犬山城主

 織田家による北伊勢制圧は恒興の想定通りに上手くいった。

 基本的に武士という生き物は農民や商人の力を低く見過ぎている。

 彼等は自分達に支配されないと生きていけないと思っている豪族も多々いる程だ。

 だがこれは間違っているわけではない、農民や商人だけでは国は経営できないのだ。(町レベルであれば商人でも経営可能)

 その最たる理由は『利害』である。

 農民同士商人同士ではこれを解決することは出来ない、誰にも都合の良い裁定案などこの世に存在しないからだ。

 そもそもそんな物が存在するなら人類は戦争などしていない。

 だから力ずくで裁定する存在が必要なのだ、それが武士なわけだ。

 だがその武士は勢力の拡大と権力の拡大で驕るようになっている、被支配層を見下す様になったのだ。

 恒興はその心の隙間を突いた。

 その大した事の出来ない人間にどれほどの事が出来るか豪族達に教えたのである。

 農民や商人を見下すあまり、その行動に大した警戒をしなかったのが彼等の敗因である。

 勿論、織田家の勢力拡大のためにやった訳だが、恒興にとってはもう1つの計画のための布石でもあった。

 そもそも恒興は伊勢調略の担当ではなく、東濃中濃の調略担当だからだ。

 この東濃中濃の揺さぶりのために伊勢を使ったと言える。

 その成果を聞くため恒興は自室である男を待っていた。


「待たせたね!ソウルブラザー!報告にきたよ!」


 またしても部屋の襖がスパーンと音をたて、勢いよく開かれる。

 その中央に件の待ち人、金森長近が朝日をバックに変なポーズを決めて叫んだ。


「・・・普通に登場出来んのかニャ、お前は。あと、それは止めろと・・・」


「チッチッチッ、ソウルメイトとソウルブラザーは別物さ」


「苦情が来る点では一緒だから止めろっつってんだニャー!!!」


「ふう、仕方ないね」


 長近は恒興の前にある座布団にフワリと座り、態勢を整える。

 座り方が綺麗で所作も整っているのに登場シーンで全て台無しだなと恒興は思う。

 そんな恒興の思いを知ってか知らずか、長近は本題を切り出していく。


「伊勢攻略の効果が出てきたみたいだ。久々利頼興は既に此方に寝返りたがっているよ」


 それは久々利城主・久々利頼興の内応成功の話であった。

 彼は織田家の隆興の勢いを見て即座に寝返りを決めたようだ。


「だろうニャ。久々利の治める可児は木曽川の南岸、犬山の隣だ。プレッシャーを感じていない訳がない」


 可児は地理的に木曽川の南岸で犬山の隣、つまり織田領とは地続きで渡河の必要もない。

 むしろ渡河が必要なのは斎藤家の方である。

 なので可児は織田家からは攻撃しやすく斎藤家は守りにくい場所である。

 久々利頼興はそんな場所で豪族をやっているからこそ時流に敏感なのかも知れない。

 後は寝返りの大義名分だが、これは最初から問題ない。

 そのための『斎藤利治』なのだから。

 つまり『斎藤龍興』を斎藤家当主とは認めない、『斎藤利治』こそ斎藤家当主であると言えばいいだけなのだ。

 そして斎藤利治は姉の濃姫の縁で信長の元に居るので、勢力が自動で織田家に変わるという訳である。


「久々利はそれで良しとして若尾はどうだ?」


「以前と変わらないね。反応がない」


 若尾元昌は以前と変わらず調略に応じる感じはないという。

 彼が治めている多治見は北に可児、東は土岐で西と南は尾張である。

 尾張から進軍するには山が邪魔なので難しいが無理という訳ではない。

 なので可児を塞がれるとほぼ孤立する、稲葉山からの援軍など土岐を回らなけれならず、どれくらい掛かるのかという話だ。

 なので久々利の動静には気を張っているはずである。

 それなのに何の反応もないのはおかしいし、稲葉山に通報する動きもない。

 このままだと領地を半包囲される事態となる、普通にお家存亡の危機だ。


