鯰江城攻略 後編

 軍議の後、池田軍団の対応は包囲戦と決まった。大手門前面に池田家の本陣を置き、その周りに飯尾衆、金森衆、犬山三河衆、犬山前田衆が配置されている。その中でも前田慶率いる犬山前田衆は大手門の最前面に配置されている。一応、前田慶が初陣であるという事を恒興なりに気を遣った結果である。ただ本人はそんな事は察せずに不貞腐れていた。


「はぁ、包囲戦なんてつまらないわ。もう寝ようかな」


「あの、慶様。まだ夕方なんですが」


「する事が無いのよ、まったく!」


「はあ、まあそうですね。しかしこの鯰江城の落城は必須ではありませんから仕方のない事かと。池田様は兵力を温存したいのでしょう」


 そう、今回の作戦の最大目標は六角家本拠である『観音寺城』を陥落させる事にある。そのために必要なのは、観音寺城の支城である『和田山城』、或いは『箕作山城』を落とす事になる。鯰江城の位置は箕作山城の南になるので観音寺城攻めには関係しない。

 織田家にとって鯰江城は日野方面や甲賀方面の支援路を塞ぐ程度の価値しかない。つまりは大局に影響しないのだ。


「だから納得しろって言うの!?」


「いえ、そういう意味では……」


 慶は不機嫌そのままに不満を爆発させる。慶には軍団長の池田恒興の考えを支持する様に聞こえたのだろう。奥村永福は藪蛇だったと後悔した。

 その時、陣の入り口が騒がしくなって、一人の女性が二人の前に現れる。ウェーブ掛かった長い髪を後ろで結って、派手な紅い鎧を身に着ける稲葉彦であった。

 陣の入り口が騒がしくなったのは、確実に彼女が来たからであろう。来訪を報せるから待つ様に言う番兵を押し退けて来た。だから騒ぎになったのかと慶は思い、永福に収めてくる様に指示を出す。


「邪魔するぞ」


「アンタは……稲葉彦よね。何か用?」


「フン、不機嫌そうじゃな」


「当たり前でしょ。せっかくの初陣が包囲戦よ、やってられないわ」


 仏頂面で不機嫌を隠そうともしない前田慶を見て稲葉彦は嘆息する。この調子で家臣にも当たり散らしていたなと。

 だが稲葉彦には解るのだ、彼女のイライラの元は。犬山前田家は豪族ではない。その領地は池田家から出されているため、独立したとは言い切れないだから勝手には動き辛い、勝手が過ぎると領地取り上げが有り得る。犬山前田家を潰すも潰さぬも恒興の胸先三寸だ。だから勝手に動く事が出来ずに悶々としている、稲葉彦はそう見た。

 まあ、犬山前田家の取り潰しが恒興の母親によって出来ない事は彦の知るところではないが。


「じゃろうな。まあ、だからここに来たと言ってもよいが」


「何の話よ?」


「フフ、池田恒興に一泡吹かせたいと思わぬか?そなたも安穏と過ごしたい訳ではあるまい」


「……まあね」


 稲葉彦の言葉に慶も同意する。要は手柄が有ればいいのだ。勝手に動いても手柄さえ有れば不問になる公算が出来る。問題は手柄が獲られる算段がつかない事だが。


「此度の包囲指示は実に正しい。それは妾も認めるところじゃ」


「認めてるのに動くの?」


「これだけの城じゃ、守る鯰江側も自信があるだろうな。だがそこに付け込む隙が生じる」


「そんな事言われても、あの大手門と搦め手門じゃ無理じゃない。抜け駆けは賛成だけどさ」


「まあ、最後まで聞け。池田軍団は城の目前で包囲戦を展開した。当然じゃが鯰江側も見えておる。ではヤツラはどうするか」


「まさか突然夜襲してくるの!?」


「そんな訳あるまい。包囲戦では門の監視は厳しいぞ。だいたい出て来てくれた方が、こちらは助かる。池田殿もそちらは望むところじゃろうな」


 慶は鯰江側が意表を突いて夜襲して来ると予想したが、彦はその意見を即座に退けた。篭城側が門から出撃する事は無い、訳ではないのだが条件がある。外から包囲軍を攻撃する事である。

 つまりは援軍の到着で息を合わせて、門から出撃は有り得る。かの有名な『河越夜戦』も外から援軍に来た北条氏康が包囲軍を攻撃し、息を合わせて門から出撃した北条綱成とで大戦果を挙げた。これが篭城戦の理想形と語られる程で、この一戦で北条家は8倍の敵を撃破した。

