功績稼ぎ

 伊勢国木造城。

 城主・木造具政に迎えられた恒興達は即座に入城、滝川軍を布陣させる。

 おそらく北畠具教がこの動きに気付くには4、5日掛かると予測される。

 彼はまだ大河内城には来ていないからだ。

 なので恒興は予定通りの行動を開始する。

 恒興のもう一つの目的、即ち勝家の功績を稼ぐ事だ。


「待たせたニャー、柴田殿」


「池田殿、君には世話になっているし他人行儀はやめて欲しい。ワシの事は『権六』と呼んでくれ」


「そう?じゃあニャーも『勝三』でいいニャー。そいじゃコレな」


「ん?紙か。どれどれ・・・」


 恒興と勝家はお互いを通称で呼び合う事にする。

 10歳くらい勝家の方が年上なのだが構わない様だ。

 勝家の方が世話になっているという事もあるし、彼が気さくな性格をしているという事もある。

 恒興としては勝家への隔意は義兄・信長によるものなので、それが解けた今は隔意など抱いていない。

 それにこれから一緒に行動するのだから池田殿、柴田殿と呼び合うのも面倒だろう。

 そして恒興はこれからの行動計画を勝家に渡す。

 勝家が受け取った紙には伊勢南部の大体の地図が描かれており、その地図には赤い紅で線で引かれている。

 安濃津城から伸びたラインを追っていくと最初に木造城、久井城、家所城、榊原城、川方城、曽原城、阿坂城、岩内城、神山城、田丸城、多気城、山田城、長谷城ときて、最後に大河内城となっている。


「あのー、勝三、これは何だ?」


「何って今から柴田衆が落とす城の地図だニャー」


 そう、これは今から恒興と勝家が回る城の順路である。

 大体伊勢国の山奥に行ってから大湊まで横断する計画となっている。

 北畠領の『多気盆地』を除いた全てを占領しようというのだ。


「え?今から城をこれだけ落とすのか?て言うか10個以上あるんだが?」


「実際には城と城の間にある小さい城も落とすから総数は68ヶ所になるニャー」


「いやいやいや!無理だろう、それは!」


 計画書に書かれた城の名前は比較的大きな城のみで、小さな砦も合わせれば68ヶ所になると恒興は言う。

 それをここに居る1千4百で全て落とすなど到底無理である。

 滝川軍は大河内城の目を釘付けにするために、今は木造城から動かない事は知っているからだ。


「・・・無理も何もその辺の城は全て調略済だニャー。ソイツらは全て木造具政や田丸直昌を介して『横流し品』を受け取った連中だからな」


 焦る勝家に恒興は言い放つ、『調略済』だと。

 そもそも北畠家の本拠地以外で大きな武家は木造家と田丸家であり、周辺の豪族達の面倒も見ている。

 当然、彼等から『横流し品』を貰って領内を維持しているため逆らえる訳がないのだ。


「じゃあ、何で攻略するんだ?」


「そんなもの、お前の手柄稼ぎに決まってるニャー」


「勝三!ワシは、ワシはもっと正々堂々とした功績をもって信長様に・・・」


「じゃあお市様を諦めろ!二択だ、好きな方を選ぶといいニャー」


 これが恒興の考えた功績稼ぎであった。

 この戦いで大きな功績を稼ぐならこれしかないと恒興が計画したのだ。

 実は色々事情があってこうなったと言わざるを得ない。

 だが勝家は昔気質の男なので、功績は自分の手で正々堂々と稼ぐべきと主張する。


「え、いや、でも」


「大体、大きな功績をどうやって稼ぐ気だニャー?この戦いは大河内城をに終わらせる予定なのに。そのために北畠具教には兵を集める時間をくれてやってんだよ」


「兵が集まるまで待つ?大河内城を攻め落とさないとはどういうことだ?」


 勝家には恒興の意図するところが分からなかった。

 恒興の言葉は北畠家と大戦をする気が無いように感じられたからだ。

 彼はこの戦から身を引きたがっていると。


「権六、お前さんはこの戦いをどこで決着させるか解ってないニャ」


「えーと?」


「北畠滅ぼすまでやる気か?その場合ニャー達は北畠家の本拠地であるあの多気の山国まで攻めなきゃなならねーギャ。山名、赤松、土岐、一色、仁木とその頃の足利幕府最強軍団に攻め寄せられても落ちなかった難所だニャー。面倒にも程があんだろ。ウチは上洛を控えているんだぞ」


