激戦!!天下一の巨大城郭山城・観音寺城
箕作山城が落城した3日後、六角家本拠・巨大城郭山城・観音寺城は落城した。
というよりは織田軍が到着した時には既にもぬけの殻であった。3日というのは信長本隊が到着に掛かった日数であり、それ以前から観音寺城は捨てられていた。城の中は金品から武器兵糧に至るまで空になっていた。
攻略した箕作山城を精査して判明した事がある。兵糧や弓矢がおよそ3日分しか無かった事だ。つまり箕作山城は最初から3日持ち堪えたら棄てる予定だったのだ。
そして和田山城も箕作山城落城の報告が入るや否や、篭城兵が一目散に逃げ出した。林佐渡は戦力差から包囲まではしておらず、全員を取り逃がした。たとえ、包囲していたとしても無駄だっただろう。5000人が一方向に一丸となって突撃してきたのだから、包囲陣形で耐えられる訳がない。そして和田山城にも備蓄は3日分ほどしか無かった。
そしてもぬけの殻状態で棄てられた観音寺城。ここに六角家お得意の戦略が隠されていた。
これは『焦土作戦』なのである。織田軍に戦利品で補給させずに飢えさせる事が目的である。相手が大軍であればあるほど効果を発揮する。
補給出来ないのであれば周辺で強制収奪しなければならないが、それこそ六角家の思うつぼだ。何故ならそれは地元民を敵に回す行為で各地で反乱が起きるだろう。そして六角家待望論が出て、六角家再興の力となる。
過去に六角家を討伐しようとした足利幕府軍も同じ事をやられ撤退する破目になった。世界的な例を見ても、ローマ帝国は連勝を続けるハンニバルに対し焦土作戦をしている。倒すには至らなかったが一定の効果を挙げた。後年にはナポレオンがロシア遠征の際に焦土作戦をやられ、飢えと寒さによって敗北した。そう、これこそが六角承禎の戦略である。
稀代の戦略家・六角承禎の罠に、織田信長最大の危機が訪れる!!
……という事は特になかった。いや、そもそも織田家の誰も罠とか気付いてすらいなかった。
何故なら織田軍は自分達の飯は自分達で持ってくるからだ。完全に他人の物など当てにしていない。織田家では常識的に最初から計算して全員が飢えない様に持ってくる。そして足りなくなれば、日の本有数の穀倉地帯である濃尾勢から補給する。戦利品は有ればラッキー程度だろう。
この方式を確立したのは信長の父親である織田信秀である。何しろ織田家は彼の代から傭兵を大量運用していたからだ。傭兵が武器兵糧を持っていないなど見たら分かる。だから織田家臣は六角家の『焦土作戦』に気付けなかった。信秀の代から兵站構築が基本だからだ。
六角承禎は完全に読み違いをしてしまったのだ。織田信長は京の都に行けば食べ物が沢山あると信じて飢えながら上洛した木曽義仲とは違う。むしろ、その木曽義仲を反面教師にしているくらいだ。……信長以外ならだいたい通用しただろうが、六角承禎はよりによって一番効果が無い相手に『焦土作戦』を使用してしまったのだ。
つまり織田信長という人物はこれまで常識的に通用していた戦略が通用しない人物だと言える。だからこそ遠征兵站が出来る織田信長は革新的だと言われるのだ。
結果として六角承禎はただ領地を明け渡しただけになってしまった。
信長は観音寺城に入らず城外に布陣した。諸将に指示を出したら直ぐに動く予定だからだ。信長にとって観音寺城は通過点に過ぎない。目的地はもっと西にある『京の都』なのだから。
「フン、六角家も大した事ねぇな」
「全くだね、殿。これで京の都への道が開けたよ」
「三好三人衆も撤退を始めているとの事。一息に乗り込みましょうぞ」
余裕の表情で話す信長に林佐渡と佐久間出羽も顔を綻ばせて応える。陣に集まった諸将の表情も明るい。
この陣には織田軍の主要メンバーが勢揃いしていた。その数、70000を数える。長野信包の陣に居た滝川一益や柴田勝家も日野城包囲から抜けて参集している。
そして六角家があっという間に蹴散らされる様を見て、京の都付近にいた三好三人衆は撤退を始めた。更には大和国の松永久秀にも圧迫されているので、防衛は困難だという判断だろう。当初は守りに適していない京の都を捨て、摂津で防衛線を張ると思われた。だが松永久秀と行動を共にしている恒興の囲碁教師・白井浄三から驚きの報告が入る。
なんと、三好三人衆は足利義栄を連れて四国の阿波国まで逃げようとしていると。
思い切りが良すぎて怪しいくらいだが、浄三は兵の動きと昔の知古(三好家の元同僚)の情報からそう判断した。昔の知古というのは「三好三人衆が当てにならないから寝返りたい。織田家と仲介してくれ」と浄三に相談している訳だが。