 だからなのだが、鯰江城側が出て来る事はない。彼等が出て来る時は援軍が到着してからであり、今はひたすら時間を稼ぐはずだ。


「?要領得ないわね?」


「池田軍団は城前に陣取って包囲戦、鯰江側は門にて堅守。つまり門の付近で睨み合いになる。その間に別方向から奇襲してやろうという事じゃ」


「別方向?そんなのあるの?」


「ああ、既に見付けた。この話に乗るなら教えてやろう。本来は妾達、稲葉衆のみでも可能じゃが特別に誘いに来た」


 稲葉彦は既に大手門と搦め手門以外の攻め口を見付けている様だった。その奇襲作戦に彦は慶を誘いに来たのだ。ほぼ初対面と言っていい慶を。


「何で?何の縁も無いのに」


「初陣じゃろ?華々しく挙げたいではないか。妾の時も山賊退治と地味でな、そなたの気持ちは解かる」


 初陣で大戦果を挙げるのは難しい。そもそも初陣には絶対勝てる戦いを設定される事が多い。初陣でもしも負けが付くとその後にも影響するからだ。織田信長の初陣は今川家との小競り合いだったし、恒興も近習として同時に初陣している。語られる事すらないほど、小さな諍いだ。おそらくは今川方に寝返った小豪族の懲罰と思われる。勝って当然であり、初陣で勝ちを付けておくために行われた合戦であった。そう、これは験担ぎなのである。


 初陣で大戦果を挙げた有名人と言えば『上杉景虎』となる。彼女は当時13歳、『虎千代』と名乗っていて栃尾城に居た(厄介払いだったとも言われる)。だが当時の越後は病弱な長尾家当主・長尾晴景に対する反乱が続いていた。そこで反晴景派の豪族は春日山城恫喝のために栃尾城を攻めた。虎千代は子供で何も出来ないだろう、あわよくば栃尾城を奪えると目算して。だが虎千代は敵が来たと察知するや少ない城兵を二手に分ける。そして敵が陣を構える場所を読み切り、別動隊に背後から奇襲させた。突然の奇襲に驚いた敵軍は逃げてしまったのだ、反射的に、城門の方へ。そこに息を合わせたように城門が開き、残りの城兵が突撃。敵軍は散り散りになり壊走した。虎千代が別動隊と栃尾城のどちらに居たのかは定かではない。この後も彼女はその圧倒的軍才で勝ち続け、長尾家の当主となった。


「乗るわ!必要な物は何?」


「前田衆の中から精鋭100を選び出せ。こちらも稲葉衆精鋭100で行く。このくらいの人数にしておかんと気付かれるしのう」


「OK、直ぐやるわ」


 参加兵力は奇襲性を考えて総勢200。それぞれの精鋭を選び出して行われる事になる。それに前田衆も稲葉衆も包囲している部隊は残さねばならない。全員居なくなったら抜け駆けに気付かれるし、持ち場を離れるなと怒られる事必至である。

 夜も更けてきた頃、編成を終えた両者は密やかに軍団から離脱した。


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 夜の闇に紛れて移動した稲葉彦と前田慶。常に城側を警戒しながら進んでいたが、城側に動きらしいものは無かった。どうやら見付からずに進めた様だ。

 そして稲葉彦は立ち止まり、全員に宣言する。ここが目標地点だと。


「フ、見るがいい。ここから入れば直接二の丸にゆけるのじゃ」


「ホントだわ!こんな盲点があったなんて」


「流石にこの道を見付けたのは妾達のみじゃ。ここから乗り込んで武功を稼ぐ。そなたも存分に初陣を飾るがいい」


「うー、燃えてきたー。やるわ、大将頸だって取って見せる」


「まあ、落ち着くがよい。池田殿に降伏を約束しておる。残念じゃがそこそこで収めねばならぬ」


「あ、そっか。なら大暴れしてやるわ」


 武功を稼ぐぞとお互い笑い合う彦と慶。しかしその他の者たちの殆どは顔色が優れなかった。そして彼等を代表して稲葉彦の兄・稲葉重通が二人に意見する。


「なあ、二人共、一つだけ言わせてくれ」


「何じゃ、兄上」


「手短にね」


「頼むから現実を見てくれ!ここは道なんかじゃないんだ、ただの『がけ』なんだよ!通れないんだよーーー!!」


 重通は思いの丈を爆発させる。彼女らが道だと言っているのは何処からどう見ても『崖』なのだ。ここは鯰江城の南の断崖。愛知川河川敷である。兵士たちの目の前には高さ60mはあろうかという断崖絶壁があった。誰の目から見ても『道』ではない。鯰江城は一応、高さ80m程の丘城なのである。


