一時の平穏編

それぞれの家臣模様

 美濃国東部。信濃国を越えた辺りにその一団が居た。総勢50人程で女子供もいる。全員が長旅をしたかの様にくたびれていた。先頭を歩く老人は額の汗を拭い嘆息した。


「よ、漸く信州を越えたかのう」


「そうですね、あなた。皆も疲れておりますが、木曽殿に少し匿って貰えただけでも良かったです」


 答えるのは老人の妻。笠を被り、杖を片手に歩いている。疲れてはいるが少し前の木曽家で休息出来たので、まだ大丈夫だと返す。


「苦労を掛けるのう、奥よ」


「いいえ。でも尾張国はまだ遠いのでしょうか?」


「漸く美濃国に入ったからのう。たしか、この国を越えた先じゃ」


「少なくとも上杉家に追われる事はないのですから、ゆっくり行きましょう」


 老人は妻の女性を『奥』と呼ぶ。名前ではなく、『家の奥を仕切る者』という意味で『奥さん』の語源でもある。彼等は上杉家に追われる身で尾張国を目指している。だから木曽家に匿われたという表現になる。木曽家は現在、上杉家方だからだ。妻は上杉勢力圏は離れたのでゆっくり行けばいいと話す。


「そ、そうもいかん様じゃ……」


 だが上手く事は運びそうにない、老人は呟く。何しろ美濃国側から武士の一団がやって来たからだ。甲冑までは付けていない事から戦ではないだろうが、確実に老人達一団に向かって来ている。


「そこな一団、止まれぃ!」


 少し離れた所から馬上の侍が叫ぶ。彼等は領内に不審な一団が居ると聞き付けてやって来た様だ。侍が叫ぶと周りの兵士達は一斉に槍を構える。


「ここは森家の領内!無許可での通行あたわず!名前と通行理由を述べぃ!」


「わ、儂は赤井重秀。この者達は家臣やその家族じゃ。尾張国は織田家に仕えておる婿殿の所に行く予定なんじゃ」


 侍に促され、老人は前に出て名乗る。彼の名前は赤井重秀といい、織田家臣である婿の所に行くという。それを聞いた侍は少し考える。


「織田家に仕えている、だと。ふーむ、後ろに居る殿に報告せよ」


「はっ」


 考えた結果、侍は後方にいる主君に報告する事を選ぶ。程なくして、その主君がやって来る。


「どうしたんだい、元正」


「はい、この者達は尾張国に居る織田家臣の所に行く様です」


 やって来たのは東濃兼山城主の森三左衛門可成。元正と呼ばれた侍は森家の家老である各務元正だ。元正は簡単な説明と共に老人の一団を指し示す。


「ほう、織田家臣、ね。それで御老体、どちらの織田家臣を訪ねるおつもりかな?知り合いかも知れない」


「はい、儂の婿は大谷休伯と申しますのじゃ」


「何!?貴方は大谷殿の義父君か!?皆、武器を下げろ!無礼を働くんじゃない!」


 森可成は丁寧に織田家臣の名前を尋ねる。すると老人からは大谷休伯の名前が出てきた。池田恒興の家臣である大谷休伯の名前を知らない者は織田家中にはいない。森可成も例外ではない。森家だって木曽川の堤防工事でお世話になっているのだから。

 兵士達に武器を仕舞う様に指示を出すと、可成は馬から降りる。そして老人に礼をして正式に名乗る。


「失礼を致しました。私は東濃兼山城主の森三左衛門可成。大谷殿には大変お世話になっております」


「おお、婿殿をご存知で!?」


「織田家において大谷休伯を知らぬ者などおりませぬよ。それ程に功績大きく、織田信長様の覚えも目出度い方ですので」


「それ程までに。娘の手紙は真実であったか」


「そうですよ。うちの娘が嘘をつくなど有り得ません」


 大谷休伯の名前が織田家において、それ程までに高い事を驚く赤井重秀。城主からも敬意を払われる程に。

 実は大谷休伯の嫁になった娘からの手紙で知ってはいたものの、自分の夫を良く書きたいんだろう、程度にしか重秀は見ていなかった。それに対し、妻は娘が嘘をつく筈が無いと口を尖らせる。


