四面楚歌

 恒興の中濃軍団が湊から強制上陸し安濃津城を包囲して2日後、陸路から南下してきた滝川軍が合流した。

 それ自体は軍議で説明されているので誰もおかしいとは思わない。

 だが想定より遥かに多くの人数で合流した滝川軍はかなり異様な光景であった。


「池田殿、言われた通りに連れてきたんだが」


「ご苦労様ですニャー、滝川殿」


「おいおい、何なんだよ、アレは」


「一体何をする気なんだ、勝三」


 利家と成政は滝川軍に囲まれるように歩いてきた者達を見て驚く。

 彼等が見たものは滝川軍に囲まれる様に歩く女、子供、老人であった。

 服装からしても農民が殆ど、おそらくこの細野家領地の民衆と思われる。

 若い男に壮年の男が殆どいないのは兵士として徴兵されているからであろう。


「まあ、説明するとだニャー。初めは細野も篭城戦はするつもりは無かっただろうニャ。地の利があるんだからまず野戦で一撃したかったはず」


 細野家の領地は安濃津城より北側に有り、故に安濃津城の位置は領地の最南端にといってもいい。

 直ぐ南にある岩田川が北畠家との境界線となっているのだ。

 つまり安濃津城とは北畠対策で造られた節があり、細野領民は大体北側にしかいない。

 なので滝川軍は南下するだけで、難なく殆どの民衆を集めてこれたのである。


「だが突然長野具藤に襲われ篭城、終わったら間髪入れずにニャーが包囲したからまた篭城せざるを得なかった訳だ」


 仲が悪いとはいえ、いきなり具藤に襲われるとは藤敦も予測できなかったであろう。

 更にその篭城戦中に海から池田軍が、陸からは滝川軍が南下を始めたのだから気付けという方が難しい。


「だから細野は致命的なものを残してしまったニャー。・・・兵士の家族を農村に残したままにしたんだニャ」


 篭城戦の場合、兵士の家族を城に入れるかはその人による。

 民を城内に入れれば兵糧の減りが激しくなるので入れない者もいるが、その場合は山に隠れるように指示を出すのが一般的である。

 だが今回は奇襲的に長野具藤に襲われたため、そういった準備が不十分であった。

 また具藤を撃退したと思ったら、今度は恒興の中濃軍団が強襲上陸し安濃津城を完全包囲。

 これにより本来機能する筈だった『安濃津城を中心とした支城防衛線』は一撃で破綻した。

 支城防衛線というのは本拠城を取り囲む砦の事で通常百~5百程度の兵士が各砦に配置される。

 砦は攻められれば固く守り、本拠城の兵が連携して攻城部隊に襲いかかる。

 無理な場合は時間稼ぎとして使われ、最終的には放棄(焼却)して本拠城に合流する事になる。

 また、砦を無視して敵が本拠城へ行った場合は後方撹乱や輸送隊襲撃を行うのである。

 では今回の安濃津城はどうであろうか。

 まず恒興の中濃軍団は安濃津に海から強制的に上陸したため、いきなり本拠城を囲まれる事になった。

 中濃軍団はおよそ1万2千という規模であり、更に物資も海上輸送である。

 この時点で砦の後方撹乱に意味は無く、輸送隊襲撃も不可能である。

 襲撃しようにも各砦には百名程度しかいないため野戦では相手にならない。

 そして各砦は本拠城との連絡が絶たれ孤立、この状況で滝川軍1万が南下して迫っているのである。

 故に全ての砦は抵抗を諦め早々に降伏していた。

 あとは滝川軍が砦を抑えながら、農村から民衆を集めて南下してきたのである。

 その民衆の数は1万人程と見られる。


「勝三、お前まさか!?」


「人質にするつもりなのか、勝三!?」


「・・・は?何言ってんのかニャ、お前らは」


 利家と成政はこの連れて来られた民衆を、抵抗を止めない安濃津城の将兵に対する脅しにするのかと思った。

 この戦国において焼き働きの一つの手段として、敵を謀反人と見立ててその家族を処刑する事もある。

 焼き働きや刈り働きは相手への嫌がらせになればそれでいいからだ。

 農民の家族はあまりされないだろうが、武家の家族だと捕まったが最後見せしめに殺される事はよくあるのだ。

 ただ恒興はその事を全否定した。

 大体それは焼き働きの一種であり、信長は焼き働きや刈り働きの様な嫌がらせに近い作戦を特に嫌っているのだ。

 その理由だけで恒興の選択肢からは抜ける。


「え、違うのか?」


「これから統治する土地の民の恨みを買って何がしたいんだニャ」


「えーと、じゃあ何のために?」


