閑話 池田家政 with 山内一豊の帰還

【まえがき】

 この小説では何度か『剛腕当主』『剛腕経営』なるものを言ってきました。ですが内容は言っておりません。では『剛腕経営』とは何か。わざわざ『剛腕』と付けるからには通常の経営ではないのです。

 それによって犬山は発展した訳ですが、これも歪です。寒村しかなかったはずの犬山が2年程で大都市になる。有り得るのでしょうか?それが『剛腕経営』と繋がっている訳です。『無いのなら持ってくればいい』という。

 では、その実態へと迫りましょう。現場リポーターの山内一豊さ〜ん。


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 山内一豊が池田恒興の旗下に加わって数日後、彼の姿は妻の千代と共に美濃国鵜沼城にあった。戦時中に池田家入りした者達は全員、軍団には加わらず犬山に行く事になる。基本的に出陣前の編成で兵士の割り振りが終わっているため、急に加わっても編成出来る兵士が居ないからだ。

 という訳で山内一豊は家臣を連れて犬山に帰還した。家臣達も久々に家族と再会し歓喜に沸いた。一豊も千代との再会を喜び、次の日には大谷休伯の案内で城主として務める鵜沼城を一緒に見に行った。


「ここが私達のお城なんですね、一豊様」


「そうだぞ、千代」


 城門をくぐり目の前に出てきた城主館を見て、千代は感嘆の声を挙げる。無理もない、遠藤家を出てからというもの、自分は千代に苦労の掛け通しであった。一豊はこれまでを思い、これからは千代を労わねばと決意する。千代もこれからの生活に思いを馳せているのだろうか。キラキラした面持ちで城主館を眺めている。そして一言。


「私達のお城、凄い!……小さーい、犬山城に比べると」


「千代、流石にそれは比較対象が悪いと思うんだが。今なお、拡大を続ける化物城と比べるなよ」


「てへっ」


 少しはしゃぎ気味だった千代は突然、小さいと文句を言い出す。一豊はツッコミを入れる様に窘める。まあ、千代も少し冗談を言ってみただけだ。

 その様子に案内人の大谷休伯や山内家家老の五藤為浄、その他の山内家臣からも笑い声が溢れる。


「まあ、何はともあれ。これから一門衆筆頭としての活躍を期待しておりますぞ、一豊殿」


「任せてくれ、休伯殿。……あれ?今、何て言った?一門衆『筆頭』!?」


 一豊は思わず聞き返す。何でいきなり『筆頭』なのかと。筆頭というものは一門衆の中でも特に重要な責務を果たしている者に与えられるもの。大きな大名家になると『席次』というランク付けまで存在する。一門衆『筆頭』、『二番席次』『三番席次』といった感じだ。

 間違っても来たばかりの新参が『筆頭』になっていい訳ないのだが、そこには池田家の切実な事情が浮かんでいた。


「ええ、言いましたよ」


「え?いや、いきなり筆頭とかどういう事さ?」


「どういうも何も、一豊殿以外の一門衆が存在しておりませんので、自ずと筆頭になるかと」


「一門衆……居ないの?池田家って15万石近くあるって……え?どうなってんの?」


「いやぁ、我々家臣一堂ヤキモキしておりましたよ。殿は何時になったら一門衆を整備なさるのかと」


 そう、大谷休伯の言う通りで『居ない』のである。筆頭がどうのこうの言う前に、筆頭以外が存在していないのだ。

 一豊は初めて知った池田家の内情に唖然とする。一門衆無しとかいう謎の家政形態をしているとは思っていなかったのだ。彼が驚くのも無理はない、一門衆が居ない大名など殆ど存在しないからだ。

 例外は居るもので徳川家康も一門衆無しの家政形態をしている。こちらは家臣団の強烈な忠誠心により一門衆が必要無いといった感じなのだろう。徳川家の一門衆は家康の息子達で作られる事になる。


「一豊様、一門衆が居ないのは良くないんですか?」


「うーん、そうだなぁ。一門衆無しっていうのは言ってみれば『いつでも下剋上可能!』かな」


「ダメじゃん!……養徳院様の焦りが今になって解っちゃった」


 一門衆無しというのは主君を守る盾が無い状態と言える。領地が大きくなれば一門一族のみで治めるのは困難になる。だからこそ在地豪族である『外様衆』を取り込む必要が出てくる。だが彼等に対して油断などすれば簡単に謀叛へと繋がる。だからそれを防ぐ為の一門衆が必要なのだ。

