軍団長の資質with鯰江城顛末

 一夜明けた鯰江城。昨晩に起きた二の丸火災は鯰江城の全兵力を投入する事で消し止める事に成功した。この時代の消火方法は水による消火も行うが、だいたいは破壊消火となる。燃えている対象を破壊する事で延焼を防ぐのである。

 それに水による消火といっても水がふんだんに得られるかが問題となるので容易ではない。更には鯰江城は篭城中なので水は大切にせねばならない。一応、南側に愛知川があるので得られないという訳ではない。崖の上から桶を放り込めば得られる。だが量が絶対的に足りないのだ。それに敵方に妨害される可能性も無い訳ではない。そうなると水は無駄使い出来なくなる。

 故に鯰江城の兵士達は盛んに破壊消火を行う事になった。


「高次、被害は?」


「はっ、被害は二の丸、及び二の丸門が完全に焼失。搦め手門側は防衛機能を失いました」


 破壊消火を行ったという事は、稲葉彦が火を点けて回った二の丸櫓や二の丸門を破壊した事に他ならない。焼失と言うよりは自分達で破壊したが正しい言い方になる。だが二の丸は搦め手門の真上に位置し、西側防衛の最重要拠点でもある。その二の丸が焼失した今、搦め手門側は無防備に近いほど防衛力が落ちてしまった。


「父上、まだ諦めるのは早う御座います。まだ大手門は健在です。搦め手門は落石で埋めてしまいましょう」


「定春兄上の仰る通りです、父上。それに観音寺城や日野城からの援軍が到着すれば形勢は逆転出来ます!」


「……」


 火災当時、大手門を防衛していた鯰江家嫡男の鯰江定春と弟の政次は徹底抗戦を主張する。たしかに搦め手門からの通路は狭いため、一日もあれば落石で埋める事は可能である。その為の落石は篭城戦が始まる前から防衛兵器として確保されている。本来は敵の頭上に落とす予定だったが

 一般的に本丸から大手門への道は広く造られる。軍団規模の兵士が通る事が想定されているからだ。だが搦め手門への道は狭く造られている。そこは住宅における勝手口に相当するもので、使い走りが出る時にわざわざ大手門を開けないためにある。大人数が通らないので、敵兵が制限される様にわざと狭く造られる。

 鯰江定春と弟の政次は大手門が健在であれば、篭城は続けられる。援軍到着まで粘れると訴えるも、鯰江城主である彼等の父親・鯰江貞景は無言で俯いた。


「どうしたのです、父上?高次よ、何かあったのか?」


 その様子を定春はおかしいと強く感じた、いつもの自信に満ちた父ではないと。彼は同じ様に俯いている弟の高次にも問い掛ける。


「定春兄上、実は先程伝書鳩が来まして……」


「そこからはわしが言おう。援軍は来ない。日野城は長野信包率いる織田軍約2万に包囲された。そして……箕作山城は陥落した」


「バカな!?箕作山城が1日で!?そんな……」


 鯰江貞景と高次が受け取った報告は二つ。一つは長野信包率いる伊勢方面軍が伊勢亀山城を出撃。蒲生家本拠の日野城を包囲し、水口方面まで進出したという情報だった。日野城が包囲された事で蒲生家からの援軍は絶望となり、更には甲賀への玄関口と言える水口を押さえられたので鯰江城南側からの援軍は見込めない事になった。

 鯰江城東側は織田家の勢力範囲で、西側は山地となり軍団の通行が難しい。残るは北側なのだが、そこにある箕作山城が陥落してしまったのである。それもたった1日で。

 つまり鯰江城は包囲からたったの1日で援軍絶望、二の丸焼失という状態に追い込まれてしまった。今は兵士にこの情報は伝わっていないが、人の口に戸は立てられない。何れは知られ、絶望の篭城戦に耐えられなくなるはずだ。


「くっ、こうなれば篭城は無意味。出撃しましょう、父上!」


「自棄になるな、政次。奴等がその気ならもう攻勢を掛けて来ておるはず。まだ交渉の余地があるのだ」


「それは……」


「屈辱ではあるが降る他あるまい。家は残さねばな」


 貞景には池田恒興が朝になっても攻勢を掛けない理由が分かっていた。彼は交渉に来いと言っていると。そしてこれこそが鯰江家を後世に残す道だとも理解していた。とはいえ、時間は短いだろう。箕作山城が陥落したという事は恒興も観音寺城に行かねばならない。それまでに鯰江城が降伏しないのなら……次など一切無いと簡単に予測出来る。そして脱出口も知られた今となっては逃げる事も不可能だろう。


