安濃津城の落日

 恒興が安濃津城を包囲して4日目、分部光嘉は長野軍5千を率いて来援した。

 既に援軍には意味はないが、織田信包を連れて帰る護衛軍としての役割はある。

 だが肝心の信包が安濃津に到着しておらず、予定は3日後であった。

 これは恒興が安濃津城を落とし、安全になってからの予定なのでおかしくはないのだ。

 なので光嘉は兄・細野藤敦を説得すべく安濃津城に向かった。


「これはひどい」


 光嘉からはそんな感想しか出てこなかった。

 何しろ城門は何処も開けっ放しで誰もいないのだ。

 そう、誰もいない、門を閉める人間すらいないのだ。

 もう兵士は全て家族と合流し恒興から報酬を貰って帰ったし、領地が安堵されると知った家臣や与力豪族は全て恒興に頭を下げた。

 つまりこの安濃津城に残っているのは兄・細野藤敦とその家族くらいなのだ。

 こうなると急がねばならない、追い詰められた兄が妻子を殺す可能性が出る。

 そのまま自害して果てるというのもあるが、逃亡するのに女子供が邪魔だということもある。

 光嘉は安濃津城の中央にある城主館に急いだ。


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 光嘉の考えは当たっていた。

 藤敦は泣きじゃくる二人の子供を庇う様に抱きかかえる妻を部屋に追い詰めていた。


「殿、今からでも降伏しましょう。もう勝負はついたではありませんか」


「黙れっ!!女ごときが武門の意地に口を出すなっ!!」


 藤敦は激昂した。

 武家の命運を決めるのは当主である自分なのだ。

 それを女子供に指図される謂れはないのだと。

 そして藤敦は静かに刀を抜き、妻と子供達に切先を向ける。


「ひっ!?と、殿、何をなさるおつもりですか!?」


「・・・子供達と先に逝くがよい」


 藤敦は覚悟を決めて刀を握る手に力を入れる。

 そこには愛憎も何もない能面の様な表情の顔があるのみだ。

 彼はただやるべき事をやるだけ、捕まって責め苦や恥辱を受けるよりマシだと考えているのだ


「はあぁぁぁっ!」


 だが刀を振り上げようとした瞬間に気合の言葉と共に飛び込んできた者がいる。


「何ぃ!?ガッ!?」


 藤敦が妻に向けていた刀は突然乱入した何者かにより弾き飛ばされた。

 その衝撃で手首を痛めた藤敦は、手を押さえながら蹲る。

 藤敦は痛みを堪えながら、その何者かを見極める。

 その何者かは藤敦のよく知る者、弟の分部光嘉であった。


「み、光嘉!キサマッ!」


「義姉上、子供達を連れて城門へ。分部家であなた達を保護します。私はこの愚か者と話がありますので」


「は、はい!」


 分部家で匿ってくれると聞いた藤敦の妻は子供達を連れて城門へ向かった。

 一方蹲っていた藤敦は光嘉を見上げて睨みつける。


「光嘉!よくも俺の前にのこのこと」


「本当に愚かですね、兄上。この期に及んでもまだ分からないんですか」


「何がだ!」


「貴方は織田軍に相手にすらされていませんよ。城門が開けっ放しで一晩放置されたのですからわかっているものと思いましたが」


「ぐ・・・」


 恒興は最初から安濃津城を攻撃する気が無かった。

 こうなる事は計画段階で解っていたのだから。

 そしてこの状態の安濃津城を攻撃しようという部隊長もいなかった。

 こんな憐れな状態の城に一番乗りを果たしても虚しいだけだからだ。

