改名と改姓

 浅井長政との会見を終えた恒興は即座に織田信長へ結果報告の早馬を飛ばした。その返事は素早く返って来た。

 恒興は信長からの返書を読み進めるが、特に変わった事は書いてない。返還された人質は丁重に扱え、京極高吉に気を遣え、浅井家に隙きを見せるなと、こんな感じだ。ほぼ恒興の想定通りの回答だったが、その中で一つだけ意外な通達があった。


「ふむぅ、横山城か今浜を藤吉の所領に、か」


 その通達は織田家の軍団長の一人、木下秀吉の領地換えの通達だった。恒興は思案していると加藤政盛が声を掛けてくる。


「信長様からの通達ですか?」


「ああ、今回の戦いで得た領地を信長様に報告したら、どちらかを藤吉の移領とするって通達が来たんだニャー」


 通常、他の武将の移領通達など恒興に来る筈はない。来ても事後報告だ。何故なら領地の配分は完全に信長の領分であり、恒興は意見は出来る程度でしかない。なのに何故、恒興に計らえと通達が来たのか?

 それは恒興が近江国内の何処かの適地にて事業を開始するからだ。これは信長の新たな財源となり、年間5万貫以上は稼ぎ出すと恒興は豪語している。信長はこの邪魔を極力避けている。だから恒興が選んで移領とせよ、という表現になっている。


「木下殿なら今浜城を好みそうですね。琵琶湖の沿岸ですし。家臣も川仕事の者が多いので、山城は嫌なんじゃないですか」


「そうだニャー。横山城じゃなくて今浜にしてもらうか。さて、どう説得するかニャー」


 加藤政盛は木下秀吉の性格を考えて『今浜城』が選ばれると予想した。恒興の前世の記憶からしても、秀吉は『今浜』を選ぶだろうと思える。秀吉は今浜を後に長浜と改名し本拠地としていた。それに秀吉は横山城代でもあったが、本拠地には選ばなかったという事もある。

 加藤政盛は先程から恒興の言動に違和感を覚える。横山城は『城』が付いているのに、今浜城は『城』がわざわざ抜かれているのだ。


「……あのー、何故先程から今浜城だけ『城』を付けないんですか?」


「だって『今浜城』なんて建物は存在しないもん。いや、正確には存在しなくなったかニャー」


「は?」


「本気を出した美濃衆が消滅させたんだニャー。城兵が退却しないんで、追い出す為に火を点けたんだと。そして全焼した、もう焼跡しか残ってないってニャ」


「うわぁ」


 恒興は今浜城ではなく今浜と呼んでいた理由。それは今浜城など既にこの世に存在しないからだ。

 今浜城攻略には稲葉彦を指揮官とした美濃衆+おまけを派遣した。しかし、今浜城も横山城と同じく死兵と化した100人以下の城兵が立て籠もっていた。流石に憐れに思った稲葉彦は降伏を促したが、城兵は矢を射掛けてくるだけだった。

 この返答にムカついた彦は全軍に火矢を撃ち込ませ、油壺を投げまくった。今浜城はそんなに大きな城ではないし、一見すれば木造の砦だ。当たり前の様に今浜城は燃え上がった。

 炎は人の根源的な恐怖である。その恐怖を見て我に返った城兵はもう死兵ではなくなっていた。そして我先にと燃え盛る今浜城から脱出していったという。

 後に残されたのは焼け落ちて炭になった、かつて今浜城と呼ばれた物体。そして全部燃やしてスッキリした稲葉彦だったという。因みに怖いくらいの笑顔で帰って来た。


「築城から始まるから、藤吉も嫌がるかも知れんニャー。ちょっと説得してくるわ」


 恒興も秀吉は今浜を選ぶとは思う。しかし城が消滅しているので難色を示すかも知れない。どう説得しようかなと、恒興は悩む。実のところ、恒興は横山城を欲していた。例の信長の財源作りに使いたかったのである。既に木下秀吉は横山城から合流している。その報告がてら、彼を恒興の本陣に呼び出している。