「でも宗珊殿に言われて若尾家を調べた結果、面白い情報が手に入ったよ」


「どんな情報ニャ?」


「若尾家は現在、多治見修理の嫡男及び家族を秘密裏に匿っているようなんだ」


「そうだったのか!だから奴等は独立したんだニャ!」


 多治見出身の長近が知り合いに聞いて回った結果、多治見家嫡男・多治見蔵人国清とその家族や家臣を若尾家が匿っているという情報だった。

 これを聞いて恒興は不思議に思っていた事に合点がいった。

 独立の理由、名分を整えなかった理由、反応がない理由、通報もしない理由である。


「どういう事だい?」


「若尾家の独立はブラフ、龍興を誤魔化すためだニャ。龍興は猿啄城周辺の支配権を手に入れるため、多治見修理の家族を抹殺しなければならん。それをさせないため表向きは独立で主家を見限った振りをして面従腹背、裏で主家の家族を匿ったんだニャ」


 まず独立の理由は龍興を誤魔化すためである。

 主家から独立するというのは特殊な場合をのぞき大体が『謀反』である。

 なので主家との関係は当たり前だが敵対となる。

 若尾元昌はこれを利用して反多治見家を装ったということ。

 名分を整えなかった理由は恐らく時間がなかったため。

 龍興が猿啄城周辺の支配権を手に入れるためには、多治見修理の家族を抹殺するか懐柔せねばならない。

 そうしておかないと後でお家再興の反乱を起こされたり、他国に逃げられれば侵略の大義名分にされるからだ。

 多治見家を潰しておいて懐柔はないと思われるので、龍興の方針は抹殺になるだろう。

 それが解っていた若尾元昌はとにかく急いで国清達を匿わなければならなかった。

 恒興の調略に反応がないのは織田家が信用出来ないのと更なる寝返りはしたくないということと思われる。

 通報しない理由など龍興から心が離れている証拠である。

 下手に通報して若尾家周辺を探られ、国清達を見付けられたら堪らない。


「成る程ね」


「なら話は早い。長近、今から若尾家に行ってこう伝えるニャ。『多治見家の再興を織田家が請け負う』と。恐らく若尾元昌は何時龍興に気付かれるか気が気でないはずだニャ」


 恒興はここまでの情報を纏めた結果、後は寝返りの名分と織田家が若尾家の願いを叶えると約束するだけでいいと見た。

 名分など簡単で不当に潰された主家のためで十分だ。

 後は多治見家の嫡男がお家の再興と織田家の傘下入り表明すればいい。

 表明すれば織田家としても約束を反故にしにくいので若尾元昌も織田家を信用するだろう。


「信長様の許可はいいのかい?」


「心配いらん、直ぐにニャーが取ってくる。て言うかこの手の話は信長様の大好物だニャ」


 主人のために従者が身を挺して守るというのは一般的に美談となる。

 この手の話は信長でなくとも好きな人は多い。


「了解した。直ぐに行くよ」


(棚から牡丹餅とはこの事だニャー。元々多治見家は土岐家の支流、土岐の支配に役立つ。決まったな、信長様に森三左殿を動かしてもらおう)


 恒興も即座に出ていった長近同様、森家の屋敷に向かって出ていった。

 今回の恒興の計画に森可成の出陣は必須となる。

 その準備をさせるのと、可成を信長の元へ連れていく話をしなければならない。

 何しろ恒興の計画の全容を知っているのは恒興しかいないのだから。



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 織田家の軍政は他の大名とはかなり異なる。

 信長は家臣化出来ていない豪族はそもそも召集しないのだ。

 理由としては豪族は民兵を使うので、戦死者が多いと国が疲弊しやすいということ。

 そして万が一の時、国の防衛力とするためであった。

 だが疲弊云々はともかく、防衛力としては何の価値も無かった。

 それを見せ付けたのが桶狭間の戦いだ。

 この時大半の豪族が日和見に回り、信長の召集に応じた者は3千余りだった。(傭兵もかなり逃げた)