「まあ、見てるニャー」


 そう言うと恒興は民衆が見えやすい櫓台に登って演説を始める。

 この櫓台はこの時のために造られた物で高さは大人2人分くらいある。

 そこから集まった民衆に対して恒興は軽い感じで言葉を投げかける。


「はい、注目!はい、注目だニャー!ニャーは織田軍総大将の池田勝三郎恒興だ!ニャーがお前達を集めたのは・・・」


「池田様、主人は無理矢理徴兵されたんです。織田家に逆らうつもりはないんです!」


「うちの息子もです。どうかお許しを!」


「あー、はいはい、分かってるニャ。まずは話を聞けー」


 集められた人々は口々に許しを乞う。

 おそらく利家や成政の言っていた事が行われるのかもと戦々恐々としている様だ。

 無理もない話かも知れないがとりあえず恒興は宥めて話を続けようとする。


「許してください、子供達もまだ小さいんです!」


「どうか!村長であるわしの首でよければ差し上げますので、どうか皆を許してくだされ!」


「話聞けっつってんだろニャアアアァァァーーー!!」


 だが人々の許しを乞う声は次第にヒートアップしていく。

 最早恒興の声は耳に入らないかの様に。

 恒興は一喝することにした、話が一切進まないからだ。

 恒興のよく通る大声は人々に響き渡り、水を打った様に静寂が訪れる。

 よく通る大声は指揮官として必須のスキルである。

 戦場で声が部下に届かない指揮官など意味がないのだ。


「つまり全員織田家に逆らう気はない、織田家の統治を受け入れるという事だろ。そうだニャ?」


「は、はい、その通りです」


「だったらお前達はもう織田家の民だ。ニャーは信長様の民であるお前達を守る義務がある。で、お前達の家族があの安濃津城に篭っている訳だ」


 恒興に害意など最初から無い。

 大体ここまで素直に付いてきた時点で抵抗の意志など無い事ぐらい分かっているのだ。

 そしてここにいる民衆は心の中では領地が織田家の物になる事を望んでいる。

 言葉には出さないが彼等は『ある事』を1年間見せられ続けたからだ。


「篭っているお前達の家族も等しく信長様の民、そして兵だ。ニャーは殺したくない」


「はあ、成る程」


「という訳で城に向かって呼びかけて欲しいニャ。彼等が城から出て帰ってくる様に」


 恒興が彼等を集めた理由は降伏勧告を呼び掛けるためである。

 織田軍と安濃津城側との戦力差は絶望的なのだから、恒興としては欲張った戦果が欲しいのだ。

 それは無傷で安濃津を手に入れるという事。

 それでいて時間はあまり掛けたくないので、民衆をかき集めたのだ。


「もちろんただでとは言わんニャー。兵の男が戻ってきたら、その家族一人につき米俵を1俵持って帰っていいニャ」


「「「えっ!?」」」「本当かしら?」「冗談ですよね」


 集められた民衆は誰も彼も半信半疑であった。

 簡潔に言ってしまえばそんな虫のいい話は聞いた事が無いのだ。

 だがそれも無理はない、敵対する勢力に捕まって強制されるならまだしも報酬が出るという。

 疑わしいを通り越して騙されていると思うレベルだ。


「ニャーは信長様の義弟にして乳兄弟、そして織田軍総大将だ。よってニャーは信長様の御名に誓って約束を守るニャ」


「「「・・・・・・」」」


 民衆の顔には歓喜など無く、やはり半信半疑といったところの様だ。

 恒興が信長の名前を出して誓ったのだからそれは必ず履行される、侍なら通用する理論なのだが農民が大半の彼等はイマイチ納得出来なかった様だ。

 ただ話自体は理解出来たので民衆は城への呼び掛けを開始した。


「アンター、早よ帰ろうー。池田様も許してくれるってー」


「五作ー、母ちゃんだよー。一緒に帰るでー」


「皆の衆、村長であるわしの言う事を聞いてくれー」


「為吉ー、弟も妹もおるんやでー。帰ろー」


「「あんちゃーん!」」


 その様子を安濃津城の物見櫓から見ていた者がいる。

 彼の名は『為吉』、安濃津の近くの農村で一家を支えている男だった。

 若くはあるがまだ結婚はせず、前に戦死した父親の代わりに働く孝行息子である。

 彼はその目の良さから物見を任されているのだが、その目の良さだから見えてしまった。

 叫ぶ民衆の中に自分の母親と弟や妹がいる事に。

 それ故に彼は居ても立っても居られなかったのだ。

 為吉は物見櫓から降りて塀を登った。