「藤吉、待たしたニャー」


「お、上野の。報告に来たぞ。ま、知ってるだろうけど横山城は制圧したよ。それで用件は?」


「ご苦労。既に信長様に報告済だけどニャー。用事ってのは、藤吉の所領を移す話があってニャ」


 恒興は本陣で待っていた秀吉に領地換えの話をする。木下秀吉の現在の領地は墨俣である。毎年、水没し領民など川並衆以外は居ないという、あの墨俣である。

 墨俣は領地として機能してないので移す事を信長は考えていた。それで今回、恒興が新しい領地を獲得してきたので移領を命令した訳だ。


「まあ、墨俣は水没するからなあ。で、何処に?」


「今回の戦いで得た横山城か今浜になるニャ。藤吉は横山城を制圧した訳だが……」


「上野様、どうか横山城は止めて下さい。お願いします、マジでマジで」


 横山城と聞いて秀吉は凄まじい速度でスライディング土下座を敢行する。秀吉は横山城を制圧したからこそ、あの城が自分の本拠地になる事を嫌がった。選択肢がもう一つある上に、そちらは琵琶湖沿岸の一等地。川並衆など水に関する事業を手掛けてきた秀吉が山と湖のどちらを選ぶかなど火を見るよりも明らかだった様だ。

 その動きを恒興は素直に評する。


「気持ち悪っ。様とか付けんニャ。そんなに横山城は嫌なのか?」


「だって、横山城はただの山だもん。嫌だ、俺はもっと経済的価値の高い場所がいいんだ。今浜、今浜城でいいだろ、ねえ、お願いしますよ〜」


「そこまで言うのかニャー」


 加藤政盛の予想通り、この男は山を嫌っている。理由は儲からないからだ。特産品次第では評価が変わるが、一般的に山地よりは平地や水辺の方が儲かるのは当たり前である。そして秀吉の家臣は水運に携わっていた者が多い。

 秀吉が素早く大きく稼ぐなら、水辺が最適である。そんな事は秀吉自身が一番よく理解っている。だから横山城は嫌なのだ。


「今浜、今浜で。いや、今浜なんてダサい名前は止めよう。そう、信長様の領地として相応しく『長浜』と改名しようよ!俺が『長浜』を立派な都市に育ててみせるからさ。信長様の一字を頂くに相応しい様に!だからどうか、どうか長浜でお願いしますーっ!!」


「もう長浜になっとるニャー。まあ、そこまで言うならいいよ。『長浜』改名の件はちゃんと信長様に報告しろよ。ま、信長様もそういうの好きだし、悪い気はしないだろうけどさ」


 秀吉は『今浜』という地名を改名して『長浜』にしようと提案する。いや、既に彼の中では長浜になってしまった様だ。

 この長浜の『長』は当然の事ではあるが織田信長から一字を持ってきている。流石に勝手に付けるのは問題なので報告する様に恒興は注意をする。とはいえ、地名に一字を持ってくるというのは信長も悪い気はしないだろう。

 恒興は秀吉のこういう所を感心する。この男はおべっかを使う達人で、人名を地名に付けるとか臆面もなくやる。恒興だと柄じゃないと言って、恥ずかしくて出来ない。


「いよっしゃぁ!琵琶湖沿岸!将来性抜群!こりゃ儲かるぞ~、うひひ」


「ニャーも喜んで貰えて嬉しいニャ。じゃ『長浜城』築城、頑張れよ」


「ありがとう、上野の!……長浜城、築城!?」


 築城と聞いて秀吉は驚愕する。そんな金の掛かる事は御免だという意志がハッキリ分かる表情をしている。まあ、恒興にそんな事は関係ないので無視する。


「あと菅浦水軍という湖賊がそこら辺に居るから、出来れば抱き込んでくれニャー」


「それはやるけど、そうじゃなくて、築城って何?俺は今浜城を使うつもりなんですけど!」


「そんな城はこの世に存在しないニャー」


「え?どゆこと?」


 長浜周辺には菅浦水軍という湖賊がいる。琵琶湖水軍である堅田衆とは敵対関係にあるらしいが、無駄に争いばかりしている訳ではない。狭い琵琶湖の中で武力闘争していたら、あっという間にどちらかが滅亡している筈だ。あくまで仕事上のライバル程度の関係である。一応は浅井家を支持しているそうだ。しかし長浜を縄張りとしている以上は、織田家の意向も考えて貰う必要がある。舟仕事に従事する者の説得は秀吉は上手いと思うので丸投げしておく。

 それより秀吉は築城について質問してくる。どうやら秀吉は今浜城を使う気らしいが、それは無理な相談だ。そう、今浜城は存在しないからだ。


「今浜城は美濃衆が陥落させたんだが、城兵が死兵になってて退却しなかったんだニャ。で、頭にきた美濃衆指揮官の稲葉彦が今浜城に全力で・・・火を点けたんだ。死兵と言えど炎で焼き殺されて無駄死には御免だろうからニャー」