 現在信長が尾張から出せる兵数は傭兵も合わせて1万前後、石高が美濃と同レベルの尾張にしては少な過ぎる。

 美濃など3万人近い兵がいるのだから、おかしいくらい少ない。

 この理由は前述の通り家臣化出来ていない豪族は呼ばれないという事。

 そもそも信長は家臣でない豪族達を信用していないし、戦場で手柄を立てられて褒美を渡すのもイヤなのだ。

 この褒美を出すという行為は単に労いの意味だけではなく、未来への投資でもある。

 褒美を受け取った者はそれを使って更に力を着けたり勢力を増すだろう。

 なので信長は信用出来ない人間に投資などしたくないのだ。

 そしてもう1つ、織田家一門衆の城主も呼ばれない。

 実はいたる要所の城には信長の兄弟達が配置されている。

 彼等も殆ど呼ばれず、日々領地経営に励んでいる。

 ここら辺は兄弟を危険に晒したくないという信長の優しさかも知れない。

 だがそんな事をしている限り兵は揃わず、上洛など夢のまた夢である。

 このため信長は新しい軍政の在り方を模索し始めていた。

 恒興が長近を使いに放ってから3日後には家老の林佐渡と佐久間出羽、北伊勢攻略の功労者である恒興と滝川一益、そして恒興が連れてきた森可成が小牧山城に集まった。


「恒興、一益。北伊勢攻略、見事だったぜ」


「「ははっ!」」


「一益には前に言った通り、桑名城主に任命する。桑名は要所だ、しっかり治めろよ」


「はっ、鋭意努力致します!」


 滝川一益は以前から桑名城主として動いてはいるが、北伊勢制圧完了をもって正式に任命となる。

 今後は引き続き南伊勢攻略の任に就くことになる。

 まあ、状況によりけりで美濃攻略にも駆り出されるかも知れないが。


「恒興」


「はっ!」


「伊勢の件はいいんだが、美濃はどうなってんだ?」


「あ、いえ、これからでして。そろそろ仕掛けますのでその相談もありますニャ」


「それで三左も呼んだのか?」


「私で役に立てるならいいのですが」


 実は恒興はまだ可成に詳しい作戦の詳細は話していない。

 出陣の準備をさせているのみで、詳細に関しては信長の前でするつもりだからだ。


「はい、今回の東濃攻略に森衆を動かして頂きたいのですニャー」


「ん?三左を部下に欲しいってのか。それは許さねぇぞ」


 森可成は信長にとって通称の『三左』で呼ぶくらいのお気に入り家臣である。

 故に信長が彼を手放す訳がなく、部下に欲しいなどまず無理だ。

 恒興もそんな無茶を言うつもりはないが、森家はこの作戦における中核となるので必ず動いてもらう必要があった。


「いえ、そうではありませんニャ。ただ森家でなければ土岐の支配権を確立出来ないのです」


「そりゃどういう意味よ、恒興?アタシの記憶が正しけりゃ可成は東濃出身じゃないはず」


「可成は確か羽島出身じゃなかったか?」


「はい、その通りですよ。西濃に属しますね」


 土岐と聞いて林佐渡と佐久間出羽が首を捻る。

 二人とも可成の出身地を知っているので土岐との関連性が全く解らなかった。


「まあ、聞いて下さいニャ。そもそも土岐の支配者は誰かと言う話です。土岐は土岐家発祥の地であり、当たり前ですが支配権は土岐家が持っていました」