 ……と、これが建前となる。これを揃えたとして謀叛が起きない訳ではないし、一門衆自体が謀叛の温床となる事もある。結局は人次第でしかないが、人は当たり前を求めるものだ。


「とは言っても、現在の池田家臣は私も含めて皆、殿に拾われた身ですからな。今の所は謀叛の可能性はありませんよ」


「ならいいんだけどさ。でも、それは『兄者限定』の話だからな~」


 恒興にしても徳川家康にしても、家臣に謀叛の可能性がまったく無いから一門衆無しで問題ないのである。そして恒興も家康も家臣を信頼しているからこそ、この『剛腕経営』が成り立つのである。問題はそれを次代には引き継げないという事だ。恒興と幸鶴丸は別人だからだ。


「休伯殿、ちょっと詳しく池田家の構成を教えてくれないかな?俺が思うより深刻な気がしてきた」


「ええ、いいですよ。まず、池田家の家政を司る人物は殿と家老の土居宗珊殿です。殿が裁判、治安維持、開発開拓等を担当しておりますので、奉行として私と飯尾敏宗殿が直下の指揮下に居ます。対して宗珊殿は農村や城下町の運営維持で徴税等も担当しています。奉行の土居清良殿や土屋長安殿は宗珊殿の指揮下にあります。つまり『主君派閥』と『家老派閥』が出来上がってますな」


「なにその真っ二つ」


 池田家の内政は思い切りが良過ぎる程の真っ二つである。理由は人手不足。本来、全体を監督すべき池田家当主が家老業務を行っているくらいである。単独家老の土居宗珊もかなり忙しく、彼の家臣は全員、池田家政に使われている。だから土居宗珊は領地を持っておらず俸禄となっている。池田家政が忙しいので自分の領地を経営する暇が無いからだ。

 基本的な家政の形とは頂点に当主を置く。その下に複数人の家老と一門衆(三番席次くらいまで)が置かれる。この下に各奉行や無任所役職がある。

 無任所役職というのは特定の部所を持たず、当主の都合により任命される仕事である。池田家では近江調略担当の金森長近や刺青隊の渡辺教忠がこの役職に当たる。

 現状の池田家は恒興が家老職を代行して、宗珊も単独家老として余裕が無い。奉行の数も最小限で、その上で対外調略までやっているとか狂気の沙汰と言って良い。これで池田家政を回している様を『剛腕経営』と言っているのである。

 なので派閥は『当主派閥』と『家老派閥』に分かれていて、勢力的に拮抗状態にある。この話のマズイ部分は当主と家老が拮抗状態にあるという辺りである。恒興はこれの是正を急ぐ必要がある。


「この奉行の中では飯尾敏宗殿が領地持ちで家臣の中でも最大です。更に彼の嫡男には殿の養女が嫁ぎますので主君派閥の実力者という訳です」


「なるほど、準一門衆と言える飯尾殿で均衡を保っていたのか」


 そこで恒興は主君派閥に居る飯尾敏宗が本家を継承した時に領地を渡して強化を図る。飯尾家は元々、千石の尾張豪族で敏宗の俸禄5千石と合わせて6千石の領地を渡した。

 この決定に敏宗は頭を抱えた。何せ、敏宗は奉行として池田家政に参加しているのに、自分の領地経営までやらないといけなくなった。結局、領地経営は兄の信宗に任せて池田家の奉行をやっている感じになった。


「いえ、この程度で宗珊殿との均衡は取れませんよ」


「え?でも飯尾殿は家臣の中で最大の領地持ちって」


「均衡を取るなら一豊殿が来られたのでようやくと言ったところかと」


「家老派閥、強過ぎない?」


 恒興は敏宗を領地持ちにする事で土居宗珊との勢力均衡を作ろうとした様だ。領地持ちは固有の武力を持つので勢力は大きくなる。しかし、その程度では家老の宗珊との均衡は取れず、山内一豊が来て漸くだと休伯は言う。

 一豊は2万石相当の軍事力を構築するので、飯尾敏宗と合わせて2万6千石相当。これだけあって漸く均衡が取れる土居宗珊の勢力は強過ぎる。宗珊は領地を持っていないのに、おかしい程に強いなと一豊は戦慄する。


