真の敵 with甲賀攻略戦 真相編

 織田家による甲賀攻略戦は終了した。現在、池田恒興率いる織田軍は自らが造った付城の片付けに追われている。要所の城は残すつもりではあるが、それでも9割は解体する。

 一方で甲賀でも動きがあった。織田家との和睦が為ると同時にある者達が行動を開始。甲賀の各地へと散って行った。その一つ、多羅尾光俊の領地にて多数の女性達が目を輝かせながら集まる場所があった。


「絹、これが絹。ああ〜、良い手触り感」


「凄いわ!絹が買えるなんて!」


「でも、着物は流石に高価よねえ」


「そんな女房様方にこちらは如何ですかな?」


 絹を前に燥ぐ女性達に加藤図書助は絹で作られた小物類を見せる。図書助が扱う絹織物は安いと言えど絹は絹である為、着物となれば値が張る。そこで図書助は着物用の反物だけではなく、いろいろな小物類にも絹を活かした。


「こ、これは『巾着袋』」


「『櫛入れ』に『下帯』まで絹なの!?」


「これはお値段も手頃だわ」


 犬山の絹女達も最初の頃は上手く反物に出来ない事も多々あった。着物の反物に出来ない物は通常、廃棄せざるを得ない。これでは絹女達の給金を満足に支払えない。恒興と図書助が頭を悩ましていた時に、側室の藤が「着物に使えんのなら、小物に使うたらええ」と案を出した。彼女自身、前々から絹の小物が欲しかったらしい。そして池田家女性陣の意見を徹底的に詰め込んで生まれてきたのが絹の小物商品だった。これらは値段もかなり手頃なため、図書助の店でも売れ筋の商品となった。


「着物一着はかなり値段が張りますが、小物類ならそれなりですよ。密やかな贅沢は如何ですかな?」


「凄いわね。でもどうしてこんなに安いのかしら」


「西陣なんてとんでもない値段してるのにね~」


「偽物じゃないのよね?」


「たしかに西陣織はとても高価ですな。そこには芸術的価値もあるのですが、何より『生糸がから産』だからという理由があるからですよ。その点、こちらは自分達で生産した生糸を使っているので、比較的安価で売れるんですよ」


 西陣織はとても高価である。その値段は大名ですら躊躇するレベル。もちろん、その値段に見合う程の芸術的価値があるのだが、値段の高さの真の理由は『生糸が唐産』という所にある。

 からというのは現代でいう中国大陸の事。大唐とも言う。戦国時代は明朝の時代なので日の本の人々は『大唐の明朝』と呼んでいる。唐朝が滅びた事を知らない訳ではないが、唐朝が日の本に及ぼした影響が大きいので未だに大唐やからと呼んでいる。

『生糸が唐産』という事は海を渡って日の本に輸入されているので、当然ながら大変高価である。何故、西陣織はそんなに高価な生糸を使うのかというと、生糸の質が唐産と日の本産で段違いに変わるからだ。日の本の蚕は大陸から伝来して千年以上になるが、品質は変わっていない。それに比べると唐産の蚕はその千年の間も品種改良が繰り返され、品質では到底敵わない差がある。

 なので唐産の生糸を使う絹織物は大変高価で、自前で養蚕をしている犬山織は質は低いが安く販売出来るのである。


「へえー、生糸を生産って凄いわね。何処で作ってるのかしら?」


「犬山ですよ。故にこの絹織物は『犬山織』と呼ばれておりますな」


「い、犬山……」


「そこって、たしかあの・・池田恒興が城主の……」


「あ、あはは。皆さんにとっては敵将でしたな。これは出してはマズイ名前でしたか。申し訳ない」


 恒興の名前が出た途端に甲賀の女性陣の顔が一気に暗くなる。つい先日まで戦争をしていた相手の名前を出すのは流石にマズかったか、と図書助は己の迂闊さを呪う。そんな彼の後悔を吹き飛ばす様に甲賀の女性陣は笑い出す。