 堀に一直線で飛び込める場所を知っていたからだ。


「何をするつもりだ、為吉!」


「離してくれ!母ちゃんに弟妹まで人質になっとるんだ!もう我慢できねえ!」


 為吉は引き止める上司を振り切り、堀へと飛び込んだのである。


「・・・今、一人堀に飛び込みましたな」


「城門は開かねえからって飛び込みやがったか、根性あるニャー」


 その様子は高台から城を眺めている恒興と宗珊にも見えていた。

 そして飛び込んだ堀を必死で渡りきった為吉は家族の元に駆け出す。

 何か策が有る訳ではない、ただそのままにはしておけなかっただけだ。

 猪突とも言える迂闊な行動かも知れない。

 だが為吉は考えるより先に体が動いてしまったのだ。

 そして彼はその事を微塵も後悔していなかった。


「はあ、はあ。母ちゃん、皆、今助けるぞ!」


 彼は決死の覚悟で槍を構える。

 捕らわれた家族を目の前にして為吉は引く訳にはいかないのだ。

 安濃津城の城兵も一人で2万以上の大軍に立ち向かった為吉に注目する。

 絶望しかない戦いに身を投じた彼の死闘が始まろうとしていた。


「「兄ちゃん、おかえりー」」


 そしてその死闘は兄が帰ってきた事を無邪気に喜ぶ弟と妹の姿を見て終了した。

 為吉は何であんなに弟と妹がはしゃいでいるのか理解出来ないが、とりあえず戦意と覚悟が体から抜けてしまった。

 そして呆ける息子を放っておいて母親が恒興に申し出る。


「・・・あのー、池田様、うちの子出てきたんですが」


「よしだニャー!それじゃ米俵受け取って帰ってよし。長安、やっといてくれ」


 恒興は近くにいる土屋長安に声を掛け、事務処理を一任する。

 長安は本陣裏に運んできた報酬用米俵の整理を部下に任せ、人懐っこい笑顔で申し出た母親に話しかける。


「はいっス。えー、お母さん家族4人っスか?」


「はい、そうです」


「え?え?え?」


 突然母親が織田家の侍と仲良さ気に話し出して為吉が戸惑う。

 一体どういう展開なのか思考が付いていかなかったからだ。

 彼の周りではしゃいでいる弟と妹も幼すぎて事情を説明できないだろう。


「じゃあ米俵4俵っスね。荷車使います?」


 米俵は1俵で大体60kg、400合といったところ。

 つまり米俵4俵は2石弱に相当する事になる。

 この家族で言えば1年間米が食べられる程の報酬である。

 無論、米は換金しやすいので生活費としても結構な額になるはずだ。


「あ、はい。ちょっと為吉、いつまで呆けとる。荷車引いて」


「あ、うん、母ちゃん。・・・何これ?」


「荷車は後で返してくれっス。みんなが使うっスからね」


「はあ、分かりました。持ってきます」


 こうして記念すべき一人目の兵士が家族と共に家路に着いた。

 報酬の米俵をしっかり貰って。

 安濃津城の城兵も見守る中、彼等は嬉しそうに戦場を離れていった。

 そしてこれは直ぐに安濃津城の周りにいる民衆に伝わった、本当に報酬を貰って帰れるんだと。

 そう理解した途端に彼等の顔色も勢いも180°変わった。


「アンタぁぁぁー!早よ帰ってこい!飯作らんぞぉぉぉ!!」


「五作ぅー!!何時から母ちゃんの言う事聞けん子になったんじゃぁぁぁ!シバくぞ!!」


「コラー!皆の衆!!村長であるわしの言う事が聞けんのか!村八分にされたいかぁぁぁ!!」


 そしてこれが全体に伝わると、民衆の呼び掛けがどしゃ降りの雨の如く罵声となって安濃津城に激しく降り注いだ。

 織田家の兵と民衆とどちらが敵対勢力なのか間違えそうな程の勢いとなった。

 そしてこの件は安濃津城兵の全員が知る事になった。

 何せ物見櫓からよく見えていたからだ。

 無謀にも一人で飛び出した為吉が家族と合流し、米俵貰って帰っていくまで全て。

 ならば為吉と同じように自分達も許されるに違いないと。

 そう認識された時、直ぐにいくつかの足軽隊が勝手に動き出していた。

 この動きは夕刻を過ぎてから本格化した。


「お、お前ら、止めんか!城を抜けるなど許されんぞ!成敗されたいか!」


 そしてある一団が門を開けようとしているのに気付き、上司でもある細野家臣が止めに入る。

 普段ならば成敗と口にすれば恐れ戦くはずの農民の足軽達なのだが、この時はまるで違った。

 その目は「邪魔なら殺すか」と言わんばかりで全員が槍を向けてきたのである。