「まあ、聞いて下さい。問題は犬山という領地なんです。ここは殿が城主になる前は寒村しかない領地だったんですよ。何しろ国境線の最前線防衛拠点ですから」


「対岸に有り得ない程にデカい犬山って町が見えるんだけど」


「寒村しかなかった犬山に現在はあれ程の人が居る。自然に人が産まれて増えたと思いますかな?」


「ああ、そうか!移住者が多いって話なのか」


 人口が少ない犬山が発展するには人口を増やす必要がある。それをたった2年・・・・・で恒興はやってみせたのである。普通に犬山で子供が産まれて増えたと思える人はいないだろう。そう、恒興は犬山に人が居ないなら余所から連れて来れば良いという移住手法を使ったのである。そして移住手法を採るのに適した状況も恒興に味方した。

 尾張国は昔から穀倉地帯で流民の流入が多い。更に農村多く、富農も多い。故に彼等は小作人を買う事で広大な農地を維持していた。

 恒興はこの小作人に狙いを付けたのである。小作人を供給する人買い商人を徹底的に取り締まり、既に居る小作人達には密やかに脱出を幇助している。海なら九鬼水軍が徹底的に取り締まり、恒興が報奨金を出して小作人を引き取るスタイルも確立した。小作人全体からすれば、まだまだ焼け石に水程度ではあるが、着実に成果を伸ばしている。

 その結果として、現状の犬山人口比率は大変動する事になった。


「それで犬山の尾張民の割合は約4割ほどになりましたな」


「過半数、割ってますけどーーっ!!?マジでどーなってんだよーーっ!!!」


「その次を聞けば宗珊殿の力が分かりますよ。犬山の人口第2位の割合を占めるのが『四国民』なんです。約3割くらいでしょうか。あとはその他で3割程と」


「どーしてそーなるのー」


 犬山には小作人をはじめとした余所者ばかりが流入した訳ではない。もっと大勢の民衆が流入している。それが土居宗珊の支持基盤となっている『四国民』である。


「殿が犬山城主になった時ですが、侍がまったく足りておりませんでした。という訳で、広い人脈を持つ土居宗珊殿に頼ったのが始まりですな。その頃の一条家内は混乱の極み。宗珊殿の名声も高く、目論見通り多数の四国侍が尾張に来たのですが」


「そこで何かがあったと?」


「宗珊殿の名声が高過ぎた様で、多数の農民まで一緒に来てしまいましてな。いやー、あの時は私も唖然としてしまいました」


 恒興が犬山城主になった時、家臣の侍がまったく足りていなかった。なので恒興は人脈の広い土居宗珊を頼ったのである。恒興の求めに応じた宗珊は前の勤め先である土佐一条家の侍達に誘いを掛けた。

 土佐一条家の内情は更に悪化していた。残った家老達の専横は酷くなり、長宗我部家などの傘下豪族は制御不能となって各地で戦いが頻発した。しかし戦には資金物資が必要だ。戦をする以上、利益を獲なければならない。こうなると犠牲になるのは強い後ろ盾を持たない小粒な武家や領民である。特に元・土居宗珊派閥の侍や領民は徹底的に狙われた。そのため、かなりの人数の侍達が土佐一条家を離れて犬山までやってきた。この侍達に農民まで付いて来たのだ。

 強い後ろ盾を持たない農村は略奪の対象でしかない。こういう時に農村同士の諍いが顕在化し、農民が殺し合う。それを止める大名家が機能していないのだから、もう止まらない。結果、家や田畑を焼かれた者は多数、命があるだけマシという状況だった。絶望に落ちた彼等の目に多数の侍が旅に出るのが見える。聞けば土佐一条家の元家老の土居宗珊が尾張国で家老職を得て四国の侍を呼んでいるのだという。あの土居宗珊なら自分達の面倒を見てくれる、何とかしてくれる。そこに一縷いちるの望みを見た農民達は次々に侍達に同行した。侍と一緒なら襲われる確率が格段に下がる。そして多数の侍とそれを遥かに上回るとんでもない人数の農民が到着した。その数、50村分を超えていたという。

 流石の宗珊も唖然とした。侍と共に農民まで来るとは思っていなかった。とはいえ、この数は養えない。宗珊の許容範囲を遥かに超えていた。だからといって帰れとも言えない。彼等に帰る場所はもう無いのだから。