「えーと、死兵が退却せにゃならん程の火を点けた、と?」


「うん、全焼して炭しか残ってねぇってよ。諦めて1から造れニャー」


 今浜城は美濃衆が全力で火を点けた為に全焼して燃えカス以外は残っていない。とりあえず土塁くらいは残っていると思うが、1から造った方が堅固な城になるだろう。

 恒興の前世の記憶でも長浜城は埋立てまで行い、琵琶湖に突き出した半分『水城』であった。物資の搬入水路まで完備した港湾一体型の城だった。だから現在は一部が地震により水没している。埋立て地は地盤が弱いからだ。


「さ、流石にそんな金は……」


「へぇ~、藤吉〜、ニャーを舐めてんのかニャ〜ん。有るよニャ〜、弟の小一郎を使って荒稼ぎした金がよ〜。城くらい建つはずだよニャ〜」


「そ、それは……」


 秀吉は弟の木下小一郎長秀を使い、かなりの荒稼ぎをしている。恒興が調べたところ、最新城郭の城一個ぐらいは楽勝で建てられる程の金額である事が判明した。秀吉が握っている川並衆利権が大きいという事もあるが、それを最大限に活かして成果を出した小一郎の手腕もかなりのものだ。しかも彼は暴利を貪ったのではない。無駄を省いて、全体の利益を上げる事で稼ぎ出したのだ。だから小一郎は誰からも恨まれていない、寧ろ感謝されている方である。

 という訳で、秀吉には貯め込んだ金を織田家の為に使って貰おうという事だ。恒興は追加の注文を付け足す。


「ニャー相手に誤魔化すのは無理だ、諦めろ。あと港湾工事に街道工事もよろしくニャ〜ん」


「ゴフゥ、そんなの金がいくらあっても足りないって」


「いいじゃねぇか。長浜を立派な都市に育てるんだろ。それからガッポリ稼げニャー」


「チクショー!こうなったら長浜を育てて稼いでやるーっ!!」


「その意気だニャ」


 秀吉は血涙を流しそうな勢いで誓う。長浜を大都市に育て上げて稼いでやると。その決意を恒興も応援する。応援するだけだが。


「あ、そうだ!実は前々から考えていたんだけどさ」


「ニャんだよ?」


「改姓しようと思ってるんだ」


「ニャんで?」


 突然、復活した秀吉は話題を改姓に切り換える。いきなり改姓とは何の事だと恒興は訝しむ。武家は余程の事がないと改姓はしない。故郷を追われた長近が金森姓にしたとか、本家と決別した鯰江高次が森姓に変えたとか。こういうところも、秀吉は武家の常識に染まっていないなと思う。


「実は『木下姓』ってさ、おねが継承したんだよ」


「そうだニャ。おね殿の父親である杉原定利が杉原家の婿養子になったから、元の『木下姓』が浮いたんだろ。それをおね殿が嫁ぐ時に継承した。それがどうしたんだ?」


 秀吉は農民の子供であり、姓を持っていない。なので侍として取り立てる時に名字を持ってくる必要があった。本来であれば妻である寧々の養父・浅野長勝の浅野姓だった。だがこれは浅野長勝に断られたため実現しなかった。そこで寧々の実父である杉原定利から代案が出された。杉原定利は杉原家の婿養子であり、元の家名である木下姓の継承者が居なかった。

 農民出身である秀吉に侍としての姓を授ける為に寧々が木下姓を継承したのである。つまり秀吉は木下家の婿養子になったという事だ。

 この話をすると理解るだろうが、木下小一郎は侍ではない事になる。彼が侍になるには武家の嫁が必要になる。だから信長はわざわざ彼に『長』の字を与えたのである。小一郎が侮られ蔑まれない様に。


「うん、最近なんだけどさ、おねの兄である杉原家定が木下姓を名乗って家臣になった訳さ」


「そりゃ家定だって木下家の血筋ニャんだから資格はあるだろニャー。おかしい事じゃねーギャ」


「それはいいんだけどさ。そしたら親戚やら遠縁やらがみんな『木下姓』を名乗り出してさ。俺は訳の分からん親族が増えまくってんのよ」


 話は簡単だ。木下秀吉の出世スピードが尋常ではない為、少しでも木下家と縁の有る者が次々に木下姓を名乗っているという話だ。木下姓を名乗って秀吉に近付きたい、召し抱えられたい、少しでも高い地位が欲しい、という訳だ。