 土岐家の歴史は非常に古く平安中期からである。

 大江山の鬼退治で有名な『源頼光』の息子が土岐に土着し土岐姓を名乗ったのが最初だという。

 そこから延々と美濃に勢力を広げ、室町期には守護大名にまでなった。


「ですが土岐家は斎藤道三殿の国盗りによって追放されましたニャ。その後土岐周辺を制圧し支配権を得たのは斎藤大納言正義です」


 斎藤大納言正義、五摂家と呼ばれる公家の名門・近衛家の庶子で斎藤道三の猶子となった人物。

 彼がその名門血統を武器に土岐周辺のあらゆる豪族から支配者として望まれ、東濃一帯で瞬く間に大勢力を築いてしまった。

 昔から日の本の民は貴種を有り難がる性質をしており、貴種流離譚なども大好物である。

 また豪族にとっては仕えている人物が偉ければ偉いほど箔になるし、統治もやり易くなる。

 それでいて正義は数々の武勇伝を残す程の強者で、豪快な性格をしており担ぐには丁度いい人物だった。

 だがこの正義の急速な勢力拡大を斎藤道三は恐れた。

 何しろ道三が半生を掛けてやってきた国盗りを、一地域とはいえあっという間に為し遂げたのだ。

 道三は自分の領地も奪われる事を恐れ、彼を久々利頼興に暗殺させた。

 更に彼の縁者も徹底的に探し出して殺させたのである。


「正義が暗殺された後、土岐周辺を治めたのは明智光安です。彼が年月を掛けて治めようとしましたが、『長良川の戦い』で明智一族はほぼ滅亡。現在に至っても支配権が曖昧なままですニャー」


 明智家というのは可児の豪族で土岐家の支流を称する一族である。

 斎藤道三には妹の『小見の方』を嫁がせるなど親密な関係を作っていた。

 この小見の方が信長の正室・帰蝶と斎藤利治の母親である。

 その後『長良川の戦い』では一族のほぼ総力をあげて道三側で戦うも敗北、明智光安は降伏を一切受け付けずそのまま滅亡した。

 そんな中、明智一族で唯一義龍に付いて戦ったのが甥の『明智光秀』であった。

 恐らくこれは裏切りではなく、家を別けて明智家を断絶させないためと思われる。

 それ故に僅かに生き延びた明智一族の者達は光秀の元に集う。

 ここからが明智光秀のよく解らないところなのだが、戦いの後突然一族を連れて下野(今で言う退職の事)して消える。

 何のために義龍に味方したんだと言いたくなる。

 義龍も困惑しただろう、土岐の支配に使える人材が丸ごと消えてしまったのだから。

 結局その穴埋めをする前に義龍は死去、現在も支配権は曖昧なままだった。


「成る程な、土岐は狙い目なんだな。だが何故三左なんだ?」


「それは三左殿が斎藤大納言正義の娘を匿っているからですニャ。ですよね、三左殿?」


「!?・・・恒興君、何処でそれを?」


 斎藤大納言の娘は父親の暗殺後、森家家老・各務元正が縁者を通じて匿った。

 それで森家全体で匿うことを可成が決めたのである。

 この件は森家の秘密であり、信長にも報告はされていない。

 何しろ斎藤道三が血眼で捜し回っており、信長の元にいると知られれば引き渡し要求が来ただろう。

 信長が舅である斎藤道三と何の縁も無い娘とどちらを取るかなど火を見るより明らかだ。


「ニャーは津島奉行ですニャ」


(嘘だけどね、知っているだけだニャー)


