閑話 クサイ話

「うーん。……う~~ん」


 恒興はある着物を片手に美代の部屋に来ていた。大衣桁おおいこうに架けられた美代の西陣織を見ては、自分の手にある着物とチラッと見比べて唸っていた。

 当然ではあるが、ここは美代の部屋なので主はキッチリ同席している。妻とはいえ、勝手に女性の部屋に入る真似は恒興はしない。そして部屋にはもう一人、側室の藤も居る。

 美代も藤も臨月が迫った妊婦であるため、二人で赤ん坊の産着を繕っていたのだ。というか、裁縫に関しては弟や妹の世話をしていた美代に軍配が上がるため、慣れてない藤が学びに来ていたのである。そこに恒興が着物片手にやってきたという事だ。

 そしてまた西陣織を見ては唸るを繰り返す。さすがに美代も藤もその様子の意図を測りかねていた。


「ニャーんかなー」


「さっきから何しとん?」


「あのー、私の着物が何か?」


「あー、犬山で出来た絹織物と西陣織を見比べてたんだけど、及ばないニャーって」


 恒興の手にある着物は犬山で生産された絹織物である。これと西陣織を見比べて唸っていたのだ。美代の芸術品と言ってもいい西陣織と犬山で生産した絹織物は明らかなほど差があったのだ。


「旦那様は西陣目指しとったんか。ええやんか、加藤はんは儲かっとるて言うてたで」


「職人さん達も発展途上ですから、これからですよ」


「う~ん、でもニャー、何か色艶とか光沢の具合がニャー」


 犬山で生産された絹織物は何と言うかざらついていてゴワゴワした感がある。色も大味な感じで言ってしまえば池田家女中が着ている服と大差ない。

 一方で大衣桁に架けられた美代の西陣織は美しく滑らかで、見るからに触り心地が良さそうであった。色彩も美しく、大名家の奥方ですら着るのを躊躇う芸術品的な価値が見て取れる。……実際に大名家の奥方である美代は着ていない。汚れたらどうしようという思いが有り、着るに着られないのだ。


「当たり前や。生糸の質が違うんやから」


「え?生糸の質が?どういう事だニャ!?」


「知らんの?西陣織の生糸は大唐産なんやで。わざわざ海の向こうから仕入れとるんよ。絹織物は大唐産の上質な生糸でないとでけへんのよ。せやで犬山で作られとる絹織物は『紬織つむぎおり』やな」


 何故こんなに差があるのかと悩む恒興に、藤がズバッと回答する。問題は生糸の質にあるのだ。

 そもそも有名な西陣織や博多織は大唐産の生糸を使用して作られるものである。この大唐産の生糸は他の追随を許さない程の品質を誇り、大唐以外で生産する事が不可能であった。そのため西陣織や博多織は堺、博多の商人に生糸を仕入れてもらって生産していたのである。

 この質の高い生糸は日の本で生産できないため、西陣織レベルを犬山で作る事はそもそも不可能である。日の本で作られる質の低い生糸は一般に『紬糸つむぎいと』と呼ばれ、この糸で出来た織物を『紬織』と呼ぶ。どちらも絹織物には違いないが品質が違うと認識してもらえればいい。

 この事を堺の大商人・天王寺屋の娘である藤が知らない訳はなかった。


 大唐というのはこの時代の中国大陸そのものを指す言葉だ。大唐が中国の唐朝を語源としているのは間違いないが、唐朝が滅びた今も大唐と呼び続けている。決して現在の明朝の事を知らない訳ではないのだ。つまり大唐(中国大陸)にある明朝という国、こういう認識をしている。だから中国産の茶碗を今でも『唐物茶碗』と言ったりする訳だ。それだけ唐朝が日の本に及ぼした影響は大きいという事。そして唐朝は日の本に戦争で勝利している事も大きい。663年の白村江の戦いである。この敗戦により大和朝廷は唐朝が日の本に攻めてくるとまで警戒し、天智天皇は改革を急いで各所に軋轢を作って壬申の乱の元となってしまった。