 戦力差にして家臣が5人で足軽は30人くらいだ。

 本気でやり合えば勝ち負けは見えている。


「オラ達の邪魔はアンタらでもさせねえぞ」


「ま、待て!落ち着け!」


 侍は足軽達を宥めに掛かるが、彼等が槍を下ろす気配は感じられない。

 つまり全員抜ける意志が固いという事だ。

 だが目撃してしまった以上侍も引く訳にはいかない。

 本来ならば増援を呼ぶのだが、農民の気持ちも理解できるため戸惑っていた。

 ここにいる家臣達にも領地があり、彼らも『ある事』を1年間見てきたのだから。

 それを見越した様に足軽達の年長者が侍に問いかける。


「大体アンタらだって、こんなところで部隊長やっとる場合か」


「何だと?」


「オラ達の家族があの場所にいるってことは、アンタらの領地は既に差し押さえられたって事じゃねえか」


「う・・・」


「オラ達でも許されるんだ。アンタらも早く織田家に頭下げるべきなんじゃねえのか」


 侍達も悩んでいた。

 細野家の領地は安濃津城より北側に存在している。

 つまり安濃津城が包囲されているという事は、北側にある自分達の所領も織田軍に押さえられたという事だ。

 そして残してきた家族も捕まった可能性が高いという事なのだ。


「そ、それは侍の忠義というものがだな」


「忠義?今のお殿様になってから暮らしはどんどん悪くなるばっかじゃねえか。北の村の連中がええ暮らししとんのは知っとるぞ。」


 彼等が言う『北の村』というのは神戸家の領地の事である。

 そしてこれこそが彼等長野家の民衆が1年間見せられ続けた『あの事』でもある。

 神戸家は恒興の経済封鎖開始早々にギブアップしたため、商人の往来が盛んで到る所に市場が開発された。

 また神戸具盛は以前から頭を悩ませていた水害の元・鈴鹿川に堤防を造る事を決意、織田家から技術者を借りて投資を開始した。

 結果、神戸家の領地は商業も農業も以前より格段に発展してきたのである。

 そのため神戸家の領民は昔より良い生活が出来ている訳だ、直ぐ南の長野家の領民が四苦八苦しているのを尻目に。

 これを見せ付けられて不満を持つなという方が無理だろう。

 領民の長野家に対する忠誠は日を追うごとに落ちていったとして、誰に彼等を責められるだろうか。

 そのことにいち早く気付いたのが分部光嘉なのだ。

 そんなものを見せつけられ続ければ、領民はいずれ不満を爆発させ一揆を起こすだろうと。

 領民そのものに叛旗を翻られて大名家が存続出来る訳がないのだ。

 だから彼は『長野家』を守るために織田家に通じたのである。

 これは織田北畠どちらに付くという話ではない、民衆そのものに『長野家』を滅ぼされないためなのだ。

 分部光嘉は選択肢自体が最初から存在しない事を認識したのだ。

 そしてこれこそが恒興の経済封鎖の真の目的である。

 大名や豪族を弱めるためではなく、領民の忠誠を下げるためにやった大規模な離間計なのである。


「アンタらもオラ達と一緒に来たらええ」


「家族が心配なんだろ、アンタらも」


「うう・・・」


 細野家で家臣を務める侍達は少し悩んだが、足軽の農民と一緒に行くことにした。

 自分達の家族も捕まっているかも知れない、そう思うと今のうちに降伏したほうが望みはあると思えたからだ。

 結局兵士に同調した数人の細野家臣は前衛部隊長・飯尾敏宗の取次で降伏した。

 恒興は敏宗に連れてこられた細野家の侍達と接見する。

 そして彼等の中で一番役職が高そうな侍が全員を代表して恒興と話す。


「我らも家族が心配になり、恥を忍んで参った次第です。どうか家族にはご寛大な処置を願い奉りたく」


「何を恥に思う必要があるニャ?お前達はただ主家に忠義を尽くしただけ、武士の務めじゃないか」


「ははっ!」


「家族の安全に領地も安堵してやるニャ、多少の移動はあるかもだけど」


「あ、有り難き幸せに御座います!」


 斬首など既に当たり前と覚悟してきた侍達は恒興の寛大に過ぎる言葉に涙した。

 敗北確定の状況で降伏して家族の安全と領地の安堵を約束される事など殆ど無いのだ。

 だがそんな寛大さを見せる恒興の頭の中は全く別の事を考えていた。


(ようし、安濃津の侍GETだニャー。コイツらがいれば安濃津は問題無く治まるだろ。あとは細野藤敦という頭を挿げ替えるだけ、降伏したヤツは細野家に戻ろうとは思わんだろうしニャー。そしてもうひと押し)


