250.子どものケンカに親は不要

 種族不明の赤子の一件が片付、中庭へ戻った魔王は仕事に向かう。正確には逃げ出そうとしてアスタロトに捕まり、ヤンを護衛兼監視役として執務室へ放り込まれた。ルシファーの逃走防止だ。逃げた場合、ヤンが折檻される仕組みだった。


「ぐぬぬ、卑怯だぞ」


「卑怯で結構。そのような手を使おうと、ここにある書類をすべて決裁していただきます」


 ぴしゃんと言い切られ、溜め息をついたルシファーは書類を手に取った。


「却下」


 赤で添削して返却箱へ投げ入れる。真面目に仕事を始めた様子に、アスタロトも報告書作成に取り掛かった。彼の注意が書類へ逸れた隙に、ルシファーは遠距離を映す空鏡を使った。


 風の魔法のひとつで、遠方の景色を映し出す。可愛い妻子を見て癒されようとしたが、思わぬ場面が目に飛び込んだ。


 ――イヴが、ジルとケンカしている?


 リリスは止めるでもなく見守り、ベルゼビュートは泣きじゃくる息子に発破を掛ける。再戦を迫られたジルは、再びイヴに向き直った。


「……その拳を振り下ろしてみろ、腕を切り落とすぞ」


 ぼそっと漏れた低い本音に、ヤンがびくりと身を揺らす。彼の目に飛び込んだのは、大人げない魔王とその向こうで霞むお茶会の風景だった。


「子どものケンカに保護者が出るのはいけません」


 必死で主君を止めるヤンだが、咥えたローブの端が破れそうだ。立派な牙は自慢の一品だが、突き刺さり破れていくローブを見ながら唸る。失敗した。爪で捕らえるべきだったか。どちらにしろ、ローブが破れる未来は確定だった。


「我が君っ! 我慢なさいませ」


「だが、オレの可愛いイヴが攻撃されたんだぞ。ぐぬぅ、離せ」


「ダメです! 攻撃されましたが、それ以上に相手を叩きのめしたのは、イヴ姫様の方でしょう……がっ」


 正論で必死に留められ、ルシファーはしょんぼりと肩を落とした。引っ張られたローブに空いた穴に指を突き刺し、それでも文句を口にする。


「オレの可愛い娘に手を出したんだぞ? 責任を取らせないと」


「おや……イヴ姫の婚約者が決まったのですね」


 見ていたくせにヤンへ任せたアスタロトは、処理していた手元の書類から顔を上げた。執務室の真ん中で繰り広げられた攻防戦に、呆れ顔だった。ルシファーが空鏡で盗み見を始めたところから、気づいている。


 この部屋の中で魔法を使ってはいけないと、あれほど注意したのに。幸いにして決裁済みの書類がなかったからいいが、一歩間違えば書類すべてがやり直しになるところだった。


 叱責しようとしたアスタロトは、もっと効果的にルシファーを凹ませる手段にでた。


「婚約? 許さん!!」


「責任を取らせるのでしょう? 女の子を傷つけた男の子、それも年齢が近いとなれば……傷を付けた責任は、嫁に取るしかありません」


 賠償金やら接近禁止命令もあるのに、婚約一択で迫った。アスタロトの嫌がらせに、青ざめたルシファーは膝から崩れ落ちる。


「ダメだ……イヴは嫁にやらない。ずっと一緒にいるんだ」


「パパ大好き、その言葉がずっと続くといいですね。リリス様のようには行きませんよ。あれは稀有な例です」


 ある程度の年齢になれば、パパなんて嫌い、と離れていく。年頃の娘を持った経験もないくせに、もっともらしく説明してみせた。半泣きのルシファーが、突然転移で消える。


「ちっ、やりすぎました」


 飛び出していくアスタロトは、仲裁に走ったのだろう。焚き付けて嫌がらせする予定が、思わぬ暴走を招いた。ヤンは誰もいなくなった執務室で、落ちた書類を拾い集める。そっとルシファーの机に積み上げた。


「我はここで待てば良いのだろうか……」


 護衛として追いかけるべきか。書類を守って残るのが正しいか。迷った末に、ヤンは部屋の中央でくるりと丸まった。


 しばらくしたら戻ってくる。その判断は正しかった。僅か10分程度で、不貞腐れた魔王を連れ、吸血鬼王が帰ってきた。


「子どものケンカに、親は手出し無用です」


 ヤンとまったく同じ注意をされ、ルシファーは再び書類の整理を始める。今度は監視が厳しく、空鏡はもちろん、すべての魔法が禁止された。

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