「だから何じゃ?」


「だからってお前……」


「登ればいいじゃない、そんなの」


「簡単に言うなよ!?こんな垂直な……」


「喧しいわ、とっとと登らぬか。早う行かんと妾の槍でケツの穴を余分に拵えるぞ?」


「それはイヤだー!」(||゜Д゜)ヒィィィ!


 抗議する重通に登ればいいだけだと返す二人。それでも抗議を続ける彼に彦はイライラしてきて自分の槍を兄に向ける。結局、妹の恫喝に負けた重通は自分の尻を庇いながら崖へと向かって行った。


「さあ、前田衆も登るわよ!」


「あの、慶様、この崖は流石に……」


「は・や・く・い・っ・て」


(……仕えるべき主を間違ったのだろうか……)(泣)


 爽やかに地獄へ行けと命令する主に、永福は前田利家の元に戻れないかなと考えてしまった。


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 夜も更け、池田恒興が包囲戦の構えを見せた事で、本丸と二の丸辺りの者達は休息に入った。城門の警備は流石に怠る事は出来ないので警備組、待機組、休息組に分ける事になる。本丸と二の丸は精々、寝ずの番が何人か選抜される程度だ。

 鯰江城主・鯰江貞景も枕を高くして寝ていた。攻城戦が始まると寝られない日々が続くと予想出来るので、寝られるうちは寝なければという事だ。池田軍団は未だに大手門に攻撃すら掛けていないのだから。

 どちらにせよ、この戦いは長期戦になる。池田恒興は長期戦を視野に入れて包囲を布いたし、鯰江城側としても観音寺城か日野城から援軍が来てくれないと動きようがない。和田山城と箕作山城にも織田軍が向かっているという話なので観音寺城からの援軍は直ぐには来ないと予想出来る。長く粘らなければならないという事だ。

 そんな思いで眠りに就いた貞景を甲冑姿の男が起こした。


「父上、大変です!起きてくだされ!」


「む、何があった、高次?」


 貞景を起こしたのは彼の息子の鯰江高次である。今夜は父親の代理として、本丸で警備任務をしていたのだ。その彼から飛び切りの凶報が告げられる。


「二の丸に敵襲、占拠されました!」


「バカな!?定春達はどうなったのだ!?」


「大手門は健在、兄上達はそちらに居る筈です。ただ、二の丸が占拠されましたので……」


 鯰江貞景には何人か息子がいる。長兄で嫡男の定春、五男の政次、そして目の前で報告をしている六男の高次。他の兄弟は全て庶子で他家への養子になっている。その定春と政次は現在大手門の守備に就いているはずである。

 貞景は大手門が突破されて二の丸までもが制圧されたと勘違いしてしまったのだ。寝起きで頭が回っていなかったと言える。そんな事がある訳が無いのだ。夜だと言っても池田恒興が大手門に仕掛けた時点で、高次に起こされているに違いないのだから。


「分断されたか。敵はいったい何処から……」


「どうやら南の断崖を登ってきた様です」


「何と……、脱出口を見付けられたのか。これは覚悟を決めねばならないか」


「父上、諦めるのは早う御座います。敵勢は大した数ではありません早急に二の丸を奪い返しましょう。兄上達も攻勢を仕掛けているはずです」


「そうだな、あの脱出口から登ってこれる人数など高が知れておる。追い返すぞ!」


「はっ!」


 鯰江貞景は即座に悟った、敵が何処を登って来たのか。そこは二の丸に設置された城の緊急脱出口である。この鯰江城には南の崖に見えない脱出口が存在する。城の上から縄を垂らして崖にある最低限の足場を頼りに降りて行くものである。だが傾斜が非常にキツイため降りる事は出来ても登る事は不可能とされていた。敵はそこを登ってきたのだと理解した。

 だが、登れない程の道を登ってきたのだから敵は少数のはずである。高次の進言通りに敵から二の丸を奪い返すための行動を開始する。おそらくは大手門の息子たちも二の丸に向かうはずだと期待して。