「「「アハハハハ!」」」


「別にそんな事ないって。だって池田恒興ってアレでしょ。『甲賀が怖くて入ってこれなかった人』!」


「そうそう、甲賀の入口に陣取ってずっと引き籠もってたって」


「まー、その分、経済封鎖とかドぎつい事してくれたけどね」


「ほんと嫌よね。陰に籠もる人って」


「やる事が地味にえげつないのよ。男なら正々堂々と戦いなさいよね、まったく」


「ま、もう戦いは終わったし、図書助さん達のおかげで何とか堪えれたし。感謝してるわ」


「ハハ……お役に立てた様で何より」


 思いの外、池田恒興は恨まれていない様で図書助は安堵した。しかも弱将と舐められている節さえある。おそらくは甲賀の男達がそう吹聴しているのだろう。「自分達は負けてない、相手がヘタレで和睦を提案してきたから受けただけだ」くらいに言っているのかも知れない。まあ、織田軍が甲賀に来ないのだから言いたい放題だ。甲賀内だけの話なので図書助も調子を合わせる事にした。

 その様子を遠くから眺めている男が二人居た。多羅尾光俊と鵜飼勘佐衛門である。彼等は屋敷の門前から見える津島会合衆による新しい賑わいを見にきたのだ。


「ふむ、各地で盛況の様だな」


「はい、甲賀の各地で津島会合衆の支店が次々に出来ている様で。市でなくとも物が手に入るのは便利だと皆喜んでいます」


「甲賀の各領主も津島会合衆を受け入れたか」


「戦の際には世話になりましたからな……むっ?」


 そこにズカズカと足音大きく三人くらいの者達がやってくる。身形の整った三人組、代表者は一人で他は従者の様に控えている。その代表者は多羅尾光俊の前まで来ると不機嫌を隠そうとせずに叫び散らした。


「多羅尾殿、これはどういう事だ!?」


「これは仰祇屋おうぎやの番頭の。何かありましたかな?」


 代表者の男は近江商人の一つである仰祇屋おうぎや、その番頭を勤める者だ。他の二人は仰祇屋の丁稚奉公人だろう。


「何かあった、ではない!何故、津島会合衆の連中が甲賀で商売している!?誰が許可したのだ!?」


「誰が許可したかなど愚問だろう。我々、甲賀領主以外にいるのか?」


 番頭は多羅尾光俊を糾弾する。元々、甲賀は近江国であり、当たり前の様に近江商人の縄張りだ。そして多羅尾家の領地で専属的に商っていたのが、この仰祇屋であった。つまり仰祇屋にしてみれば、戦が終わって縄張りに来てみれば津島会合衆が甲賀中で支店を開いている状態。鳩が豆鉄砲を食った様に驚いて光俊の所に苦情を言いに来たのだ。

 それに対して光俊の態度は素っ気無い。そもそも縄張りと言うが、多羅尾光俊は認めた事がない。その父親も祖父もだ。それよりも遥か以前から縄張りとしていて領主の許可など取らないのだ。


「何という暴挙を。お前達は『近江国では近江商人以外が商ってはならない』という帝の勅令を知らないのか!?甲賀は朝敵になるという事だぞ!」


「クッ、アハハハハ」


「な、何がおかしい!」


「いや、済まない。久々にその戯言たわごとを聞いたと思ってな」


「何だと!」


「その勅令の正確なものは『近江商人は国外で商ってはならない』だろう。近江商人の勢力が強過ぎて都商人の権益が侵された。故に都商人が強訴して帝から勅令を出させたのがこれだ。意味は『近江商人は都に来るな』であり、他の商人が近江国で商ってはならない訳ではない」


 近江商人は『近江国では近江商人以外が商ってはならない』という帝の勅令があると言って、近江国は完全に支配下に置いている。いや、これは正確ではない。帝の勅令が下る前から近江国は近江商人の独壇場であった。

 ただ、本当の勅令は『近江商人は国外で商ってはならない』である。これは平安時代に近江商人の力が大きくなり、都の商人の権益を侵し始めたので出された。都の商人が悪僧と手を組んで朝廷に強訴した訳だが。