「大谷殿には私から連絡しましょう。義父君も皆さんもお疲れでしょうから兼山城でお休み下さい」


「忝ない」


「お前達、ぼうっとしてるんじゃない。荷物を持って差し上げなさい。御婦人には籠を」


「「「ははっ」」」


 可成は全員を兼山城で休ませる事を提案する。それが決まると、可成は家臣達に指示を出し、荷物持ちを行わせる。また、女性や子供もいたので籠を調達してくる様にも言う。こうして赤井重秀の一団は兼山城へと招かれた。

 その後、森可成から連絡を受けた大谷休伯は妻と共に兼山城に急行した。安否を心配していた義父がいきなりやって来たというので吃驚したのだ。


「義父上!」


「す、済まぬ、婿殿。迷惑だとは思ったのじゃが儂にはもう他に手段が無くなってしもうた」


「迷惑などと!行方が掴めず妻も心配しておりました」


「そうですよ、父上」


「済まぬ。実は成田家に匿われておったのじゃ。しかし成田家も上杉に焼き討ちされて余裕が無くなったんじゃ。このまま居候を続けるのも成田殿に悪いと思い、婿殿を頼らせて貰ったんじゃ」


 赤井重秀は上野国の豪族で扇谷上杉家の家臣であり館林城を本拠地としていた。その為、主君である上杉憲政が国外逃亡すると、已む無く北条家の傘下となる。その後、上杉憲政を擁立した長尾景虎がやって来ると反逆者と見做され攻撃される。館林城を脱出した赤井重秀は孫が嫁入りしている武蔵国成田家に匿われた。しかし、その成田家も上杉軍に焼き討ちされ、余裕が無くなってしまった。その頃に、大谷休伯の妻 (赤井重秀の娘)からの手紙が人伝で届き、休伯が織田家に仕えている事を知る。成田家の負担になっている事を気に病んだ赤井重秀は残った家族や家臣らと共に出国。隠れながら信州を突破し美濃国に入って、今に到る。


「そうでしたか、無事で何よりです。森様には誠に感謝申し上げます」


「いやいや、大事なくて本当に良かったよ」


 大谷休伯は森可成に礼を言う。冷静な判断が出来る彼でなければ、重秀達は山賊として討伐されたかも知れない。見知らぬ集団は問答無用で山賊と見做される事は珍しくないのだ。最初に見付けたのが森可成だったから無事で済んだとも言える。

 その後、大谷休伯は赤井重秀一行を引き取り、犬山へと案内した。そして重秀を主君である池田恒興に紹介した。


「なる程ニャ。休伯の義父か」


「はっ、赤井重秀と申しますのじゃ」


「殿、どうか義父上を匿う事をお許し下さい」


 大谷休伯は恒興に赤井重秀を匿う許可を求める。重秀は上杉家から追われる身なので、匿うと織田家と上杉家の外交が悪化する可能性があるからだ。なので主君である池田恒興の許可が必要になる。

 恒興としては受け入れる方針だ。上杉家との外交など殆ど無いし、織田家の人事に口を挟ませる気も無い。「引き渡せ」と言われても「嫌じゃ、ボケ」で終わる。


「それは構わニャいが、これからどうするんだ?」


「あ、いえ。家臣もおりますので仕事を頂けると幸いかと」


「ふむ、ニャーの下で働く、か」


「殿、お願い出来ませんか?」


 池田家で働くという赤井重秀の発言に恒興は少し思案する。大谷休伯はダメなのだろうかと不安になるが、恒興が考えているのは違うものだった。いや、以前から問題に思っていた事を解決出来ないかと思ったのだ。


「いや、ニャーが考えているのは、その是非じゃニャい。重秀も豪族なら理解ると思うが、織田家も余所者嫌いが多くてな」


「まあ、それは上野国でもあまり変わりませんがのう」


 織田家の余所者嫌いは少しづつ表面化している。特に尾張国出身者が大きな顔をする様になってきている。理由など当然、織田信長が尾張国出身だからだ。織田信長自身は出身国贔屓などない実力主義ではあるが。

 この地元出身者が大きな顔をする様になるのは、実際どの大名家でも変わらない。山内上杉家でも一緒だ。


「そうだろうニャー。ま、池田家は比較的マシではあるし、池田家臣に手を出すアホはいないだろうが、細かいイジメをしてくるアホが時々居る」


「信長様の覚えが目出度い者以外だとある様ですな。土居清良殿も何回かあったと言ってましたし」


「はあ」(山内上杉家は余所者に対してもっと激しかったがのう)


