419.なぜ愛称が認められないのか?

「あなたがオムツを使うはずがないでしょう。そうではなく、どうして収納に入れないのかと尋ねました」


 辛抱強く続けるベールの言葉に、ルシファーは「ああ」と納得する。


「単に忘れていた」


 手に持つ必要はなかったな。そう呟き、あっさりと収納へ放り込む。リリスが眠り始めたので、起こさないよう出てくることで手一杯だった。イヴは素直についてきたが、泣き出しそうなシャイターンを結界で包んで外へ出たのだ。


 左手にオムツ籠を持って来ただけで、褒めて欲しいくらいだった。忘れたら、室内にまた侵入するところだ。


「オムツは支援物資として確保しています」


 ここから使えばいいでしょうに。呆れたと呟くベールは、まだ笑いが収まらない同僚を睨んだ。アスタロトの復活はまだ先らしい。彼の理性的な対応を諦め、現状を説明した。


 出産の届けがすべて集計されていないが、現時点ですでに67人の新生児を確認。うち15匹は魔獣のため、すでに野原を駆け回っているらしい。となれば、オムツやミルクの支援が急がれる。52人のうち、魔王城在住や勤務の親を持つ子は11人だった。


「その中に、シャイターンも含まれるのか?」


「ええ……ところで、シャイターンとはご子息のお名前ですか?」


「ああ、縮めてサタンにしようかと」


「おやめください」


 ここから切々となぜダメなのかを語られた。先日発売されたイザヤの新刊で、悪い魔王として描かれた人物の名前と一致するらしい。ここでシャイターンの誕生が先だったり、逆にイザヤの小説が売れていなかったりすれば、大きな問題はなかった。


 だが、彼の小説はヒットしている。それはもう空前の大ブームを引き起こしていた。悪い魔王という、この世界の魔族にない概念が受けている。となれば、息子に悪い魔王の名をつけるのは、同一視される可能性が高かった。下手をすると、イザヤが未来視をしたと噂になる。


 ここまで説明されれば、省略した愛称の問題点を理解できた。なるほど、シャイターンが悪く見られるんだな。ルシファーも素直に忠告を受け入れた。


「分かった。愛称は家族だけにしよう」


「全然理解しておられないとは、なんと嘆かわしい。私どもの教育が悪かったのか。いっそ今から再教育した方がいいかもしれません」


 詰め寄られて、ルシファーは大急ぎで発言を撤回して訂正し、大げさに謝罪した。


「悪い、悪かった。家族でも使わない。シャイターンならいいよな? もう何度も呼んだし……リリスがつけてくれたんだ。だからシャイターンにして、普段からサタンとは呼ばない。本当に悪かった」


 間違いがあれば、上位者であっても謝罪すべき。ルシファーは問題の息子シャイターンを抱いたまま、何度も頭を下げた。理解すればいいのです、とベールが腕を組んで頷く。どちらが主君か迷う光景だった。


「えっと、これ……出産届けの纏めっす」


 いつもタイミングを外すアベルは、またもやうっかり足を踏み入れた執務室で顔を引き攣らせる。もう少し後で来ればよかったし、何なら誰かに運搬を押し付ければ安全だった。


 執務室を入ってすぐの、アスタロトの机に追加の資料を置く。呼び止められる前に大急ぎで退室した。後ろ手にパタンと扉を閉め、ほっと胸を撫で下ろす。


「さっさと逃げよう。そういえば、アスタロト大公の姿がなかったような……」


 机の下で笑い転げ、息も絶え絶えだった彼を発見しなかったことで、アベルの安全は確保された。もしうっかり目撃していたら……彼のうっかり人生は終了したかもしれないのだから。


「ベール、どうしてアスタロトは叱られないんだ?」


「あなたの数倍、仕事を処理しているからです。わかったら、この書類を片付けてください」


 これ以上余計な事を言うまい。ルシファーは口を噤み、息子を紐で抱っこしたまま執務机の椅子に座った。当然のように膝に座るイヴ。出産ラッシュの魔族を象徴する姿の魔王は、手元の書類に署名押印した。

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