「あっ!そうか、上洛か」


 北畠家は南北朝の争いにおいて南朝方の盟主的存在であった。

 北畠家の天才児・北畠顕家は足利尊氏を散々に打ち破って九州に逃亡させたくらいである。

 故に幕府軍と北畠家は何度もぶつかり合う事になる。

 それは南北朝統一後も続いていく。

 足利4代目将軍・義持は南北朝統一時に結ばれた『明徳の和約』を反故にしたため、北畠家が蜂起し幕府と敵対する。

 この時に幕府の大軍が襲来したが北畠家が防衛に成功、幕府とは和議が結ばれる事になる。

 更に足利6代目将軍・義教がまたしても『明徳の和約』を反故にしたため、再度北畠家が蜂起し幕府と敵対する。

 この時の幕府軍は伊勢守護の土岐持頼、美濃守護の土岐持益、播磨・備前・美作守護の赤松満祐。但馬・備後・安芸・伊賀守護の山名持豊(後の山名宗全)、丹後守護の一色義貫、足利御連枝の仁木持長、現地豪族の長野満藤となっている。

 足利義教の本気度が分かるメンバーだ。

 だがこれでも北畠家本拠『多気盆地』は落ちなかった、当主が討ち死にはしたが滅亡はしなかったのである。

 幕府と散々敵対して何度も戦をして、それでも滅びないのが北畠家なのだ。

 彼らと本気で戦争する事はとても兵と労力と費用を浪費するだけだと恒興は思っているのだ。

 そしてそれは上洛の大きな障害となる。


「多気の連中はそもそも経済封鎖の効果が薄いから、殆ど調略出来てニャい。まあ、北畠家のお膝元だから当然だがね。多気侵攻となればかなり痛い目を見せられるニャ」


「そういう事か」


「理解した様だニャー。だから大河内城に兵を集めさせてんだニャー。そこで終わらせるために。兵が集まる前に大河内城を攻め落としたら、それは多気の山地に多数の兵が残るって事ニャんだよ。負けはしなくとも何年掛かると思っているニャ。そんなことになったら信長様からの大目玉は間違い無し、お市様との婚約なんて消し飛ぶぞ」


 何故恒興が木造具政に指示を送ってまで大河内城に兵を集めさせたか、この恒興の言が理由だ。

 多気の兵力を大河内城に集めさせて、そこを最後の決戦場にするためである。

 そして多気盆地に攻め込みたくない恒興はこの大河内城で戦いを終わらせたいのだ。


「それに信長様は今、派手な戦果を欲しがってるニャー。公方様に頼もしいと思われる様な派手なのがな。だから多少ズルしても有りなんだニャ」


 更に信長の事情も絡んでくる。

 第一に信長が優先していることは上洛である。

 今も着々と準備に入っているが多気侵攻となれば、これが大きく遅れる事は間違いない。

 それは足利義昭が織田家に不安を持つ事に繋がるので避けたいという事情がある。

 あとは義昭に頼もしいと思われるような派手な戦果を報告すればいい。

 この点は恒興もキッチリ理解している。

 だから恒興の方針は『上洛に影響を出さず、安濃津を占領し、派手な戦果報告を届ける』ことなのである。

 恒興にとってこの戦いはもう終わっているに等しい。


「戦争は始める前にどこで終わらせるかも考えておくべきだニャー。じゃないとどこまでも殺し合うだけになる。欲しい利益を得たら折り合いを付けて止める、戦ってのは政治外交の一手段でしかニャいんだから。やりすぎて相手の誇りや意地を持ち出されたら泥沼、面倒の極みだニャー。とりあえず戦って『そちらの武門の意地は立ちましたよ。そろそろ手打ちを考えませんか』といくのが上策だニャ」