 池田恒興の権勢は織田家において絶大である為、恒興の家臣に直接何かをしようというアホは流石にいない。それは虎の尾を踏む行為だからだ。しかし細かい嫌がらせはしてくる。例えば、土居清良が恒興の報告書を織田信長に届けようとした時に、信長との面会に異様な時間を待たされたり。又は、許可証の発行がだいぶ後回しにされたりと多岐にわたる。因みに恒興が「仕事する気あるのか?」と怒鳴り込んだ為、現在は消えた模様。


「それでニャんだが、重秀、大谷休伯の家臣になってくれないか?」


「婿殿の家臣に?」


「ああ、その方が安心出来るだろうし。それに休伯には家臣が居ないに等しくてニャ」


「は?婿殿は家臣が居らんのか?」


「あはは……」


 恒興は重秀に休伯の家臣になって欲しいと打診する。以前から恒興が問題視していた事、それは大谷休伯に『家臣がいない』のである。厳密には居るのだが、少々問題が有る現状だ。


「事情があるんだニャー。家臣と呼べるのは休伯の息子3人なんだが、信長様に引っ張られててな。帰って来ないんだニャー」


「信長様に必要とされるのは、息子達の将来に良いとは思いますが」


「それでお前が困ってちゃ話になんねーギャ。一応、休伯には信長様から家臣が派遣されてるんだが、コイツラ全員、学徒でニャ。休伯の下で学んで、何れは信長様に返さにゃならん。本物の家臣とは呼べないんだわ」


 まず大谷休伯の息子3人は家臣と呼べるのだが、父親の休伯と一緒に働いてきた彼等には技術と経験がある。それを見込んで織田信長は彼等を広くなった織田家の領地のあちこちに派遣している。これは大谷休伯が犬山留守居役なので信長の勝手に出来ないからだ。だから休伯程ではなくても、技術と経験を持っている息子の方を引っ張り回している。まるで信長の直臣と言わんばかりに。

 恒興としては家臣が長期に渡って借りられていたら、返してくれと言いに行くところだ。相手が信長でなければ。うん、信長には言わない。

 一応、信長からは休伯に家臣が派遣されている。しかし、この者達はいろいろな武家の臆病者で、戦の役に立たず武将として働けない。なので休伯の所で内政官の勉強をしている。今は休伯の家臣と言えるが、勉強が終わると信長の下に帰る予定で、専属の家臣とは言えない。


「そうなんですよね、ははは」


「ははは、じゃねーギャ。ニャーが犬山城主になってからは犬山が戦場になった事は無いから良かったけど、もし戦場になったらどーすんだよ。あんなヘロヘロ共、直ぐ逃げ出すニャー。お前は犬山留守居役なんだぞ」


 いやー参ったなー、という感じで笑う休伯。それに対して恒興は笑い事じゃないと床をダンっと叩く。この問題は本当に笑い事ではない。何しろ大谷休伯は恒興が出陣すると犬山留守居役として犬山防衛の全責任者となる。一応、城主は正室の美代という建前なのだが、彼女に侍を率いるのは難しい。その上で大谷休伯も戦が苦手とくれば、戦が出来て信頼の置ける専属の家臣を持たねばならない。これからも万が一が無いとは限らないのだから。


「おおう……。こ、これは大丈夫なのかのう、婿殿?」


「いやー、ははは……」


 もう乾いた笑いしか出て来ない。流石の事態に赤井重秀も目が丸くなってしまう。そんな歪な家政があるのかと驚愕している。

 席に空きがあれば、普通は地元衆が埋めてしまうものだ。だが池田家では得体の知れない余所者が多数居て働き辛いと見られている。その為、家臣集めに苦労している側面もある。因みに人気の仕官先は地元出身の飯尾家や山内家だ。特に復興したばかりの山内家は狙い目とされている。


