事業開始

 京の都 織田信長邸(仮)

 池田恒興は京極高吉と会談した後、織田信長に報告する為に京の都に移動した。いよいよ近江国で事業を始めるので、その内情を説明しに来たのだ。

 信長邸(仮)まで来た恒興は直ぐに広間へ通される。しかし肝心の織田信長が現れない。案内の家臣に信長が何処に居るのか尋ねると、中庭で弓矢の稽古をしていると返答された。

 身体を動かしたかったのだろう。信長は上洛して以来、ずっと京の都にいる。身体が鈍るのを嫌う彼らしいと、恒興は大人しく待つ事にした。

 さして間を置かず、ドタドタと廊下を数人が歩く音がして信長が現れる。恒興は座礼で伏せて出迎え、顔を上げる。すると目の前には訳の分からない人物が笑顔で信長の横に座っていた。その人物は豪快に破顔して笑っていた。


「いやはや、流石は信長様!素晴らしい上達ぶりで御座いますなぁ!ワシも教え甲斐があると言うもの!ガッハッハッハ」


「ふふん、それ程でもねーよ」


「どうですかな?このままワシと弓術を極めてみませんかな?」


 その人物とは六角承禎。先日、恒興が捕まえてきた筈の人物だ。息子の六角義治と共に捕らえられた事で、信長の息子である三七はスムーズに六角家の家督を継げる。つまり六角家は織田信長に奪われたのだ。

 にも関わらず、信長の右隣にドカリと座りガハガハ笑っている。しかも話の筋からいくと、この六角承禎が信長に弓の稽古を付けていたらしい。恒興は何の冗談が目の前で繰り広げられているのか理解出来ない。


「あいや、待たれよ。信長様は私と共に鹿島新当流を極めて貰わねば。刀は武士の技であるからな。そうだろう、六角承禎殿?」


「それは聞き捨てならぬな。弓馬の腕こそ武者の本懐。鎌倉の御世からそう決まっておるのだ、北畠具教殿」


 信長の左隣にはあの北畠具教が座っている。まだ居ったんか、いつになったら帰んねん、と恒興は冷たい視線を彼に送る。北畠具教はまったく以て気にしていない。


「まあまあ、二人共。そうしたいのは山々ではあるが、朝廷に幕府にと忙しいからな」


「そうでしたな。全く全く、惜しい事ですな、ガッハッハッハ」


「確かに大事で御座いますからな、アッハッハ」


 信長と一緒に笑い合う二人に、恒興の怒りが臨界点に到達しつつあった。恒興の前世において、この二人は信長とは敵対していた。北畠具教は降ってはいるが、領地から出て来なかった。六角承禎など決して降伏せずにゲリラ活動していたくらいだ。信長と仲良くなどある訳がない。なら何故、この二人は今世では信長と談笑しているのか?

 それは前世を無視して、上洛前に北畠家を降したヤツと六角承禎を捕まえたヤツがいるからだ。……自分だった。と恒興は猛省する。だからと言って、コレは無いだろニャーと恒興は吠える。心の中で。


(ニャんだよ、この嫉妬の楽園ジェラシックパークはーっ!!このエネルギーを使えば、ニャーも嫉妬マスクに変身出来……いかんいかん、順慶語が移った。って言うか、六角承禎!ニャにやっとんじゃ、お前ーっ!家督奪われた恨みは何処行ったニャー!信長様の横で笑ってんじゃねーギャ!そこはニャーの席だーっ!北畠具教、お前もだニャー!実家を放っておいて、何遊んどるんだ!いい加減に帰れニャァァァーっ!!!)


 よく理解らない順慶語(?)を駆使しながら、恒興は心の中で爆発する。特に二人が信長の左右を占領しているのが腹立たしい。そこは本来、自分の席である筈なのにと。


(ニャんだ、これは?剣術の達人に弓術の達人だからか?今度は馬術の達人でも連れて来りゃいいの、ニャーは?馬術の達人大名なら小笠原か?信州高遠城に居るニャー。よーし、信州攻めの準備だニャー)


 恒興の思考はオーバーヒート気味になり、訳の分からない事を考え出す。馬術の達人を連れてくる為に信州攻略を考え始めるなど錯乱中である。


「それで、恒興。報告を聞こうか」


「……えーとですニャー……」


「恒興、いい加減にしろ。具教も承禎もオレの為に働いているんだぞ」


 二人を見ようとせず、暗に席を外すよう要求している恒興に信長は怒り始める。とはいえ、恒興も今回の近江経略最大の方策を解説するのだ。信長以外には聞かれたくない。何処かで情報が漏れたら対策されるかも知れない。

