京極家の娘

 堀家が所有する本拠地である鎌刃城。ここに姉川会戦が始まる前からある男が滞在している。その者の名前は京極長門守高吉。既に50歳を超えた老人である。


「大殿、報せが来ましたぞ」


 そこに酒とつまみを持って、同じくらいの老人がやってくる。京極高吉の事を『大殿』と呼ぶ男は堀家の家老の樋口直房。彼には5歳の主君である堀秀村が『殿』と呼ぶ存在であり、その上に居る京極高吉は『大殿』になる訳だ。形式上、ただの形式である。


「おお、それで結果は?はよう教えよ、直房」


「何と、池田恒興殿の大勝ですぞ!あのクソ生意気な浅井長政を完膚無きまでに叩きのめしたそうです!」


「おおおぅ、流石は池田上野介殿よ。強いのぅ」


 樋口直房は姉川会戦の結果を報告する。結果は池田恒興の圧勝であると。直房の言葉は多少誇張があるものの、間違ってはいない。


「ワシなど何回戦っても勝てなんだ。挙げ句の果てには、敗戦の責任まで押し付けられる始末。辛い目にしか遭うた事ないわい」


「はあ」(いや、アンタがだいたい総責任者やんけ)


 池田恒興が勝ったという事で、京極高吉は自分の戦歴を振り返る。そして勝手に凹み沈んでいく。彼には勝った記憶が殆ど無いのだ。

 直房はそんな泣き言を言われてもなと呆れた。


「もう戦なんぞしとうない。懲りごりじゃ」


「それで良いのです、大殿。戦なんぞは強い者にやって貰えばいいのですよ。そう、池田殿の様な方に」


 京極高吉が池田恒興と合流せずに鎌刃城に留まった理由。それは戦で酷い目に遭いたくないという想い。『野良田の戦い』において京極高吉は絶対に勝てる筈だった六角軍に居た。結果は知っての通り、浅井長政が大勝した。京極高吉はほぼ何もしてないのだが、敗戦の原因扱いされ、六角家から毛嫌いされる結果となった。一応だが、京極高吉は浅井長政を攻撃する大義名分にはなっていた。もし池田恒興が敗けて、また自分が敗戦の責任を背負わされたら、と思うと行く気になれなかったのだ。

 直房はそれでいいと慰める。戦などは強い者に任せて成果だけを貰えば問題ないと。裏を返すと、戦場の邪魔だから来るな、である。


「それで良いんかのう?」


「いいのです、いいのです。だいたい織田信長様から武働きを求められている訳ではないでしょう」


「確かにな。織田殿は京極家の名声を利用したいのだからな」


 織田信長が京極高吉を保護しているのは、当初は上洛の為であった。しかし上洛が終わっても京極家は変わらず、信長にとって利用価値がある。今の織田家は朝廷や幕府に深く関わる事になった。その為に織田家は家格や名声を上げる必要がある。そこで名家・京極家を従えている事は織田家の名声を高める一助になる訳だ。その代わりとして、京極高吉の願いをある程度は聞かなければならない。


「大殿は幕府より織田様で?」


「当然よ。今の幕府には力が無さ過ぎる。此の世は結局、武力が物を言うのよ!未だにな」


「ま、そうですな」(危ない、アンタが言うなってツッコミそうになったわ)


 京極高吉は幕府に然程には期待していない。結局は武力の殆どを織田信長に頼っている。つまり幕府の行く末は信長の一存で決まる。そんな幕府にしがみ付くのは、溺れた時に藁を掴む様なものだ。それなら織田信長という丸太にしがみ付きたい。

 乞食にまで堕ちた京極高吉は誇りでは腹は膨れない事を嫌というほど思い知ったのだ。この経験があるから、彼は恥や外聞を捨てるなど容易いのである。


「幕府内での立場も確保はするが、ワシは織田殿の側よ。ワシを乞食から救うてくれたのも、立場を回復してくれたのも、池田殿を浅井の小僧に当ててくれたのも、全て織田殿ではないか。更には小法師も取り返そうとしてくれておる」


「そういえば、池田殿は人質返還の交渉に入るとの事。ご嫡子に会える日は直ぐそこで御座いますぞ」


「楽しみだのう」


 こんな話をしている間に恒興は人質を全て受け取り鎌刃城に向かっていた。人質返還の準備が出来たと浅井家側から報せが入ると、恒興は加藤政盛を派遣した。人質の目録を持った政盛は一人一人を確かめ、全員を駕籠かごに乗せた。人質には女子や御婦人も多い為、外から内側が見えない様な高級な駕籠を使用する。女性を衆目に晒さないのは、この時代の常識である。小谷城大手門前で全員を乗せ終わった政盛は恒興が待つ姉川以南へ移動した。