「ううむ、理屈は分かるのだが・・・」


 勝家は恒興の話は理解した。

 だが功績は己の手で稼ぐべしと肝に銘じて今まで生きてきた勝家にとって、恒興のやり方は到底受け入れられなかった。

 それは自分の主君に嘘を付くべきではない、真っ当な功績を稼いで信長に認められるべきだという思いが強かったからだ。

 恒興が行おうとしている事ははたから見れば一種の詐術なのである。

 しかし否定までは出来ない、恒興が勝家の事を考えて企画した事だから。

 これを行う事で恒興が得られる利益は別に無いのだ。

 だから勝家は葛藤した、肯定も否定も出来ずに。

 それを見越した恒興は止めの言葉を告げる。


「権六、これだけは解っておいた方がいいニャ。実は信長様はニャ、経済圏から外れた山国に興味は無いんだよ、これが。だから頑張って多気の山国を占領しても『何つまんねー場所に時間掛けてんだ』って言われるのがオチだニャー」


「そ、そうなのか!?」


 この恒興の言は勝家にとっても衝撃であった。

 その言葉が意味する事はこの後の戦いはただ終わらせるためだけの戦いであり、それ以上を信長が望まないという事なのだ。

 つまりこれ以上頑張っても功績にならないのだ。

 事実、信長は隣接する山国である飛騨国や伊賀国に興味がない。

 派兵する意志は見られないし、「臣従します」と言われない限りは特に関係を持とうとも思っていないのだ。

 特に伊賀国は守護大名の仁木につき家が伊賀惣国一揆よって滅亡しており、国人達の自治によって治められているため外交など出来ない状態ではあるが。

 なので信長は向こうから何かしてこない限りは放っておく気である。


「分かったらさっさと支度をするニャ。まずは今日中に久井城まで行くぞ」


「う、うむ、了解した・・・」


 納得した訳ではない、ないのだが勝家には選択肢はない。

 お市の事もある、それを心配して企画した恒興の事も無碍に出来ない。

 それと勝家の武人としての誇りが彼の中でせめぎ合っていた。


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 恒興の犬山軍の中で親衛隊と三河衆は最も腕の立つ部隊である。

 一応念のためを考えて精鋭を連れてきたがやはり抵抗は皆無であった。

 恒興達は順調に進み2日目には長野城の南にある榊原城に到着した。

 ここが事実上多気盆地への北側の入口となる。

 だがこの先も険しい山道となるため、この榊原城でUターンして海側の田丸城へ向かって行く事になる。

 とは言えここまで山道を走ってきた兵達にも疲れが見えてきたので恒興は大休息を取ることにした。

 榊原城主が用意した食事を頂いて、城内の兵達を見回っていた恒興は鎧兜を着込んだ勝家と遭遇した。


「どうした、権六?休まないのかニャ」


「どうもな、戦って占領した訳ではないから居辛くてな。少し偵察に出てくる」


(まだ気にしてんのか、真面目なヤツだニャー。偵察で気晴らしさせるのも手かニャ)


 勝家は今回の計画を完全に納得できた訳ではない様だった。

 反抗している訳ではないが何か体を動かして気晴らしをしたいという事なのだろう。

 大体この辺りに敵などいない、敵は大河内城に集まっているのだから。

 とりあえず恒興は許可を出す事にした。

 このまま鬱屈とした状態で居られても鬱陶しいからだ。


「分かったニャ。じゃあ念のため教明を連れて行け。教明!」


「はっ!何か御用で」


「柴田衆と一緒に偵察任務だニャー」


「はっ、三河衆を準備させます」


 恒興は勝家に加藤教明の三河衆を付けさせる。

 教明の三河衆は屈強な者が多く、親衛隊と比べても疲れの少ない者達が多かった。


「済まないな、勝三」


「ま、地形でも確認してこいニャ」


 敵がいないとなればやれる事など地形の確認くらいである。

 許可を得た勝家は柴田衆3百と教明の三河衆2百で榊原城から出る。

 勝家の指示の元、彼等が向かった先は山の中である。

 昼も終わり夕方へ差し掛かろうという時刻であった。


「偵察の時、山に入るのでござるか」


「ああ、周辺偵察の時に道にいると敵を見つけにくい。相手も道は見張っているから襲われるし、見逃して本陣への奇襲になる方が余程怖い。だからワシは周辺偵察の時は街道を監視するように山へ入る」