 つまり細野藤敦はもう織田軍の誰からも相手にされていないのだ。


「それで武門の意地とは笑わせてくれますね」


 光嘉は心底冷たく言い放つ。

 彼自身、兄の藤敦に対して怒っている事が一つあるのだ。

 それこそが細野家に止めを刺したと言ってもいい。

 それは彼等が今いる『安濃津城』の事だ。


「大体、商人から余計に関銭を徴収し農村に多大な賦役を課して行った事がこの『安濃津城』築城ですか。具藤が養子に来てから造っても遅いでしょうが」


 この安濃津城は細野藤敦が1558年に築城を開始した、場所は岩田川北岸で北畠家との境界線だ。

 何処からどう見てもこの安濃津城は北畠対策の城なのである。

 その頃には既に長野具藤が養子に来ていて北畠家からの侵攻などある訳がないのだが。

 つまりこの築城は北畠家に対する挑発行為になっていて、具藤との仲が更に悪くなっただけである。

 そして築城の費用と労力を確保するために、商人から多額の資金を巻き上げ農民には城造りの賦役を課した。

 藤敦が蛇蝎の如く嫌われる主原因がここにある。


「その事が原因となって商人にも農民にも見捨てられた。そして今、家臣や豪族にも見限られた。兄上、もう細野家は滅亡したのですよ」


「ふざけるな!俺はまだ・・・」


「細野家臣も与力豪族も残らず池田恒興殿に頭を下げました。家臣の一人もいない細野家がどうやって領地を治められるのですか。方法があるなら教えていただきたい」


「・・・・・・」


 既に昨日のうちに全ての細野家臣と与力豪族は恒興に頭を下げた。

 その彼等もキッチリ認識している、自分達は細野家を裏切ったのだと。

 それ故、彼等が細野家に戻ることはないだろう。

 家臣の一人もいなくなった藤敦に何とか出来る訳がない、本人がどれだけ優秀であったとしてもだ。


「兄上、貴方は長野家の家老として長野家のために一体何をしてきたと言うのですか。長野家の存続を考えず織田や北畠を敵視したり、商人や農民の恨みを買ってまで安濃津城を造ったり。結局全て己に返ってきて、今そうして一人蹲る破目になっているだけではないですか」


「ならばどうしろと言うんだ!お前は!」


 分部光嘉は最初から『長野家』の存続だけを考えて行動してきた。

 彼自身は『長野家』さえ存続出来るなら織田家でも北畠家でも良いのだ。

 そのために邪魔であるなら実の兄さえ踏み台にするくらいにはドライな性格をしている。

 目的のために手段を選ばないところは『謀略家』としての資質があると言える。

 だからといって実家を潰したいと願っている訳ではない。

 そのための密約も存在しているのだから。


「・・・甥が元服したら、兄上には隠居して貰います。そして新当主の元、細野家を再興させます」


「再興だと?どうやってだ?」


「そういう話が既に池田殿とついているんですよ。だから貴方はウチで預かります、細野家の将来を考えるなら大人しくしてください」


「うう・・・」


 藤敦の意地は砕けた。

 どんな武家もお家安泰は最重要課題なのである。

 藤敦はそれが最早叶わないから、妻子を殺し自害して果てるつもりであった。

 その武家の最重要課題についても光嘉は既に話をつけてきたという。

 それ以降、藤敦は何も喋る事はなく城を出て行った。


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 光嘉の説得により安濃津城から藤敦が出てきたその頃、恒興はある問題で頭を悩ませていた。

