に魘されて飛び起きたくらいで、他の子はほとんど熟睡したという。魔族はこういった精神面で図太い子も多いのだ。
その子らと親を集め、昨夜の調書作りが進んでいた。まずは聞き取り調書を作成し、そこから文官達が客観的な立場で報告書を書き上げる。それが大公の元へ上がり、小さな事件ならばそこで結論が付け足されて終わる。今回は重大事案として、ルシファーまで報告書が上がる予定だった。
「真横にいたけど、何も感じなかったのよ! 触れてたらさすがに気付いたけど、振り向いたらいなかったの」
ベルゼビュートは「何か感じたはず」と責め立てられ、キレ気味に言い放つ。やや大声になっているのは、何度も同じ話をさせられた苛立ちだろう。腰に手を当てて唇を尖らせる妻を、隣で夫エリゴスがうっとり見つめる。その腕には、昨夜の騒動の発端となったジルが眠っていた。
「ベルゼ、ジルが起きてしまうよ」
「ごめんなさい、エリゴス」
夫には甘く、素直なベルゼビュートはすぐに謝る。その様子にアスタロトは大きな溜め息を吐いた。昔からずぼらでいい加減な女性だが、夫との仲が睦まじいのは良いことだ。こちらに八つ当たりをしなければ、だが。
「ベルゼビュート、
精霊女王である「あなた」が。ニュアンスを変えて繰り返された確認に、むすっとした顔で頷く。乱暴な所作で椅子に座り、慣れた様子で足を組んだ。きわどいスリットの入ったワンピースの裾がひらりと揺れる。
「ええ、まったく感じなかったわ」
己の能力が足りないのか、相手が上手だったのか。どちらにしろ、妙なプライドで事実を捻じ曲げることはしない。歴史を都合よく編纂すれば、困るのは未来の自分だと彼女も理解していた。悔しくても、情けなく思ったとしても、感じ取れなかったことは事実なのだ。
「私も何も感じませんでした」
レライエが付け足したことで、他の親もそれぞれに異口同音の答えを並べる。誰も異変を感じ取った者はなく、しかし抱いていたり同室にいて奪われた。種族も様々な親の目をすべて掻い潜る方法……唸りながらアスタロトの視線がルシファーへ向けられた。
圧倒的な魔力があり、何らかの結界を駆使したら可能か。好奇心から来た疑問に勝てず、試して欲しいと口に出しかけた時、ルキフェルが声を張り上げた。
「ちょ! あのトカゲ、収納から消えたんだけど!!」
収納空間は、作った当事者しか開けない。中から物が盗まれるなど想定外だ。過去になかった事例が続き、アスタロトはついに頭を抱えて蹲った。
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