 何故山に入るのか理由が分からない教明は勝家に質問する。

 勝家の答えはこれまでの経験から街道を見張るように山に入るというものだった。

 まず道という物は味方もそうだが敵も当然見張っている。

 なので本陣への奇襲部隊であった場合は偵察隊を避けて発見されないようにするし、遊撃部隊だった場合は逆に襲いかかって来る。

 偵察というものはこちらが発見されず敵を発見する事が大切だと勝家は思っているのだ。


「成る程、さしずめ柴田流必勝戦術ですかな」


「そんな大層なものではないが、昔からこれで武功を稼いできたのだ。癖になっておる」


 勝家は元々は土豪であり、率いていた人数も百人以下であった。

 そんな小部隊にそうそう功績の場が巡ってくる事などあまり無い。

 だからこそ勝家は斥候偵察は誰よりも熱心に取り組んだ。

 更に少人数でも手柄が立てられる様に、奇襲のやり方にも拘った。

 その結果、叩き上げで出世してきた男なのである。


「柴田殿は今回の件に納得しておられないのか」


「ん、いや、そうではない。戦は闇雲に戦えば良いというものではない事は理解できるし、被害だって少ない方が良い事も分かる。だが悲しいかな、ワシは突撃するしか能の無い男だ」


「あまりご自身を卑下なさいますな。『織田家中に猛将柴田有り』は三河でも言われておりました故」


「フ、『猛将』か。そう言えばご先代・信秀様にもそう言われて認めてもらったな。あれは嬉しかった」


 小豆坂の戦いや美濃侵攻などで功を立てた勝家の働きは織田家先代信秀の目に止まることになり、勝家は織田信勝の附家老にまで出世する。

 斥候や奇襲で鍛えられた勝家の部隊は状況を見定めた上で無類の突破力を有する様になっていた。

 その戦場での力を見込まれての事だった。


「だからかも知れん。ワシは武功に強いこだわりを持つようになったのはな」


「・・・・・・」


「池田殿の言いたい事は分かるし、それが正しい事も分かる。同時に自分の不甲斐なさも分かるのだ」


「成る程、体を動かして紛らわせたかった。そういう事でござろうか」


「そういう事だ。悪かったな、加藤殿を付き合わせて。そろそろ戻るか」


 勝家は自分の思いを吐露した事で少しは気分がスッキリしてきた。

 このまま自分の我侭に教明を付き合わせては申し訳ないので戻ろうとした時、前方にいる三河衆から報告の兵が教明の元に来る。


「隊長、実は前方で・・・」


「そうか、部隊には伏せるよう伝えろ」


「はっ」


 教明は報告を聞いた後、指示を部隊に伝えさせる。

 そして笑顔で振り返り、怪訝な顔をしている勝家にも報告を聞かせる。


「柴田殿、勘が当たりましたな」


「勘?何のことだ?」


「敵でござる。街道を堂々と歩いてこちらに向かってきていると」


 前方の部隊からの報告は北畠家の家紋『笹竜胆紋』を掲げた部隊が、堂々と街道を歩いて進軍しているという報告であった。

 そのまま進めば榊原城に達することは間違いない。

 何せこの道は深い山々を抜ける細い峠道の様なもので、脇道など存在しないからだ。


「・・・斥候も放たず街道を堂々と進むだと?何処の素人だ」


「おそらくまだこの辺りは北畠領だと思っているのでござろう。武功を稼いで、我が殿をあっと言わせましょうぞ」


「ははは、それは面白いな。加藤殿も勝三に含むところがあるのか」


 実に面白そうな事を見つけた様な顔で教明が進言する。

 教明にも今回の作戦で少なからず不満に思っている事がある、そう勝家は看破した。


「我が殿が優れたお方である事は誰もが認めるところ。ですが武人の私としてはもう少し暴れさせて欲しい事もござる。安濃津があまりにも呆気なかった事もありますがね」


 教明の不満は恒興が策略を多用し過ぎて、自分の活躍の場が無い事であった。

 拾われた境遇なのだからあまり文句は言えないが、やはり安濃津城の様な戦いは面白くなかったのだ。

