97.魔王城の緊急招集とは

「緊急招集とお伺いしました」


「緊急事案発生だ」


 謁見の間で行われる定期的な仕事以外で、緊急招集が行われることがある。以前リリス絡みでくだらない招集をかけたルシファーは、今回神妙な面持ちで玉座に着いた。現在の魔王城に大公は3人、アスタロト欠席の場で魔王は重々しく口を開いた。


「魔王の執務室が、保育所になっている」


「承知しております」


 だから何だと問うベールの表情は動かない。声も冷たかった。一方ルキフェルは何かの書類に夢中だ。気になる実験結果の報告書でも持ち込んだのだろう。あふっと欠伸をしたベルゼビュートは「わかるわぁ」と語尾を伸ばしながら同意した。


「分かります! ジル一人でも持て余すのに、他の子も一緒だなんてぞっとしますわ。専門家に預けてはいかが?」


「ベルゼ、分かってくれるか! 保育園はおむつが取れてからなので……保育所を作ろうと思う」


 両手を組んでその上に顎を乗せたルシファーは、世界の重大懸案事項を審議する面持ちで提案した。ベールとルキフェルは眉を寄せる。


「何がそんなに大変なの? 結界に閉じ込めておけばいいじゃん」


 つい十数年前まで1万年以上、幼児のまま成長を止めていた人物とは思えない発言だ。青年姿へ成長したことで、喉元すぎた熱さを忘れたようだ。他人事のように呟いた。実際他人事なので、なんとも複雑な心境でルシファーが溜め息を吐く。


「そうです。嫌なら預からなければいいでしょう」


「ベール、それをリリスに言ったが最後……オレは殺されるぞ」


 リリスに嫌われたら死ぬ。そう嘆いて顔を両手で覆った。魔王として世界最強に君臨して8万年余――嫁にまさかの敗北宣言である。魔王妃は魔王より強し!


「もうっ! 育児の経験がない男はこれだからダメなのよ。試しにルキフェルとベールが預かってみればいいじゃない。簡単なんでしょ?」


 挑戦的な態度でベルゼビュートが胸を反らす。豊満な胸がぶるんと揺れるが、この場の誰も魅了されないところが逆に凄かった。


「ベルゼ、胸がうるさい」


 ルキフェルに至っては、巨乳全否定だった。リリスと仲が良かったし、もしかして貧乳派? いや、リリスは貧乳じゃない。慎ましやかなだけで、平らではない。心の中で妻を擁護するルシファーは、現実逃避を始めていた。


 明日もあの騒動で、やり直しを繰り返す仕事は耐えられない。


「いいでしょう、明日一日何もなければ……預かり所の話は無しとします」


「保育所、な?」


 荷物を預かるみたいな表現はやめてくれ。ルシファーが念を押すと、わかっていますとベールは余裕の笑みを見せた。正直、明日だけでも助かる。魔王は明日の仕事が捗ると安堵に胸を撫でおろした。





 翌朝、当然ながら子ども達を預かりに来たベールへ我が子を渡す。部屋が離れると寂しいので、隣の客間を使わせることにした。これなら騒動が起きたら助けに行ける。ルシファーは気分よく署名を始め、内容を吟味して押印した。順調すぎる。


 リリスを拾ったあの頃はわずか二十数年前。圧倒的に長い8万年の治世が記憶から消えかけるほど、濃密な時間だった。過去はこんなにスムーズに仕事をしていたのか。ふとそんなことを考えるルシファーだが、この場にアスタロトがいたら否定しただろう。


 リリスを拾う前は、逃げ回って仕事を放置しただけだ。都合の悪いことはすっぱり忘れる便利な脳を持つルシファーだが、机の上に積まれた書類をすべて片付け終えた。アンナ達日本人による改革があってから、書類の量は激減している。元から邪魔さえ入らなければ、こうして午前中に終わる程度の量しか回ってこないのだ。


「隣は……大丈夫か?」


 手が空くと、急に心配になった。そわそわした後、廊下に出る。通りかかった侍従に、机の上の処理済み書類を片付けるよう頼んだ。自分の城なのに、なぜか忍び足で扉に近づき……隙間から覗く。無言で扉を閉めた。部屋の中の惨状と惨事は記憶から強制消去する。


「オレは何も見なかった」


 自己暗示をかけて、ルシファーは外へ逃げ出した。

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