 藤敦と1mmも関係ない問題で。


「ちょーっと派手にバラ撒き過ぎたかニャー」


 その問題とは兵糧の事である。

 端的に言うと民衆に配り過ぎて、これからの分に不足が出るかも知れなかったのだ。


「心配いらねっスよ。既に注文しといたんで3日後には船便で追加がくるっス」


「そうか、じゃあ長安に任すニャー」


 荷駄大将を務める土屋長安は兵糧の大量消費を見越していた様で、昨日のうちに桑名に早馬を出した。

 桑名は今回の作戦における物資集積拠点になっているので、今頃は船に荷物を積んでいるだろう。

 万が一足りなければ天王寺屋で都合してもらえる事になっている。

 もちろん有料だが。

 とりあえず物資の方は長安に任せて大丈夫そうなので、恒興は本陣へと戻る。

 恒興は立ち止まり、ふと周りを見渡してみる。

 そこかしこでゆったりとしている兵士達、報酬の受け渡しが遅れて今から帰る農民達、その表情には暗いものは無い。

 ここは本当に戦場かと恒興に疑わせるほどだ。

 既に勝敗は決まったとは言え、これが戦場の風景なのかと。

 前世における恒興の戦は常に泥塗れで悲惨なものが多かった。

 信長を逃がすために本願寺勢の前に楯として立ち塞がり、自ら太刀を振るって応戦したこともある。

 姉川で浅井勢を止めようとして吹っ飛ばされた事もある。

 長島を誰一人逃がさず許さず、火の海に沈めた事もある。

 恒興が見てきた戦場の情景は何時だって地獄そのものだ。

 だからこそ少し高揚して、少し恐怖した。

 戦場にこんな情景を実現させた『謀略』という力に。


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 本陣へ戻る途中で恒興は成政と利家に出会う。

 二人共恒興を探していた様で、恒興を見付けると駆け寄ってきた。


「勝三、細野藤敦が城から出てきたんだけど」


「ん?誰だっけニャ?」


「忘れてやるなよ、可哀想だろが。そのまま分部殿が連れて行く様なんだがいいんだよな」


「構わないニャ、て言うかニャーは藤敦に用事なんぞニャいし。会っても向こうは屈辱以外は感じないだろ。」


 既に安濃津城から城主・細野藤敦が弟の分部光嘉の説得で退去した。

 恒興は今更藤敦に用事など無いので、そのまま会わない事にした。

 この安濃津城の戦いは勝った敗けたではなく、細野家の安濃津退去をもって終了なだけである。

 なので建前上は敵対による懲罰的退去であって、敗北という意味ではない。

 順序が逆ではあるが長野家の家督を織田家で確保したから懲罰出来る訳である。

 そのため藤敦は罪人の様に引き立てられて恒興の前に来る必要はない。

 そして恒興も面倒なので会いたくない。


「ま、細野家は次代当主に期待かニャー」


「次代?」


「うん、細野家は再興させるからニャ」


「これまた奇特な話だね。何でまたそんな事を」


 光嘉はキッチリ恒興の要求に応えたので、細野家の再興は叶えてやらないといけない。

 流石に分部光嘉との約束を反故にするのは気が引けるし、長野家を継ぐ織田信包の家老になるので不興を買う行為は避けるべきだからだ。

 そして細野家の再興を叶えてやれば光嘉は恩に思うし、長野家における信包の地位も安定する。


「分部との約束でもあるし、家臣も付いてるから信長様の役には立つはずだニャー」


「家臣が付いてるって、あの降伏した奴らが戻るのか?有り得んだろ」


 利家も成政も不思議に思う。

 細野家の元家臣達はこのまま安濃津に赴任してくる織田家の将に仕える事になる。

 安濃津を織田家の湊として統治するためだ。

 つまり元家臣の彼等は安濃津から離れないのだ。

 そしてどんな理由があったとしても、寝返りは寝返りだ。

 今更どのツラ下げて戻るというのか。


「アイツらじゃねーギャ。居るだろが、何処の家でも次男以下の部屋住み共が。なあ、前田家の四男坊に佐々家の三男坊」


「う、嫌な事思い出さすんじゃねえよ」


「成る程、そういうことか」


 一般的な武家というものは後継の事を特に重視する。

 なので嫡男はかなり大事にされる傾向にあるのだが、他の庶兄や弟はかなりお座なりである。

 長兄が嫡男であるなら次男は万が一のスペアとして扱われる。

 大体嫡男が結婚するまで部屋住を余儀なくされる場合もある。

 三男以下の男子など利家や成政の様に頑張って取り立てて貰わねばならない。

 庶兄であると嫡男(弟)の部下の様に扱われる事が多い。

 これで武家自体が大身であるなら、他家の養子や家臣の家の養子に出したり出来る。

 恒興も前世では次男の照政(後に輝政と改名)を家臣の荒尾家の養子に入れた事がある。

 嫡男の之助が結婚したため部屋住する必要がなくなったからだ。

 何故こういう事をするかといえば、相続問題を起こさせないためである。


「安濃津の土地には限りがあるし、そちらは元細野家臣の当主と嫡男が継いでいけばいいニャ。だが継がして貰えない次男以下は?子供のいない他家の養子になれればまだマシ、最悪捨扶持で飼い殺しか寺に放り込まれる」