これを受けて信長は大々的に京の都への進軍を決める。と、同時に摂津への進軍と南近江の地盤固めも行う。
摂津へ進軍するのは佐久間出羽の軍団と滝川一益の軍団で総大将は佐久間出羽。他には西濃豪族も指揮下に入る。摂津の寝返りたい豪族を取り込みながら制圧を進める。
南近江の地盤固めには総大将として池田恒興が任命される。この下には池田軍団の他、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、木下秀吉が配置される。直接指揮下に入るのは木下秀吉のみで恒興と共に甲賀方面へ進軍する。
柴田勝家は瀬田城方面へ進軍。瀬田城は京の都への道となるので、勝家は信長に先んじて出撃する予定。
明智光秀は坂本及び堅田方面の制圧。最重要とされているのが琵琶湖の水軍・堅田衆の説得と傘下入りである。また地理的に『ある勢力』が近くに居るため、周辺制圧もスピーディーに行わなければならない。
丹羽長秀は南近江東側で日和見していた豪族達への応対。領地境界線の確認や織田家への人質集めなどがある。まあ、人質と言っても織田家の武将として育てる事を主眼に置いている。
林佐渡は信長と共に入京。その後、那古野城に戻り濃尾勢の内政及び留守居、前線への補給事務に就く。代わりに森三左衛門可成が出撃、東濃戦力の半数程を率いて来る事になっている。森可成は佐和山城に入り、その後は恒興の指揮下で動く事になっている。
「よし、動くか!……と、その前にだ。恒興、ちょっと来い」
「?はいですニャー?」
「何処行くんだい、殿?」
「恒興と近江経略についてな。佐渡、誰も近付けるなよ」
そう言うと信長は恒興を連れて陣の奥へと歩いて行った。信長と二人きりになった恒興だが、何の話をするのかは予想出来ていなかった。
近江経略の骨子となる話は前々からしている。後は予定外に起こる事象の対処くらいだが、それは恒興に一時的な軍権を与えて対処する話になっている。柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、木下秀吉、更には森可成までが恒興の指揮下に入っているのはその為だ。
「それでお話は何でしょうかニャ、信長様?」
「何でしょうじゃねえだろが、恒興!」
「ニャ!?」
恒興に問われると信長はそれまでの上機嫌は何処へやら、一転して恒興に詰め寄る。この切り替わりの速さには流石の恒興も驚いてしまう。信長の豹変、その理由は……。
「六角親子が逃げちまってるじゃねえか!どうすんだ!」
「ニャーにそう言われましても……」
(ニャんでアイツラ戦う前から逃げてんの?武家の意地は何処行った?マジで訳がわからんのニャー)
六角承禎と六角義治の親子を取り逃がした事だった。恒興も逃がすまいとは思っていたのだが、あまりにもあの親子の逃げ足は速かった。何しろ軍勢が箕作山城や和田山城、鯰江城に到達する頃には既に観音寺城から逃げ出していたと目されている。支城が一日で落ちたから怖じて逃げ出した訳ではないのだ。全ては予定通りだったはずなのだ。
ただ恒興は織田家の遠征兵站が前世でも当たり前だったため、六角親子が一目散に逃げ出した様にしか見えていない。これが『焦土作戦』だと気付いてすらいないのだ。
「で、でも本拠地である観音寺城は無傷で手に入りましたし、ニャー……」
「あんなクソ城要らんわ!見りゃ解るだろが、あれが類い稀なるクソ城だって事ぐらい!!」
「はい、見事な程のクソ城で御座いますニャー。ニャんであんな城造ったのか、理解に苦しみます」
観音寺城とは六角家の本拠地として、政治拠点機能を持った日の本最大級の巨大城郭山城である。
もうこの一文でこの城のダメさが表れている。即ち、『山城に政治機能など要らない』である。
山城とは防衛拠点である。そのため、敵が登りにくい仕様が本丸まで続く。山の斜面を利用し、道をワザと曲げて曲輪の下を通らせ、一方的に銃弾や弓矢を浴びせる。又は通り道を細くして敵の兵数移動を制限し、数の優位を自動的に取得、防衛迎撃を容易にして耐え凌ぐのだ。
だから恒興も犬山城には住んでいない。その麓に居を構えて政治拠点としているのだ。恒興も家臣も犬山の88mの山登りを毎日したくないのだ。行くだけで疲れる。
それが観音寺城は標高400mを超えている。毎日山登りして疲れながら、政治をする必要が何処にあるのか?