 これは恒興の以前の知識から得ていた情報である。

 斎藤大納言の娘は既に森家臣の加木屋家に嫁いでおり、3人の男子の母になっている。

 最近通常知り得ない情報を出す時に津島奉行の名前を出すと、皆直ぐに納得してくれるので恒興は便利だなと思っている。


「商人の情報網か、恐ろしいね。・・・殿、隠していて申し訳ありません」


「構わねぇよ、斎藤大納言の話はオレには関係ねぇ。だが舅殿に言われたら引き渡したかも知れん」


 信長としても斎藤大納言家に含む所は一切ないので不問とする。


「経緯はどうあれ確かに使えるね、斎藤大納言家の再興を森家が後見するって名目。殿、可成は先代の頃から武功を重ねてきた。ここらで城主にしてもいいんじゃないかな?」


 恒興が言っている計画は森可成を城主にして土岐周辺の支配を確立しようと言う話だ。

 その大義名分のために斎藤大納言の娘を使うという事であり、彼女にとっても父親の家が再興される絶好のチャンスとなる。

 斎藤大納言家を継ぐのは彼女の息子の誰かとなるだろう。

 織田家、森家、斎藤大納言家の何れにとっても良い話なので林佐渡も賛同する。


「そうだな、オレもいい機会だと思う。三左はどうだ?受けるか?」


「はっ!有り難くお受けいたします!」


 これで森可成が土岐周辺を制圧後、城主として東濃の抑え役が決まる。

 滝川一益が北伊勢の抑え役になっているのと同じ立場という事だ。


「それで恒興よ、森衆が占領する場所は何処だ?適当な城はあるのか?」


「斎藤大納言の居城・鳥峰城が適当かと。現在廃墟ですが城郭はそのまま残っていますので、改修工事だけで使えますニャー」


 佐久間出羽が目標地点について尋ねる。

 これも事前に決めていたので恒興は即座に答える。

 今ある城を奪うのは手間だし中小豪族に危機感を与えかねない、かといって新しく造るのは時間が掛かる。

 なので廃墟を直して使おうという事になった。

 それに鳥峰城なら斎藤大納言の娘を擁する森家が占拠しても、誰もおかしいとは思わないだろう。


「状況はどうなのさ」


「伊勢の結果を受けて久々利家が内応済み、若尾家は多治見家の再興を条件に内応します。鳥峰城までの障害はありませんニャ」


 既に長近から早馬で報せが届き、若尾家が内応を受けた事が分かっていた。

 若尾元昌は森可成の進軍に際し援軍を出すことも約束した上に、臣従の証として息子を人質に出す程の徹底振りだった。

 多治見家の再興を蔑ろにされないように打てる手を打ってきたということだろう。

 現在その若尾家の息子は多治見国清と共に小牧山城に向かってきている、護衛しているのは当然金森長近である。


「若尾家か、主家の家族を守るため敢えて反逆者の汚名を被るとは見上げた奴等だぜ」


「そうだねぇ、こういう豪族ならいくら居てもいいくらいだね」


 既に若尾元昌が主家である多治見家の家族を匿うために裏切り者の汚名を着た事は皆に報告してある。

 信長も林佐渡も例に漏れず、こういう美談が好きだった。


「よし!多治見家の再興も含めて承認だ。直ぐに動くぞ」


「信長様、この作戦が動けば稲葉山の龍興が必ず動きますニャ。そこで牽制と時間稼ぎのため犬山城に兵を集めましょう」


 鳥峰城から久々利城、犬山城のラインが完成すると、斎藤家は可児・多治見・土岐・恵那の失陥は免れない。

 これをただ見逃している様では龍興は大名失格と言われてもおかしくない。

 なので必ず援軍を派遣するはずである。

 いくら鳥峰城が修繕だけで使えると言っても態勢が整うまで一週間は掛かるだろう。

 なので森衆が動けない間は犬山城で敵を惹きつけるのと、久々利城に援軍を入れて可児の絶対防衛をせねばならなかった。


「犬山城に兵を集めれば斎藤方の可児へ進軍はより困難になりますニャ。そもそも可児は木曽川の南岸、渡河しなければならないのは斎藤方です。犬山城に兵がいれば後背を脅かされるため龍興は無視出来ません」