 まあ、結局のところ、唐朝の狙いは高句麗であって日の本には来ていない。攻め込むにも船の建造費や遠征費が莫大になる予想が立てられていたし、その頃に西方の吐蕃が暴れだしていたのでそっちの対応をしていた。そうこうしている内に遣唐使が再開したので攻める理由も無くなった。遣唐使というのはただの使者ではない、降伏の証なのだ。文書を交わした訳ではないが唐朝側はそう受け止めている。そもそも中華王朝は降伏した相手としか交渉をしない。それが『大中華思想』(我が国と対等な国は存在しない)である。


「大唐から……。凄いですね」


「そうか、そうだったのニャー。つまりは蚕が違うって事だニャ。そうと分かれば大唐から蚕を仕入れれば……」


 そう、問題は蚕の質にある。日の本の蚕は弥生時代に渡来人によって入ってきた蚕そのままといっていい。それに比べて大唐はこの時代で蚕の品種改良にまで着手していた。

 故にその差は歴然としており、今から品種改良して追い付くのに何百年掛かるのか判らないくらいに突き放されていたのだ。というか品種改良のやり方すら知っている者は居ないだろう。

 こうなると恒興が言った通り大唐から蚕自体を仕入れた方が話は早くなる。


「無理や」


「え?ニャんで?」


「明は蚕の輸出をしとらんのや。何でも持ち出した人間は一族諸共死刑らしいで。聞いた話やけどかなり厳重に管理しとるらしいわ」


「えー、そんニャー」


 そしてそんな事は大唐もお見通しである。養蚕から生糸製造までを国内で行い、生糸の状態になったら『糸商人』と呼ばれる者達が買い取って各国に売るという仕組みが出来上がっている。外国人と取引できるのはこの糸商人であって生産者ではない。そして糸商人は蚕自体は扱わないため流出が殆ど無かった。

 そして蚕を国外に持ち出そうとした者には理由の是非を問わず一族諸共処刑という厳しい刑罰で臨んでいたほどである。それほどに生糸の独占販売が儲かっていたという事だ。


「……フム、それなら生糸を大唐から仕入れるとして、あとは西陣織の職人を連れてこればいい訳だニャ。よし!上洛の楽しみが一つ増えたニャー」


 大唐の蚕を仕入れるのは無理と分かったが、生糸なら堺の商人が仕入れる事が出来る。一筋の光明が見えたと恒興は喜び部屋を出て行った。

 凹んだり喜んだりと忙しいなぁと思いながら二人は恒興を見送る。


「犬山織が西陣織の様に……凄い事ですが上手くいくのかしら?」


「ウチはあまり賛成出来やんけど……」


 美代は犬山で西陣織の様な着物が生産される事に期待を寄せたが、それに反して藤はあからさまに難色を示していた。犬山織が素晴らしいものになれば、それは良い事だと思う美代は理由を尋ねる事にする。


「何故です、お藤?」


「犬山織が売れとるのは安いからや。それこそ裕福な農家でも頑張れば買える値段しとる。武家なら当たり前の様に買えるからこそ人気が出とるんや。それでいて質も悪くないとなれば尚更やな」


「はぁ、そんな感じなんですね」


「だいたいやで、生糸を大唐から仕入れたら可児の養蚕はどうなるんや。田畑そっちのけで養蚕に力入れとんのに大損になるかもやで」


 まず打撃を受けるのは可児村の養蚕であろう。大唐から生糸を仕入れるなら可児村は減産を余儀なくされる。それくらい大唐産の生糸は高いのだ。

 既に離農して養蚕をやっている人も多いのに、もう可児村の蚕は要りませんなどと言ったらどうなるか。大打撃になるのは間違いないし、可児村周辺の人々は恒興を恨むだろう。元々恒興の命令でやっていたのにと。そう、昔に戻れと言われても難しいのだ。


「それに加藤はんもや。犬山の絹織物が高級化して、それ何処で売るんや?それこそ売れへん高級品ばっかり抱えて、加藤はん破産してまうよ。犬山織売るために伊勢にも支店作って、三河にも支店作るって言うとんのに」


