鯰江城攻略 前編
編成を終えた池田軍団は一路、鯰江城へと向かう。編成と言っても池田軍団はいつものメンバーであるため、大した時間もかからず出発した。そのため、佐久間出羽の軍団より半日程早く出立している。
前陣には飯尾敏宗の飯尾衆、加藤教明の犬山三河衆を置き、第二陣に金森長近の金森衆と続く。その後ろを本陣として恒興や土居宗珊などが居る。本陣後ろを前田慶が率いる犬山前田衆が進み、豪族達が続く。かなり前のめりな長蛇の陣になっているが、これも敵襲は無いと見ての事だ。
ただ犬山前田衆を率いる前田慶はイライラしていた。何故、初陣の自分が後ろに配置されるのか。何故、部隊の歩みがこんなに遅いのかと。
「イライライライラ」
「あの、慶様?」
「何でこんなに進むのが遅いのよ!」
「いえ、適正だと思いますが……」
明らかにイライラしている主君に奥村助十郎永福は声を掛けるも、慶は噛み付きそうな勢いを爆発させる。ただ奥村としても慶の不満は分かる。慶は自分の初陣を華々しく飾りたいのだ。だが、現状は本陣後方配置で地味な位置である。奥村は仕方ないとは思っているのだが。
「何言ってるのよ!?もっと速く進めるでしょ!これは前陣に居る飯尾衆や三河衆が遅いんでしょうが。文句言ってきてやるわ!だいたい初陣の私が後陣ってどういう事よ!」
「ちょ、お待ちください!」
適正だと宥める奥村に慶は食って掛かる。足軽も歩く様なスピードで進んでいるのだから、もっと速く進めるはずであると。これは前陣に居る飯尾衆や犬山三河衆がサボっているのだと慶は思い、恒興に直談判に行くべく乗騎の浜風を走らせた。
一方の本陣では伝令の兵が忙しなく行ったり来たりを繰り返す。それを統括している加藤政盛は情報を纏めて恒興に報告をしている。
本陣と言っても、今は移動中なので報告も政盛が恒興の馬に寄せて報告を行う。足軽が歩く様な進軍速度なので馬も当然歩いているのだが、移動中なので形式張らずに簡潔に報告する。
「殿、前陣の進軍は予定通りです。漏れは無いとの事」
「そうか、ここはキッチリやっとけニャ。疎かにする訳にはいかニャいからな」
「はっ、徹底させます」
政盛は再度、確認の伝令を出すために部隊に戻る。それと入れ替わる様に前田慶が奥村永福と共に恒興のところにやってくる。不機嫌な顔を隠そうともせず。
「ちょっと、話があるんだけど!」
「慶様、落ち着いてくだされ」
(やかましいのが来やがったニャー。慶と家老の奥村か)
恒興も慶が何を言いに来たのかはだいたい分かっている。不満の源は初陣なのに後陣に配置された事だろう。だが今は行軍中で鯰江城に着いたら陣替えを行う。故に今、後陣に居るからずっとこのままという事はない。
それにだ、慶が初陣という事はまず間違いなく戦における基本は出来ていない。そんな者に前陣など任せられる訳が無い。そこら辺を説明しないといけないのは億劫だなと恒興は思う。
「ニャーは忙しい。手短に言え」
「なんでこんなにゆっくり進んでいるのよ!?鯰江城なんてバッと行ってドカッとやっちゃえばいいじゃない。あと、何で私が後陣な訳よ」
「お前にはニャーがただゆっくり進んどる様に見えるのか?」
「見えるから言いに来たんでしょうが」
「……はぁ」
「……何よ、そのため息。イラっと来るわね」
恒興の予想通りだった。前田慶は将として全くの指導不足で、前陣の飯尾衆や三河衆が遊んでいる様に映っているらしい。これが予想通りなのは悲しむべき事ではあるが、恒興はそれも見越して後陣配置にしておいた。
とはいえ、これは犬山前田家家老の奥村永福の責任となる。
「おい、奥村。このクソガキはもっと教育しとけニャ」
「はっ、申し訳も御座いませぬ」
「何なのよ!助十郎は関係ないでしょ!」
「大有りだニャ!到らねえクソガキ様当主の教育も家老の役目ニャんだよ!お前は戦において最も大切な事が何なのか分かってニャいのか!?」