 小身の武家だとそもそも養子の口は無い。

 どんな武家でも養子が必要なら格上から貰うものだ。

 その方が家のためになる。

 特別な縁でもあるのなら別ではあるが。

 なので小身の武家の子供は他の武家の下っ端の小者として働いたり、傭兵(陣借者)になったりと苦労する事が多い。

 あとは寺に入れられるケースがかなり多い。

 余談だが上杉景虎は幼少の頃、林泉寺に入れられた。

 時期的に兄の長尾晴景が家督を継いだ時なので、後継者争いをさせないためであろう。

 だがその寺の住職の天室光育は景虎の才能を見抜き、軍事関連の教育だけ行って送り返してきたという。

 父親の長尾為景からすれば『余計な事するな』と言いたいだろう。

 そして案の定、後継者争いが起こってしまうのである。


「お前らみたいに実力があれば道も開けるけど、大体のヤツは無理だニャー。寝返った本人は自責の念から戻らんだろうが、子供は関係ないだろ。大体細野家の次代当主も家臣無しじゃ何も出来んニャ」


 利家や成政は己の実力一つで取り立てられた努力者であるし、その点で言えば柴田勝家も同じである。

 だがそんな努力を実らせる事が出来るのはほんの一部だろう。

 侍の就職事情もかなり厳しいものがあるのだ、席数には限りがあるのだから。

 それを細野家臣限定で増やしてやろうと恒興は言っているのである。


「救済措置か。俺達にとっての母衣衆や馬廻り衆みたいなもんか」


「なんだ、勝三も意外と優しいところがあるじゃないか」


「ニャーは安濃津で反乱なんか御免でニャ、今のうちに気付かれない人質握っとこうと思っただけだ」


「・・・えげつなさはブレてないね」


 細野家を再興させるという建前を使っている以上、気付かれる事は少ないと思うが一応人質としても扱える。

 彼等が織田家に対して反抗しない限りは、息子達の新しい就職先という美味しい話で終わるのだが。


「それはいいとして、これからどうするんだ?」


「まずは安濃津城に軍団を入れるニャー。あとは合図が来るはずだからそれまでは待機だ」


「合図?」


「うん、『木造城』からの合図だニャー」


 木造城は安濃津城の南に位置する城で、現在の城主は北畠具教の弟・木造具政である。

 そして木造家は家臣の滝川一盛の実家であり、北畠家調略の最初の一人でもある。


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 伊勢国霧山館。

 北畠家の本拠城と言える『霧山城』は山の山頂にあり大変不便なので、普段は麓にある霧山館で政治を執り行う。

 この館は『屋形』とも呼ばれる、つまり北畠家は『屋形号』を免許された大名なのである。

 この屋形号を持つ大名の当主は『御屋形様おやかたさま』と呼ばれるのが一般的である。

 因みに屋形号を免許されている大名は『室町二十一屋形』『関東八屋形』の他にも多数居るため、正確な数はよく分からない。

 安濃津城が落城した頃、主な北畠家臣はこの霧山館に集められ対策を練っていた。


「安濃津城は池田恒興を総大将とする織田軍約2万に包囲されているとの事。また長野家の分部光嘉も軍勢を率いて安濃津城に向かっている、織田家への援軍としてだ。これがウチで調べた最新の情報だ、安濃津城は早晩落城するだろう」