 犬山織は養蚕を近場の可児村で行い、犬山で製糸反物にする。そして加藤図書助の店で着物として仕上げている。売る時は反物状態が基本で、客の身体の寸法に合わせて着物にしていく。

 この工程において圧倒的にコスト削減出来ているのが『輸送費』である。関東産の絹は反物状態で船を使い運ばれてくる。このため輸送費用はかなり割高になるのだ。更に絹織物は昔から儲かると分かっているため関東の大名や豪族の利益分捕りも激しい。結果、加藤図書助の元に届いた時にはかなりの料金が上乗せされているのである。当然だが、高めに売らなければならない。だが、犬山の絹生産は池田家が仕切っており、更に恒興と図書助は密接な関係にあるため利益分捕りなどない。適正で収まっている。

 輸送費が殆ど掛からず、卸値も適正となれば、加藤図書助は安く仕入れて安く多売する事が可能なのだ。それでいて質も悪くないとなれば人気を博すのは当然と言える。

 このため加藤図書助は伊勢や三河にも進出して販売を拡大させる計画を持っていた。商家に残っている息子たちにのれん分けする計画も同時に練っていた。

 この犬山織が高級化して売れるのかというのが藤の最大の懸念点である。


「そそそそ、それはマズイじゃないですか!?早く止めないと!」


「やっぱりマズイやろか?言うて来よかな?」


 それを聞いて美代も事態の重大さに気付く。そして二人で恒興を止めようと立ち上がるが、その二人を止める人物が現れる。


「その必要はありませんよ」


「「お義母様かあさま!」」


 その名は養徳院桂昌。池田恒興の母親で、二人にとっても義母に当たる人物。そして恒興が逆立ちしても勝てない人でもある。


「あまり女が政治まで関わるのは良くありませんしね。それに今言ったところで恒興は聞きはしませんよ」


「でも……」


「それにこれも恒興の経験になるでしょう。あの子は昔から失敗しては空回りする子でしたし」


「それはそれでどうなんていう話では?」


「ですがあの子にはある特徴があります。失敗を忘れないのです。なので同じ失敗を繰り返す事はありません。最近はそれが活きてきたのか、大分賢くなった気がするのですよ」


「失敗を糧にしてるんですね」


「そういう事です。なので放っておきなさい。失敗しても自己防衛はしますから、決定的な破局は無いでしょう」


 養徳院は恒興の母親である。当然ではあるが恒興の事は生まれた時から知っている。そして幼い頃の恒興は不器用で失敗ばかりしていた事も。

 だが、その一方で恒興が同じ失敗だけは繰り返さない事も知っている。別の方法を取って失敗する事はあるが。

 だからこそこれも恒興の経験になると思うのだ。冷たいと思われるかも知れないが、身を以て体験しなければ理解できない事も世の中にはある。炎の熱さは火傷しなければ判らないが、今の恒興なら火傷になる前に手を引っ込めるだろう。それを繰り返してきたから恒興は今、賢くなれたのだと彼女は考えていた。


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 その後、恒興は私室に戻り報告書に目を通す。目下、最大の関心事は上洛についてである。それに伴い農村の作業進捗状況、それを考慮しての徴兵可能人数の推測などを測らせていた。現在でも約2000人の徴兵が可能との事。池田家親衛隊500と合わせて約2500の兵力が進撃可能となっている。あとは如何に六角家に悟られずにその2000人を集めるかが焦点となる。

 この規模で行軍するなら池田家親衛隊は全て騎兵で500、1500は歩兵、500は荷駄隊となるだろう。行軍はおそらくスピード重視のため騎兵は先に、歩兵は遅れて、荷駄隊は更に遅れて行軍する事になる。一緒に行軍できないのは若干不利ではあるが仕方がない。