「戦において?そんなの勝つ事に決まってるじゃない、フフン」
「その程度の見識しかニャいなら犬山に帰れ。邪魔だニャー」
自信満々に言い放つ慶。だが、その答えを聞いた恒興の目は非常に冷たいモノになっていた。
ハッキリ言うと、慶の答えは戦場で武功を挙げる事を夢見る子供の発想なのだ。戦国時代に生きる武家の棟梁の考えであってはならない。恒興が先程から慶を『クソガキ』呼ばわりしているのもそういう事だ。教育が行き届いておらず、発想が子供だからだ。
慶は単純に戦とは目の前にいる敵を倒せばいいと思っている。己の手で武功を稼ぐ兵や武人ならそれでいい。だが一家を背負う武家の当主には許されない考え方なのである。
「何よ、それ!」
「特別に教えてやるニャ。勝つ事なんか大前提なんだよ、誰が負けるために出撃するか。そういうのは滅亡寸前のヤツがヤケになってやる事だニャ。大切なのは勝ち方ニャんだよ」
そう、勝つ事は大前提であって決定事項だ。大名も豪族も勝算があるから戦をするものだ。勝算無く戦をするのは滅亡する覚悟を決めた者達だけである。負けを想定しながら戦う者はだいたい殿軍を請け負う者達ぐらいだ。
つまり勝つ事は意識しなくても為すべき事で考える必要などない。問題はどう勝つかである。
「勝ち方……ねえ」
「はい、奥村。答えを言ってみろニャ」
「農民の逃散を防ぐ事かと」
「OK、正解だニャ」
戦において最も大切な事、それは『農民の逃散を防ぐ事』である。
戦とは大なり小なり領土の奪い合いである。では土地さえあればそれでいいのだろうか?……土地だけでは何にもならない。その土地に農民が居てこそ収益が上がるのである。
土着した武士の究極的な目的は『民を守る事』と言ったのもここに通じる。戦の戦火で農民が逃げない様に守らなければならないのだ。農民が居なくなると収益が無くなるからだ。この戦国時代は計画移民という発想すらないので、現地に居る農民を如何に逃がさないかが重要となるのである。
この事が他国を侵略する時も基本となる。先に襲わない事を通知したり、村に乗り込んで襲わない代わりに貢物を要求する事もある。やり方は千差万別である。
ただし刈り働きや焼き働きを行う場合は事前の通告など要らない。
「あー、それ、言われた気がするわ」
「気がする、じゃねーギャ。コレを怠りやがったらマジで追放するぞ。こんな基本も分かってニャいお前を前陣にする訳ねーギャ」
「う、じゃあ進軍速度が遅いのはソレ?」
「そうだ、進路上の村々に報せて回ってるからだニャ」
「ムダじゃない?どうせもう山に隠れてるわよ」
「それでも2、3人は戻ってくるもんだニャ。そう簡単に自分の家と畑を捨てるもんか。立札でも立てときゃ、みんな戻ってくるニャ。先に襲う気が無い事を報せておかなきゃいけないんだよ」
「ふ~ん、そんなものなのね」
「占領政策の基本だろが。マジで怠るニャよ?」
大抵の場合は軍団が近寄ってきただけで、農民たちは山に隠れたり、支配豪族の城に逃げ込んだりする。又は率先して貢物を出して媚を売る村もある。豪族の城に逃げ込んだ場合はいい、軍団が過ぎれば自然と戻っていく。今回に限っては豪族にも村は襲わないと通知しているので、逃げてきた農民を説得して戻らせるだろう。
問題は山に隠れた農民で、そのまま戻ってこない事がある。とはいえ、住み慣れた家と田畑を軽く投げ捨てる訳はない。村を代表して数人は戻ってくる。そこで立札なりを見付けて持って帰れば、襲う意図が無い事を知った村人が戻ってくる算段である。
「そういえば、前田利久が見えないニャー。何処行った?」
「義父上なら風邪ひいたから犬山に置いてきたわ。元々、そんなに身体強くないのよ。いいでしょ、私と助十郎がいれば」
「まあ、犬山留守居役が増えたと考えるニャ。休伯だけじゃ大変だしな」