「理解ってるよニャー。この犬山城は『守れない・・・・』んだぞ。城郭拡大し過ぎて、最低防御人数が1万人を超えてるんだからニャー」


 犬山城は恒興が総構えを採用している。総構えとは犬山の町ごと城郭で囲んでしまう造りの事だ。総構えで有名なのは相模国小田原城である。この小田原城は難攻不落の堅城として知られるが弱点が無い訳ではない。何しろ小田原城は大きい為に最低防御人数が多く、最初から籠城戦と決めておかねば機能しないのだ。その為に周りの城を見殺しにせねばならない。だから後年、小田原城に監視だけ置いて周りを攻略すれば北条家終わるんじゃね?と気付かれてしまう。

 犬山城は北側が木曽川で塞がれているにも関わらず、最低防御人数が1万人を越えるとかいうアホな造りになっている。どっかの誰かさんが人口を増やしまくっているのが原因だ。

 最低防御人数が原因で捨てられたのが『本能寺の変』における安土城である。本能寺の変の時に留守居役をしていた蒲生賢秀は明智光秀に対して籠城しようとした。しかし織田信長が死んだという話が流布された為に、兵士が逃げ出してしまった。最低防御人数の兵士を集められなかった蒲生賢秀は安土城籠城を諦めて、自身の領地である日野城まで退却したのである。瀬田城主の山岡景隆が瀬田川の橋を落として明智光秀を妨害。蒲生賢秀は安土城に居た人々を全て日野城に避難させる事に成功した。だから明智光秀は安土城を簡単に制圧する事が出来たのだ。もぬけの殻だったから。因みに安土城は取り返した後、織田信雄が焼いてしまった。この時に焼いたのは天守閣のみである。全部焼くor廃棄するなら理解出来るが、何で天守閣だけなの?と疑問しかない。


「殿、やり過ぎです」


「うるせー。総構えニャんだから仕方ないだろ。ほれほれ、早く第5の外堀を掘りやがれ。城壁も造れ。河川事業、開墾事業、灌漑事業、引水事業、用水事業に避水事業もだニャー」


「婿殿、どんだけ仕事を持っとるんじゃ?」


「吐きそうです」


 恒興は休伯に仕事を押し付けて催促する。その仕事は外堀工事、城壁工事、河川事業、開墾事業、灌漑事業、引水事業、用水事業、避水事業と多岐にわたる。つか内政全部押し付けてる。まあ、後半の水にまつわる事業は小牧に水を流す事業で、計画立案もまだ出来てないのではあるが。

 現状の仕事の数を聞いて赤井重秀は自分の婿を心配する。そして彼が見た休伯の姿は……床に突っ伏していた。仕事量を再確認させられて絶望したのだ。


「だから頼りになる家臣が必要ニャんだろが。お前は本来、計画立案と管理運営でいいんだよ。家臣に出来る事は家臣に振れ。戦える家臣なら兵士を持たせて出撃も出来るだろ。勝てない相手ならニャーが帰ってくるまで遅滞戦闘をする必要だってある。それが留守居役ニャんだから」


「まあ、そうですよね」


 大谷休伯は計画立案と運営管理だけでいいと恒興は話す。誰も一人で全部監督しなくていい、と。その為にも頼りになる家臣を持てと言っているのだ。

 大谷休伯が過労死など恒興にとってはお家崩壊クラスの大打撃だ。しかし休伯は上野出身である為、地縁者がほぼ居ない。土居宗珊、土居清良など四国出身者は四国からの移住者がかなり居るので確保出来るが、この休伯にはまったく無い。頼みの綱である息子達は信長に引っ張られている。

 この如何ともし難い状況で舅の赤井重秀が残った家臣を纏めて犬山に来たのだ。恒興はこの好機を逃すまいと考えたのである。


「誰も休伯に出撃しろとは言わんニャ。それが出来る家臣を持てってこった。重秀、スマンが休伯の力になってくれニャいか」


「そういう事でしたら是非に」


「すみません、義父上」


「これはまだまだ隠居出来そうにないわい、ははは」


 赤井重秀は覚悟を決めて、大谷休伯に仕えると宣言した。明日から自分も家臣達も忙しく働く事になるだろう。それを糧に家臣の家族も生きていける。何より、婿である休伯を過労死させる訳にもいかない。自分もまだまだ戦える。上杉軍には敗けたものの、赤井重秀は上野国においては名うての武将だった。休伯よりも兵士を上手く率いる事も出来る。これは隠居などしておれん、と重秀は笑った。


