346.イヴが選べるのは3つだ
「お前はまだ休暇中だろ。口を突っ込むな」
「影を通して筒抜けなんです。サボリは許しません」
「イヴの一大事なんだぞ」
もっともらしい理由をつけて胸を張る魔王だが、実際はアスタロトがいなくて増えた書類が面倒なのだ。出来るなら今日はこのままサボりたかった。アスタロトに休暇を与えたのは自分だし、アデーレの妊娠期間は休ませてやりたい。だが書類が増えるのは別だ。
我が侭を平然と口にする魔王へ、吸血鬼王は溜め息を吐いた。
「分かりました。書類は私の方へ転送してください」
自分の分は漆黒城で処理する。そう言われると、途端に悪いことをした気がして、オロオロするルシファーが眉尻を下げた。
「怒ったのか?」
「いいえ。今さらでしょう。あなたが私を怒らせたと思うのなら、理由を突き詰めて己の胸にしっかり刻んでください」
釘をしっかり打ち込むと、アスタロトは足元の影に消える。直接怒られた方がマシだった。しょんぼりしながら、愛娘を膝に乗せる。ほぼ無意識の行動らしい。膝の上のイヴにぎゅっと抱きつかれ、自分でもびっくりした。
「それで何があったんだ?」
ガミジンに尋ね、おおまかな事情を把握する。ゴルティーが同じ証言を繰り返し、目の前のサライという女の子は半泣きだった。欠けた歯は、ガミジンの治癒魔法で治っている。
イヴが座っていた場所には、投げつけられた人形。膝で唇を尖らせて泣くのを我慢する娘は、握り締めて変形した熊のぬいぐるみを離した。転がるように落ちたぬいぐるみに、サライの視線が向く。
「イヴはお姉ちゃんになるなら、謝らないといけないと思ったのか?」
「うん」
「でも嫌なんだな?」
「うん」
サライはまたイヴを睨む。以前から仲が悪いのかと聞けば、まったく接点がなかったと言われた。ならば、ムキになってイヴを攻撃した理由はなんだろう。首を傾げるルシファーへ答えを運んできたのは、近くで遊んでいたアイカだった。
「魔王様、イヴはね。私の妹なの」
「ああ、そう聞いている。仲良くしてくれてありがとうな」
アイカの青緑の髪をくしゃりと撫でる。風の精霊族である彼女は、父親譲りの能力で部屋の会話を拾っていた。この辺は風の精霊ならでは、の特性だ。周囲の風が伝える音を、自然と耳に集めてしまう。
「サライがイヴに意地悪したのは、一番仲良しのリアラがイヴと遊んだからなの。それでイヴからぬいぐるみを奪おうとしたのよ」
事実だけを淡々と伝えられた。報告としては上出来だろう。サライはリアラと仲良しだ。そんなリアラがイヴと仲良く遊んでいる姿に嫉妬し、意地悪をしようと考えた。お気に入りで抱っこする熊のぬいぐるみを狙ったのは、腹いせもあったのだろう。
よくある子どものケンカだ。親が出るのはおかしい。そう考えたルシファーは、イヴにいくつか提案した。
「イヴが選べるのは3つだ。まずサライと仲直りせず、ケンカしたままにする」
こくんと頷いたイヴは、続きを待つ。
「次はお互いに謝って、リアラも一緒に遊ぶ」
これも理解できたようで、大きく首を縦に振る。
「最後に、もう帰る。その場合はゴルティーやアイカとも遊べない」
首を横に振った。どうやら最初の二択から選ぶらしい。誘導したルシファーは、我が子の決断を見守った。どちらを選んでも肯定して、否定しない。そう決めたルシファーの純白の髪を握り、イヴは考えこむ。
「ケンカ、のまま」
仲直りはしない。お姉ちゃんになるから我慢しようと思ったけど、我慢できない。保育所に入るイヴがリリスに教わったのは、おもちゃなんて譲りなさい、だった。リリスはそうして友人を増やした。
イヴはたくさんのお友達は要らないと思っている。自分のことを嫌いな子と、仲良くしたくなかった。だからサライは要らない。それが子どもなりの答えだ。
「わかった。悪いが、ガミジン先生も無理に仲裁しないでくれ」
「はぁ……まあ、子どもの自我が強くなるお年頃ですからね」
親の教育方針なら、それもいいだろう。全員と仲良くする義務はないのだから。納得して終わった子どものケンカは、翌日思わぬ形で再燃することになった。
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