「父上、無念で御座います。うう……」


「言うな、いつか花実がなる事を願おう。この決断が悪し物ではなかったと言える様に。高次」


「はっ」


「織田家に人質を出さねばならぬ。お前に行ってもらう故、身支度をせよ」


「はい……」


 鯰江貞景は決断した。織田家に人質を差し出して降伏する道を。今ならまだ鯰江家を残せると判断しての事だ。

 人質として織田家に行く事に決まった鯰江高次は短く返事をして退出した。自分の妻と子供達に準備をさせるために。


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 身支度を整えた鯰江城主・鯰江貞景と息子の鯰江高次は数人の護衛と共に池田軍団本陣に赴いた。既に降伏の報せを受けていた恒興は諸将を集めて、彼等を出迎えた。


「鯰江備前守貞景、罷り越し申した。降伏の件、信長様に宜しくお伝え頂けるよう願う」


「備前殿、よく来られた。ニャーが池田勝三郎恒興だニャ。早期の降伏も考慮して信長様に伝える。敵対故に全ての領地安堵とはいかニャい。減封は覚悟して貰いたい」


「はっ、降伏の証として我が息子を人質に差し出す所存。宜しくお願いし申す」


「承った。備前殿の子息はニャーが責任を持って預かりましょう」


 降伏の証として人質を差し出すというのは頻繁にある話である。大名は信用出来ない豪族家臣から必ずと言っていい程に人質を取っている。たいていは妻子が人質となるのが慣例だ。

 ただ初期の織田家ではかなり少ない。というのも信長相続当時の織田弾正忠家は小勢力に過ぎず、豪族の神経を逆撫でにする人質要求は出来なかった。濃尾勢を収めた今でも、傘下大名や豪族から人質は取っていない稀有な大名が織田家である。

 とはいえ、ずっとこのままではいられない。南近江は味方になったのが後藤高治のみで99%敵対と言っていい。更には豪族同士の横の繋がりも強いため、団結して反乱を起こす可能性もある。これが一番怖い。

 それを防ぐためにも人質は取る必要はある。現在、絶賛日和見中の豪族も誰かしら人質を出して寝返りに来るだろう。ただ人質を取ると言っても裏切ったら殺す事を目的とはしない。実際には織田家で教育して家臣にしたり、織田家のやり方を学ばせて占領統治の力にしていく事が目的となる。だからという訳ではないが、子供は勉学まで面倒を見て近習や馬廻衆にする事が多い。人質だから幽閉生活という訳ではない。


「わしは鯰江城の兵解散と武装解除があるのでこれにて。では高次、……だ」


「は、父上もどうかご健勝で」


 二人のやり取りに恒興も察した。人質である鯰江高次はこの時点で鯰江家から追い出されたのだと。もし今後、鯰江家が反旗を翻す事があったとしても、人質となった高次と家族の無事は一切考慮されない。つまりは人質としての価値は無いも同然なのだ。


「お前が鯰江高次だニャ。後ろの者達は?」


「は、私の家内と子供達です」


「まあ、安心するニャ。人質として預かるといってもお前には池田家で働いてもらう。犬山に所領を用意するから向かうといいニャ。犬山留守居役の大谷休伯に準備をさせておく」


「ご配慮痛み入ります」


「あと、南近江攻略には加わらなくていいニャ。留守居を命じるので領地経営に励む様に」


「はっ」


 鯰江高次に人質の価値が無い事は分かり切っているが、それを問い質すのは酷というもの。恒興は何も見なかった事にして淡々と話を進める。

 そして恒興は彼を家臣として迎える事にした。父親から帰って来なくてよいと宣言されたのだ。今更、戻れないだろう。それに年齢は20代半ば、将としても使える人材なので無駄にしたくない。彼には池田家での出世を考えさせて頑張らせるべきだと恒興は考えていた。