 そういう経緯もあり、近江国に生きる全ての人々は近江商人に従う他なかった。逆らえば簡単に荷留めが出来る。他国の商人は近江国に干渉も出来ない。大名も湖賊も、そして甲賀も逆らえない程に強い。だから多羅尾光俊も帝の勅令が『近江商人は国外で商ってはならない』である事を知っていても口外は出来なかった。彼等の不興を買えば、甲賀そのものが苦しむのだから。

 だが、もうそんな必要は無くなった。津島会合衆の商人達が大手を振って甲賀へ進出を始めたからだ。今回の戦で甲賀を助けてくれた津島会合衆を甲賀の民衆は喜んで受け入れた。甲賀の各領主も空き家などを斡旋して津島会合衆が素早く営業出来る様に取り計らった。

 そして、のこのことゆっくりやって来た近江商人が面食らっている現状だ。


「い、今までの恩義を仇で返すと言うのか」


「我々もずっと嫌だったのだ。依頼とはいえ罪も恨みも無い者達を襲わねばならないのは。お前達、近江商人の都合だけでな。我々に汚れ仕事ばかりやらせておいて恩義と抜かすか」


 近江商人の力は絶大で、他国から近江国を通る商人にも及んだ。近江国を通る商人達には通過料等を課し、支払いに応じない者達は『謎の山賊や湖賊』に襲われる事になる。謎の山賊とは甲賀衆、謎の湖賊とは堅田衆の事だ。彼等は近江商人に逆らえない為、野盗働きをせざるを得なかった。脅されて仕方なくやっていた事を『恩義』など感じる訳がない。


「今回の戦でお前達は何をした?津島会合衆の者達は捕縛者を出しながらも甲賀に物資を届けてくれたぞ。津島会合衆の進出は甲賀の意志、既に彼等の排除は甲賀の民衆が許さぬだろう。帰られよ」


「く、くく……!」


 今回の戦で津島会合衆は見知らぬ他人から信頼出来る隣人とまで甲賀内での評価が高まった。彼等が居れば近江商人の荷留めなど効果は無い。

 してやられた事を認識した仰祇屋の番頭は歯噛みした。


「ほら、お頭が帰れって言ってんだ。帰れ帰れ、しっ、しっ!」


「おのれぇ、必ず後悔するぞ!どうなっても知らんからな!」


 月並みな台詞を吐いて、仰祇屋の番頭は帰って行く。光俊と勘佐衛門は冷ややかに彼等を見送った。


「キャンキャンと五月蠅く吠えるものだ」


「お頭、塩撒いときましょう、塩」


「フ、勘佐衛門よ。塩は貴重品だぞ」


「あっといけねぇ。すいません、お頭、いつもの癖で」


「私もだ、倹約生活が身に沁みてしまった。もう塩の心配をする必要はないのにな。ハハハ」


 光俊は朗らかに笑う。こんなに気分良く笑ったのは何時以来だろうかとも思う。その理由の一つは池田恒興の真の目的を理解した事にある。


(ここまで来て漸く理解出来た。池田恒興の目的は甲賀でも六角御当主でもない、近江商人なのだと。彼は昔から甲賀を雁字搦がんじがらめに縛っていた近江商人の鎖を事も無げに斬り伏せた。そして甲賀の民が先々に困らぬ様に津島会合衆を引き入れた。つまり甲賀を解放する事で『近江商人との離間策』を施した。これが池田恒興の真の目的だった)


 恒興が行った付城戦術で近江商人は悉くが排除された。つまり甲賀は流通の空白地帯となり、代わりとして津島会合衆が入り込む。おそらくは最初から恒興の指示だった。

 では何故、恒興はこんな策謀を用いて津島会合衆を支援したのか。それは近江商人が強過ぎるからだ。津島会合衆が普通に進出しようとすれば必ず叩き潰される。近江商人が使える甲賀衆などの暴力装置に襲われる。更に近江国の通行すら許可が出なくなるだろう。津島会合衆は東国の財を京の都に持って行かないと大損では済まされない壊滅的なダメージとなる。だから今までは近江商人の言う事を聞かねばならなかった。どんなに法外な通行料を請求されても唯々諾々と呑まねばならなかった。この状況は近江国を流通路にする全ての商人に適用される。もちろん、堺会合衆も例外ではない。

