90.世界樹、炎上?

「世界樹が燃えています!」


 思わぬ報告に飛び起きたルシファーは、まだ目を擦っているリリスの頭を撫でた。イヴは数十分前に授乳したばかりで、起きる気配はない。


「リリスは残ってくれ。ちょっと行って来る」


「気を付けてね」


 イヴと残ることに決めたリリスの黒髪を撫で、額にキスをしてから部屋を出る。廊下と階段を移動する時間が惜しくて、中庭に飛んだ。すでにルキフェルが消火に向かったと聞いて胸を撫でおろす。最悪の事態は免れるだろう。


「ピヨは連れ帰ったのに、どうして燃えたんだ」


「犯人はアラエルです」


 ベールが淡々と名指ししたのは、ピヨの番だ。成人した鳳凰なのだが、また何か勘違いをしたのか? ヤンに番が襲われたと勘違いし、魔王城の城門を攻撃した前科がある。溜め息をついて指を鳴らし、転移した。慌てて飛び出したベルゼビュートが魔法陣に飛び込む。


「ちょっ! こら」


 騒ぐルシファーの声は尻切れとなり、転移されていった。一礼して見送ったベールが額を押さえる。どうしてこの魔王は、こう締まらないのか。実力も外見も申し分ない。統治者として必要とされる公平さや鷹揚さも持ち合わせている。いつも間抜けな結果に終わるのは、あの愛すべき性格が原因だった。


 分かっていても溜め息が零れる。まあベルゼビュートは世界樹に近い存在なので、トラブルも解決できるでしょう。留守番役を引き受けたベールは、ざわつくエルフなどに宣言した。


「陛下が向かわれたので問題ありません。勝手に追いかければ罰則を科します」


 邪魔になりますから。そんな本音を滲ませて、牽制しておく。エルフは精霊に近しい存在であるため、世界樹に関する問題ではどうしても騒ぎが大きくなりがちだ。多くの妖精族が駆け付けたところで、ルシファーの邪魔だろう。


 心配ではあるが、魔王が向かったのなら……そんな呟きがあちこちで聞かれた。納得した彼らをおいて、ベールは魔王軍の一部に応援を要請した。水魔法の扱いに長けたドラゴン種が数匹飛び立っていく。


「ベールって、損な役割が多いわよね」


「これが役割ですので」


 アスタロト同様、憎まれ役は必要だ。彼が眠っている期間は当然引き受けるべきです。そう言い切ったベールに、リリスはふふっと笑う。腕の中に赤子を抱いた彼女は、ベール達の感覚ではつい先日まで赤子だった。


 寝間着に上着を羽織り、おくるみに包まれた魔王の娘を抱いて。その表情は慈愛の色を浮かべていた。腕の中のイヴは起きる気配がない。この豪胆さはルシファーよりリリスに似ていた。


 成長が早いのは人族や魔獣に似ているが、すべてを見透かしたような微笑みは長寿種族特有の雰囲気を宿している。不思議な調和を見せる魔王妃へ、大公は優雅に一礼した。


「ところで、ピヨはどうしたの?」


「ヤンと眠っているのでは?」


「それならいいんだけど」


 なんとも不安を煽るリリスの指摘に、まさかと城門を振り返る。巨大狼が全力疾走でこちらに向かって来るのを確認し、ベールは顔を手で押さえた。厄介ごとの予感しかない。


「大変ですぞ!!」


 それは見ればわかります。そう言いたいのをぐっと堪え、ベールはヤンの到着を待った。大変だと叫ぶ余裕があるなら、何が大変なのかを伝えなさいと言いかけて飲み込んだ。話が横道に逸れれば、さらに状況把握が遅くなる。


「ピヨがアラエルに連れ去られました」


「つまりアラエルに逃げられたんですか」


 ベールは魔王軍の不甲斐なさを嘆き、別の部分に引っ掛かったリリスが首を傾げる。


「どうせ火口に向かったんでしょう? すぐ捕まるのにね」

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