 ただ、今は南近江攻略中なので犬山に行かせる事にした。もしかしたら知り合いと戦う状況になるかも知れない事を考慮してだ。それに織田家に馴染んでもいないので出来る事も無い。

 恒興との接見後、支度を終えた高次と家族は護衛と共に犬山へ向かった。


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 接見を終えた恒興は軍団に撤収命令を出す。軍団を纏めて観音寺城に向かうためである。鯰江城の武装解除と一時的な差し押さえは信長の本隊から一部隊が来て行う。恒興達はその部隊に引き継いだ後に進軍する事になる。

 と言う訳で、空いた時間に稲葉彦と前田慶を呼び出す事にした。軍団長である恒興から直接、クギを刺しておこうと思ったからだ。


「はあ、結果的には上手く行ったけどニャー。どうしてくれようか、あの小娘共は」


「しかし罪には問えないでしょうな。功である以上、むしろ誉めてやらねばなりません」(殿もそんなに年齢は変わらないのだがなあ)


「……やっぱ誉めなきゃダメかニャ?」


「ダメですな。夜討朝駆け抜け駆けなど武士の常です。これを罰していては諸将から信を失います。働いても報われぬのかと。それが一番怖いと某は思いますぞ」


 そんな恒興の思いとは逆に家老の土居宗珊は反対する。武功は武功として認めなければ将からの信用を失い、軍団は崩壊すると警告している。特に危険なのが『働いても報われない』という思いを抱かせる事だ。これは謀反の原因にもなる程である。

 その昔、扇谷上杉家に関東の戦国を収めたとまで言われた太田道灌という武将がいた。だが彼はその功績と名声を恐れた主君によって暗殺されたという。その結果、何が起こったか。

 扇谷上杉家の家臣達は戦々恐々とした。「太田道灌ほどに働いても暗殺される未来なのか?彼は扇谷上杉家に尽くし続けたのに」と。扇谷上杉家は戦争は強かった様で、その後も勝ち続ける。だが勝てば勝つ程に扇谷上杉家は衰退した。「手柄を立てたら太田道灌の様に殺される」と次々に裏切りが発生して、敵対していた山内上杉家は負け続けたにも関わらず強大になっていったのである。勝った方が衰退して、負けた方が勢力拡大する。何を言ってるのか訳が分からない状況だが、これが太田道灌を暗殺した事で起こった結果なのだ。

 武士の世界において手柄を認めない、手柄を立てた者を優遇しない事は、これ程までに罪深い行為なのである。


「うう、軍政を変えても武士は変わらずかニャー」


「彼等も功を立てなければ損が出ますから、稼ぎに行くなとは言えませんな。もしもそれで損が出たらどうしてくれると言われるのがオチでしょう」


 織田家は規模の拡大により、信長を頂点に置いて軍団を動かす従来の軍政から、その下に軍団長を置いて複数の軍団を管理させる方式に転換している。その目的は命令系統の簡略化であり、信長個人のみで管理し切れなくなった結果である。だからといって従来のやり方を全て捨てている訳ではない。豪族が手弁当で戦争に参加する事は未だに続いている。持ってきた兵糧は織田家で一括管理しているだけだ。

 それ故に豪族達は手柄を立てて帰らねばただの損となってしまう。それを押し止めて手柄を稼がせないとなると恒興は全員から信頼を失う事になりかねないのである。

 軍政を変えたと言っても全てが変わった訳ではない。織田家の軍政はまだまだ変更の余地があり、トライアンドエラーを繰り返している最中だと言える。


「それだニャ。そこから変えていかなきゃならねーんだギャ」


「と言いますと?」


「豪族の手弁当を無くす。もう一つは褒美の確定を軍団長の権限に入れてもらうんだニャ」


「ほほう、それはまた革新的な」


 今回の件で見えてきた問題に対する対処として、豪族の手弁当を無くす事と褒美の確定を軍団長の権限に入れる事を思いつく。彼等、豪族が勝手に動く理由がこの二つにあると恒興は見たからだ。