 安濃津城に一番近い木造城の城主・木造具政が現状を説明する。

 彼は北畠家当主・北畠具教の弟であり、一門衆筆頭格でもある。


「やはり織田信長の仕業か!よくも我が息子に恥をかかせおって」


「御屋形様、ここは直ぐ様出陣し織田を打ち払うべきです」


 具教の側近と言える鳥屋尾とやお石見守満栄みつひでが発言する。

 鳥屋尾氏は石見国鳥屋尾とやごう山城の豪族で南北朝時代に南朝方であった。

 その後、北朝方の幕府軍に敗れ同じ南朝方の盟主的存在・北畠氏に仕える事になった。

 以降鳥屋尾氏は北畠家で家老を務め、鳥屋尾満栄は北畠家先代当主・晴具の頃から家老を務めている。

 具教にとっては側近中の側近である。


「うむ、満栄の言や良し!してどの様に戦うのが良いか。2万は流石に大軍だ」


 具教は満栄の言を是とする。

 自分の息子が当主だった長野家の家督を、横から織田家にかっ攫われたのだから戦う事自体は最初から決定事項だ。

 問題は兵力数と言えるだろう、北畠家は全軍を集めても1万強といったところだ。


「ならば軍を分け長野城と安濃津城、両方に圧力を掛け誘い出すのです。あとは山に引き込んで出血を強いるのが上策かと」


「馬鹿を言うな、満栄!その作戦で真っ先に狙われるのは俺の『木造城』じゃないか!ここは一撃で追い払うために兵力は集中すべきだ!」


「しかし具政様、こちらは集めても1万程、対して織田軍は2万です。まともにぶつからず、まずは遊撃隊による撹乱と地の利を活かした出血戦術を取るべきです。『楠流兵法』にも大敵に当たらずは基本なのです。また時間を掛ける事で敵軍の兵糧に負担も掛けられましょう」


 出血戦術とは体を傷つけて出血を促すと見立てる戦術で、まともに戦わず相手の小部隊を有利な地形に誘い込んで始末する事を指す。

 所謂『ゲリラ戦術』である。

 この戦術を採られると如何に大軍であっても進軍が難しくなる。

 放置すれば後方を撹乱するし、討ち取ろうにもすぐ逃げてしまう。

 山には大軍が入る事は出来ず、小部隊を出せば餌食になる。

 これを長期間繰り返せば相手の兵糧切れや厭戦機運を起こす事が出来ると満栄は主張する。


「『楠流兵法』、大いに結構。だが貴殿は我々の困窮具合を知って言ってるのか。先に兵糧切れを起こすのはこちらだ。あの経済封鎖以降、我らがどれだけ苦心していると思っている」


「それは、しかし・・・」


 横から北畠重臣・田丸城主の田丸直昌が発言する。

 彼等の言う通り、満栄の作戦には無理がある。

 まず安濃津城が木造城に近すぎる事、あの辺りは全て平野部なので遊撃自体難しい。

 故に出血戦術を採るなら木造城は真っ先に見捨てられる。

 そして一番の問題は兵糧である。

 恒興の経済封鎖以降、資金調達に苦しみ、そして軍備のための兵糧も売ってもらえない状況にある。

 この状況下での長期戦は自殺行為だと直昌は警告する。


「ならば具政はどういう戦略を主張するのだ?」


「簡単さ、兄貴。全軍で安濃津城を落とせばいい。落城したての城に大した防御力など無いだろ」


「は、反対です。それでは織田軍と正面から戦う事になります」


「弱卒の尾張者がそんなに怖いのか、満栄」


「奴等の殆どは美濃者と伊勢者です。侮れません」


 現在の織田軍で尾張者と呼べるのは池田衆と前田衆と佐々衆、そして柴田衆の合わせて6千程。

 残りの1万5千くらいは美濃者と伊勢者で構成されている。


「だが木造殿の意見には十分な利がある。安濃津城さえ落としてしまえば長野家の連中は大半が孤立する。そもそも長野家の領地の北側は高い山々で塞がれている。安濃津さえ落とせば長野家の家督奪回も叶うというものだ」