「そんなのどう捌いたんだよ、兄者は」


「あの時は奇しくも犬山の大開墾事業の真っ只中。人手が足りなくて困っていた殿は四国の農民達を丸ごと事業に放り込んだ訳です」


「なるほど、それが時が経つにつれ土着し3割にもなる大勢力になったと。そして出身地域から宗珊殿の支持基盤になっていると。強大無比じゃないか」


 この人数には恒興も唖然とした。だが、直ぐに気を取り直して、この災いになりそうな事を福へと転じた。恒興はこの『四国民』を丸ごと犬山の大開墾事業に投入したのだ。

 犬山の開拓は恒興が城主になった時から始まった。だが尾張全体の開拓事業は大谷休伯の仕官と共に開始されたと言ってよい。恒興の城主就任と大谷休伯の仕官にはタイムラグがある。

 これで何があったかと言うと、恒興が犬山の開拓事業を始めた頃には流民が殆ど居なかった。流民を他の場所に取られた状態だったのだ。故に人が集まらず犬山の開拓事業は当初、頓挫しかけていた。恒興も織田信長に人足を要求申請しようか悩んでいた時だったのだ。

 犬山の大開墾事業に参加した四国民は開拓村が出来るにつれて土着していった。彼等は土着を推進した恒興に感謝しつつ、土居宗珊を頼る様になる。これがそのまま土居宗珊の支持基盤となった。


「更に問題なのが、殿なんですよ」


「まだあるの!?」


「犬山では様々な産業が発展しました。特に鉄鋼業や養蚕業は素晴らしいと言えます。しかし、これらをたった2年、犬山の民だけで可能だったかという事なんですよ」


「そうか、兄者は領外から人を連れて来たのか!それで急速な発展に繋げたのか!」


「そういう事です。犬山に無いなら有る場所から連れて来ればいい。そんな政策を実施してまして、法令も余所者重視の物が多いのですよ。これが池田家と犬山地元民の乖離に繋がっているかと思えますな」


「在地大名が地元軽視とか。下手を打つと兵士が集まらなくなるって」


 犬山の発展は地元民の努力によって成し遂げられた、と言うのはかなり無理がある。寒村しかない場所を2年で大都市にするには無い物が多い。そのために恒興が採った政策は『無いのなら有る所から持って来れば良い』という近距離の移民政策だった。

 だが戦国時代の移民は非常に難しい。まず第一に地元民が余所者を受け付けない。殺害するケースも多々ある程だ。尾張国は比較的に寛容だと言えるが、それは小作人の話である。普通の移民には他所同様に厳しい。

 第二に移住はなかなか根付かない点だ。地元民が寛容ではないため、移民は居心地悪くイジメられる場合が多い。これが武士だと話は変わる。地元民といえど武力を持つ武士に手を出すのは躊躇うし、由緒正しい家柄だと有り難がる性格もあるので武士は他国でも再起しやすい。

 だからこそ恒興は余所者が根付き易くなる様な優遇措置を講じる事が多い。これが犬山発展の基礎であり、犬山地元民が蔑ろにされていると感じる原因でもある。


「池田家政は二大巨頭政治なのに住民は3派閥に分かれています。その他3割が殿の『余所者派閥』、四国民3割が宗珊殿の『四国派閥』、そして最大派閥である『地元派閥』には誰も居ないという状況になってしまいました」


「普通、兄者は『地元派閥』だろ。まさか気付いてないとか?」


「いえ、殿はしっかりと認識しているはずですよ。解っていて尚、余所者優遇政策を為さっております。何故なのかは殿に聞いてみないと分かりませんな」


「それは兄者に直接聞いてみるよ。しかし兄者が2万石に鵜沼城まで渡してきた意味が何となく解ってしまったなぁ。俺に地元派閥の面倒を見ろって事か」


(同じ余所者である私から言わせて貰えれば、殿の政策は有り難い話なんですがね。余所者は何処に行っても嫌われる、居場所も無い。それが当たり前の世の中で犬山は流民や元小作人の受け皿になっている。殿なりの責任感なのでしょうかね)


 犬山に暮らす人々に3つの派閥がある。元々犬山民の『地元派閥』、四国からの移住者である『四国派閥』、そして流民や元小作人や近隣移住者の『余所者派閥』がある。それぞれの派閥が頼る人物が重要になってくる。『余所者派閥』は池田恒興、『四国派閥』は土居宗珊、『地元派閥』には誰も居ないという普通は有り得ない状況で犬山は経営されてきた。このままだと『地元派閥』が「自分達はないがしろにされている」と感じ、徴兵などに応じない事態も想定される。