恒興は前田慶の初陣の話は知っていたが、それは義父である前田利久の後見の元だと思っていた。その前田利久が犬山に残っているのはどうかと思うのだが、家老の奥村永福が付いているから大丈夫という判断なのだろう。ただ、奥村のみでは明らかにストッパー不足だなと思う恒興であった。
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先々の村に布告を出しながら池田軍団は鯰江城の前に到着する。計画通りであれば林佐渡の軍団が和田山城に攻め掛かり、佐久間出羽の軍団も箕作山城に着いた頃であろう。
鯰江城側も応戦態勢は出来ている様で、城の曲輪に沢山の旗がひしめいている。その様子から戦意の高さも窺える。恒興は軍団を城の正面まで誘導して陣を張るように指示を出す。当然ではあるが陣を張っている間、前陣の飯尾衆、犬山三河衆、金森衆は敵襲警戒となる。
そして恒興は家老の土居宗珊と共に見晴らしの良い場所から鯰江城を眺めていた。
「これが鯰江城か。かなりしっかりした城だニャ」
「殿、これはかなりの要害ですぞ」
鯰江城は愛知川の河岸段丘上に築かれた丘城である。堀と城壁を兼ね備える近代的な建築で横堀は主郭の三面を囲み、残りの南面は断崖状の河岸段丘で防御している。川の断崖を利用して造られたため、防御は三面で済むという事だ。そして南側に川があるため水の手が切れない長期篭城戦が可能な城である。
「やべーニャ。高石垣に堀、更には内部に重ね馬出しときたもんだ。並じゃねーギャ、この城」
「力攻めを行えばかなりの被害が予測されますな。とにかく斥候を放つと共に城に使者を派遣しましょう」
「ああ、頼むニャ、宗珊」
恒興としても鯰江城を侮っていた訳ではない。だが、目の前に現れた城郭は明らかに普通の城ではない。恒興の予想を遥かに上回っていた。
普通の城という物は最初、掘っ立て小屋の様な砦が多い。そこに必要とされる理由が出来て、年月を掛けて増改築を繰り返して大きくなる物である。だから一貫したコンセプトで造られる城が少なく、無意味に曲輪を増やして大きくする場合が多い。計画的ではないため防御力に不安が出たり、機能的な防衛が出来なくなったりするものだ。
だが、目の前に現れた鯰江城は違う。完全に一つのコンセプトで造られている。まず大手門での防衛、これは何処の城でも同じだが。その大手門を破ると姿を現すのが『重ね馬出し』である。
『馬出し』についてはご存じだろうか?これは城壁に対してこぶの様にせり出した防衛施設の事である。有名な物と言えば『大阪の陣』で使われた『真田丸』である。真田幸村が造った大阪城の城壁からせり出した半円形の丸馬出しを『真田丸』と呼ぶ。この『真田丸』は大阪城の防衛力の中で南側が弱いと思われたため造られたのだが、その実、敵を引き寄せて損害を与える事に特化していた。馬出しがせり出しているのは弓や鉄砲で敵を狙いやすくするためで、柵や空堀、ぬかるみなどで相手の足を止めさせ上から一方的に射撃する虎口(敵兵を始末する場所)として機能する。つまり『真田丸』とは大阪城南の防衛強化に造られたのではなく、防衛力が低いと侮って寄ってきた敵兵を始末するために造られたのである。
重ね馬出しというのはこの馬出しの構造が連続して造られている物の事だ。つまり大手門を抜けて一つ目の馬出しを突破しても更に馬出しが現れるのである。この鯰江城は完全に城の内部で敵兵を始末する構造になっている。
そして二つ目の馬出しを越えて二の丸門に向かう時も、高石垣に守られた本丸の直下を進まねばならない。どう考えても本丸から矢と石の雨を降らされる。
この防衛機構を持った鯰江城は明らかに無秩序な増改築を繰り返した城ではない。一貫したコンセプトを以て造られた近代的城郭といえる代物なのだ。織田家で言うなら小牧山城に相当する。規模的には格段に小さいが。