 だからここで武功を稼いで恒興を驚かせたい、教明はそう思っていた。


「私が後方より仕掛けます。柴田殿は混乱したところを」


「ああ、山から駆け下りて奇襲してやろう!」


 勝家の目がギラリと光る。

 その表情は狙いを定めた獣の様であった。

 教明と別れた勝家は注意深く準備する、自分の得意とする奇襲を成功させるために。


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 長野城を目指す北畠軍に衝撃が走った。

 北畠領であるはずの榊原城周辺で、突如部隊の後方を襲ってきた集団がいたからだ。

 その報告は直ちに部隊長・鳥屋尾満栄の元に届けられた。


「殿、我が軍の後方より何者かが襲いかかって来たと報告が」


「何!?何処の痴れ者だ!?」


 織田軍がこんな場所にいる訳がない、満栄はそう思っていた。

 何しろまだ榊原城に着いてもいないし、更に北に家所城もある。

 二つの城が数日で陥落する訳がない上に、報告も無いなど有り得ないのだ。

 満栄はこの襲撃者を『惣村』の者達の一部だと結論付けた。

『惣村』とは地元の有力者(国人・土豪・地侍など)を指導者として百姓が団結した自治組織。

 数村単位が多いので勢力的には大きくないが、惣村同士が団結して権力者に対して一揆を起こすことがある。

 それを『惣国一揆』又は『土一揆』という。

 一般的には武士の暴虐に対する団結なのではあるが、生活が苦しくなると暴虐とか関係なく襲って来ることがある。


「どうせ惣村の者達であろう。追い払え!」


「はっ!」


 満栄は部隊の足を止めて対処することにした。

 惣村というのは勝手に出来るものなので北畠領にもあるが数は少ない。

 故に襲ってきた人数も百人以下のはずだ。

 これから長野城を強襲するというのに、とんだ手間だなと満栄は溜め息をつく。

 そういう訳で前方の兵士を後方に送っているのだが、一向に静まる気配がない。

 気が付けば満栄の周りの兵がかなり減っていた。

 そしてそれを山に潜み見ていた者達がいた。


「全員抜刀!かかれぃ!!」


「「「おおぉぉぉーー!!」」」


 後方に気を取られ、また護衛の兵士も減っていた満栄は新手の接近を許してしまう。

 そして見えたのだ、新手の何人かが持つ旗指物に『織田木瓜』が描かれている事を。


「待ち伏せだと!?馬鹿な、何故ここに織田軍が!?」


 マズイ、と思った満栄は即座に悟った。

 ここに織田軍が居るという事は既に榊原城は陥落したという事。

 これは即座に撤退して主である北畠具教に伝えなければならなかった。

 だが現状で道の後方は既に襲われている、惣村の者達ではなく織田軍だろう。

 前方には楽に逃げられるのだが、その先にあるのは陥落したであろう榊原城だ。

 側面からは押し寄せてくる織田軍、反対側の側面は深い沢であり落ちれば怪我では済まない。

 つまり既に進退が極まっていた。

 当然勝家と教明が狙っていた襲撃ポイントなのである。


「殿、お引きあれ!ここは危険・・・!?」


「退けぃ!!」


 勝家が満栄の側近達を殴り飛ばして失神させる。

 乱戦において最も役に立つ武器は『殴る』と『蹴る』である。

 どんな武器にも間合いが有り、間合いを取ると奇襲の勢いが止まってしまう。

 なので勢いそのままに肘や膝をぶつけたり、刀の柄をハンマーの様に叩きつけるなどの闘法が多い。

 乱戦で刀を上手く使うには武芸者や達人でないと無理なのだ。

 そして素人剣技では狙った急所に当てるのは非常に難しいので、戦場での刀は斬るより殴る側面の方が強い。

 それに刀の切れ味にしても一般的に使われる『数打ち』には大した切れ味が無く、鎧兜を叩いてしまうと1回で切れ味が無くなる。

 故に勝家も刀は殴る物として扱っている。


「織田家臣・柴田権六郎勝家、推参!!大将とお見受けする!いざ、尋常に立ち合えぃ!」