 それを察した北畠具教と六角承禎は信長の方を制止する。


「信長様、お気遣い有り難く。しかし上野介殿の心配も理解ります故」


「我等は退室させて頂きます。だが上野介殿、近江商人を叩くなら協力するぞ」


「……」


 去り際に六角承禎は恒興に協力を申し出る。京極高吉がそうだった様に、彼も近江商人が嫌いな様だ。


「何だ、承禎もアイツラ嫌いなのか?」


「何かと言えば楽市楽市と喧しい連中でしたわい。本当にバカの一つ覚えかと」


「楽市か。六角家の代表的な政策だと聞いていたんだがな」


 楽市は六角家の代表的な政策と見られているが、実際は違う。まず楽市自体は相当古くから行われており、名前として楽市と呼ばれ始めたのが室町後期なだけである。楽市は政策と思われがちだが順番的には『商人が勝手に楽市を開く』→『大名が楽市を追認させられる』という感じであり、政策というには語弊がある。

 何故なら楽市というのは『商人の都合』で行われるもので、『大名の都合』ではないからだ。税収の無い政策をやりたがる大名家はかなり珍しいのだ。その珍しい大名家が織田家というのだが。

 楽市と言えば今川氏真もやっている。富士大宮に楽市を許可しているのだが、実情は富士大宮が武田信玄に寝返らない様に優遇措置を与えたのである。そうしたら駿河国内で楽市を望む者達が急増した。富士大宮だけ楽市なんてズルい、という訳だ。今川氏真は「楽市は富士大宮だけだ、他は認めん!」と雄々しく宣言した。尚、武田信玄の駿河侵攻に際し、かなりの寝返りが発生した模様。


「政策というのは違いますな。アレは近江商人の『盗品市』なのです。盗品を金銭に替える為であり、税金が幾らだのと調べられたくないから干渉するなという話なのです」


「『盗品』だとぉ!?ヤツラは強盗を働いているのか!?」


「そういう訳ではないのですが。『盗品』は買い取っているだけですな。その『盗品』が溜まってくると『楽市』を開いて捌く訳です」


『盗品』と聞いて信長が激昂する。近江商人の楽市というのは『盗品市』の事であり、盗品を探られたくないから干渉出来ない様に楽市にしろ、と言うのである。

 日の本の基本法律たる『御成敗式目』において、盗品には持ち主の請求権が有り時効が無いのである。だからそのまま盗品を販売すると持ち主が買った客 (第三者)から返して貰える事になる。これを防ぐ為に商人は盗品を神仏に捧げて人間の所有権を消し去り、神仏の品物を売り払える売り場を『勝手に』作ったのである。これを『楽市』という。楽市の『楽』は自由を意味する。つまり品物の所有権はフリーという意味である。

 楽市で買った物は神仏からの品物だから前の所有者などいないと言い張れる訳だ。これが政策かどうかは個人の判断に委ねよう。


「で、この『盗品』の出処はと言うと……」


「比叡山の悪僧共でしょうニャー」


「流石だな、上野介殿。よく調べたものだ」


「アンタに褒められても嬉しくないですニャー」


「恒興、お前本当にいい加減にしろよ」


 この楽市の話には神仏の存在が欠かせない。では寺社衆がそんなものを認めるのか?答えは『一緒にやっている』である。例えば比叡山延暦寺の悪僧の稼ぎとして有名な『土倉』という高利貸し業がある。しかし、お金を貸して必ずお金で返ってくるものではない。担保として取り上げた品物や借金のカタに連れてきた人をどうするのか。どうやってお金に替えるのか。僧兵は商売人ではない。なら、換金先は自ずと『楽市』になる訳だ。

 だから恒興は近江商人と比叡山の悪僧が繋がっていると分かっていたのである。大名が取り締まれば近江商人は荷留を行う為に逆らえない。寺社衆は加担している。人身売買を禁止している幕府は取り締まらない。同じく人身売買を禁止している朝廷には何も出来ない。誰がコレを止められるというのか。


「いやいや、信長様。ワシは上野介殿に矢を放った者。今直ぐ仲良くとはいかんでしょう」


「では我等両名は退席致しますので」


 六角承禎は恒興が楽市の実情を知っている様子に満足し、北畠具教と共に退室する。残った信長は恒興を一睨みする。


「恒興」


「信長様、何度も言いますが、アレらは他家の大名です。隙きを見せるのは危険ですニャー」


「だがよ、織田家は既に多数の大名を傘下にしているだろうが。お前の軍団にいる稲葉だって、アレは大名と言っていいだろ。大名と豪族の境目なんて無いんだからな。お前は稲葉彦にも同じ態度なのかよ。他大名だから信用してないってか」