陣の構築が終わり、鯰江城に行った使者が帰ってきた頃、恒興は軍団の主たる将を集めて軍議を開いた。今回の軍議で決めなくてはいけないのは城攻めの方針である。
鯰江城が並の城ではないと遠目からも解る程なので、力攻めという案は無いと思っていた。それに前世では箕作山城が1日で陥落している。それを考えればこの鯰江城は早期に支援路が途絶える。もう一つの支援路である日野城が近日中に長野信包によって包囲されるからだ。……撃退されなければという条件付きだがたぶん大丈夫だろう。長野信包の将としての実力は未知数で兄である信長からあまり評価されていないが、副将として滝川一益や柴田勝家が付いている。更には北畠軍を率いてきたのは隠居の北畠具教だという。あの歴戦の剣鬼が油断などしないだろうと恒興も思っている。
箕作山城が1日で陥落というのは確実ではない。ただの前世での情報だし、だいたい箕作山城の守将ですら前とは別人だ。ただ信長に言われている以上、佐久間出羽は強攻を行うだろう。
そして佐久間軍団にはあの男が居る。彼がただ闇雲に味方の損害を増やす事を是とする訳がない。恒興はそう確信していた。故に『箕作山城は早期に陥落する』を計画に盛り込んでいた。
恒興の方針は既に決まっているので、それを各将に通達するだけではあるのだが。
「政盛、帰ってきた使者はどんな返事を貰って来たんだニャ?」
「ハッキリと拒否されました。『六角家の一族である鯰江家が真っ先に降る事など出来ない。かくなる上は一戦を望む』との事です」
鯰江家とは六角家9代目当主・六角満綱の息子である六角高久が他家の養子となり、鯰江の地に拠点を構えたのが始まりである。今から100年ほど前の話になるので、鯰江家は新興の武家と言える。つまりこの鯰江城も築100年程度の新しい城である。
「そうか。教明、斥候からの報告を頼むニャ」
「はっ、鯰江城に篭もる兵力はおよそ2000との事。ただし意気軒昂で士気の低下は見られないそうです」
「搦め手門はどうであったか、教明」
「は、宗珊殿のお指図の通りに調べましたが、こちらも手強い物で御座った。門の前は沼地になっており大人数では難渋する事必至でしょう」
「門の前が沼地なのはワザとだニャ、おそらく」
「でしょうな。しかも搦め手門は二の丸の直下。攻め寄せれば集中砲火な上に足場が悪いと、難物ですな」
「この城造ったヤツは絶対性格悪いニャ」
大手門とは別口になる搦め手門もかなりの攻め辛い構造になっていた。まず門の前の土地が広範囲にわたって沼地となっている。進める土地は非常に狭く、大軍では沼に嵌るだけである。更に搦め手門は高所である二の丸の脇に造られているので、攻め寄せれば沼に嵌って動けない敵を鴨打に出来る。搦め手門を破ったとしても細い通路を辿る事になるし、やはり二の丸から矢と石が降ってくる。そういう所までとことん考え抜かれている。
「ふむ、とはいえ2000だろう。義兄上、一思いに踏み潰しては如何か?」
「慶隆の言う通りだな。コッチは13000だ」
「しかし油断できない構造をしていますよ、あの城は」
「はいはーい、玄蕃ちゃん、先陣希望しまーす」
奥美濃軍を率いる遠藤慶隆や中濃三家の佐藤紀伊は一気呵成に攻め落とすべきだと主張する。岸勘解由は慎重に鯰江城を分析しているが、肥田玄蕃も先陣主張しているおかげで影が薄い。
「バカ者、ここは稲葉衆こそが先陣じゃ。少しは新参に功を譲れ」
「それを言うなら犬山前田衆に譲ってよ。私は初陣なんだからさ」
(
肥田玄蕃の先陣主張に反応した稲葉彦と前田慶も加わり、軍議はいきなり収拾がつかなくなってくる。その様子に恒興は少しため息をつく。とはいえ恒興は既に方針を決めている。ただの前哨戦でしかないこの城で大損害を出す訳にはいかないのだ。