 合流した政盛は京極家の人質を恒興に渡した。その後は朽木家の人質だけを連れて、政盛は朽木家の本拠地である朽木谷城へと向かった。

 恒興は京極高吉の家族を鎌刃城に送り届ける。鎌刃城の大広間では家族の久々の再会が行われた。喜びに溢れる京極高吉は恒興に家族の紹介を行う。


「上野介殿、紹介するぞ。この子がわしの嫡子の小法師だ。抱えておるのが妻の慶だ。ほれ、慶、助けて下さった上野介殿に挨拶を」


「はい。只今ご紹介に与りました、『京極』慶で御座います。この度は大変有難う御座いました」


「……奥方殿は浅井長政殿の姉君でしたよね。姓は『浅井』ニャのでは?」


 戦国時代は夫婦別姓であるので、妻は実家の姓となる。例えば池田恒興の場合は正室が遠藤美代で側室が津田藤となる。女性が家名を出す事は殆どないので、あまり認知はされていない。


「『』慶!!で御座います!あんな人を道具扱いする家の娘ではありません!」


「あ、はい、スミマセンニャー」(怖っ。面倒くさそうな人だニャー)


 浅井長政の姉にして京極高吉の妻である浅井慶。彼女については後の名前の方が有名かも知れない。彼女は後年、キリスト教に帰依し洗礼名を貰い『京極マリア』と名乗る。そこまでして改姓したかったのか、と。

 京極高吉との夫婦仲は円満であり、この後も男の子1人、女の子2人が産まれる予定である。そしてキリスト教に帰依する際も高吉と二人で洗礼を受けたとの事。


「上野介殿には何と礼を申せば良いやら」


「いえいえ、大変良かったですニャー。……で、ニャーの膝の上に座っているこの子はどちら様で?」


 ふと、恒興は話題を変える。何かと言えば、いつの間にか自分の膝の上に陣取る少女の存在だ。ここに居る見知らぬ少女はたぶん京極高吉の関係者なので、彼に聞く事にした。


「お?おお、竜子。そんなところに居ったのか」


「これ、竜子、いけませんよ。池田様に失礼でしょう、こっちにきなさい」


「むー」


 少女は京極竜子。京極高吉の長女で現在3歳である。母親の慶が竜子を抱えて、恒興の上から退かそうとする。しかし3歳の幼女は微動だにしない。


(ニャんでこの子はニャーの袴を掴んで踏ん張っているんですかねー)


「こっちに来なさい、竜子ってば!」


「むー!」


 何と、3歳の幼女は恒興の袴を両手で掴んで堪えていた。母親の慶が引き剥がそうと努力するも頑として動かなかった。何でこの子は堪えているのか?と疑問を持ったものの、恒興は京極夫人を宥める。


「奥方殿、気にしなくて大丈夫ですニャー。そのうちに寝てしまうでしょう」


「すまぬのう、上野介殿。いつもはこんな感じではないんじゃが。話は変わるが、上野介殿は今後の方策は如何かな?」


「今後とはニャんでしょうか?」


 今度と聞かれて恒興は聞き返す。京極高吉の依頼は果たした筈だ。その今後とは何か、恒興には分からなかった。


「聞いておるぞ。近江商人に攻勢を仕掛けておると」


「お聞き及びで御座いましたかニャー。まだまだ始まったばかりですので」


 京極高吉の言う今後は、恒興が開始している近江商人への進捗であった。甲賀攻略後から始まった近江商人への攻勢は近江国の関係者には判ってしまう様だ。愉快そうに話す高吉を見て、恒興はこの人も近江商人が嫌いなのかと感じる。いったい近江商人はどれ程のヘイトを買っているのか、と。


「頼もしい限りじゃのう。ワシもいろいろと煮え湯を飲まされたものよ。しかし近江商人の大店・仰祇屋仁兵衛には気を付けられよ」


「仰祇屋仁兵衛。近江商人の中でも最も強盛な豪商。仰祇屋は近江国最大の油問屋。そして近江国の商人連合の第一人者ですニャ」


 京極高吉の口から一人の豪商の名前が出る。仰祇屋仁兵衛という豪商。もちろん恒興も調べている。近江商人の中でも最頂点といってよい大店。それ故に恒興の一番の標的であり、彼を崩せれば近江商人は統制を失い瓦解すると見られる。それ程の人物だ。