 だから恒興は近江商人の暴力装置の切り離しに動いたのだ。既に京の都までの道程は織田家で確保した。堅田衆は拠点を抑え、物流は織田家から融通すれば済む。支配地域の広い甲賀には近江商人に代わる商人を丸ごと紹介した訳だ。

 その結果、甲賀の民衆は近江商人を見限り、津島会合衆を良しとした。近江商人は普段から甲賀に汚れ仕事を押し付けてくるのに、いざとなったら助けてくれない。しかし津島会合衆は見知らぬ他人に近いのに、必死に甲賀の物流を支え続けてくれた。甲賀の民衆の感情としても近江商人より津島会合衆の方が頼りになると変わっていた。


(四方よもや、こんな形で甲賀が解放されようとはな。新しい時代の到来を感じる。……一度、池田恒興と会ってみたいものだ。まあ、口実は幾らでもあるか)


 もうどれくらい昔なのかは判別出来ないが、甲賀はずっと近江商人に逆らう事は出来なかった。遥か昔からいろんな武家が京の都を目指して近江国に来たが、その誰もが近江商人と手を結んで賄賂などの『甘い汁』を吸う事しかしなかった。民衆の窮状に目を向ける者など存在しなかった。

 織田信長は日の本で初めて彼等にNOを突き付けたのだ。既存権益におもねらない織田家の有り様に、多羅尾光俊は新しい時代の到来を感じるのであった。


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 その頃、池田恒興は付城の片付けを行なっていた。既に甲賀への通行規制なども全面解除となり、池田軍兵士は付城解体作業に忙しくなっていた。その様子を監督しながら恒興は感嘆の声を挙げる。


「はー、終わった、終わったニャー。あとは付城の片付けか」


 緩みきった恒興の様子に付き従う土居宗珊や加藤政盛も頬が緩む。しかし二人の目付きは直ぐに真剣なものに戻る。二人は恒興に聞かねばならない事があるので付いてきたのだから。


「それはよう御座いましたな、殿。それでそろそろ種明かしをして貰えますかな?」


「ニャんの?」


「今回の付城戦術の件です。あれは甲賀攻略のみが目的ではありませんな」


「何故、そう思うんだニャー?」


「資材の量です。明らかに多かったですからな。某が殿から聞いていた量の優に5、6倍は有りましたから。アレはいったい何処から出て来たので?」


「……」


 付城を造るには当然の事だが資材が必要だ。当初、土居宗珊が聞いていた資材の量は甲賀を抑え込むにはギリギリといった感じであった。だが、いざ付城の建設に取り掛かってみると資材が有り得ない程に増えていた。そして有り得ない数の付城を造りに造った。そんな数を造ってもまともに守備兵を置ける訳もない。結局、主要な拠点以外は20〜30人程度しか配置出来ず、検問程度にしか役に立たなかった。そう、ただの検問だった。これで疑問を持たない訳がなかった。

 まだしらばっくれている恒興に、今度は加藤政盛から攻勢を掛ける。


「殿、私は商家出身です。だから商人の考え方は解るつもりです」


「そりゃそうだろうニャー。お前んちの家業ニャんだし」


「だから思うんですよ。……今回の件、親父達が関わってますよね?」


「だからニャんでそう思う?」


「出陣前、実家に帰った時、親父が出店準備でそわそわしてたんですよ。支店を出すなんて幾らでもしてきた親父が珍しいなとは思いましたが、今思えば甲賀に出店するからそわそわしていた。そう考えれば合点がいくんですよ。あの『近江国』に出店するんですからね」