「お、おのれっ!来るな!」


 満栄は馬上から太刀を振るって応戦する。

 これは致命的な隙となった、太刀とは本来馬上で扱うものではないからだ。

 日の本で馬上剣術や馬上弓術が持て囃されたのは精々鎌倉時代後期までである。

 このあたりからある者達が戦場の主役になっていくからである。

 それは『悪党』に端を発したであろう『足軽』である。

『足軽』という呼称は応仁の乱あたりに発生した名前で、主にコイツらが京の都を荒らした。

 この足軽の登場によって『カッコイイ騎馬武者』は味方の陣を彷徨くだけの存在になる。

 理由など簡単だ、乱戦の中で馬に乗っているとそれだけで足軽が殺到してくるからだ。

 馬に乗って良い鎧兜を着けている、どう考えても良い手柄頸だ。

 そしてリーチの長い槍を十数本と突き出されて馬上剣術が役に立つだろうか?

 それが馬上剣術が流行らない理由でもある。

 満栄は優秀な指揮官ではある、色んな兵法を学び実践し結果を出してきた。

 だがそれでも彼は北畠家世襲家老というエリート育ちであり、乱戦など殆ど経験した事がないのだ。

 彼は戦略・戦術を選択し、部下にやらせる立場の人間なのだから。

 それが若い頃から戦場を走り回り、己の嗅覚と実力で功を稼ぎ続けた勝家との決定的な差となっていた。


「ふんっ!」


「ガッ!?・・・ぐ、ぐおおぉぉ」


 勝家は未だに馬から降りずに太刀を振り回す満栄の膝に蹴りを入れる。

 満栄はそれでバランスを崩し、更に馬が驚いて走ったため思い切り落馬する。

 地面に背中から落ちて、満栄は痛みにのたうち回る。


「乱戦の時はまず馬を降りる、基本中の基本だ!」


 騎馬武者は歩兵より強いとされている。

 だがそれは『騎馬が集団で走っている』という条件がいる。

 止まっている騎馬などただの目立つ的でしかないのだ。


「降伏せよ!お前らの大将は織田家臣・柴田権六郎勝家が捕らえた!これ以上の手向かいは容赦せんぞ!」


 勝家の大声が周辺に響き渡る。

 自分達の大将が捕らえられたと知った兵士達はたちまち戦意が瓦解。

 沢に向かって逃亡する者や降伏する者が相次いだ。

 そうして勝家は鳥屋尾満栄と2百名程の捕虜を榊原城に連れ帰った。

 奇襲の効果は高かった様で柴田衆と犬山三河衆の被害が数名の負傷者だけだった。

 その報告を帰ってきた二人から聞いた恒興は唖然とした。

 冗談だろうと言いたいが目の前に縛られた北畠家老の鳥屋尾満栄が居る。


(この男、どーなってんの?猿啄城行けば城主の日根野捕まえてきたり、偵察に出れば北畠家老の鳥屋尾捕まえてくるとか。ニャんでこんなに運があるんだ?ニャー、コイツの功績稼ぎする必要あったのかニャ。・・・まあ、計画変更不可なんでそのままやるけどね)


 その後の計画も順調にこなし、田丸城で池田軍と合流した恒興達は長谷城に進軍。

 滝川軍も神山城に進み大河内城を北と東から圧迫する。

 一方の北畠具教も多気全軍を大河内城に集めており、その数は5千と見られる。

 ここに恒興の思惑通りの南伊勢攻略の最終決戦場が完成したのである。

 そしてわずか10日あまりで多数の城を落とし、更に北畠家老を捕らえた勝家の評判はうなぎ登りであった。

 尾張では『かかれ柴田の68ヶ城』などと童唄にまでなり、柴田勝家は織田家を代表する猛将として周辺に名を轟かすことになった。

 そして後に信長から「お前やり過ぎ」と恒興に手紙が届いたそうな。


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【あとがき】

北畠家の本拠『霧山館』は津市三杉町上多気にあります。

そして松阪市の南にも多気郡多気町があります。

作中で出た『多気城』は松阪の南で、『田丸城』の近くですニャー。

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