 将の配置は騎兵に恒興と可児才蔵と可児六郎、歩兵に飯尾敏宗と加藤教明、荷駄隊に土屋長安といったところか。家老の土居宗珊は後発の部隊をまとめて連れて来ることになる。

 因みにだが、大谷休伯と渡辺教忠は出陣しない。大谷休伯は元々信長からの命令で出陣しないが、渡辺教忠は恒興留守中の犬山治安維持の任務に就くためである。というより人買い商人狩りは継続して行うので長期に渡って犬山を留守には出来ないからだ。もし、隙を見せればまた人身売買が横行する事になり、恒興の先々の計画を大きく狂わしかねない。


 次に目を通した書類は犬山の改築に関する書類。現在、犬山では町を囲む総構え工事を実行中である。当初は2郭で済ませる予定ではあったが、予想を超えて犬山の町が拡がりを見せているので3郭目を造成している。今後の人口増加も見込んでかなり大きめに造っているので時間が掛かる見込みだ。

 とりわけ外郭の堀工事の遅れが少々気になる感じに報告されている。その件についてなのか、相談があると大谷休伯が会いに来ていた。


「それで話ってニャんだ、休伯?」


「ええ、犬山の都市造成の事なんですが」


「ん?ニャんでその話をニャーに持ってきたんだニャ?都市造成の話なら長安とすればいいんじゃないか」


 犬山の都市造成に関しては大谷休伯と土屋長安が主に担当している。外郭工事及び堀工事などの土木に関する分野を大谷休伯が、建築町設計や街道整備など商業面に関する分野を土屋長安が担当している。基本的にこの二人が話し合い、町の縄張りに従って作業を進めている。


「いえ、土屋殿は経済面の責任者ですからね。この話は私が担当している土木面ですから」


「土木かニャ?縄張りは終わったんだろ」


「ええ、その上での相談です」


「フム、ニャんだ?」


「殿は都市にとって必ず出る問題は何だと思いますか?」


「うーん、食料問題かニャ。それとも経済問題、治安問題か」


 都市とは人が集まるという特徴がある。農村に比べて人口比率が高くなるため食料自給は不可能となる場合が多い。そのため、外部から食料を持ってくる必要がある。それが食料問題になる訳だが、犬山の町で食糧問題が起こっている訳がない。今でも農村から問題なく供給されているはずだし、問題が有れば即座に対処する話だ。でないと、餓死者が出てしまう。

 次に経済問題だが犬山の経済規模は右肩上がり。今でも人手が足りない仕事が多く、働けば生活可能な賃金と物価のはずである。そもそもココに問題が有ると経済が右肩上がりにはなりにくいだろう。

 最後に治安問題だが犬山を襲ってくる敵対勢力は存在せず、野盗の類も見つけ次第排除している。その任を負っているのが飯尾敏宗であり、最近は渡辺教忠の刺青隊も投入している。なので敏宗の負担も減り上手く回っていると報告されている。

 この恒興の回答に大谷休伯はゆっくりと首を振る。


「それらも勿論、重要です。ですが今回の話はその後の話、排泄物の問題です」


「ん?厠の話?」


「ええ、人が集まる都市では避けて通れない話ですから」


「ニャるほど。たしかにその通りだニャー。人が沢山居たら、出す物も沢山になるからニャー」


 大谷休伯の答えは『排泄物の問題』であった。これは人が多く集まる都市では避けては通れない問題なのだ。当たり前だが人が居れば排泄物は必ず出る。沢山の人が居れば排泄物も沢山になってしまう訳だ。しかしこの排泄物を放置する訳にはいかない。臭いも問題だが、何より疫病発生の元にもなってしまう。

 では、この時代に排泄物をどうしていたかというと農村まで運んで肥溜めに放り込んでいた。この肥溜めで高温発酵(約70°まで上昇)させることで糞は肥料に変わる。

 日の本ではこのやり方を鎌倉時代には確立していたらしい。しかも独自に。これは人類史最古の有機栽培であるとの事。室町時代には朝鮮通信使(朝鮮王国の外交官)が効率的な農法としてこのやり方を国元に報告している。江戸時代になると農家がわざわざ排泄物を買っていたというくらいだ。