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 一方で崖を登り終えた重通はまだ信じられなかった。だが現実には兵達も次々に登ってくる。決して彼等は崖山登山が得意な訳ではない。何故かは分からないがギリギリといえる場所に必ず頑丈な足場があって、上からの命綱さえあれば登れたのだ。


「の、登り切った。マジか……」


「だから道じゃと言ったろうが」


「彦、お前、コレを知っていたのか!?」


「この城は一つの考えを以て造られておる。しかも築城者は六角家の子息でかなり金を掛けたじゃろうな。ならば『脱出口』が作らて然るべき。おかしいとは思わなんだか?この城は平山城のくせに大手門と搦め手門を塞がれただけで脱出不能じゃ」


「なるほどねー。だからギリギリ登れるかどうかぐらいの足場があるんだ」


 稲葉彦は最初からこの城の造りがおかしいと気付いていた。この鯰江城は平山城でありながら、あまりにも山城風な造りをしているのだ。

 山城は防衛拠点ではあるが大手門や搦め手門を抑えられると逃げられない。という建前だが決して逃げられない訳ではない。大きな山に造られているため、その山の森自体がそのまま脱出路になる。警戒されていない場所の壁を内側から崩して逃げるのだ。まあ、あとは頑張って逃げ切る事になるが。

 大型の山城になると搦め手門自体が複数あって隠されている。例えば稲葉山城攻略戦の時、木下秀吉は家臣にした堀尾吉晴から情報を得て、稲葉山城の搦め手門を抑えた。ここから脱出するであろう斎藤龍興を捕えるために。だが、出てきたのは斎藤家の家臣や兵だけで龍興は来なかった。実は稲葉山城には隠された搦め手門が最低3つ以上あって、龍興は別口から逃げていたのだ。この様に山城は山自体が逃げ道となっているので脱出不能な感じで造られる事が多い。

 だが平城は隠してくれる山自体が無いのでこれでは困る。そのため門を増やしたり、片方に敵をおびき寄せて逆側から脱出する事が多い。当然逆側にも敵はいるだろうが片方に集中させる事で突破しやすくする。このため門は逆配置が好ましいとされる。大手門を北側に造ったのなら搦め手門は南側といった感じだ。北側に大きく敵を引き付ければ、南側が突破しやすくなるためだ。

 然るにこの鯰江城はどうだろうか。北に平野と大手門、東は堀と城壁で通行不可、西には湿地帯と搦め手門、南は断崖である。

 これを見て彦は思ったのだ、何故、大手門が北側にあるのかと。この場合、脱出を考えて大手門は東側に造るべきだと。そして気付いた、大手門が北側にあるという事は敵の本陣が北側に置かれる事を想定されている。おあつらえ向きに北側は平野部で陣が布きやすい。当然だが西側にある搦め手門も捕捉しやすい、つまり搦め手門は脱出口ではないのだ。だから探したのだ、『真の脱出口』を。


「傾斜も見た目ほどではない。外から見れば垂直に見えるだろうが、ここから見れば少しキツイ滑り台程度ではないか」


「いや、結構切り立ってるんだが」


「でも何で兵が殆ど居ないのよ?」


「理由は城主に聞かねば分かるまい。予想出来るのは忘れている、想定していない、兵を張り付けると脱出口が露見するというあたりか」


「実際は4、5人居たんだが、最初に登ったヤツラが始末したからな」


 稲葉彦は見つけたのだ、北側の大手門から反対側になる南側の断崖で。つまりこの鯰江城は二の丸までの防衛しか考えられておらず、北側に敵を引き寄せて出来る限りの損害を与えて脱出するように設計されていた。しかも脱出路が極度に狭いため兵は見殺しになる設計だった。

 それに傾斜も垂直ではない。下からは切り立っている様に錯覚させられていたのだ。だから恒興もこの南側を放置したのである。


「最初に登った稲葉衆の人、凄かったわね。鉤縄かぎなわだけでスイスイ登って行ったし」


「あれは稲葉衆ではない。特別に雇った『石切衆』じゃ」


「石切衆?」


「崖で石材を切り出して売っておる国人野武士共じゃ。稲葉家よりも古くから美濃の山に居てな。景行天皇の頃からだと吹いておるわ」


「景行天皇って……、日本武尊やまとたけるのみことのお父さんでしょ。分かんないからって吹き過ぎよ」


「じゃが、あの業は役に立ったであろう」


「まあね」


 稲葉彦は南近江に山城が多いと聞いて特別に雇っておいた者達が居る。『石切衆』という国人達である。彼等は古くから美濃の山に居て、崖から石材を切り出して売っている集団である。石材の主な出荷先は寺の石畳や墓石等ではあるが、最近は城の石垣造りも流行ってきている。信長が造った小牧山城の石垣にも石材を出荷しており、彼等が斎藤家の配下や稲葉家の配下ではない独立勢力である事が覗える。