「うぐぅ」


 この指摘には恒興の方が言葉に詰まる。何せ恒興は稲葉彦を部隊指揮官として育成中である。恒興が稲葉彦を信頼して部隊を預ける事と、信長が北畠具教や六角承禎を働かせ信頼するのと何が違うのかと言うのだ。恒興としては危険度が違うと言いたいが、通用しないだろう。武道を通じて理解り合ったと思っている信長には。


「つまりだ。もう織田家は大名家ですら纏め使う規模になったんだ。なら信頼出来るヤツは信頼してやらないとよ。織田家臣だけで全てが治まる訳じゃねぇんだ」


「それはそうですが」


「二人の働きは目に見えている。具教の働きで朝廷との遣り取りがかなり良くなった。承禎の説得で南近江はかなり落ち着いてきた。更には摂津国の大名や豪族も説得している。働きの有る者を評価しないなんて、大名として有り得ないだろうが」


「うぎゅぅ」


 正論過ぎて反論出来ない恒興である。既に織田家は多数の大名や豪族を傘下に収めている。先日にも大和国大名である筒井順慶を犬山に送ったばかりだ。織田家は既に大名でも使役する『大大名』なのである。

 北畠具教の働きは朝廷交渉。既に信長を何人もの高位公卿に紹介し、朝廷内における信長の名声が高まっているとの事。六角承禎は南近江の六角旧臣を説得し、織田家の支配体制に従わせている。また、承禎は現在、摂津国の大名や豪族を説得している。その結果、摂津池田家の当主である池田筑後守勝正が織田家の傘下に収まったらしい。

 これだけの働きを認めないなど有り得ないと信長は力説する。恒興は彼等がこれだけ働いていた事に驚く。


「お前はそういう所を直せ。分かったな」


「はいですニャー」(必ず失脚するネタを掴んでやるニャ)


 だからと言って、認める認めないは別の話だと恒興は思う。何としても信長の隣は返して貰う。恒興の背中からはドス黒いオーラが立ち昇っているのに信長は気付いていなかった。


「では報告させて頂きますニャー」


「おうよ。近江国での事業の話だな。楽市楽座なら、そろそろ始められるぜ」


 恒興から出された条件の一つである『楽市楽座』の準備は進んでいる。まだ宿場の整備などが進んでおらず完成した訳ではないが、一応の形は出来上がった。


「有難う御座いますニャー。早速、使わせて貰います。まずは領地の話ですが、木下秀吉には今浜を移領としました」


「ああ、今浜を長浜に改名したいって、秀吉が願い出て来たな。まったく、しょうがないヤツだ」


 まずは木下秀吉の領地を今浜に移した報告。秀吉は即座に今浜に入って築城に精を出している。その秀吉は早速にも信長に『長浜改名』を打診したらしい。信長はしょうがないヤツだとは言いつつも満更ではない様子。許可を出した様なので、今浜は長浜となる。


「残る横山城は金森長近に任せたいと思います。ですが長近は横山城主ではなく城代としたいのですニャー」


「ん?何故だ?美濃調略と近江調略でかなり活躍してるじゃねぇか。功績は十分だ。それに城主だからって池田軍団から離れる訳じゃねぇし、オレとしても『陪臣ばいしん』でも城主になれる織田家という風評を付けたいんだがな」


 残った横山城を金森長近に任せると恒興は言う。しかし、その身分は『城主』ではなく『城代』だと。『城主』とは城の主である、その城を保有している者だ。しかし『城代』は城主の代わりという意味である。つまり城主である織田信長の代わりであり、城の保有権はあくまで信長にある。城主であれば出世と言えるが、城代は任務であって出世ではない。

 これには信長が訝しむ。長近の功績なら城主でいいだろうと。


「それについてですが、横山で産業を起こし信長様の大きな財源にするからですニャー」


「産業か。何をするんだ?」


 これが恒興が前に言っていた財源の話かと、信長は思う。つまり横山城を基点にする産業だから、長近は城代になるのだと納得する。


「『油』ですニャー。荏胡麻えごまを主に栽培します」


「油か?いや待てよ、恒興。油くらい各地で作られているだろ?それが財源になるのか?」


 恒興が興す産業は『油』である。横山で荏胡麻を栽培し油を作るのである。だが信長は恒興の言葉に拍子抜けする。横山で油を作ったくらいで年間5万貫など不可能だろうと。

 しかし反論する信長に恒興は笑顔で返答していく。


「はい、なりますニャー。信長様は油の流通はどうなっているかご存知で?」


「流石に知らねぇな」


「ニャーも最近まで興味なかったんですが、調べてみると中々に混沌としております。これを織田家で一本化出来れば巨大な財源となりますニャー。最低でも年間5、6万貫にはなるでしょうニャ。上手く出来ればその倍以上も」