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 所変わって北近江横山城。

 横山城代の金森長近は新たに家臣を召し抱える事を決めた。家臣に混じって油販売をしていた少年、田中久兵衛を家臣にすると決めたのだ。農民の出身ながら才気があり将来性を見込んでの事だ。

 長近は久兵衛を呼び出して、登用の決定を伝える。


「久兵衛くん、今日から君を金森家臣に取り立てるよ」


「ありがとうございます!更に励みます!」


 久兵衛は深々と土下座で礼をする。侍は座礼なのだが、農民出身の彼は慣れていないのだろう。まあ、覚えの速い少年だから何れ慣れるだろう、と長近は考える。


「一応なんだけど、君のこれまでを教えて貰えるかな?北近江の村の出身だとは知ってるけど」


「あ、はい。追放されてますけど。実は村長の娘と駆け落ちしようとして、その前に村人達に捕まりまして」


「ふむ、仕官も決まった事だし、迎えに行ってきたら?横山城の近くなんだよね」


「そうしてみます」


 久兵衛が村を追い出された理由は村長の娘と駆け落ちしようとした事だ。娘は村の為に近江商人の大店に嫁入りさせられる予定だった。娘は十代前半、相手は50歳を越えている。嫌だと泣く娘を見捨てられず久兵衛は駆け落ちを決断。しかし駆け落ちが村人にバレてしまい、久兵衛はボコボコにされて村から追放処分となった。そして村長の娘は……織田信長による近江商人への攻勢が始まり、それどころではなくなったらしい。

 久兵衛の村は横山城の少し東にあるらしい。そこは横山城の支配地域なので、久兵衛は支配者に仕える侍となった訳だ。今度は彼をボコボコにした村人達が土下座する番だ。まあ、久兵衛にそう考えている様子はないが。


「それは大変だったね。その後は金森村に?」


「いえ、その前に行き倒れまして」


「ふむ」


「その時に宮部城主の宮部継潤様に助けられたんです」


「おお、あの宮部継潤殿か」


 ボコボコにされて追放された久兵衛に行く宛は無く、彼は彷徨った後に力尽きて倒れてしまった。それを家臣と共に領地を見て回っていた宮部城主の宮部継潤が発見した。継潤は久兵衛を宮部城へと連れて帰ったという。


「宮部様はお優しい方で、自分みたいな者にも手を差し延べて下さいました。暫くは継潤様の世話になってましたけど、せっかくだから色んな場所に旅したいと思いまして」


 宮部継潤は久兵衛を療養させて面倒を見た。回復した久兵衛は暫く継潤の雑用などをして過ごしたという。しかし、突然の新参者を疎ましく思う者は結構居る。このままでは継潤の迷惑になると思った久兵衛は旅がしたいとうそぶき、宮部城を離れた。これは言っても仕方ない事なので、久兵衛は伏せて話した。


「うんうん、旅はいいね」


「まあ、あっという間に路銀が無くなって、金森村で行き倒れましたが」


「君、大丈夫?」


「それから金森村の人達に助けられて、今に到ります」


 宮部城を離れた久兵衛は継潤から路銀を貰っていたものの地理が理解らず、ふらふらしてる内にまた行き倒れた。そこが金森村であり、金森家臣に拾われたのである。


「運がいいね、君。運がいいのは重要な事だ、悪いよりはね。しかし、そうなると宮部継潤殿にはお礼をしないといけないよ」


「た、たしかにその通りです。早速、行って来ます」


 金森長近は久兵衛は運が良いと感じた。二度も行き倒れて生きているのだから。

 それなら宮部継潤に礼を言うべきだと長近は言う。それは紛れもない恩義なのだから。その通りだと思った久兵衛は早速行こうとするが、長近は呼び止める。


「あー、待ち給え、久兵衛くん。私からも宮部殿にお礼の品を出すから」


「え?そんな、殿がお気になさる事では……」


「いやいや、家臣とは家族に等しいのだよ。家臣である久兵衛くんを助けて貰ったなら、主君である私がお礼をするべきなのさ」


「殿、それほどまでに私の事を……」


「じゃ、準備してくるから少し待ちなさい」


「はいっ!」


 呼び止めた久兵衛に長近は自分からもお礼の品を出すと伝える。家臣は家族の一員なのだから、と。それを聞いた久兵衛は瞳を潤ませて感じ入る。

 そして長近は準備してくると部屋を出た。少し間が空いて戻って来た長近の手には紐で縛られた黒い漆箱があった。城主の贈り物に相応しい様相の箱だった。


「や、待たせたね」


「いえ、大丈夫です。しかし結構大きい箱ですね。中身は何……」


「久兵衛くん、『中身を見てはいけないよ?・・・・・・・・・・・・』」


 久兵衛は驚愕した。終始ニコニコ顔だった筈の金森長近の表情が豹変したからだ。「中身を見てはいけない」の辺りで特に。久兵衛は身の危険を察知して、ズザッと大袈裟に飛び退いた。