 故に稲葉彦も彼等に多額の報酬を約束して連れてきたのだ、南近江の山城を攻略するために。武功を稼いで褒美を貰わないと彼女は大損なのである。

 その彼等は先頭を切って登っていった。先端に大きい釣り針の様な返しが付いた鉤縄を器用に使い、わずかな足場に括り付けて登っていったのだ。彼等が真っ先に上まで登って命綱を設置したのである。

『石切衆』というのは元々『物部氏』の一部で、古墳作りに携わっていたという。さすがに物部氏が出て来ると系譜など追う事は出来ない。何しろ物部氏の祖先とされているのは饒速日命にぎはやひのみことであり、初代・神武天皇より前にヤマトの地にいた神である。それに比べれば第12代天皇である景行天皇の方が現実味があるのかも知れないが、どっちにしろ言ってるだけである。


「慶様、我が隊が二の丸門を制圧したとの事!」


「よし!このまま大手門まで制圧する?」


「いや、二の丸門は閉め切れ。本丸門からは誰も出すな」


「この二の丸に立て篭もるの?」


「違う、ここに立て篭もっても被害しか増えん。益も無い」


 奥村永福が二の丸門を制圧したと報告に来る。二の丸門は閉め切ればそれなりに持ちこたえるであろう。問題は本丸門の方だ。本丸門の開閉権は本丸側にあるので、城兵が二の丸に雪崩れ込んでくる。

 それを聞いて慶は二の丸に立て篭もって、池田軍団の援護を待つのかと思った。さすがに恒興もこの騒ぎに気付き始めているはずだ。

 だが、彦はそれも否定する。


「だったらどうするつもりなんだ、彦?」


「燃やせ」


「へ?」


「この二の丸を全て燃やせ!紅蓮の業火に沈めて、城主に己の蒙昧さを教えてやれ!アハハハハ!」


 稲葉彦は分かっていた、この程度の兵力では持ち堪えられない事を。二の丸を一晩、維持する事も出来ないだろうと。そして自分達は恒興に内緒で抜け駆けしている。彼が気付いて兵を送るまでに時間がかなり掛かるだろう。準備していたのならともかく、何も言っていないのだから期待する方が愚かだ。

 つまり、この二の丸は維持できない。ならば燃やしてしまえ。彼女はそう言って嗤った。

 月明かりに照らされ、紅い鎧が炎の様に輝く。嗤いながら燃やせという妹の瞳の中にも紅蓮の炎が渦巻いている。そう、感じた重通であった。


 稲葉彦の部隊が二の丸に火を付ける時間を稼ぎを前田衆で行う事になった。二の丸門は奥村永福が、本丸門は前田慶が担当する事になった。二の丸門の方にも異変に気付いた大手門の手勢が殺到しているが、火を付けるわずかな時間で突破出来る訳が無い。

 だが本丸門は違う、直ぐに開いて本丸に詰めていた兵が出てきている。


「行くぞ!織田のヤツラを追い払え!」


「「「おおーっ」」」


「そうはいかないわ」


 勢いよく飛び出した鯰江高次の目の前に朱槍を手にした少女が立ちはだかっていた。その少女が十代そこそこに見えたので高次は一喝し、刀を構える。赤を基調とした鎧に身を包む慶も朱槍を構えて対峙する。


「退けっ!女子供の出る幕ではない!」


「だったら実力で退かしなさいよ!」


 吠える高次に慶は一息で迫る。勢いそのままに慶は朱槍を横薙ぎで叩きつける。少女と侮っていた高次は予想外の力で吹き飛ばされそうになるのを辛うじて堪える。


「何!?……くっ!?」


「へえ、よく受け止めたわね」


「な、何者だ!?」


「犬山前田家当主・前田慶次郎利益。私の朱槍が見えないの?女子供とか舐めてたら後悔するわよ」


「む、これは失礼した。鯰江家当主・鯰江貞景が一子、鯰江九郎左衛門高次だ。参るぞ!」


 高次は慶をただの少女と侮るのは止めた。彼女の鎧は新品であるかのように整っている。確実に雑兵などではない。そして朱槍は軍団の最強が持つべきもの。はじめ高次は慶が悪戯で持っていると思っていたが、今は相応しい実力があるのだろうと認識を改めた。そして彼等はお互いに名乗りを挙げる。