 恒興は油そのもので稼ぐのではなく、流通を支配する事で稼ぎ出す事を考えている。現状でも最低、年間5、6万貫の目算。今後、織田家の所領や商業都市が増えれば倍増も有り得ると見ている。

 恒興には犬山を大都市に育て上げた実績がある。夢を語っている訳ではなく、勝算があって話している筈だ。信長はゴクリと喉を鳴らして恒興に尋ねる。


「ま、マジか。……条件は何だ、恒興?オレに何をして欲しいんだ?」


「市場として安土の『楽市楽座』を使う予定ですニャー。あとは油に関して朝廷と交渉する必要がありますニャ」


「う……、それもオレがやるのか?」


 朝廷との交渉と聞いて、信長が尻込みする。やっぱり北畠具教に居て貰った方が良かったのではないかと思う。彼が居れば丸投げ出来たのにと。


「あ、いえ、ニャーが交渉します。ニャーは『上野介』ですから直接出来ます」


「お、そうか!じゃ、任せた。結果が伴う様に動くなら、全裁量権をお前に与える」


 恒興が自分で交渉を行うというので、信長は彼に全裁量権を与える。自分で朝廷交渉しなくていいのでニッコニコである。未だに人見知りは直ってないんだニャーと恒興は思う。


「公家衆説得には幾らか資金を提供する必要が出ますがよろしいのですかニャ?」


「構わねぇよ、その辺も含めてお前に任す。オレの得になる様にしろよ」


「はっ、畏まりましたニャ」


 朝廷との交渉には公家を説得する必要がある。恒興としては山科権大納言言継から交渉し、彼から必要な公家を紹介してもらう予定だ。なので、当たり前の様に金が掛かる。


「あとその話に二条卿を絡めろ」


「二条卿?その方は関白では?流石に伝手が無いと会えないですニャー」


「伝手ならオレがある。この前に知り合う機会があってな。結構、好意的だったから味方にしておきたい」


 信長はこの話に関白である二条晴良を絡める様に命令する。関白は近衛前久では?と思われるかも知れないが、彼はごく最近に追放されている。なので二条晴良が関白に再任したのである。

 現職の関白という事で恒興としては願ってもない人物である。関白ほど高位であれば、その意見は帝まで直ぐに届くからだ。恒興は二条晴良の人となりを調べてから行こうと考える。


「分かりましたニャー。お任せ下さい」


「おう。他にはあるか?」


「そうですニャー。長近は横山城代なので、後に城主としてやりたい訳です。横山城返還後に適当な城を頂けませんか?」


 恒興は金森長近が横山城代を解任された後で、改めて城主にしてほしいと願う。金森長近の功績は既に万石の城主でも問題はない。それ程の大功であると恒興は認めている。それは信長も一緒だ。そして信長はある城を思い出す。


「城か。……ん、丁度いいのがあるな」


「何処ですかニャ?」


「お前の犬山城の隣だ」


「隣……ま、まさか……こ、小牧山城……ですかニャー……」


 犬山城の隣と言われて、恒興は渋い顔をする。犬山城の隣にある信長の城と言えばアレしかない。そう、信長が美濃攻略の為に造り上げた『小牧山城』である。高石垣まで備えた当時の最新城郭。正に難攻不落と呼ぶに相応しい天下一級の『廃墟・・』である。信長が岐阜城に移ったので要らなくなったのだ。


「そうだ。現在の小牧山城がどうなってるか、お前は知ってるか?」


「知ってますニャー、隣ですもん。アレ、浮浪者の根城になってますよ。山賊化する前に強制排除しようかと思ってたところです」


「知ってんならいい。強制排除しとけ」


 管理すら放棄された小牧山城には浮浪者が住み着いて荒廃している。恒興としては浮浪者が山賊化する前に掃除する予定ではある。ただ一応、小牧山城は信長の所有物なので躊躇っていた感じだが、信長的には問題無い様である。