だがそれは六角家当主も解っていた様で、登りやすい工夫を随所に施している。この時点で観音寺城は日の本最低レベルの防衛能力を誇る事になった。……それは敵まで登りやすいからだ。
はっきり言ってしまえば、麓に館を建てれば済む話なのだ。
霧山城という山城を本拠としている北畠家だって、政治拠点は麓の霧山館(霧山屋形)である。これが『御屋形様』の語源にもなっているくらい、ポピュラーな形なのである。
「解ってんならいい。あんなクソ城、存在しているだけで恥だ!後でぶっ壊して新しい城の材料にしてやる!」
信長は観音寺城を壊す事を決意する。これにより天下一の巨大城郭山城・観音寺城は歴史から消失し、遺構の石垣だけが残る事になる。ただ解体によって出る大量の資材は無視出来ない量であり、後年に信長が理想とする城の建築資材となる。
つまり信長は観音寺城を無傷で押さえた事など『ちっとも』嬉しくなかった。ただ戦勝に沸く諸将の前で水を差す様な事をしたくなかっただけだった。
「それよりも六角親子だ。アイツら捕まえないと六角家の名跡を奪えねえだろ!三七に継がせる名家が!」
「ええぇー!?気にしてるのはそっちニャんですかー!?」
恒興はこの上なく驚く。信長が六角家の名跡にそこまでの執着を持っていたとは予想外だったのだ。恒興としてはそのうち奪えればいいくらいに考えていた。
その信長の執着にはある人物が関わっていた。
「泣かれちまったんだよ、三七の母親である『お坂』に。最初は神戸家を継がすって話をしてたんだが……」
(ああ、そうでしたニャー)
信長がお坂と呼んでいる女性は側室の『坂の方(坂氏)』である。彼女の名前が出て恒興も納得した。坂の方にはある性格的な問題があるからだ。
坂の方は独占欲が強いのである。そのため信長の一番の寵愛を欲していた。とはいえ、豪族の娘に過ぎない彼女は美濃斎藤家の娘で正室のお濃の方に対抗しようとかいう身の程知らずではない。だからなのか、側室の中で信長の寵愛を一番受けていた生駒吉乃を目の仇にしていた。嫡男・奇妙丸出産では遅れを取ったものの、茶筅丸と同年に三七を産む。
ただ吉乃は徳姫出産後に死去しており、坂の方は張り合う相手を失った。その後は張り合いを失くした様に大人しかった。だがここに来て彼女の対抗心を発火させる事態が起きた。
次男・茶筅丸の北畠家養嗣子入りである。それに付随して信長は三七には神戸家の養子入りを画策した。
それを聞かされた坂の方は「茶筅殿は北畠家という名家を継がせて貰えるのに、何で三七は豪族なんですか?殿は三七を愛していないのですか!?」と泣いてしまったのだ。
本来、自分の子供の養子入りの話など家臣に言う事ではない。ないのだが、困ってしまった信長は恒興にも聞いてみようと思い話したのだ。そして恒興の口からは宇多源氏の名家六角家の名前が挙がった。
「お前の献策を受けて、六角家に変更したって伝えたら、えらい喜んじまってよ。今更、出来なかったなんて言えねぇ」
「そ、そうですニャー」
「あの親子、捕まえてこい。いいな、恒興!それまで入京は許さん!」
「はいーっ!もちろんですニャー!!」
信長は恒興の胸ぐらを掴んでガクガクと揺さぶりながら厳命する。恒興はただ頷いて返事するしか術がなかった。
そしてなのだが、人払いしていても薄い陣幕の向こうで叫んでいたら、当たり前の様に聞こえる。全員に。内容が聞こえてきて林佐渡は頭を抱えた。
「殿、まる聞こえなんだけど。んなアホな事考えてたのか。マジで頭痛い」
「ウム、奥方に泣かれては仕方あるまい」
「論点はそこじゃないんだよ、筋肉ダルマ!」
内容についてはとりあえず全員聞かなかった事にした。下手に突いて、恒興への無茶振りが自分達に飛んできたら堪らないからだ。
気を取り直した信長は思い出したかの様に恒興に話す。
「と、そうだ、恒興」
「はい、ニャんでしょう?」
「お前の親衛隊、少しの間オレに貸せ」