「手弁当を無くせば大きな武功にこだわる必要もニャいだろ」


「問題は無い訳ではないですな。まず織田家の負担が増大する事と、それだけ分、豪族が潤う事。言いたくはありませんが、彼等が潤い過ぎて良い事はありませんぞ」


「うーん、なら負担米を織田家に納めさせるかニャ」


「税を取り立てるのかと反発されそうですな。やるのであれば許可制にするべきかと」


「負担の許可かニャ?」


「いいえ、負担免除の許可制です。つまり現状の税負担無しを織田家の許可制にしてしまうのです。働きが良ければ許可を与え、怠けるならば許可を取り上げる」


「ニャるほど。今は豪族の特権的に捉えられている物を、信長様が許可する特権にしていく訳か。上申してみるか」


 豪族というのは『独立大名』と言っても過言ではない。つまりは北畠家や神戸家の様な傘下大名と同じ存在である。あるのは規模の大小だけだ。

 そのため彼等の領地に関しては織田信長であっても干渉できない。徴税権も彼等が100%で持っている。宗珊はこの豪族の慣例あたりまえとなっている徴税権を信長の許可制にすり替える事を提案している。

 豪族が税を納めないのは当然だし、税負担の命令も出した事はない。だがこれを改めて信長から許可を出すのである。豪族としては今までと同じじゃないかと思うだろう。しかしそうする事で働きの悪い家からは許可を取り上げて税負担を命じる事が出来る仕組みを作り上げるのである。その代わりとして手弁当を廃止していくという事だ。


「しかし、やるにしても南近江は止めた方がいいでしょうな。地盤固めの妨げになります。なのでやるのであれば……」


「北近江かニャ」


「左様で」


 ただし、これに関してはかなりデリケートな話になるので、信長の基盤となる濃尾勢では行えない。あくまで許可だけ出して取り上げない形が望ましいだろう。謀反を起こしたりすれば別だが。

 そして京の都と濃尾勢を結ぶ南近江も対象から外すべきと宗珊は進言する。こうなると最初に行われるのは上洛後に相対するであろう北近江となる。まだ攻め込んでないので狸の皮算用になってはいるが。


「あとは褒美の確定か。これが軍団長権限になれば、ニャーの機嫌を損ねる行為は慎むだろニャー」


「ですな。今でも手柄の確定上申は殿が行っておられますからな。信長様も戦の度に大量の感状を書いたり、褒賞事務でやつれる程だと聞き及んでいます。織田家が大きくなった弊害かと。なので許可が出る可能性はあると思えますな」


(うん、この許可は必ず取らニャいと。そうだよ、このままじゃいけないんだニャ。いつまでもアイツラの勝手を許す訳にはいかない。ニャー達はこれから鉄砲を大量運用していくんだから。好き勝手に射線に出られたら味方撃ちする破目になる。ちゃんとしニャいと)


 そして豪族達の最大の関心事である『褒美の確定』である。これに関しては完全に信長の領分だったのだが、織田家の拡大と共に業務が膨大化した。そのため、信長のやる事が増えすぎてパンクしかけている。特に感状は信長本人が書かねばならないため、何十時間も書き続ける破目に陥っている。感状というのは現代におけるトロフィーや賞状に当たる。つまり家に飾っておくと嬉しくなるものだ。そのため主君からの感状は何よりも価値があると思われている。感状を信長本人が書かなかった場合、侮られたと怒りだす武士しかいない。

 この場合、信長に直接仕えているのなら信長から感状を貰うのは筋だが、別の軍団に属しているなら軍団長から貰うのが筋となる様に改変していく事になる。信長の負担を軽減する話なので、これは受け入れられる見込みだ。

 問題は領地が褒美に含まれる場合だろう。これを恒興の勝手に動かす訳にはいかない。信長にだって希望や戦略というモノがある。この辺りについては信長と深く相談する事になる。

 恒興は今回の件で今の池田軍団、いや織田家自体に軍隊としての統制が無い事を認識した。これは鉄砲運用において致命的である事を思い出した。そもそも鉄砲という兵器は基本的に『待ち伏せして使う物』である。そのために敵をおびき寄せる事もあるし、敵が突っ込んでくるのを待ち続けたりしなくてはならない。これではない使い方をする大名が九州の南に存在するが、今は置いておく。