 恒興の思惑はとにかく早く安濃津を機能させることにある。

 その土地に馴れていない侍を連れてきて統治するというのは不効率の極みであり、現地の侍を如何に上手く取り込むかの方が重要だと恒興は見ているのだ。

 その上で権限の強い頭の部分だけ織田家の家臣にすれば、織田家の重要湊『安濃津』の完成である。

 だからこそ多数の侍を取り込む必要があるのだ。


「この事を城に篭ってるお前らの同僚に伝えてやって欲しいんだニャー。」


「ははっ、直ちに知らせてまいります!」


 この効果は覿面であった。

 何しろ兵がどんどん抜けていっている状況で、最早抗戦すらままならないところまで来ている。

 この状況でも織田家は許してくれるという。

 城に残っていた細野家臣も与力豪族も領地安堵の最後のチャンスと見て飛びついたのだ。

 だが敗北確定の状況で領地安堵してくれるという条件に飛びついたからといって、誰が彼等を笑えるというのだろうか。

 本来それを笑うであろう民衆がこれを助長しているし、兵として一緒に逃げている。

 つまり織田家に付く事、それ自体が正義(大多数)となってしまったのだ。

 こうなれば残っている豪族や家臣も遠慮がいらなくなった。

 家臣や豪族も次々と兵士達と共に安濃津城を抜けて恒興の陣に向かった。

 この奔流とも言える人の流れを藤敦一人で止める事は既に不可能だった。


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 安濃津城の様相は昨日と一変した。

 城門は全て開け放たれ閉める者もいない、いや閉められる人間そのものが存在していない。

 細野家臣や豪族は全て恒興に頭を下げたし、兵士は家族と合流して恒興から報酬を貰って帰っていった。

 最早、安濃津城に残っているのは細野藤敦本人とその家族くらいか。


「フッ、名付けて『四面楚歌の計』。どうニャ」


『四面楚歌』

 大陸の楚漢戦争の最終戦『垓下の戦い』で使われた計略で、項羽の楚軍を追い詰めた劉邦の漢軍が包囲し周りから楚国の歌を聞かせたというもの。

 これにより楚兵は故郷が漢軍に占領されたと思い、項羽を見捨てて逃散したという。

 この後脱出を図った項羽は討ち取られ、劉邦の『漢王朝』が築かれる事になる。

 恒興はその再現だと胸を張って宣言する。


「相変わらずのえげつなさだよな、池田殿は」


「矢の一本も撃たせて貰えねえとかマジでえげつねえ」


「何だか勝三はえげつないを極めに掛かってるよね」


「流石は殿、えげつなさでは某も敵いませんな」


「問答無用でえげつねえっス」


 滝川一益、前田利家、佐々成政、土居宗珊、土屋長安が口々に感想を述べる。

 そしてこの評価を聞いた恒興はこう叫ぶのだ。


「テメエら、まとめてやかましいニャァァァー!!」


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 安濃津城が落城寸前になっている頃、清州城ではある貴人を信長自ら迎えていた。