「おや、どうしたのかな?久兵衛くん」


「見ません、絶対見ません、一命を賭して見ません」


「うんうん、そうして貰えると助かるよ」


「は、はい……行ってきます……」


 これは何かヤバい、久兵衛は直感でそう感じた。関わったら消されそうなくらいの嫌な予感しかしない。いったい、何が入っているんだ?と思いつつも、久兵衛は箱を開ける事なく宮部城に行った。

 宮部城に行った久兵衛は宮部継潤に面会を申し込む。久兵衛が宮部継潤のお世話になっていたのは、そう昔の話ではない。そのため城の番兵達も久兵衛を覚えており、以前のお礼に来たという彼をあっさり通した。そして久兵衛は継潤の私室に通される。


「やあ、久兵衛くん。久し振りですね、元気でしたか?」


「あ、はい、継潤様のお陰です。今は織田家の金森長近様に仕官出来まして」


「そうでしたか。良ければ私の家臣にと思っていたのですが」


「も、申し訳ありません!」


「気にしないで下さい。良い所に仕えれたと思いますよ。励みなさい」


 継潤は久兵衛が織田家に仕官したと言うので少し悔しがる。どうやら彼は久兵衛さえ良ければ雇う気があったらしい。そうとは知らず仕官した事を謝罪する久兵衛に、継潤は優しい笑顔で気にしてないと伝える。


「ありがとうございます!あ、それであの時に救われたお礼に参りました」


「そんなに気にしないで下さい。いいのですよ、その程度」


「いえ、主君の長近様もお礼をして来なさいって言われまして。こちら、長近様からの贈り物です」


 久兵衛は謎にズシリと重い漆箱を継潤に差し出す。金森長近からの贈り物だ。何が入っているのか判らないが、運ぶのに風呂敷に入れて背負わないといけないくらいには重い。


「ほほう、金森殿からですか。どれどれ」


 継潤は箱紐を解いて少しだけ蓋を開けて中を覗き見る。すると彼は目を見開いてピタリと停止する。箱の中身を見ながら継潤は久兵衛に問い掛ける。


「因みに久兵衛くん、箱の中身は知っていますか?」


「いえ、主君の贈り物を見るなんて無礼は働けません」


「そうですか。その仕事に対する真面目さは必ず評価されますよ」


 継潤は久兵衛の答えにニッコリと微笑む。そして箱の中身を晒す事なく、蓋を閉めてしまう。


「金森殿からこれ程までの物を頂いたからには返礼をせねば失礼というもの。準備してきますので、少しだけ待っていて下さいね、久兵衛くん」


「は、はい」(何だったんだ、中身?)


 いったい何が入っていたのか、疑問は尽きない。中身が気になる久兵衛だったが、やはり関わったら消されそうなくらいの嫌な予感しかしない。

 そんな事を考えていると、継潤は別の箱を抱えて戻ってきた。


「すみませんね、久兵衛くん。こちらを金森殿に届けて下さい」


 再び現れた継潤は持って行った漆箱に代わり、白い桐箱を持って来た。薄い風呂敷に包まれた箱を久兵衛は受け取る。


「はい、畏まりました!」


 しかし継潤は手を放さない。不思議に思う久兵衛が継潤の顔を見ると、表情は豹変していた。恐ろしい程に。何か継潤の背景に「ゴゴゴゴゴ!」という文字が出そうなくらいに。そして一言。