「おー、これはもしかしなくても手柄首ね。置いていきなさいよ!」


「そんな力任せの大振りなどっ!……!?」


 先手を取ったのはまたしても慶。槍を振り上げ右上から左下へ大きく振り下ろす。だが如何に力があろうと槍の軌道が解れば対処は難しくない。振り下ろされる槍を切り払って躱し、高次は間合いを詰める。間合いを詰めてしまえば槍に勝ち目はないと。しかし慶の槍は振り下ろされてから右側、高次の居る場所への横薙ぎに変化した。何処までも力任せに。


「おおりゃあぁぁ!」


「バカな!?更に力任せで槍の軌道を変えただと!?ぐうぅっ!」


 対応しきれず、高次は槍の太刀打ち(刃が付いていない槍の先から真ん中辺り)に思い切りぶん殴られて吹き飛ばされる。それを見た鯰江家の兵士達が高次を救わんと慶に立ち向かう。


「若、お下がり下さい!」


「若を守れーっ!」


「退きなさいよ!」


「ぐわーっ」「がっ!」


「止めろ、お前達の敵う相手ではない!」


 一振りで二人の大人を吹っ飛ばす慶の槍を見て、兵士たちがすくみ上る。高次の指示もあり、兵士たちは遠巻きに慶と対峙するしか出来なくなっていた。


「アンタ達ね、虎が何で強いか知ってる?元々、強いからよ。さあ、頸を置いていきなさい」


 兵士達でも「何言ってんだ、コイツ?」と思える様なセリフで威圧し、慶は槍を構える。態勢をを整えた高次だったが、慶の横薙ぎをまともに受けた腕がひどく痛む。折れてはいないだろうが、慶との戦いには勝てないと予想出来る。最後の時かと覚悟を決めた高次を救ったのは紅い鎧を身に着けた別の少女だった。


「クサイ決めセリフを発言しとるところ悪いが、そろそろ退くぞ」


「えー、もう?早くない?」


「お主が遊んどる間に、全ての櫓に火を掛けた。長居は無用。という訳で、妾達はお暇させて貰う」


 前田慶を止めたのは稲葉彦である。彼女は稲葉衆が担当した火付けが終わったので全軍に撤退命令を出していた。既に二の丸門を守っていた者達や稲葉衆は撤退に掛かっている。


「に、逃がすと思うのか!」


「妾達に気を取られてよいのか?早う消火せぬと城が全焼するぞ」


「グッ、おのれ……」


「ではな」


「……消火だ、急げ!」


「「「はっ」」」


 悔しいが彦の言う通りである。高次は唇を噛みしめ、兵士達に追撃無用と消火優先を指示するのであった。


 彦と慶が脱出口に着いた時、そこは大渋滞を起こしていた。脱出口が狭いので当然なのではあるが。今回登ってきたのは半数の100名程度になり、残り100名は下で後方支援をしている。二の丸制圧初期に見つけた物を設置していたのである。


「彦、全員が降りるのは時間が掛かるぞ」


「そんなものは要らぬ。これで一気に降りるぞ」


「何それ?縄?」


「櫓に仕舞われておった。おそらくは脱出用じゃな」


 二の丸で見付けたのは縄である。全て二の丸の頑丈な部分に結ってあり、おそらくは緊急脱出用に使われるはずだったのだろう。それを投げ下して幾重にも崖に道を作る。さながら現代のレスキュー隊員の如く、崖を蹴って降りて行くのである。


「いや、一気に降りると言っても道が……」


「フ、こいつを持って飛び降りろと言っておるのじゃ。そら行け!」


「ちょ、おま、わぎゃあああぁぁぁ……」


「妾達もゆくぞ」


「おー、これはこれで楽しいわね」


「言ったではないか。こんなもの傾斜のキツイ滑り台程度じゃと」


 傾斜のキツイ滑り台とは言っても転がり落ちれば流石に死ぬ。高さは60mほどあるのだから。結局、鯰江高次が消火を優先して撤退する敵は放置したので、稲葉衆も前田衆も無事に撤退を完了した。