 農村に肥溜めがあるなど我々にとっては当たり前の話なのだが、世界にとっては驚きの方法だったのだ。これが戦国時代で糞尿臭い町があまり存在しない要因ではないかと推測される。

 現在は化学肥料の発展で衰退傾向にある。そして排泄物は汚水処理されているはずである。


「はい。犬山は昔と比べても人口の増え方が右肩上がり。しかし未だに人手不足の解消に到っておらず、今後も増加するでしょう。しかしこの手の仕事は誰もあまりやりたがらないのです」


「そりゃクサイしニャー」


「運営する此方としましては、そうも言っていられません。それで殿と対策を協議しようと思いまして」


 問題はその排泄物を運ぶ人間が不足している事だった。さすがに運び人が不足すると排泄物が溜まる様になり臭いと衛生面に被害が及ぶ。たしかに放置できない問題である。

 恒興は閃いたという感じで破顔する。それは前に本で見た物を実践してみようという案だった。


「む、そうだニャ!『下水道』を造るというのはどうニャ!弥九郎の本で見たが南蛮の羅馬ローマという都市では下水道を地下に張り巡らせたらしいぞ。これなら人手不足も問題にならんニャー」


「ほう、下水道ですか。……因みに日の本に下水道を張り巡らせた都市が存在したのですが、ご存じですか?」


「え?日の本にあるのかニャ?」


「ありましたよ。名を『新益京』といいます」


『新益京』とは『藤原京』とも呼ばれ、慶雲元年(704年)に完成した日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもある。天武天皇の治世に建造を開始、28年を掛けて持統天皇の治世に完成した。

 それまでの遣唐使の成果を使い、周礼しゅらいに則って最新の技術で造り上げた。この新益京の最大の目的は唐朝へのアピールである。とりわけ周礼通りに造ったというところが重要である。

 これを遣唐使から報告され、唐朝は「は?周礼通りに都を造った?ウソやろ、アイツラ蛮族だったやん!侮れんわ……」と非常に驚いたという。

 昔の中華王朝は何故かは知らないが蛮族の国を教化する事を一種のステータスに感じている。古くは卑弥呼が魏に貢物を出した時も喜ばれたし、遣隋使の時も隋朝は真摯に対応している。この辺が何故か皇帝の実績にもなるらしい、「蛮族の国を教化したで、どやぁ」みたいな感じで。


 因みに聖徳太子が隋朝の二代目皇帝・煬帝に『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無しや』と使者を送り激怒させたと有名ではあるが、捏造の可能性が非常に高い。そもそもこの日出づる処、日没する処とは東と西を表す仏教用語で、仏教に信仰の篤い隋の為に用意した言葉だ。昔に梁という国がこの文言を使って国書を書いている。そこから引用したのだろう。そしてこれを聖徳太子が考えたというのは難しい。何故なら聖徳太子の漢文は隋に通用しないからだ。これは仕方の無い話で正しい漢文など日の本に伝わっていないのだ。この頃の漢文は伝わる途中で地方の方言やアレンジが入るため、そのままの形では伝わってこない。正しい漢文を教えて貰わずに正しい漢文を書ける訳がないのである。結局、正しい漢文が仕入れられる様になるのは遣唐使以降となる。

 では誰が書いたのか、それは隋の役人だろう。隋ではいろんな国から使者が来る。だが訳の分からない文章を皇帝に持っていっても意味が無い。なので必ず文章直しの役人が手直しをしていた。隋の役人ならば梁の国書からの引用など容易いだろう。引用に関しても聖徳太子が梁の事を知ってる方が可能性が低い。何しろ書物などがそう簡単には手に入らない。