それを見越した様に飯尾敏宗が恒興に尋ねる。
「殿、大方針は如何な物でしょうか?」
「まず、強攻を禁じるニャ。ここで損害を出し過ぎると今後に影響する。包囲戦を基本とするニャ」
「時間を掛けてもよろしいと?」
「そうだ、敏宗。この鯰江城攻めはあくまで箕作山城攻略の支援。最悪、落とさなくてもよいという事だ」
「宗珊の言う通りだニャ。それに箕作山城が落ちれば鯰江城に援軍を出せるのは日野城方面のみになる。日野城は長野信包様が包囲する予定だニャ。つまり鯰江城は孤立する。それから攻めても遅くない」
大方針は『包囲戦による降伏』である。時間は掛かってしまうかも知れないが、この鯰江城が早期に孤立する事を考えればそこまで時間も掛からないだろう。恒興はその様に考えていた。
恒興にとって鯰江城攻略戦は前哨戦である。少なくとももう一回は戦う予定が入っている。次の戦いの規模から考えても兵の損失はなるべく避けたいのだ。そして何より、土居宗珊が言う通り『最悪落とさなくてもよい』のである。つまりこの城は大勢に影響しないのだ。
だがその決定に明らかな不満顔で発言する者がいた。
「異議あり」
「ニャんだ、彦?」
「妾達は物見遊山に来た訳ではない。戦に来たのじゃ」
「そうだニャ」
「包囲などというまどろっこしい事はやってられぬ」
「ま、待て、彦」
妹の強硬な態度に控えていた兄・稲葉重通が止めようと彼女の肩を掴む。だがその手は直ぐに振り払われ彦に鋭く睨み付けられる事になる。
「兄上は黙れ。この軍議の場で将帥以外が喋るな」
「う、分かった……」
彦は自分の後ろに控えている兄の重通を一喝する。重通としては彦の事を考えて抑えようとしたのだが、妹の彦の方が立場的に上なのだ。これが庶長子と嫡子の差である、実の兄妹でも主君と家臣程に立場が違う。
恒興は重通の事を不憫には思うが、彼を庇って稲葉家の内政に干渉する訳にはいかない。それはトラブルにしかならない。よって見て見ぬ振りをするしかない。
だからと言って、彦の主張を受け入れる訳にはいかないので真っ向から対決する。
「ニャーはなるべく兵士を死なせたくはないから言ってる。お前はそうじゃニャいのか、彦?」
「戦になれば人は死ぬ。ならば無駄死にこそ避けるべきじゃ」
「ニャーはな、鯰江家を殲滅したいとは思ってないんだよ。適度なあたりで降伏してほしいと考えてるニャ」
「相手が一戦を望んでおるなら受けて立つべきであろう。包囲などしたら舐められたと感じるじゃろうな」
「だとしても、ヤツラに勝ちの目など無いニャ。ここは損害を減らす事を主眼に置く」
これが稲葉家なのだろうか?彦の父親である稲葉一鉄もこうなんだろうかと恒興は思う。しかし兄の重通を見る限りはそんな気配はなさそうではある。となると、彦個人の考えが強烈なのかも知れない。
こうなると信長本隊に残った一鉄には来てもらうべきだったと後悔する。彼は一応隠居したという事で、彦に手柄を立てさせるべく信長の本隊に残ったのだ。信長としても一鉄の性格を好ましく思っていて、自分の戦術アドバイザー役に置いていた。
「……主殿、妾達は『豪族』だ。織田家臣ではなく、独立した存在で、あくまで織田家を支持している者だ」
「……ニャんだ?ニャーには従えない、そう言いたいのか?」
「そうではない。独立した存在であるからこそ、勝手な判断で動く事もある。一軍の裁量権を持っているという事はそういう事じゃ」
「それでも池田軍団に所属している以上は大方針に従ってもらうニャ!」
「了解した。要は降伏させればよいのじゃろ?」
そう、不気味な一言を残して稲葉彦は軍議の場から去った。結局、稲葉重通が諸将に平謝りしながら残って、軍勢の陣割りなどを決めた。
初回から波乱含みだなと恒興はため息をつく。
(何なんだ、今日は。厄日かニャ?ニャーは女難の相でも出てるのか?)