 鳥峰城から犬山城のラインで一番の要所は久々利城である。

 ここを陥とされると鳥峰城が孤立して全てが失敗する。

 なので犬山城に兵を集め、稲葉山城から来る龍興の本隊を牽制又は足止めするべきと恒興は提案する。


「そうだな、小牧山城でも後詰めを用意するとして・・・恒興、犬山城で兵を揃えて作戦に備えておけ」


「はっ!・・・って、あの、ニャーは犬山城主ではないんですが」


 信清の追放から今現在まで犬山城には城主が居らず、信長から派遣された城代がいるのみである。

 犬山は尾張にとっての最前線の要所、なので信長の親族の誰かが城主を務めると見られている。


「問題ねぇよ。何故なら犬山城主に任命するからだ。少し早いがいい機会だからな。犬山城7万石、未開地も含めてしっかり治めろよ」


「ニャーが・・・犬山城主?」


 従来であれば犬山城には信長の親族が入る。

 信清が城主だったのも父親が信長の叔父だったからだ。

 その城を恒興に渡すのは義弟とはいえ破格の待遇である。

 この尾張において親族以外に大きい城を持っているのは林佐渡と佐久間出羽くらいである。

 尾張の豪族の拠点も名前に『城』と付いているがアレらは砦か塀のある屋敷レベルである。

 本来、城とは呼べない代物で城としてカウントしない。

 なので恒興の犬山城主就任は家老レベルの待遇となる。


「これは驚いたね。殿、少し早い気もするけど」


「構わんさ、報酬の先渡しみたいなものだ。それに犬山は最前線、信清の様な裏切りは致命的だ」


「確かに恒興はそんな心配、するだけ無駄ですな」


 佐久間出羽もうんうんと頷いて同意する。

 だが信長もただの褒美として恒興を犬山城主にしたのではない。

 信長が上洛を果たすために必要な要素としての城主任命であった。


「最近考えていた事がある。尾張国を疲弊させないため、オレ自身は極力民兵を使わない様にしてきた。だがこのままじゃ兵が足りん、とても上洛は出来んだろう」


 既に三好家に六角家が敵に回っている現状だ、この内の六角家だけでも兵数2万を動員出来る。

 信長が現在使える兵数は2万弱、全く足りていない。

 だが今回の北伊勢攻略における滝川一益の行動が大いに参考になっていた。


「だが豪族を使うにも信用出来んのが多いし、数が多くて面倒が見切れん。そこで地域毎に担当者を置いて豪族を取り込み部下にする。その地域毎の軍団をオレが用いて軍勢にするんだ。つまりオレと豪族の間にもう1クッションを入れる、『軍団長』を配置するって訳だ」


 軍団長、織田信長の特徴的な軍政の1つである。

 だがこれはそんなに珍しい物ではない。

 武士というのは武家単位で動くため、勢力が大きくなれば自ずと分ける必要がある。

 支配形態を『ほうき型構造』から『ピラミッド型構造』へ変えなくてはならないのだ。

 足利家がその典型で得た領地に分家を置いて統治させて、その地域の豪族達を家臣として取り込ませていた。

 これが大きくなって足利御連枝という大名になっていった訳だ。

 足利家の失敗はこの御連枝をいつまでも家臣扱い出来ると思った事と足利家自体の領地を殆ど残さなかった事にある。

 つまり大きくなりすぎた御連枝を抑えきれなかったのだ。

 なので信長としては自身の勢力は確保しつつ、家臣を軍団長にして扱いきれない豪族を任せていくというスタイルだ。


「だから三左、一益、恒興、お前達にはこの新しい軍政の先駆けになってもらう。三左は東濃、一益は北伊勢、恒興は中濃だ。出来る限り豪族を取り込めよ」


「「「ははっ」」」


(ニャーが犬山城主・・・感無量だニャー。前に犬山城主になったのは『姉川の戦い』の後。この期間の短縮分だけニャーは信長様の役に立ったんだ)