 とりあえず、信長の許可もあるので、犬山に帰ったら掃除しようと思う恒興であった。


「信長様が放置するから」


「仕方ねぇだろ。美濃攻略が終われば用済みだしな。それに……小牧山はよお、なんつーか、水の手が悪いんだよな。おかげで新田開発も上手く行かねーし、寒村しかねーしで」


「たしかに水の手が悪いですニャー。長近も小牧山城主は喜べニャいかも。城が無駄に大きくて維持費が掛かりますし」


 信長が小牧山城を築城した理由は美濃攻略の前線基地にするだけではない。織田信長が小牧山に移る事で発展する事も期待されていた。

 しかし小牧山という地域は慢性的に水が不足していて、新田開発がまったく進まなかった。いや、水田を造っても維持出来ないのだ。結局、畑が少し増えた程度で人は増えなかった。開拓村も出来ないし、移住者も来ない。そして織田信長本人は美濃国を攻略すると、さっさと岐阜城に移ってしまった。後に残されたのは維持費を掛けるのが嫌で放置された小牧山城と井戸水で生活する寒村だけだった。


「うるせぇ、そこを何とかしろよ。横山みたいに産業起こすとか」


「……いえ、新田開発で行きましょう。小牧山は水の手が悪くて1万石あるかないかくらいですが、あの広さなら5万石以上あるはずですニャー。尾張の食料生産量も上げねば」


「出来るのか?」


「実は大谷休伯から木曽川の水量を減らす計画を提案されてるんですニャー。それに小牧山を絡ませます。つまり水路を造って、幾らか水を分流する訳ですニャ。上手く行けば墨俣の洪水が治まるかもです」


「マジか。そんな事を考えてたのか、休伯のヤツは凄えな。よし、その方針で行け」


「はっ。では、長近にもその様に伝えますニャー」


 去年、大谷休伯の渾身の治水工事も虚しく墨俣は水没した。休伯はその失敗を研究し、原因を木曽川の『水量』であると見極めた。その『水量』を減らす為に考え出したのが、木曽川上流に『取水口』を作る事だった。そして取水口から取った水を小牧山に流して水田開発を加速させる。こういう計画である。

 恒興は犬山に帰っても忙しくなるニャーと自嘲気味に笑う。

 恒興は最後の話に入る。これは説明ではない。ただ信長の覚悟を問うものである。


「では、最後に。信長様、今回の事業は近江商人や悪僧にこの上ない打撃を与えますニャー。そもそも彼等の不正を正した上で、信長様の財源に振り替える訳です」


「応よ、思い切りやれ」


 この事業は信長の財源を作る為だけに行われるのではない。近江商人と比叡山の悪僧に向けて放たれる恒興の『第二の矢』である。油の流通とは不正しかない混沌の中にある。だから、それを奪い、正し、正常化し、その上で信長が仕切る。そういう計画だ。だが、被害を被るのは彼等だけではない。その覚悟を恒興は信長に問う。


「しかし打撃を与えるのは、それだけに留まりません。『幕府』にも打撃を与えますニャ」


「幕府に?どういう事だ?」


「幕臣の中に彼等と結んで不正な賄賂を受け取っている輩が居るんですニャー。だから悪僧共が殆ど取り締まれないのです。その不正幕臣は信長様に牙を剥いてくる事が予想されます」


 恒興の計画は幕府にまで被害を与える。いや、一部の不正な賄賂を受け取っている『幕臣』だ。

 何故、幕府は近江商人の楽市も暴虐を働く僧兵も、そして人身売買ですら取り締まらないのか。答えは簡単だ、賄賂を受け取っているからだ。その証左となるのが『油の流通』なのだ。だから信長が『油の流通』を仕切れば賄賂が無くなり、不正幕臣にこの上ない大打撃を自動的に与えるのである。となれば、不正幕臣は全力で信長の排除に動くだろう。よくも自分達の稼ぎを奪ったな、と。恒興は信長に不正幕臣と戦う覚悟を問うているのである。


「幕府は不正の温床になっているのか?」


「長い年月の間に腐敗が進んだ、という事かと。不正幕臣は信長様を必ず攻撃してきますので、お覚悟を決めて欲しいのですニャー」


「……分かったぜ、恒興。不正は正されなきゃならねぇ。それに、これは幕府の『膿』を洗い出す好機でもある。存分にやれ、手加減するな!」


「ははっ、お任せ下さいニャー!」


 信長は覚悟を決める。寧ろ、幕府を腐らす『膿』を出す好機であると考える。そして恒興に容赦無く行えと命令する。

 恒興はこれで決まったなと思う。何故なら恒興の言う不正幕臣とは木っ端ではない。確実に足利義昭の傍に居る高位の幕臣だ。不正幕臣は騒ぎ立てるだろう、信長は非道な男だと、適当な理由で大袈裟に。彼等が信長の排斥を訴えて、足利義昭は誰の味方をするのか、という話だ。

 恒興は幕府の動向も探っておこうと考えた。


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【あとがき】


 小笠原さん「え?織田家の池田恒興が私を狙ってる?何で?」

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