「久兵衛くん、『中身を見てはいけませんよ?・・・・・・・・・・・・・』」


「見ません、絶対見ません、一命を賭して見ません」


 久兵衛はまたか、と思った。絶対、関わったら消されるヤツだ。いったい自分は何を運ばされているんだと泣きそうになる。もう冷や汗が止まらない。


「そうして貰えると助かります。やはり君は出世しますよ」


 久兵衛の答えを聞いて継潤は元の笑顔に戻り桐箱から手を放した。そして彼は継潤の贈り物を持って、私室を後にした。

 桐箱は割りと重いので行きと同じ様に背負う久兵衛。自分が何かヤバい品を運んでいる認識をした久兵衛はさっさと帰る事にした。何か周りから見られている感じもする。被害妄想かも知れないが、一刻も早く帰って、この荷物とおさらばしたいのだ。

 まあ、宮部城と横山城は然程離れていないので直ぐに着いた。そして久兵衛は主君である金森長近と面会する。


「おかえり、久兵衛くん」


「はい、こちらは宮部様からです」


「中身は……」


「見てません!絶対見てません!一命を賭して見てません!」


 もう聞かれる事は理解っていたので、久兵衛は先制して叫ぶ。長近は脅し過ぎたかな、という感じで少し笑っていた。


「そ、そうかい。気合の入った返事だねえ。ありがとう。引き続き、油販売を頼むよ」


「はい!では失礼致します!」


 久兵衛は元気良く元の仕事に戻る。そんな彼の表情は晴々としていて、やっとあの荷物から解放されたという嬉しさに満ちていたという。彼は張り切って楽市楽座に走って行った。

 一人、部屋に残った金森長近は箱を開けてほくそ笑む。重量のある返礼品などどうでもいい。問題はその中に紛れた宮部継潤からの手紙だ。それを見て、長近は少し笑う。


「さて、と。……ふふふ、好感触の様だ。誰かある」


「はっ、お呼びでしょうか、殿」


「この書状を羽柴殿に。北近江調略は彼の領分だからね」


「はっ、畏まりました」


 久兵衛はある種、勘違いをしている。金森家は油を取り仕切る武家などではない。調略工作の家なのだ。そして田中久兵衛もこの調略術を学んでいく事になる。……のは、まだ先の話。


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【あとがき】


 何故、毛利元就さんが焼き討ち多いと分かるのかといいますと、周辺の商人が元就さんにブチギレてるからですニャー。焼き討ちは商人の生産拠点も破壊するので、商人が元就さんに苦情を入れてます。そこで元就さんは「何の事かのう?」とすっとぼけるので商人との仲が最悪でしたニャ。

 これを大きく改善したのが長男の毛利隆元さんですニャー。彼は商人と話し合い、時には頭を下げてまで商人との仲を改善し、毛利家の財政を上昇させました。また、他人が信用出来ない父親に代わって、大内旧臣を登用し彼等から信頼されましたニャー。しかし毛利隆元さんは若くしてお亡くなりに。その後の毛利家は商人との仲が険悪になり財政悪化。博多衆も全然靡かない。大内旧臣にも亀裂が入り、大内家が一時復興するなどの反乱にも見舞われましたニャー。結局、毛利家は九州から撤退を余儀なくされます。

 ……隆元さん、心労と過労が祟ったのでは?と邪推してしまうべくのすけですニャー。


 鹿之介さん「幽閉される尼子義久様に付いて行きたいんです!お願いします!」

 元春さん「うるせー、出て行け!」

 鹿之介さん「なら毛利家の為に働きます!義久様の近くに配置して下さい!何でもしますから!」

 元春さん「お前は追放だって言ってるだろ!さっさと消えろ!」

 鹿之介さん「これが……七難八苦か」

 尚、吉川元春さんのこの決断は彼を祟りまくる模様。


 レギュラー家臣達を単独で描く場合、相槌役が一人は欲しいのですニャー。今の内に設定しておこうかと。

 恒興くん→誰でもOK だいたい加藤政盛さん

 土居宗珊さん→子供達

 山内一豊くん→五藤為浄くん

 飯尾敏宗さん→兄の飯尾信宗さんor同期の加藤政盛さん

 大谷休伯さん→義父の赤井重秀さん

 金森長近さん→久兵衛くん

 土屋長安くん→未定だけど予定有り

 土居清良さん→渡辺教忠さん

 前田慶さん→稲葉彦さん

 美濃衆一纏め

 筒井順慶くん→島左近さん松倉右近さん乃恵さん乃々ちゃん

 今の所はこんな感じかニャー。

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