「……」


 加藤政盛が実家の熱田に帰った時、父親である加藤図書助は忙しく出店準備をしている場面を目撃した。その時は「いつもは殆ど人任せなのに珍しいな」と思う程度だった。

 その後、津島会合衆が甲賀への密輸に動いている事を知り、政盛はかなり焦った。もしかしたら実家まで巻き込まれて織田家から罰せられるかも知れないからだ。報告して首謀者を調べ上げてやると意気込んだ政盛だったが、その首謀者が恒興だったというオチが付く。

 そして冷静になった政盛は密かに調べた。その結果、父親の加藤図書助もガッツリ密輸に動いていた。恒興公認なのだから当然ではあるが。だから気付いたのだ、この動きは最初から計画されていたのだと。では図書助が念入りに準備していた出店準備は何処か、など最早聞くまでもない。


「某と政盛の話を総合すれば、あの大量の資材は津島会合衆から出てきた。そして津島会合衆は甲賀進出を狙っていた。そして殿もそれに準じて動いたのではありませんかな?」


「ニャハハ、バレたか。そうだよ、今回は津島会合衆が甲賀に進出したいと言ってきたから、付城戦術にしたんだニャー。その対価として資材を大量に用意して貰った訳だ」


「やっぱり親父達が関わってた!……まさか付城戦術の本当の対象は、『商人』なんじゃ……?」


「冴えてるじゃねーギャ、政盛。そうだよ、ニャーは『近江商人』に向けて付城を配置したんだニャー。あの付城は甲賀から出さないためじゃない、甲賀に入れないために造ったんだニャー。近江商人を強制排除して、空白になった甲賀に津島会合衆を入れるためだ」


 真相を暴かれた恒興は堰を切った様に喋り出す。いや、喋りたくて仕方がないといった感じの表情だ。

 恒興は甲賀攻略のために付城戦術を行ったのではない。甲賀から近江商人を排除するために付城戦術を使ったのである。最初から標的は近江商人であった。


「じゃあ、長野様から報告があった木造家と田丸家の怠慢は殿の指示ですか!?」


「まあニャー。信包様の軍団の中でニャーが怠慢を指示したのは木造家、田丸家、北畠家、千種家、関家、神戸家、分部家……他に居たっけ?」


「長野様以外、全員じゃないですか!」


「当たり前だニャー。特に北畠家や千種家の兵士はヤベぇぞ。あそこの山林兵に本気出されたら、商人なんて逃げれる訳ないニャー」


 当然だが津島会合衆を見逃す様に、隙の有る警備体制にする様に恒興から伊勢国傘下大名に通達をしていた。通達しなかったのは織田信長の弟である長野信包だけだった。明らかに欺瞞の策謀なので主君の弟を関わらせるのを恒興が躊躇っただけだ。なので事情を知らない長野信包は活躍しようと空回りな頑張りを見せたのである。


「殿は何故、そこまで商人の意見をお受け入れになりましたのですかな?」


「理由なんて簡単だニャー。ニャーは『近江商人』が大っっっ嫌いだからだニャー。アイツラは調子に乗り過ぎだ」


 恒興が近江商人を標的にした理由は嫌いだから。子供か?と思える様な理由だが嫌いにもちゃんと理由はある。宗珊はよく解らない感じの表情だが、政盛はなる程と納得顔だった。


「ああ、それは分かります」


「……そうなのか、政盛?某にはいまいち近江商人の事は分からぬが……」


「日の本には『三大商人』というのが昔からあるんですよ。東国の財を管理する津島会合衆や駿河商人などの『伊勢湾商人』、瀬戸内の財を管理する堺会合衆や海外取引も行う博多商人などの『瀬戸内商人』、そして北陸の財を敦賀で荷受けして京の都に運ぶ『近江商人』です。この内で最も強者なのは『近江商人』なんです」


「そうなのか?堺会合衆よりも、とは想像もしていなかったが……」


『三大商人』という呼び方は昔からあるが、有名なのは江戸時代のもので『大阪商人』『近江商人』『伊勢商人』の事だ。江戸時代には堺が港機能を失った為、大阪が関西商人の新しい拠点になった。つまりは、ほぼ変わっていないのである。平安期からずっと変わっていないと言ってもいい。その理由は水運が3つに絞られるからだ。