 一連の行動で豪族が勝手に動いたらどうなるだろうか?鉄砲隊が待ち構えているのにはるか遠くで戦闘が始まったら意味が無くなる。いざ、敵が来ても味方と乱戦していたら撃つ事も出来ない。認識が遅れたら味方に対して銃弾を浴びせる事になる。だからこそ味方は勝手に動いてもらったら困るのだ。

 鉄砲の大量集中運用を視野に入れた恒興は織田家の軍政を更に変化させるべく、考えを纏めて信長に報告する事にした。


 恒興は単身、稲葉彦と前田慶に会う。功績は認めるには認めるが、一言言っておきたいと思った。何と言うか、功績を挙げた者を皆の前で叱るというのは宗珊の話でマズイと感じたからだ。


「稲葉彦、前田慶。鯰江城攻略における第一功を認め、信長様に上申するニャ。……よくやった」


「その割には顔が険しいのう」


「見事に初陣を飾ったんだから喜んでよ」


「お前らにはニャーが喜んでる様に見えるのか?」


「抜け駆けくらいで大袈裟よ」


 二人共、恒興の顔が笑っていないのは直ぐに分かった。慶は抜け駆けの事だなと感づいたが、その程度の事で怒るなんてと呆れた。それを見た恒興はムカッときて一喝する。


「勝手に動かれたらニャーの計画がズレるんだよ!頼むから勝手に動くニャ!」


 その剣幕に慶は一瞬、身を竦ませる。だが、彦は平然と恒興の前に出る。


「悠長な事を言う。箕作山城も一晩で落ちておるのじゃがな」


「それがニャんだ?」


「分からぬか?尾張者が中心の佐久間軍団が一日で、美濃者が中心の池田軍団がそれ以上の時間が掛かったとしたら?それが何れ程に我等の誇りを傷付けるか理解しておるか?」


「何よ姉貴、尾張者が弱いみたいに言わないでよ。ウチは強いんだから」


「そういう意味で言っておるのではない。少し黙って聞け。我等はな、未だに新参なのだ。いくら信長様が美濃に本拠地を置いてくれたといってもな」


 慶は彦が何を言っているのかあまり理解出来ていない。だが恒興には分かった、彦が言いたい事が。それは美濃者は大半が織田家の新参者だという事実である。織田信長が美濃国に本拠を置いて、美濃者を優遇していると言っても、やはり未だに美濃の豪族は新参者に過ぎないのだ。


「む、そっちの話か。……う、まあ、確かに結果的に助かったのかもニャ」


「どゆこと?」


「もし今も鯰江城が落ちていなかったら、我等は遮二無二突撃したかも知れん。少なくとも主殿の所には突撃させろと直談判の嵐じゃろうな。ちゃんと分かっておるのか?我等は信長様に美濃者は役に立つと示さねばならんのだぞ。佐久間軍団に遅れを取る事自体が容認出来ぬ。まあ、箕作山城陥落は十中八九、アレの仕業であろうがな」


「ああ、竹中半兵衛重治だろうニャ。いくらなんでも、力攻めしたくらいで3000人が立て篭もる山城が一日で落ちる訳ないニャ」


「どうやったのかは知らぬ。何にせよじゃ、箕作山城一日、こちらも一日。我等の体面は保てた、それで良しとしようではないか。軍団長ならその辺の事情も考えて貰わねば困るぞ」


「ああ、分かった。済まなかったニャ、彦」


「分かって貰えたならよい。我等の事情も汲んで計画を立てて貰えれば、皆従うはずじゃ」


 彦が汲んで欲しかった事情、それは信長に美濃者は役に立つという認識を持って欲しいという事だった。彼女が言う通り、美濃国の豪族は全員新参者である。信長も美濃者が役に立つからこそ岐阜に本拠を置いたのだろう。その彼等が尾張者に後れを取ったら?信長がどう思うかはさして問題ではない。新参者なのに怠けていると後ろ指を指される事が我慢できないのだ。

 彼等は安穏としていられる立場ではない。役に立たないと思われたら即追放されてもおかしくないのだ。だからこそ彦は抜け駆けしてでも功を稼ぎに行ったのだろう。彼女自身が稼ぎたかったという事もあるが、一日で箕作山城陥落という出来事まで重なったために、鯰江城の早期攻略も必須になった。鯰江貞景が降伏していなかったら、本当に突撃したかもしれない。