 越前から来た足利義昭である。

 何故本拠である小牧山城ではなく清州城なのかというと、小牧山城は完全な軍事拠点で殺風景な上に軍事機密の塊だからだ。

 なので都出身の義昭は退屈だろうという信長の配慮である。

 上洛が始まるまでは清州に滞在してもらおうという事だ。


「ようこそいらっしゃいました、公方様。この様なむさ苦しい所にお越し頂き、この織田上総介信長、恐悦至極に存じます」


「いやいや、清州の城下町の華やかさは聞きしに勝る。十分だとも、信長」


「ははっ、有り難き幸せに御座います」


 義昭は清州の発展振りに満足気であった。

『小京都』と呼ばれた朝倉家の一乗谷に勝るとも劣らぬと義昭は思っている。

 付け加えるなら一乗谷よりも暖かいというのも利点だ。


「それで上洛の軍は何時頃起こせそうか?」


「既に準備を開始しておりますので年内を予定しております。暫しお時間を戴きたい」


「そうか、楽しみだ。なあ、藤孝」


「はっ、織田殿の有言実行は信頼に足ります。頼もしい限りかと」


 義昭は信長の答えに嬉しそうに頷き、横にはべる細川藤孝にも声を掛ける。

 藤孝としても織田家の拡大は予想を遥かに超えていた。

 最初に会った時は尾張をようやく統一した程度だったのに、1年程で美濃の大半と北伊勢を制圧、更に南伊勢にも王手が掛かっている。

 藤孝は織田家の他にも色んな大名に支援を要請したが何処も難色しか示さなかった。

 だが今ではこの織田家のみで十分ではないだろうかと考えている、それ程の拡大振りなのだ。


「公方様、この清州でお世話させていただく上で、一人ご紹介したき者がおります。これへ」


 信長が声を掛けると50代くらいの男が進み出て義昭に座礼を取る。

 その袴には京極家の家紋『平四つ目結』があしらわれていた。


「公方様、お初にお目にかかります。先代将軍にして御兄君・足利義輝公にお仕えしておりました京極長門守高吉で御座います」


「おお、京極殿か!よう来てくれた!貴殿が来てくれた事、心強く思うぞ」


「ははっ!ですが本来公方様の力になるはずが、浅井に全てを乗っ取られてしまい情けない限りで御座います。何とお詫び申し上げればよろしいか」


「そんな事はよい、余は貴殿が無事で何よりだと思っておる。だが信長よ、この京極家の問題も上洛の途上で何とか出来ぬものかな」


 ここで義昭は信長に話を振る。

 つまり織田家の軍事力で京極家を助けられないかという事だ。

 信長としても予想していなかった訳ではないのだが、先送りでいいんじゃないか程度にしか思っていなかった。

 だがこれから自分が担ぐ公方に言われたのでは、テキトーな返事は出来ない。

 信長は少し思案する。


(おいおい、浅井家と事を構えろってのか。六角三好に集中したいんだがな。うーん、浅井家とやり合うなら硬軟織り交ぜた対応が出来るヤツが相応しいな。戦うだけじゃなくて策略や外交も出来るヤツでないと。でもウチは戦争屋が多いしなー。やれるのは恒興、一益、長秀ぐらいか。・・・うん、恒興で良くね。て言うかアイツの中濃軍団、奥美濃も取り込んでえらく規模がデケエし。恒興なら浅井ぐらい一人で相手出来るだろ)


 信長は候補の中から恒興を選び出す。