何故かは分からないが恒興は自分の周りに『おしとやか』な女性が居ない事に気が付く。まあ、この戦国時代に『おしとやか』な女性などほんの一握りではあるが。ただ女難の相が出ているのかも知れないので、お祓いでもしてもらおうかなと思う。そんな事を真面目に考えだす恒興であった。
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【あとがき】
恒「そういえば、南部信直と島津義弘が名護屋でケンカしたんだったニャ。あんなに領地が離れているのに仲悪かったのかニャ?」
べ「いや、突発的な事で、冷静になった彼等はお互い謝ったんじゃないかな。南部家と島津家の仲が悪いとは聞いた事が無い。後年には島津家から南部家に養子が出ているくらいだし」
恒「ニャんだ突発的な事か」
べ「それよりはもっと大物同士がケンカしてるからね」
恒「大物?」
べ「徳川家康さんと前田利家さん」
恒「豊臣政権NO.2とNO.3じゃねーギャ。何やってんだニャ、二人とも」
べ「切っ掛けは徳川家が占有していた水場に前田家の足軽が無断で入った事らしい」
恒「は?水場くらいでかニャ?」
べ「状況的に水場くらいとは言ってられない状態に名護屋は陥っていた。太閤秀吉の唐入り(文禄・慶長の役)の時で、全国の大名が名護屋に参集を命じられた。加藤清正らが造った巨大な名護屋城と言えども10万~30万の人が殺到して、順次朝鮮へと渡っていった」
恒「すげー数だニャー」
べ「だけど人が集まり過ぎたため、名護屋は慢性的な水不足に陥った。南部信直さんと島津義弘さんがイライラしていたのもこの辺かもね。徳川家が占有していた水場は許可さえ取れば使えるものだったのだけど、前田家の足軽がどうやら横着して勝手に使ったみたいなんだ。それで乱闘騒ぎが起きた」
恒「足軽の暴走かニャ。それは仕方ないんじゃ……」
べ「乱闘が始まって直ぐに家康さんは騒ぎの収拾に乗り出したんだけど全然収まらない。何故か?もう一方の当事者である前田利家さんはノリノリで煽っていたからさ。『このどさくさに紛れて徳川本陣に行って家康の頸を取ってしまおう』なんて言ってたらしい。更に関係のない大名にも参陣を願って巻き込もうとしていた」
恒「おい、又左。お前は何を言っている。という事はガチで戦かニャ?」
べ「収まった理由はよく分からないんだけどね。騒ぎが大きくなって秀吉さんが気にし始めたので慌てて止めたとか、徳川古参の三河武士達が本気を出し始めたので止めたとか言われてるね」
恒「まあ、城には無尽蔵に人が入る訳じゃねーからニャ。どの城にも適正人数があるもんだニャー。鯰江城なんかいい例だ。あれは2000人くらいで守れる様に小さめで設計されてる。巨大城に造られた安土城は1万以上の兵力がないと防衛すら出来ないニャ。そしてその人数を計算して水場もあるはず。名護屋城は完全なキャパシティオーバーだったんだニャ」
べ「『いのちのうちに今一度、最上の土を踏み申したく候。水を一杯飲みたく候』と最上義光さんは名護屋から国元に手紙送ってるほどだ。最上さんは渡海してないから確実に名護屋の状況だね」
恒「渡海組の状況はもっと酷かったんだろニャー。あの伊達政宗でさえお母ちゃんに『もう一度会いたい』ニャんて泣きの手紙を出すくらいだしニャー」
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