「それは構いませんが、どうするおつもりですニャ?」
「入京するにあたって京の都人の前で行軍するんだが、母衣衆に兵が居ないだろ。アイツらにも立派な将としてお披露目させてやりたくてな」
「ああ、ニャるほど。そういう事情ですか」
信長は恒興の親衛隊を京の都に連れて行くと言う。その目的は入京に際して都人の前で行う行軍、『御馬揃え』である。軍勢を率いて上洛した大名は御馬揃えを行う事が多い。
都人に自分の軍事力を見せ付けて、守ってやるから安心しろと言っているのである。現代でいうところの軍事パレードだ。
当然なのだが、見せる兵士も着飾って立派に見せねばならない。その点において、恒興の親衛隊は練度も武装も一流なのでうってつけなのだ。
「お前の親衛隊は軍装黒一色で染め上げてるから黒母衣衆の兵に最適だと思ってよ。赤母衣衆は赤鎧集めて何とかする」
「ニャーの親衛隊が黒一色なのは信長様がお決めになった事ですニャー。ニャーは元々、信長様の親衛隊長ですから」
「まあな。お前の親衛隊は軍規も徹底されてるから相応しいと思ってな」
「あの者らは元々信長様の親衛隊。一時でも戻れて信長様と入京出来るなら喜びましょう。親衛隊長の可児才蔵にも伝えておきますニャー」
「悪いな」
そもそもだが恒興は信長の親衛隊長と言っても過言ではない。犬山城主になる前はそういう役目に就いていた。だからこそ池田家親衛隊は信長直属の親衛隊であった事を忘れていない。武と規律を重んじ、信長の親衛と言える母衣衆の兵士として相応しい訳だ。
「ニャーからも一つ、信長様にお願いがあるのですが」
「何だ?」
「信長様の傭兵をお貸し頂きたく思いますニャ」
その代わりと言う訳ではないが、恒興も信長から貸して欲しい部隊があった。信長が保有している傭兵部隊である。
「数は?」
「5000ほどですニャー」
「5000か。戦える傭兵となると……」
「あ、戦えなくていいですニャー。むしろ役立たずの方を頂きたく」
5000と聞いて少し渋る信長。傭兵は多数いるものの戦える者はかなり限られる。信長の傭兵は20000強ほど。その中で戦力になる傭兵は約2割しかいない。つまり恒興の言う5000人はほぼ根こそぎである。信長が渋るのも無理はない。
しかし恒興が欲しいのは戦える傭兵ではないという。役立たず、つまりは今回、荷駄隊の手伝いをしている様な戦場にでない後方任務の者達である。因みに恒興が鯰江城に行っている間、その者達は安全な信長本陣を形成していた。数増しの為に。
「そうなのか?ソイツら、本当に戦えんぞ。矢も飛ばせねぇし、槍も覚束ねぇ。出来る事と言えば数で虚仮威すか柵建てるかくらいだ」
「はい、そちらが欲しいのですニャー」
「ふーん、それなら好きにしろ」
その後、戻った信長は諸将に号令を掛け解散した。恒興も池田軍団の陣に戻って親衛隊を送る準備をする。
「いいか、お前ら。武器も鎧もピッカピカに磨いておけ。お前達が嘲笑われる事は信長様が嘲笑われる事と同義だと思えニャ!」
「「「はっ!!」」」
恒興は親衛隊に激を入れる。その目には主君が嘲笑われる様な失態は決して許さないという強い決意が滲み出ていた。親衛隊各員もいつも以上に気合を入れて武装を磨いていった。
そして恒興は心配の種を呼び出す。親衛隊長の可児才蔵吉長だ。
「才蔵、一つだけ言っておく。ニャーはお前が犬山で如何にサボろうが問題にはしない。お前はやる時はキッチリ仕事をするヤツだと見込んでいるからだニャー」
「それは、どうも……」
「だがニャ!信長様の前で粗相をしでかしたら斬る!その時はニャーも切腹して信長様に詫びる覚悟だ。分・か・る・ニャ」
「いや、流石に俺でも分別はありますよ!?」
恒興の気迫に少し圧される才蔵であった。信長の事が絡むと恒興の凄味は10倍くらいには跳ね上がるからだ。
そこに親衛隊副隊長の可児六郎左衛門秀行が一言。