 恒興の中濃軍団は素で1万という徴兵数なので既に1大名クラスなのである。

 こうして恒興の預かり知らぬ所で物事が決まってしまうという無茶振りが発生していた。


「はっ、仰せのままに。京極殿の依頼も合わせて吟味致します」


「うむ、良きに計らえ」


 会見は終わり信長と林佐渡は退室した。

 高吉は義昭の相手に残り、前将軍義輝の話を義昭に聞かせている。

 信長はこのまま小牧山城に戻るので、義昭の相手はそのまま高吉に任せるつもりである。


「はぁぁぁ、良かったぁぁ」


「何だよ、佐渡。そのワザとらしい溜め息は」


「いやさ、このままだと公方様の相手はアタシがやるのかと胃がキリキリしてたんだよ」


 普通に考えればこういった応対をするのは林佐渡である。

 だが林佐渡はあまり貴人の応対は得意でなかったので勘弁して欲しかったのだ。

 一応昔に公卿の応対をした事はあるが、あの時は主に平手政秀が表に出ていたので手伝いしかしていない。


「良かったな、恒興が京極殿を連れてきて」


「全くだね」


 という訳で面倒事を京極高吉に押し付ける事が出来て佐渡は一安心だった。

 清洲城から出ようという辺りで二人は今日から織田家臣に加わった男と顔を合わせる。

 男の名は『明智十兵衛光秀』、現在22歳で信長とほぼ同年代である。

 光秀は信長を認めると膝をついて迎える。

 臣下の礼というべきスタイルである。


「信長様、お疲れ様で御座います」


「おう、光秀か、ご苦労だったな。約束通りお前を1万石で取り立てるぜ」


「はっ、有り難き幸せに御座います」


 信長は光秀に義昭を連れてきたら取り立ててやると約束していた。

 その他に正室の帰蝶やその母・小見の方からも頼まれていたので、いきなり1万石とした。

 小見の方は生家が明智家であり、甥の光秀に明智家を再興してもらおうと信長に依頼していたのだ。


「で、いきなりで悪いんだが、早速南伊勢に行ってくれ」


「南伊勢・・・ですか?」


「ああ、何の用かは知らんが恒興のヤツがお前を呼んでるんだ」


「はっ、では直ちに向かいます」


 光秀は信長に一礼し南伊勢に行く準備のため立ち去る。

 実のところ、信長も佐渡も何故恒興が光秀を呼び出すのかは見当が付いていなかった。


「恒興は何で光秀をわざわざ呼ぶのかねぇ。面識ないよね?」


「オレに聞くなよ」


 信長は以前に恒興が光秀の事を聞いてきたことを思い出した。

 そう言えばあの時から恒興は気にしていたなと。

 だが恒興が光秀を指名したのには相応の理由があるのだろう。

 そんなものは後で恒興から聞けばいい話だと信長は考えるのを止めた。


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【あとがき】

極悪非道の池田恒興に捕らわれた母や弟妹を救い出せるのか。

今、一騎当万の無双伝説が幕を開ける。


戦国無双伝説『為吉~TA☆ME☆KI☆CHI~』

-カッコ良く出た筈なのに荷車引いて帰る破目になった件について-


執筆予定は特にありませんニャー


これが近江での話なら田中吉政さんを配役したんですけどね。

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