 長野家の領地は伊勢国の東西に細長く、海側である安濃津から伊賀国辺りまで領地が伸びている。

 そして北に神戸家と関家、南に北畠家があるのだが、その境界線は大体険しい山々である。

 そのため安濃津は長野家にとって平地への出口に相当するので、安濃津を攻略すれば長野家が孤立するという見方は正しい。

 援軍を出そうにも安濃津を通らなければ山が邪魔になるからだ。

 この具政と直昌の意見に家臣の大半が同意する。

 それを見た具教はこれ以上の議論は無用と判断した。


「もう良い、満栄。大体の者達が具政の案に賛成の様だ」


「御屋形様、しかし・・・分かりました」


「うむ、では兵を集めて安濃津城へ進軍する。各々、慣例通り大河内城に参集せよ!」


「「「ははっ!」」」


 北畠家では本拠である霧山城に兵は集めない。

 霧山城周辺は山々に囲まれた盆地地形『多気盆地』で、ここに兵を集めても行軍で難渋するのが目に見えているからだ。

 故にこの多気盆地の東の出口にある大河内城に兵を集めるのが慣例となっている。

 そして兵の参集場所が決まったので家臣も豪族も兵の準備のため霧山館を離れていく。

 馬で帰ろうとしていた木造具政に田丸直昌が近付き話しかける。


「危ういところでしたな、木造殿」


「ああ、鳥屋尾は弁が立つからな。直昌の援護、感謝してるよ。これで何とか予定通りだな」


 具政の言う予定、それは恒興からの指示である。

 あとは予定通り、大河内城に兵が集まる事を報せるだけだ。


「・・・池田殿は約束を守ってくれるのでしょうな」


「そう信じたいがな。俺達には選択肢が無いんだ。しょうがなかったとは言え、横流し品を受け取ったその時から」


「でしたな。横流し品を止められても地獄、これを主家に気付かれても地獄」


「「はあぁぁぁ」」


 お互いの口からは大きな溜め息が漏れる。

 二人の願いは一刻も早くこの戦が決着する事だけであった。


 家臣も豪族もいなくなった霧山館の広間に具教と満栄だけが残っていた。

 満栄はここに残ることで無言の抗議をしている様に見える。

 それを見越した様に具教が満栄に問いかける。


「どうしても納得出来ないか、満栄」


「はっ、せめて長野城への陽動は仕掛けたく思います」


 満栄は長年北畠家を支えてくれた忠臣で、軍事や外交に大きく貢献してきた。

 具教も彼の事は信頼しているが、家臣の大半が具政の案を是としているのだから仕方ない。

 だが戦上手で知られる満栄が言うのだから必要なのだろうと具教は考えた。


「分かった。では1千だ、これ以上は割けんぞ」


「ははっ!この鳥屋尾満栄、必ずや織田に一泡吹かして見せます!」


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 霧山館での軍議が終わった後、具政は即座に安濃津城に使者を出した。

 使者といっても密使だ、北畠具教に気付かれるとマズイので。


「殿、木造城からの使者は何と?」


「準備は整ったそうだニャ。北畠具教は予定通り大河内城に兵を集めるそうだ」


「いよいよですな」


「うん、まずニャーは滝川軍と木造城に入る。池田軍は兵糧の到着を待って田丸城に進軍、指揮権は宗珊に委ねるニャー」


 進軍計画はまず木造城に滝川軍を布陣させ、敵の目を釘付けにする。

 次に池田軍を海路から南下させ大湊に上陸、田丸城に入らせる。

 この時点で大河内城は北と東の2方面から挟まれる事になり、大河内城での篭城を余儀なくさせる。

 正攻法の陣取り合戦という訳だ。


「はっ、お任せあれ。しかし安濃津城に分部殿が残られると長野城が手薄になりますな」


「心配要らねーギャ。ニャーも警戒はしておく」


「お気を付けてくだされ」


「ああ、田丸城で会おうニャ」


 そう言って恒興は滝川軍と共に木造城へ向かう。

 この時滝川軍以外の戦力は渡辺教忠の犬山親衛隊5百、加藤教明の犬山三河衆2百、柴田勝家の柴田衆7百、計1千4百であった。


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【あとがき】

今更だけど池田家の通字どうなってんのニャー?

祖父 政秀

父  恒利

本人 恒興

子供 之助(元助とも)

   照政(荒尾家養子・輝政)

   長吉(羽柴秀吉の猶子)

   長政(片桐家養子)

子供が一切『恒』の文字を持ってないのですが。

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