436.キャッチボールは親子の証

 息子が出来たら、一緒にキャッチボールをする。ある日突然流行り始めたが、発端はイザヤの書いた小説の一節だった。


 母親とは仲がいいが、仕事ばかりの父とぎこちなかった息子が、誘われて嬉しそうに笑うシーンは挿絵もついた。感動の場面を読んだ母親が、夫を急かして再現したのが始まりらしい。あっという間に魔族の中に広まる。


 転移魔法陣が誰でも使えることで、魔族の異種族同士の交流が盛んになった。孫の顔を見るのも容易になり、一度も顔を合わせたことのない遠くに住む種族も、イベントを通じて親しくなる。同時に噂の広まりが早くなった。流行は一瞬で魔族中に広まるが、飽きられるのも早くなる。


 流行の移り変わりが忙しい中、ルシファーはコボルトの侍従長であるベリアルから聞いた話を真剣に聞いた。キャッチボールをすれば、一気に親子の関係が改善するらしい、と。そもそも改善しなければならないほど、ギクシャクしていないのだが……。ルシファーを止める防波堤のアスタロト不在で、誰も止められなかった。


 言い換えれば、悪い影響が出なさそうな話なので放置されたのだ。リリスは好きにしたらいいと笑うだけ。誘われたレラジェは目を輝かせた。


 ルシファーに似せて作られただけあり、背中に羽も持っているレラジェだ。外見だけなら、十分過ぎるほど親子だった。


 ここで問題が発生する。キャッチボールの詳細が、きちんと伝わっていなかった。魔王ルシファーはイザヤの新刊を読んでいなかったし、レラジェも知っているはずがない。


「キャッチボールか、誰かに聞いてみよう」


 知らないことは尋ねる。基礎を叩き込んだアスタロト不在でも、ルシファーはいつも通りだった。通りかかりのエルフに尋ねると、彼女は小説を読んだらしい。滔々と語ってくれた。長い情景描写付きの話を纏めると、ボールを投げ合う遊びだとか。


 端的に纏めすぎて、情緒もへったくれもない。ボールを投げて受け取った者が投げ返す。そういった遊びのようだ。理解した外枠は合っている。


「ボールを投げる……どのくらいの強さだ?」


 小説は日本人基準の常識で書かれるため、速度の描写はなかった。悩んだルシファーは、レラジェにどのくらいなら受け取れそうか尋ねた。


「そうですね。かなり高くても取れます」


 背の翼を広げて笑うので、ならば高く投げてやろうとルシファーは考えた。自分も魔力で浮いて取ればいいし、場合によっては転移して受け止めてもいい。


 ここで重要なのは、レラジェもルシファーも、ボールは必ず受け止めなければならないと思っていたこと。そして、受け止めないことは相手に失礼と認識している。だが戦いで手を抜くのは、相手を侮辱する行為だ。ルシファーはそう考えた。この辺から考えが迷走していく。


 つまり手を抜かずに全力で投げ、レラジェに受け止めさせる。その上で彼の全力ボールを、間違いなく取らなくてはならない。互いに認識をすり合わせ、二人は大きく頷いた。


「まずは投げてみろ」


 ルシファーに渡されたのは、子どものレラジェの手でも握れる小さなボールだった。ちなみに色は茶色である。理由は元が木の実だったため。この世界に野球ボールは存在しなかった。


「いくよ!」


 レラジェは全力で投げた。すごい速度で遠ざかるボールを、ルシファーは転移して正面で受ける。結界越しだが、ちょっと手が痛い。


「なかなかやるな。これでどうだ!」


 地上に降りる間を惜しんで空中で投げた。一応事前に投げる方角に誰もいないのを確認している。速すぎて変形するボールを、レラジェは翼の風圧で叩いて回収した。


「受けたよ、次は僕だ! えいっ」


 本人達は至って真面目にキャッチボールを繰り広げるが、他者の目にはそう映らなかった。新たな魔王候補として、養子のレラジェを鍛えている。その噂もまた、キャッチボール以上の速さで広まった。

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