 その状況を生み出したのは池田家政が池田恒興と土居宗珊による二大巨頭政治にある。代表者が二人しかいないのに派閥は3つある。必然的に一つ余るという事だ。

 これには恒興も手を打った。飯尾敏宗が実家を継承したタイミングで領地持ちにし、嫡男にも嫁を出して準一門衆位の格を設定した。しかし考えてみて欲しい。武人然とした飯尾敏宗に池田恒興、土居宗珊に比肩し得るだけの政治力を発揮出来るのかと。無茶言うなというくらいに無理だったので恒興の目論見は失敗した。

 そこで恒興は『2万石領地持ち』『城主』『一門衆筆頭』『恒興の相婿義弟』『地元豪族』『元・織田伊勢守家の家老家』と山内一豊の属性をてんこ盛りにした。これで飯尾敏宗と共に地元派閥の代表者となれば、漸く池田恒興や土居宗珊と比肩出来るのではないかと恒興は考えたのだ。

 つまり民衆三派閥に対し、三頭政治に切り替える必要があるのだ。一豊は己に課されている責任の重さに目頭を押さえてしまう。有り得ない程の破格の待遇に飛び付いてしまった一豊だったが、考えてみればあの・・池田恒興が何の理由も無く破格の待遇を提示する訳が無いのだ。


「うーん、これは素早く勢力を整えないとマズイな。弟も呼び戻さないと」


「一豊様に弟くんがいるの?」


「ああ、千代は会った事がなかったな。山内康豊って名前で『浮野の戦い』の後、直ぐに仕官先を探しに行って行方不明ではあるんだけどさ」


「ふむ、それは心配ですな」


 山内一豊には実の弟がいる。名前を山内康豊といい、織田伊勢守家が滅亡した『浮野の戦い』の直後に仕官先を探す旅に出た。「尾張は織田信長が完全制圧するだろうから、他国で仕官する」という事を桶狭間の戦い前に言っていたらしい。


「あ、康豊様なら近江国で会いましたよ」


「え?為浄、もしかして居場所知ってるのか?既に仕官済とか?」


「いえ、放浪してましたね。聞いた所、一度も仕官出来てないと」


「だよな。やっぱり仕官って物凄く難しいよな。為浄、康豊のヤツは呼び戻せるか?」


「居場所は分かりますのでお任せを」


 織田信長を避けて近江国に行った山内康豊だったが、やはり仕官までは辿り着けなかった。実に4年も放浪しているとの事。五藤為浄は近江国で康豊と会っているので連絡を取るのは容易いとの事。

 大谷休伯は思い出した様に懐から手紙を取り出し、山内一豊に手渡す。


「ああ、そうそう。一豊殿、殿から書状が届いてますのでどうぞ」


「これは済まない、休伯殿。さて、兄者は俺に何をしろと言ってきたのかなーと……えー、何だコレ」


「どうしたの、一豊様?お兄ちゃんは何て?」


「……『んな、ボケ』って書いてある」


「ええー……何それ……」


 山内一豊と千代は恒興の手紙の内容に絶句する。それを聞いた大谷休伯は恒興の手紙の内容を補足する。


「ふうむ、コレはあれですな。一豊殿は鵜沼に入られたばかりですから、まずは鵜沼の各地を歩いて場所を把握しなければなりません。統治にしても戦いにしても、自分の庭が分からないのは問題ですからな。それにかこつける形で各村の村長達と会い話す事も重要です。顔を売る必要がある訳で、それと同時に村で困っている事を聞き出すのも重要ですな。それに対して解決策を講じたり、改善を約束する事で信頼を得ていくべきである、と言う事を殿は仰っているものと思われますな」


「休伯殿の超訳が有能過ぎる!て言うか、兄者の言語圧縮が途轍もなく酷い!たった5文字にどんだけ意味乗せてんだ!?つーか、『ボケ』は要らんだろーーーっ!!」


 手紙の内容を補って余りある程の休伯の説明を一豊は『超訳』と評した。そして恒興の言語圧縮が酷い事と『ボケ』は必要ないと嘆いた。


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【あとがき】


 清良さん達が来る事になる初期のお話ですが覚えていらっしゃいますかニャー?アレが進むとこうなるんですよ。ここは人と人の信頼関係の度合いが重要なので、非常に説明が難しいです。しかし言葉にしてみるとべくのすけでも「酷いな、これは」と思う程でしたニャー。戦時中はどうなるんだよ、とか考えてはいけません。

 恒興くんが何故、地元無視のその他民重視なのかを書こうかと思いましたが長くなるのでまた今度としますニャー。

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