 そしてこの戦国時代に最も強者であったのが『近江商人』となる。宗珊は商人に詳しい訳ではないが、それでも堺会合衆より強者というのは驚いた。


「ま、宗珊が分からんのは無理もニャい。アイツラはそんなに表に出てくる訳じゃないし。だが地理で考えれば直ぐに分かる筈だニャ。この日の本の財はある場所を目指してやってくるんだ。関東東海からの『東国水運』、奥州北陸山陰からの『北陸水運』、西国からの『瀬戸内水運』、だいたいこの3つの水運を使ってやってくる」


「皆、京の都を目指している訳ですな」


「そうだ。この内の2つ『東国水運』と『北陸水運』は京の都に入る前にある国に集結する。それが『近江国』だニャー」


「たしかに」


「だからニャんだけど、近江商人は昔からあらゆる財物を扱える。とんでもなく力を持っていて物流操作も出来るんだニャー。何しろ、黙ってても品物がやってくるからニャー。六角家もコイツラに長年に渡り苦しめられた筈だ」


 日の本には3つの水運がある。関東や東海から成る『東国水運』、奥州北陸山陰から越前国敦賀に集う『北陸水運』、そして博多をはじめとした西国や外国の財を運ぶ『瀬戸内水運』だ。この3つの水運に優劣は無い。そもそも扱う財物も違ってくるので差など付けられない。

 だが日の本には一箇所だけとんでもない『難所』が存在する。それが『近江国』である。何故ならこの近江国は東国水運と北陸水運の品物が集う唯一の国なのである。そのため近江商人は何もしなくても大量の品物を扱う事が出来る。品物の方からやって来ると言っても良い状況だ。

 そのため、遥か昔から近江商人は力を持っていた。日の本の物流が機能し始めた平安期になると近江商人は大きく力を付けた。敦賀を押さえ、平安京にも勢力を延ばした。平安京への進出は都商人の強訴による勅令で防がれたが、近江国は完全に近江商人が掌握する。

 これで近江商人の天下かというと、そうでもない。武士の発生である。とりわけ、京の都の隣である近江国は戦場になる事が多く、近江商人も武士達にはかなり手を焼いた。しかし彼等は粘り強く『日の本の物流』を武器に一つ、また一つと武士を押さえ付けていった。近江商人はこの物流操作を武器に近江国に関わる者達から利益をせしめる存在となった。


「更には自分達のいう事を聞かない勢力に対しては悪漢を雇うなどして物流の妨害までしてくる始末だニャー。大名でも脅して来るぞ、コイツラは。物流止めるぞってニャー。天王寺屋の義父殿もかなり高い通行料を支払っているはずだ。商品を法外に安く卸すとかニャ」


「商人がそこまでの事をやるとは……。某もまだまだ見識が足りませんな」


 近江商人は幕府などの巨大権力には賄賂を贈り権益を認めてもらう。彼等の要求など近江国の権益くらいで賄賂の額で何とでもなる。そして周りの大名や武装勢力を脅して、自分達の武力とする。日の本の物流の大部分が近江国を通らねばならない以上、近江商人の力は絶大になる訳だ。

 既に近江商人は足利義昭の下に賄賂を持って行っただろう。そして織田信長の所に行って自分達の権利を認めろと脅しているはずだ。当然、信長がそんなものを承諾する事はない。こうして織田家と近江商人の戦いが始まる。恒興の前世ではそうだった。

 そこで恒興は信長と事前に打ち合わせして、近江商人の要求を保留にして返答を引き延ばす事にした。本格的な敵対は恒興が近江商人に一撃を入れてから始めるとしたのだ。その一撃こそが『甲賀攻略戦』だった。


「だから切り離したかったんだ。妨害の依頼者である『近江商人』と悪漢業務を請け負う『甲賀衆』を。甲賀だって嫌な汚れ仕事だとは思っていただろうが、やらなきゃ郷に物資が入らなくなる。生活していけなくなる。どんなに嫌でもやるしかニャいんだ。だからニャーはその根本をぶった斬ってやったんだよ」