 その帰り道、慶は今回の戦果に感極まって彦にある提案をした。


「凄いわ、彦!これからはアンタの事、姉と思う事にするわ」


「フム、姉か。悪くない」


「よろしくね、姉貴」


「姉貴という呼び方は変えて欲しいのう」


 姉の様に思われるのは悪くないが、『姉貴』と呼ばれるのは少し呼称を変えて欲しいなと思う稲葉彦であった。


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 一方、池田軍団の本陣にて。家老の土居宗珊に叩き起こされた恒興は信じたくないモノを見ていた。いや池田軍団の誰もが目にして騒いでいた。それはそうだろう、ここからよく見える敵の城の二の丸が燃えているのだ。遠目からでも大炎上している様がよく分かる。そしてこれを起こしたであろうヤツも解っている。稲葉衆に詰問の使者を出したら留守だった。そして池田家臣にも参集を掛けたのだが、前田慶も来ていない。


「どうなさいますか、殿?」


「そうだニャー、宗珊。桶狭間の戦いの時、信長様が最初にやった事を知ってるかニャ?」


「いえ、某は居なかったので存じませんが」


「熱田の神様に祈ったニャ。と言う訳で、ニャーも祈る。ここら辺の神社って有名なのニャんだっけ?」


「ふむ、多賀大社が近いですな」


「おお、『お多賀さん』か!では伊邪那岐命いざなぎ伊邪那美命いざなみにお祈りしよう、本丸まで燃えません様にと」


 という訳で、もう恒興には祈るしかなかった。桶狭間に向かう信長が熱田神宮で祈ったように。本丸まで燃えてしまったら最悪の事態になるかも知れない。一応ではあるが鯰江城は二の丸と本丸は広く場所が取られている。そうでなければ攻撃範囲が狭まってしまうからだ。


 多賀大社は『お多賀さん』の名前で親しまれる伊邪那岐大神いざなぎのおおかみ伊邪那美大神いざなみのおおかみを御祭神とする神社である。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と謡われたほどで、この戦国時代でも参拝者が多い。


「本物の他力本願っスね、殿さん」


「うるせーギャ、長安。何だったらお前が稲葉彦に自重という言葉を教えてこいニャ」


「全力でお断りしまっス」


「ほれ、政盛も敏宗も祈れニャ!」


「「はぁ」」


 恒興は近くに居た加藤政盛や飯尾敏宗にも祈るように強制する。意味があるのかは置いといて君命なので二拍手して彼等も祈る。


「そんな事してる場合なんスかね?」


「まあ、他に出来る事も無い。まさか今から大手門を突破して消火する訳にもいくまい」


「そうっスね」


 そう言って宗珊と長安も恒興達と同じ様に二拍手してから祈る。とりあえずそれ以外に出来る事が無いのからだ。そこから本陣にやってきた金森長近と土居清良も空気を呼んで祈りだし、そのうちに池田軍全員が鯰江城に向かって祈るという珍しい光景が発生した。何のために祈っているのか理解している人間はほんの一握りだったという。


(これが軍団長ニャのか?チクショー、アイツら全然言う事聞かねーギャ。秀吉や勝家もこんな苦労してたのかニャー)


 燃え盛る鯰江城二の丸を目にしながら、恒興は軍団長の大変さを噛みしめていた。


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【あとがき】

今までの話をノブヤボ的に評価すると恒興くんは

統率60武力50智謀90政治80くらいかニャー?

転生以前は

統率70武力70智謀40政治50くらいかと

数値的に文官になってる様な……


戦国合戦モノには付き物となる「勝手に動く将」を描くのが一番難しいと感じるこの頃です。実際は「勝手に動く将」の割合はかなり多いです。ですがそれは見方を変えれば臨機応変となりますニャー。結果としては望む戦果が得られれば良しとなります。ただ恒興は性格的に「勝手に動く将」を嫌う傾向にあるのでは?と感じますニャー。

今回で言えば鯰江城は降伏しようと全焼しようと皆殺しになろうと構わないんですニャー。観音寺城に進めればそれで良しなので。という所を恒興の思考として組み入れられなかったのは失敗かなと少し反省しております。これを組み入れた場合降伏して欲しいがおかしくなりそうだったので。

まあ、その分、彦と慶にしわ寄せが行ってしまったと感じますニャー。

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