(ふーむ、彦はかなり物が見えているみたいだニャ。手柄が欲しかったのも事実だろうが、箕作山城が一日で陥落した事が池田軍団に及ぼすであろう影響も読めるのか。美濃国はまだ併呑されたばかり。新参は生き残りを掛けて信長様にアピールせねばならない、か。その必死さをニャーが理解出来て無かったかニャ)


 恒興は織田家以外で仕えた事が無いため、彼ら新参者の焦りが理解出来ていなかった。特に彦は父親である稲葉一鉄から指揮権を委ねられたばかりだ。その一鉄が信長の本隊に同行している以上、彦が手柄を立てられなかったら、父親である一鉄が嘲笑われるかも知れない。その意識が彼女を焦らせたのだろう。普段は連れてこない部外者『石切衆』まで大金を払って連れてきたのだから余計にだ。

 軍団長として務めるにはその家々が抱える事情にも心を配らないといけない、そう恒興は認識した。そしてぶっ飛んだ言動が多いものの、豪族の心情を読み取れる彦は相談出来る相手ではないのかと見直した。


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 後日、尾張国に着いた鯰江高次を大谷休伯は出迎えた。予め用意しておいた家に彼等を案内し、大谷休伯と鯰江高次は与えられた所領の確認に出かけた。幾つかの村を見て回り、休伯の仲介の元、村長と話をしたりしていた。合計で200石ほどだと休伯は説明する。これなら家族も鯰江家から付いてきた数人の部下も暮らしていけると高次は安堵した。


「殿から言われて用意した領地はここが最後ですな」


「ありがとうございます、大谷殿」


「いえ、失礼があっては鯰江殿のご実家に申し訳が立ちませんから」


「大谷殿、その様な気遣いは無用に願います。私はね、鯰江家の六男なんですよ。つまり、父は形式的な降伏をしたに過ぎません」


「ええ、だいたい分かりますとも。貴殿の生死は鯰江家の決断に影響しないのですな」


「そういう事です。まさか家族から生きてても死んでてもいいなんて言われてしまうとは。悲しいやら腹立たしいやら」


「心中、お察し致します」


 鯰江貞景が言った別れの言葉は、正に今生の別れの言葉だった。その心情は休伯にもよく解る。家を守る為なら息子の生命ですら犠牲にする。自分達はそんな世の中で生きているのだ。親に面と向かって捨てられたのだ、悲しくない訳がない。

 しかし鯰江高次は境遇をただ悲しむだけの子供ではなく、一端の武士である。その表情には晴々とした笑顔があった。


「でもそんな感情とは別の物も感じています。『私は自由になった』んだと、何だか吹っ切れました。こうなったら池田家で出世して自分の家を立てて見せる、そう思うんです」


「立派な心掛けですな」


 高次は鯰江家の六男である。正室から産まれた息子ではあるが、同腹の兄が二人いる。となれば、彼に鯰江家の家督が回ってくる事はそうそうない。そう考えて、鯰江貞景は彼を人質に出したのだ。

 だからこそ高次は思う、これからは自分で功績を稼いで自分の家を建てる事が出来るのだと。その決意を示さねばならないと。


「大谷殿、この村の名前は何ですか?」


「『森村』です。それが何か?」


「なら、今から私は鯰江姓を捨て、『森』姓を名乗ります。ここが我が家の始まりです」


「な、なるほど。良いご決断かと……」


(……しまった。『森』村ではなく『森村』庄だったのですが。今更訂正は難しいですかね)


 高次は晴れやかな顔をして休伯に宣言する。休伯もその宣言を支持しつつ、失敗したかなとも思ってしまった。自分の名字に地名を持ってくるのはよくある事だ。しかしここは『森』村ではなく『森村』庄である。庄を略してしまったがために勘違いをされてしまった。とはいえ、彼の決意に水を差す真似は慎もうと休伯は思った。