 前の世界でも恒興は犬山城主であったが、それは姉川の戦いの後で10年近く早い城主就任となった。

 恒興は自分の行ってきた事が間違いではなかったと強く確信した。


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 美濃国稲葉山城。

 先程、浅井家から使者が来て同盟受諾の返事がきた。

 浅井家としても南に六角家という大敵がいる以上、美濃まで敵に回したくないのだろう。

 野良田の戦いで六角家に勝利したと言っても、まだ浅井家の勢力は六角家より下なのだ。

 それに浅井長政の目論見は対六角と近江制覇である。

 そのためにもこの同盟は都合が良いだろう、そう龍興は読んでいた。


「同盟成立おめでとうございます、龍興様」


「ああ、隼人。使者としての役目、ご苦労だった」


 使者が帰った後の謁見の間で長井隼人が祝辞を述べ、龍興も隼人を労う。

 現在この謁見の間には彼等二人しかいない。

 今回の同盟交渉で斎藤家側の代表として長井隼人が当たっていた。


「これで西濃の豪族に圧力を掛けれるな」


「しかし浅井家は動けるのでしょうか?」


「南に六角家が居るのに動ける訳がない。それに美濃に雪崩れ込まれても迷惑だ、牽制になればいいんだよ。浅井家との同盟は家中統制に使えるしな」


 龍興の目的は領国の安定が第一だ。

 なので浅井家との同盟は援軍目当てではなく、西美濃への圧力と家中統制のためである。

 つまり斎藤家が美濃を安定させている実績を作る事で、美濃の支配者として諸豪族に認めさせようと言うことである。

 だが西美濃にいる大豪族達はこの程度では認めないので圧力も兼ねているのだ。


「確かに。では残る問題は・・・織田家となりますな」


「ああ、こいつは大問題だ。大した事は出来ないと思っていたら、あっという間に北伊勢を制圧してかなり勢い付いている。あのまま南伊勢に行くと思うか?」


 織田家の動きは龍興にとって脅威になっていた。

 龍興が浅井家との同盟交渉と家中統制に時間を取られている間に、北伊勢を丸ごと占領してしまったのだ。

 しかもただの占領ではない、織田家はこの北伊勢制圧に一兵も損じていないのである。


「織田信長の真の狙いは美濃のはず、何かしら手を打って来るでしょう。特に今、最前線の犬山城に池田恒興が城主として入り戦の準備をしているようです」


 恒興は小牧山での相談が終わると直ぐに犬山での徴兵を始めた。

 この動きは美濃の細作によって即座に伝えられていた。


「あの池田恒興か、調略は出来そうか?」


「まず無理でしょう。アレに声をかけるなら織田家一門に声をかけた方がまだ可能性があると言われるくらいですから」


 既に『池田恒興』の名前は近隣に知られるようになっていた。

 犬山城をほぼ無傷で陥落させる要因を作り出し、今また伊勢全体に対する経済封鎖を主導。

 結果的に北伊勢の豪族は残らず無傷で織田家の傘下に入ったし、南伊勢の北畠家は付け入る隙が全く無かった。

 何しろ北畠家に敵対的な神戸家と関家が勢力を全く減らされず、旗色を織田家に変えてそのまま存在しているからだ。

 更に言えばその背後にバラバラだった北伊勢諸豪族を纏め上げた滝川一益までいる。

 このため北畠家と南伊勢の諸豪族は迂闊に動けず、経済封鎖により真綿で首を締められる生活に突入した。

 この上で織田家の財政面も大幅に増収させた。

 桑名の復興、長安による津島の改造、海の護衛を九鬼家に一本化し料金を一律に、九鬼家に海賊退治をさせる、関所を撤廃し未開だった北伊勢の商業発展を開始等、織田家の収益は倍増しているとも噂されていた。

 この一年でこれだけの成果を挙げた恒興の名前は他国に知られるようになり、犬山城主になったというのは龍興にとっては脅威だった。


「厄介だな。そいつが犬山城主になったという事は、織田信長も本気かも知れん。隼人、念のため兵の準備をしておけ」


「はっ、畏まりました」


「こうなると稲葉家への処置は一旦お預けだな。奴も出撃させねばならんかも知れん」


「ですな。各地の豪族に警戒を強める様に指示を出します」


 池田恒興の成果によって龍興の計画は大きく狂わせられていた。

 だが戦になれば弱兵の尾張が美濃侍に勝つことは出来ないと、龍興は心のどこかで慢心していた。

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