54.なぜ「大変です」で事件が始まるのか

 リリスはイヴを抱いて、庭に用意したテントで待っていた。ふかふかのクッション、ならぬフェンリルの上でご機嫌だ。テントも日差し避け程度で、風は通す仕様だった。


「あ、ルシファー」


 手を振るリリスが、幼い我が子の手を握って手を振る真似をする。やばい、可愛いが過ぎる!! 優雅さを投げ捨てて全力で駆け寄った。白い髪が靡いて一直線になったが、当人は気にしない。手前で急停止して手を伸ばした。


「おいで」


 にっこり微笑むと、大切な可愛い奥様がキュートな愛娘を抱いて滑り降りる。ヤンは体を上手にくねらせて、リリスの滑り台に徹した。この妻バカ魔王に逆らう愚は犯さない。それが森の獣の元王だった。現在の王である息子にも、今後のために伝えておこうと考えながら欠伸をひとつ。


 日向で毛皮を干すと心地よいだけでなく、寄生虫対策にもなる。ごろんと転がり、腹の側もしっかりと日に晒した。


「ヤン、腹の上に寝ていいのか?」


「お待ちくだされ、どうぞ」


 くるんと丸まって楽な体勢を取る。ヤンのふかふかの毛皮にルシファーが腰掛け、その隣にリリスが座る。そのまま寝転んだ。テントは日陰を作り、穏やかな午後の日差しを適度に遮る。腰から下は日差しに晒した形で、彼らは目を閉じた。


「お仕事は終わったの?」


「ああ、もちろんだとも」


 リリスを抱き締めて、うとうとしながら答える。急いで処理した書類が閉じた瞼の裏で踊っているが、大した問題ではなかった。時折、小鳥の鳴き声や風が何かを転がす音が届く。目を閉じたリリスは、腕に抱いた娘イヴのまだ少ない髪を撫でながら、うつらうつらと船を漕ぐ。


「大変です!! 魔王陛下っ、陛下ぁ!!」


 大声で静寂を破った無礼者に、ルシファーは舌打ちした。結界を張って妻子の眠りを守ろうとする。だが駆け寄った人物は、大声で叫びながら結界を叩いた。もちろん、物理的な結界がドーム状に展開しているため、触れることは出来ない。諦める様子のない騒がしい訪問者に、ルシファーはうっすらと目を開けた。


 すでに魔力で相手は判別しているが、魔王城の門番アラエルだ。鳳凰であり、ヤンを母と慕うピヨの婚約者だった。


「リリス、少しごめんね」


 眠り掛けたリリスの黒髪を撫でて、詫びを口にしてから身を起こす。ひょいっと指を指揮するように動かし、自分だけ結界の適用外とした。


「なんだ? うるさい」


「ピヨが、多くの子ども達と一緒に穴に吸い込まれました」


「……はぁ?」


 焦りながらも、教えられた通り端的に事実のみを伝えるアラエルは、ばさばさと翼を揺らして興奮を隠さない。その度に火の粉が舞い、庭の花に降り注いだ。


「アラエル、庭が荒れる」


 思わず現実的な指摘をしながら、眉を寄せて考え込んだ。ピヨが穴に吸い込まれた……多くの子どもと一緒に? 分解して理解に努めるが、午前中にフル回転した頭は休息を求めていた。


 うっかりすると眠ってしまいそうだ。ピヨが穴に落ちた、いや、吸い込まれた。子どもと一緒……誰の子どもだ?


 ここでようやく頭が働き始める。そこへ駆け込んだアスタロトが叫んだ。


「ルシファー様、大公女の子ども達を含め、7名が正体不明の穴に喰われました」


「喰われたのは、吸い込まれたのとは別の子か?」


「ぐだぐだ言ってないで、早く動きなさい。眠りそうなのでしょう」


 叱られたルシファーはもぞもぞと立ち上がり、屈んでリリスの頬に口付けた。続いてイヴの結界の上から額にキスをする。ヤンにこの場で二人を守るように言いつけて、やっと結界の外へ出た。


 先ほど音を自分だけに通過させたが、今度は完全に結界を塞ぐ。これで外敵があっても問題ないだろう。出来栄えに満足して頷いてから振り返ると、アスタロトに手首を掴まれた。引きずるように連れていかれる。


 歩く間に徐々に意識がはっきりしてきた。眠気が遠ざかるにつれ、先ほど聞いた言葉の重要性に気づく。


「大公女の子ども達と聞いたが、リストはあるか?」


「ご用意してあります。こちらです」


 渡されたリストの中に、アスタロトの孫に当たる名前を見つける。他にもシトリーやルーシアの子、アンナの双子に至るまで……錚々たる実力者の子どもが並んでいた。


「これは、誘拐か?」

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