「そ、そういえば高次殿には幼い息子さんがいるとか」


「はい、兵吉郎と勘八の二人です。年は5歳と3歳になります」


「どうでしょう、若殿の近習候補にしてみては?私から推薦出来ますよ」


「それは有り難い。池田家次期当主の近習となれれば、立派な出世コース。是非お願いします」


「ええ、殿に伝えておきましょう。今は家老の土居宗珊殿が居ないので、私が皆に書を教えております」


「分かりました。子供達が落ち着いたら行かせます」


 こうして森高次は息子二人を宗珊塾へと送り出す事にした。森兵吉郎5歳と森勘八3歳である。


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【あとがき】

べ「誰もが陥り易い戦国時代の常識違いの中に『武士=軍隊』があるとべくのすけは思う」

恒「軍である事は間違いニャいはずだが?」

べ「構造的な問題になるね。現代における軍隊というのは完全にピラミッド型構造の命令系統をしている。総司令官から命令が出て上官から下士官へと仕事を分配しながら命令が下っていく。一般的に思い描く簡単な命令系統はこんな感じだと思う」

恒「フムフム」

べ「だから命令に逆らう様な抜け駆けはおかしい、罰せられるはずと我々は思う。軍隊が個人の勝手で動いたら、どれだけヤバイかは想像出来るだろう。この思考が罠になってしまう」

恒「罠とはニャんだ?」

べ「実は戦国時代の軍隊たる武士団はピラミッド型構造の命令系統をしていないんだ。家を頂点としたホウキ型構造をしている。かなり単純なんだよ」

恒「?どゆことだニャ?違いがわからん」

べ「池田軍団を例としようか。軍団長は恒興くんだ。その下に家臣と豪族が居る」

恒「そうだニャ」

べ「一見して軍団は恒興くん→家臣や豪族→兵士というざっくりなピラミッド型構造をしている様に見える。これが罠になっているんだ。恒興くんは前田慶さんを無視して奥村永福さんに命令出来るのかな?軍隊であれば上官から下士官の順を乱さなければ命令出来る建前だけど」(あくまで建前です。実際にやると指揮系統や人間関係が混乱しそうですニャー。でも緊急時は出来る様になってますので建前上は出来るはずですニャ)

恒「出来る訳無いニャ。それは前田家に対する内政干渉になっちまうニャー。最低でも慶の許可が必要だニャ。奥村だってキッパリ断るはずだニャー」

べ「そう、出来ないんだ。その家の人間はその家の当主でないと動かせないんだ。以前に前田利家さんが大河内城に独断専行した際に前田衆が動かせなくなったと言ったよね。つまり戦国時代の軍団は恒興くん→家臣や豪族というホウキ型構造と家臣や豪族→兵士というホウキ型構造が重なっているだけなんだ。だから恒興くんの命令をその家を構成する兵士まで聞きはしないんだ。だから現代の軍隊を基準にすると齟齬が生じて理解出来ないんだ。ハッキリと言ってしまえば『武士=軍隊』は幻想、実際には『武士=愚連隊』なんだよ」

恒「たしかに、アイツラは家単位で勝手に動くしニャー」

べ「だけど織田家は今まさに転換点にいると言っても過言ではないのさ。何故なら織田家はこれから鉄砲の大量集中運用をしていくからだ。勝手に動かれて鉄砲の射線に出られても迷惑だし、下手を打つと味方撃ちをする事になる。だからこれから織田家の武士は愚連隊から軍隊へと進化していく。これを全国の大名が真似していく事になる。つまりは織田家こそが一早く『軍隊』を完成させたと言っても過言じゃない。これは大きなアドバンテージだとべくのすけは考えた」

恒「もしかして、そのための鯰江城攻略戦かニャ?」

べ「そうだよ。史実では無視される鯰江城をわざわざ攻略したのは、鉄砲の集中運用が考えられていて量産体制が整いつつあるタイミング、崖がある鯰江城の構造、抜け駆けによる問題点の把握、面倒くさい武士の構造を浮き彫りにする為だね」

恒「そのためにわざわざ崖登るとかいう戦術にしたのかニャー。苦し紛れか?」

べ「史実の稲葉貞通さんはホントに単独で崖登って二の丸焼いてきたお方ですよ。場所は大河内城。その時も抜け駆けで信長さんは怒るどころか褒めた。今回と同じケースさ。モデルのある話なんだよ、コレ」

恒「マジだったのニャー!?……でもちゃっかり未来の名将を確保するべくのすけだニャー」

べ「何の話かな?」

恒「鯰江(森)勘八3歳」

べ「……の、ノーコメントニャー」

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