「あれは大名など恐れぬ危険な男。いざとなれば朝倉家も動かすじゃろう」


「ニャる程。敦賀を握る近江商人なら容易いでしょうニャ」


 実際に彼等は敦賀の売上の大部分を作り出している。敦賀からの上納金に依存している朝倉家は近江商人に逆らえない。朝倉家本拠地・一乗谷を『小京都』と呼ばれる程に発展させた資金源が敦賀である。敦賀を支配し巨大な資金源を得たと思っていた朝倉家だったが、その実は敦賀無しには領地を維持出来なくなっていた。その為、次第に近江商人の意向に逆らえなくなる。逆らえば敦賀の売上が停止する。武力に訴えても停止する。一時的な略奪をしたところで朝倉家は維持出来ないのだ。領地の北側に厄介な敵を抱える朝倉家は軍備も怠れない。何をどう足掻いたところで資金が必要な朝倉家は近江商人の前に屈するしかない。

 この事は恒興も知っている。朝倉家とは何れ戦う事になる。信長としても敦賀という貿易港を押さえなければならない。恒興としても敦賀という近江商人の拠点を押さえなければならない。


「それにだ、知っておるかな。あの仰祇屋仁兵衛は比叡山延暦寺とも手を結んでおる」


「ほう」


「正確には延暦寺そのものではなく、内部の悪僧を束ねておる派閥ではあるがな」


 恒興は僅かに眉を顰める。仰祇屋仁兵衛が比叡山延暦寺の悪僧派閥と手を組んでいる。この情報は恒興でもかなり調べて最近に判明した事だった。これは巧妙に隠されており、一見して繋がりは見えなくなっていた。

 恒興は畿内の油が近江商人の油問屋である仰祇屋に集中している事を突き止めた。そして疑念を抱いたのだ。どうやったら、そんな事が出来るのかと。そこに比叡山の悪僧が関与している事を恒興はやっとの思いで調べ上げた。

 この京極高吉はそれを知っていた。いや、調べたのだ。見て理解る様な構造をしていなかった。京極高吉は愚物である、と周りから評価されている。恒興は「この人は本当に愚物なのか?戦争には向いていないだけじゃないのか?」と周りの評価に疑念を抱いた。


「それは面白い情報、有難う御座いますニャー。しかし何故、長門守殿はその様な情報をニャーに下さるので?」


「ワシに出来る事など大した事はない。しかし上野介殿の一助にでもなればと思うたまでよ。此度の礼には足りぬがな」


 京極高吉に他意は無い。ただ彼自身も近江商人が嫌いで、純粋に恒興を応援している様だ。あとは信長の歓心を買いたいのだろう。それは信長にとっても恒興にとっても好都合だ。


「痛み入りますニャー。しかしご心配なく。ニャーも既に『第二の矢』をつがえておりますので、とくと御覧ごろうじ召されませ」


 近江商人の第一人者である仰祇屋仁兵衛と比叡山延暦寺の腐敗の象徴たる悪僧達。この二者を標的にした恒興の『第二の矢』を放つ前提条件は整った。あとは準備を完了させるだけだ。

 この矢で近江商人と比叡山が青ざめる程の大打撃を与える予定だ。もう一者、大打撃を受ける者がいるが、それはまだ秘密としよう。恒興としても軽々しく言える話ではないのだから。


「それは楽しみじゃのう。……お、竜子も寝てしまったようだな」


「幼児には難しい話でしたからニャー」


 恒興の膝の上を占領していた幼女はいつの間にか寝ていた。理解できない難しい話ばかりされたので飽きて寝落ちしていた。


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【あとがき】


 エイプリルフールだから投稿しますニャー。100文字くらいの短編ですニャー(大嘘)

 この辺りから信長さんの財源作りの話になりますニャー。準備だけでも数話ほど掛かります。素早く投稿していきたいですニャー。話の時系列があちこちに飛びますし、ややこしいですから間隔を空けると忘れちゃいますニャー。

 と、思っていたら後ろの話が二つ完成。同時投稿となりますニャー。


 恒「ニャんの話なんだ、これは?」

 べ「京極竜子さん。結構、有名人だと思うよ。彼女は秀吉さんの側室であの淀君と第一側室の座を争ったという。有名な話は北野大茶会で淀君と席順を巡って大喧嘩したらしい」

 恒「それがニャんだ?」

 べ「恒興くんの新しい側室にどうかなと思って」

 恒「今、3歳ニャんですけど!?」

 べ「20年後くらいに!」

 恒「とんでもねー伏線を仕掛けてんじゃねーギャ!!」

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