 寧々の兄である杉原家定が木下姓を名乗った事で、杉原家の親戚からも木下姓を名乗る者が増えたらしい。血縁的に杉原定利の子供以外は関係ないのだが。まあ、有名税というヤツだ。


「縁戚で家臣が増えてると。羨ましい話だニャー、おい。お前にあやかってるんだろ。そこら辺のヤツよりは信用出来るからいいんじゃね?」


 恒興には羨ましい話だ。何故かは分からないが、恒興は出世しても親族を名乗る者が現れない。騙ると殺されるとか思われてるのかニャーと少しだけ凹む恒興であった。


「それはいいんだけど、陣中が木下だらけになりそうでさ。木下殿って言われても誰?ってなるから改姓しようと思って、織田家の名臣の家名を一字貰おうと思う訳よ」


「ほう、良い事だニャ」


 ああ、成る程、『羽柴姓』の話だなと、恒興は前世の記憶から感じ取る。だが秀吉は意外な提案をしてくる。


「それで上野の一字を……」


「却下だニャ、バカ野郎」


「えー、ダメなのかー」


 秀吉は事もあろうに池田家の『池』を持っていこうとしている。恒興は即座に拒否する。面倒だから『羽柴』にしておけと思う訳だ。その方が恒興も違和感が無くて良い。

 それに池田家にはもっと深刻な事情がある。


「ニャーじゃなくて、母上が許可を出さニャいわ。お前は母上から睨まれてる自覚を持て。ニャーはいつ何時、母上から藤吉討伐命令が出るか戦々恐々としとるわ。あと女遊びを止めろ。バレてないとか思うニャよ」


 最大の問題は恒興の母親である養徳院桂昌だ。彼女は自分の娘の様に可愛がっている寧々を傷付けた男として木下秀吉を認識している。更に浮気に女遊びにと秀吉は養徳院が嫌う行動しかしていない。

 恒興が池田家の一字を秀吉に渡すなどと言おうものなら、恒興自身がどんな目に合わされるやら。そんな事をする義理も無いので普通に断る。

 あとついでに女遊びを止めろと警告しておく。


「その件につきましては前向きに善処致したく思う所存に御座りそうろう。じゃあ、どうしようかな」


 素晴らしく玉虫色の返答をした秀吉は他の候補を考える。とりあえず恒興は『羽柴姓』にしとけという感じで丹羽長秀と柴田勝家を推す。


「丹羽殿や柴田権六はどうよ?二人共、活躍してるから武名にあやかりたいって言えば喜ぶニャー」


「成る程ね。よし、打診してみよ」


「決まりだニャ。長浜城築城は早くしろよ。浅井長政が約定破棄したら、真っ先に狙われるのは長浜だからニャ」


「お、おおう」


「じゃ、ニャーは人質の受け取りに行ってくるニャー」


 恒興は長浜城築城を急げと忠告する。浅井長政にとって一番邪魔になるのは横山城より長浜城の方だ。横山城からの軍団など姉川で抑えればいいが、水路が使える長浜城はそう簡単にはいかない。つまり浅井長政にとっては長浜城の方が危険なのだ。

 浅井家に関しては少しは猶予は有るが、油断は大敵だ。こう言っておけば秀吉も手を抜かずに城造りに励むと期待する。

 恒興は秀吉に別れを告げると人質を迎えに行く準備に掛かった。


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【あとがき】

 前回の言い訳

 恒興くんと長政さんの話の流れが強引だったとはべくのすけ自身が思っている事ではありますニャー。実のところ、近江辺りの人間関係や状況、結末はだいたい決まっていて、プロットもどきが存在する訳です。その中で浅井長政さんは『敵対』になっております。

 そこで恒興くんと長政さんが理解し合った後で裏切るルートと、最初から敵対のままルートの二つで悩んだ訳です。……いや、悩んでないですニャー。戦って理解り合って仲良くなって苦悩の末に裏切るというのはちょっと冗長に過ぎますし、そこまで長政さんを描いていないのでする必要はないと思う訳です。なら最初から最後まで敵対にしておこうと思うのですニャー。結果有りきで書いた結果ですニャー。

 長政さんには家臣思いで皆から慕われ強く常識人な『敵役』でいてほしい訳です。愚かで聞き分けなく非道な人物だから主人公が殴るのに問題ないという人物にはしたくないのです。

 展開が強引じゃね?と感じるのは、一重にべくのすけの技量不足ですニャー。(笑)

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