74.後少しで出そうなんだ!

 起きたリリスは目の前の光景に驚いた。というか、何をしているのか理解できない。嫌がって顔を背けるイヴ相手に、胸を差し出す夫がいた。ぺたんこ……膨らみが足りないと悲しむリリスよりさらに平らな胸だ。


 この世界で最強を誇る純白の魔王が、左肩と左胸を晒して我が子に迫る――何の儀式かしら。変態と罵るより先に、育児の儀式だと思ったリリスはベッドを降りる。


「何してるの?」


「リリス!」


 その途端、愛娘イヴはリリスへ手を伸ばした。自分と同じ黒髪をもつ彼女が母親だと理解しており、助けを求めたのだ。素直に抱き上げようとしたら、ルシファーが妨害した。


「悪い、もう少し待ってくれ。後少しで出そうなんだ」


「……よく分からないけど、寒くないの?」


 まだ肌寒い季節に、いくら室内とはいえ上半身裸はいかがなものか。そもそも何が出ると言うのか、それって出てもいい物なのか。疑問が大量に押し寄せ、リリスは溜め息をついて思考を放棄した。ソファに座るルシファーの横へ、崩れるように身を沈める。ぐったりと懐く愛しい妻に、ルシファーは迷った。


 このまま続けるべきか、一度諦めるか。なんとも悩ましい。出来たら母乳ならぬ父乳を与えてみたい。これはリリスの時も思ったが、自分で乳が出せればどれほどいいかと。母親リリスの負担も減るし、寝なくても数年は平気なルシファーなら睡眠時間減少の心配もなかった。


 うーんと唸りながら、ほんのり膨らんだリリスの胸元をじっくり眺めて気づいた。そうだ、成功している彼女にやり方を聞けばいい。


「リリス、真剣に聞いてくれ」


「いいわ」


 よいしょと座り直し、きちんと向き合うリリス。


「リリス、どうやったら乳が出る?」


「父?」


「乳」


 ああ、母乳のことね。ようやく理解したが、どうやって出すかと言われたら……娘イヴが欲しがって泣く声でじわっと溢れてくるのだが。


「イヴが泣く声を聞くと、出てきちゃうわ」


「泣く声……だが、泣かせるのは嫌だ」


「あのね、ルシファー。たぶんだけど、男の人はお乳出ないわよ?」


「……だがっ! エリゴスは出るらしい」


 目を見開いて驚いたリリスは、なるほどと思った。エリゴスが乳をあげた話を聞いて、羨ましくなったのね? 以前も授乳する私に「いいなぁ」と呟いたり「オレも出たらいいのに」とぼやいていたわ。


「エリゴスに聞いてみたら?」


 成功者に尋ねる。その理論は、ルシファーに育てられたリリスも継承した。その意味では似た者親子、いや似た者夫婦だが……リリスの方が理に適っている。男性が女性に尋ねるより、男性同士で話をした方が早い。


「そうか! そうだな、後で食事の時でも一緒に……あ、料理の数を調整しないと」


 ルシファーは慌てて、リリスにイヴを預けた。先ほど自分達の料理だけ注文したので、ベルゼビュート夫妻の分も確認しなくてはならない。時刻を確認して、大急ぎで連絡をとった。無事料理を確保し、一息つく。最悪の場合は、収納に保管している料理を適当に並べて対応するつもりだった。


「もしかしてベルゼ姉さんが来てるの?」


 そこでようやく、リリスは彼女達が遊びに来ていると知った。双方の子供は幼子同士、交流しやすい。嬉しそうなリリスだが、ふと気づいて眉を寄せた。


「お風呂は家族単位よね?」


「もちろんだ」


 変なことを聞くと首を傾げるルシファーは、過去の己の振る舞いに自覚がない。露天風呂でベルゼビュートの裸と遭遇したことがあるのだが……リリスはあの時の複雑な感情を今も引きずっていた。


 ルシファーが姉さんに見惚れなかったのはいいけど、あの大きな乳を見たのよね。たゆんたゆんと揺れる巨乳、あれは全女性の敵だわ。ぐっと拳を握るリリスの心情など知らず、ルシファーは久しぶりの温泉と、授乳できるかも知れない未来に真っ平な胸を弾ませた。

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