 ただ、この遣隋使は2回目なので、1回目の遣隋使で仕入れた可能性はある。よって聖徳太子が考えたのではないと言い切る事は出来ない。

 あと1回目の遣隋使は文章に散々駄目出しをされて返されたそうなので、悔しさの余り聖徳太子が猛勉強した可能性も無くは無い。そう考えるとちょっとカワイイ。


「それって……6年しか使わなかったとかいう都かニャ」


「ええ、そうです。その当時の最新技術で大唐の条坊制を布いた本格的な都です」


「あの当時で下水道完備はすごいニャー。でもそれだけ凄い都をニャんで6年しか使わなかったんだニャー?」


 新益京にはある問題があった。それは『周礼通り』という部分だ。

 実は新益京は周礼通りではなかったのである。周礼に則って道を条坊制で布くのはいいのだが宮殿の位置は一番北側でなければならない。隋も唐も都は長安であるため宮殿の位置は一番北側となっている。

 なのに新益京は宮殿の位置が都の中央にあったのである。つまり『間違えた』という訳だ。

 それを遣唐使は長安に行ってから気付き、日の本に帰る者達に伝えさせた。ならば宮殿の位置を変えれば済む話なのだが、その頃には新益京である問題が発生していたのだ。


「そうですねぇ。その下水道が原因で捨てられたのかと、私は思うのですよ」


「ニャんでさ?」


「詰まったんですよ、下水道。それで都に悪臭が立ち込めた様でして」


「えー……」


 そのある問題とは下水道詰りである。このため遣唐使から報告を受けた時には新益京は非常に臭い都に変貌していた。更に疫病の発生も危惧されていたため708年(和銅元年)に元明天皇が平城京へ遷都を決め、710年(和銅三年)には引っ越しした。

 この一連の流れを見てもらえれば判ると思うが、平城京造成期間が殆ど無いのである。新益京が造成に28年掛けている事を考えれば平城京は有って数年、都としては全く出来ていないはずである。殆ど造りかけで最低限の建物しか出来ていないと予測されるが、それでも急いで逃げなければいけない程だったと思われる。

 そして新益京は711年(和銅四年)に焼失する。焼失というか疫病を防ぐために焼いたのではなかろうかと思う。こうして日本史上で最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城『新益京』は炎の中に消えた。


「そして下水道掃除のようなクサイ仕事はやはり誰もやりたがらなかった様です。かなりサボっていたと。因みにその後で造られた『平城京』も下水道掃除がサボられて臭かったそうです」


「おいおい」


 この様な経緯で新しい都として今度こそ周礼通りに造った平城京であったが、こちらも大分臭かったそうだ。新益京の失敗を受けて下水道を側溝タイプにし、掃除がしやすいようにしたのだが……やっぱりサボられていた。誰もそんな臭い仕事はやりたがらないのだ。

 そのため新益京程ではないにしても平城京もかなり臭かった。


「そしてこれも問題になると思うのですが、雨季には水が増えて下水道を逆流してくるのではないかと。犬山が汚水塗れになる可能性があります」


「マジか。いい案だと思ったのにニャー」


 そして下水道を造るという事は流れる先には川あるいは海があるはずである。排泄物が溜まっていてもいい事は一つもない。となれば増水時はどうなるのかという話だ。どう考えても逆流してきたはずである。

 それを考えると新益京も平城京も雨季には汚水が都中に溢れ返り、湿気で蒸して酷い事になったと予測される。平城京にしても恭仁京や難波京と何回も遷都しては平城京に戻るを繰り返している。これは下水道掃除が終わるまで退避していたと見れば納得のいく答えかもしれない。

 因みにだが平安京でも側溝型下水道は健在である。故に京の都は非常に臭く、疫病が蔓延しやすい要因となっている。


「こまめに農村の肥溜めに運ぶ従来型でいいかと」


「でもそれじゃ人手不足ニャんだろ?」


「殿、問題は給料なのです。人が嫌がる仕事をやっているのに給料が安い、他の仕事の方がいいと思われているのが問題なのです。それで私は給料アップの相談に来たのです。これは殿の領分ですからね」


 この問題の要点は給料なのである。人がやりたがらない仕事をしているのに給料が安いとなれば他の仕事に流れるのは世の常である。給料が同じなら汚れない仕事と汚れる仕事、どちらを選ぶかなど考えるまでもない。