「殿、この場合の最善は才蔵をそこら辺の木に括っといて、私が親衛隊長として信長様の元に行く事かと」
「……ふむ、たしかにニャー」
「六郎!テメエ、酷過ぎるだろ!殿も『たしかに』って何ですか!?」
「まあ、今回は才蔵を信じてやるニャー。六郎、とりあえず才蔵が粗相しそうなら気絶させろ。ニャーが許可する」
「はっ、お任せを」
「全く信じてねー!」
日頃の行いが祟った結果としか言えないが、才蔵の慟哭が南近江の空に木霊した。
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【あとがき】
べ「さあ、この小説中で1、2を争う激戦、観音寺城攻略戦に行こうか」
恒「……それ、1、2を争う短さニャんだろが!」
恒「おい、べくのすけ。やっぱり出落ちしとるじゃニャいか」
べ「出落ちさせたんだよ」
恒「しかし観音寺城の事、ボロクソに書いたニャー」
べ「あのさぁ、普通に考えようか。誰が標高400m以上、上にある市役所に歩いて行きたいのさ?」
恒「登山装備が必要かニャー」
べ「しかもその為に大手門からの道がある程度真っ直ぐなんだ。登りやすい様に、迷わない様に。防衛能力はこの時点で死んだよ」
恒「せっかくの石垣が泣いてるニャー」
べ「六角家はいいとこ取りをしようとして全部台無しにしたんだ。名作と名作のコラボで超駄作を作ったみたいな。べくのすけは観音寺城の復元模型を見たけど、一目でクソ城だって判ったよ。そのレベルだね」
恒「庇い様が無いニャー」
べ「更に問題があるよ。農民が年貢を納めるのも山頂なんだ。400m上の」
恒「流石にそれはないニャ。絶対麓に集積所が有るはずだニャ」
べ「言ったはずだよ。ここは『防衛拠点』だって。城門付近に兵糧庫なんて有る訳ないよ。城門が落ちた瞬間に兵糧攻めが完成してしまう。それに六角家当主が暮らしているのも山頂だね」
恒「あ、そうだったニャ」
べ「ここで問題なのは誰が400m上まで年貢を運ぶのかだね。城門前で集めて、六角家の侍のみで運んでいたのならまだいい。でもこんな重労働、侍がしたと思う?」
恒「そのまま農民にやらせたと思うニャ」
べ「べくのすけもそう考えた。つまり農民に紛れて間者が入り込むのは容易だったと思う。城の構造情報は間違いなく流出した」
恒「城の縄張りがバレたら、直ぐに落城しちまうニャー!?でも他の山城は年貢をどうしてたんだニャ?」
べ「有事の際だけ運び込むんだよ。それ以外は麓の館で管理しているよ」
恒「ですよニャー。犬山もそうだし」
べ「以上がべくのすけの観音寺城に対する考察だよ。これらは六角家当主も解っているから、防衛するという発想が生まれず何回も捨てるんだと思う」
恒「ニャんか、酷いニャー」
べくのすけのちょい補足
観音寺城の事をボロクソに書きましたが、この観音寺城がクソ城であったからこそ六角家は強者だったと考えていますニャー。
大軍を敵に回すと、最初から城を当てにせず『焦土作戦』と『ゲリラ戦術』によって打ち勝つのです。これで幕府の討伐軍を退けました。
ただ信長さんに『焦土作戦』が効かない事が予想外だった訳ですニャー。
そして観音寺城はクソ城である事は歴代の当主達は知っていたはずで、鎌倉末期の大名佐々木道誉さんも捨てています。鎌倉末期に巨大城郭があった訳ありません。この頃の観音寺城はただの山砦のはずですニャー。
なのに捨てるという事は多分ですが、山そのものの地形が山城に向いていないんじゃないかと。
防御最低、政治やりにくい、大軍来たら捨てる。3拍子揃った観音寺城を六角家が使い続ける理由は南近江の真ん中という立地、重要街道が近い、支配の象徴といったところかも知れませんニャー。
次回 ファンタジーですからーを16連射しないと怒られそうな内容になります。
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