 そのために大谷休伯は恒興に直談判しに来たのである。この仕事は都市運営の一つであるため、民間業者ではなく城主である恒興が仕切っている業務である。織物を生産している絹女も同じ様に恒興が仕切っている、それと同様なのだ。ただ実務の担当責任者が大谷休伯というだけである。


(ええー、たかが運ぶだけの仕事の給料を上げるのかニャー。もっと生産性のある仕事を上げるべきじゃニャいのか)


「殿、もしこれを疎かにしますと……」


「ん?ニャんだ?」


「犬山が非常に糞尿臭い町に変貌していきますがよろしいですか?」


「………………それだけはイヤニャアアァァァーー!!」


「ご理解頂けて恐悦至極」


 心の底からイヤだと叫ぶ恒興に満面の笑顔で返す休伯。この分なら運び人の給料アップは叶いそうだと微笑んだ。

 この問題はあまり軽い問題ではない。特に排泄物は疫病の元となる。疫病など流行れば犬山とてあっという間に寂れていくだろう。それを防ぐためにも必要な措置だと恒興も理解した。

 それは理解したので恒興は休伯が担当している業務に話を切り替えた。


「はぁ、まあ、それはそれとしてだニャー。外郭の堀工事はどうだニャ?」


「それはこれからですよ。今から人足を集めて……」


 休伯が担当しているのは外郭造成工事と堀工事。こちらは外郭から造って、後から堀を造る。そのため堀工事はまだ取り掛かれていなかった。

 外郭工事で手一杯なので堀の方は人足すら集まっていない状況である。その事は報告しているはずと休伯は首を傾げる。何故、恒興がそれを聞くのか意図を測りかねていた。


「そうか。ならその人足集めを犬山の農村でやるニャー。清良の発明品のおかげで農作業はかなり終わっとるはずだニャ」


「いえ、殿。まだ精米までは終わってませんよ。ですのであまり集まるとは……」


「ふむ、給金を倍にして集めればいいニャー。精米はゆっくりやればいいんだから、手空きの若者は小遣い稼ぎにくるニャ」


「はあ、それはそうですが……」


「労働は緩めに。いざという時に疲れてましたじゃ出陣出来んからニャー」


 そこまで言われて休伯も恒興の意図に気付く。恒興は堀工事の人足を集めたい訳ではないと。徴兵時間の短縮のために兵士となる若者を犬山に集めておこうという事だ。

 そして恒興は徴兵準備を六角家に悟らせないために工事に託けて徴兵しておく事を思いついたのである。堀工事や城郭造成で農村に賦役を課す事はどこでもやっているので、ある程度誤魔化しに使えると見たのだ。


「まさか、出陣のために農村の若者を集めておこうと?」


「そういう事だニャー。徴兵に掛かる時間を短縮しようと思ってニャ」


「なるほど、近いのですな」


「為浄から聞いた話も総合するとニャ。倍で集まりが悪いなら3倍でもいいニャー」


「畏まりました。では集めた若者達には武具も持ってくる様に伝えましょう。それとなく出陣が近い事も周知させておきます」


「頼むニャー」


 恒興は六角家の内紛は間近だと見ている。六角義治と後藤賢豊の仲の悪さは周知の事実。餌として撒いておいた獲物にも喰らい付いたとなれば、あとは衝突を待つばかりである。

 そして事が起これば迅速に行軍する必要がある。そのための兵士が前もって集めておけるなら給料など3倍でも4倍でも構わないのだ。どうせそんなに時間は掛からない。


「それで厠の後始末仕事の件ですが……」


「給料、倍にしといて!あと人数も集めといてニャー!」


「了解しました」


(ニャーの犬山が臭くなるのだけはイヤニャー!)


 休伯は懸案であった運び人の給料倍増の確約を取り、ニッコリと微笑む。恒興も苦労してここまで大きくした犬山の町が臭くなる事は、さすがにイヤだった。

 その後、犬山の堀工事には予想通りの2000人近い人が集まり、緩く労働しながら来るべき日に備えていた。


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