「それで津島会合衆の甲賀進出を後押ししたんですか。そりゃ、親父も浮かれる筈ですよ。近江商人に煮え湯を飲まされてたのは親父も一緒ですから」


「あと悪漢業務を請け負っているのは湖賊の堅田衆だと思うが、こっちは拠点を抑えるだけで済む。元の運搬業務に専念してくれるだろうニャー」


 特に問題となるのが悪漢業務を請け負う甲賀衆と堅田衆だ。彼等を動かされると津島会合衆も堺会合衆も近江国では動けなくなる。だから恒興は上洛戦に託けて甲賀衆と堅田衆の制圧を優先した。近江商人から解放された彼等が今度は近江国の流通を守る側に付くという事だ。流通さえ無事なら織田家は近江商人を恐れる必要もない。故に先制攻撃は秘密裏に行う必要があった。近江商人が気付いて先に甲賀衆や堅田衆を動かしていたら、かなり苦戦しただろう。


「では、近江国全域に津島会合衆を進出させるのですかな?」


「いいや、ここまでだニャー。近江国は堺会合衆の勢力が及んでいるから、そっちにやらせるニャー。それに……津島会合衆が第二の近江商人になったら困る」


「親父達に限ってそんな事は……」


「地理で考えるニャー。津島会合衆が近江国を抑えたら、北陸より東国の財を優先して売るかも知れんだろ。その方が儲かるのは間違いニャいからな。だが日の本全体で考えれば、それは悪徳でしかない。それにニャーは図書介殿達の事は言ってねーギャ。彼等ならそんな事はせんだろうが、その2代後、3代後はどうニャんだ?やらないと言えるのか?」


「そ、それは……」


「だから最初から出来ない様にしておくんだニャー。それなら堺会合衆の方が平等だろう。堺は北陸も東国も両方欲しいからニャ。それに堺会合衆の影響力は近江にもある。津島会合衆が近江国に勢力を伸ばすと最悪、津島と堺で争いに発展するかもだニャ」


 恒興の計画では津島会合衆の進出は甲賀地域までとしている。津島会合衆の大店は既に承諾済となっている。

 ここからは堺会合衆が恒興と共に近江商人へ攻勢を掛ける予定である。北陸の財や東国の財を一番商いたいのは堺会合衆をはじめとした西国の商人だ。なので堺会合衆は近江国にそれなりの伝手がある。これを利用して近江商人内の切り崩しを行う算段となる。

 あとは近江国を誰が仕切るのか、だ。これは堺会合衆と織田家が決めた。これは堺会合衆を織田家傘下に入れるためのエサとなる。

 そして近江国に集う財を誰が扱うのかが問題となる。もしも津島会合衆となると北陸の財は大して必要としないので東国の財を優先して販売するだろう。その方が儲かるからだ。だがそれは日の本全体を考えれば悪徳というしかない。それなら北陸の財も東国の財も商いたい堺会合衆の方がまだ公平と言える。

 津島会合衆は甲賀進出で我慢してもらったという事だ。近江商人という共通の敵を叩く目的があるので不満を述べる者はいなかったが。


「では、近江商人に対し武力は行使しないのですな」


「当然だニャ、宗珊。それは牛刀割鶏ぎゅうとうかっけいってもんだ。武家には武家の倒し方、商人には商人の倒し方があるニャー」


「それを聞いて安心致しましたぞ」


 宗珊は商人に対して武力行使はあるかと尋ねる。もし恒興が武力行使まで考えているのなら止めねばならないと思ったからだ。

 それに対して恒興は『牛刀割鶏』と返す。その意味は小さな鶏を捌くのに牛刀の様な巨大な刃物を用いる。つまり『大袈裟おおげさに過ぎる』という意味だ。恒興は鶏 (商人)を捌くのに牛刀 (武家の倒し方)を用いる真似はしないと断言したのだ。


(近江商人……ようやく手が届いたニャー。原初日の本の支配者よ、お前達の時代を今こそ終わらせてやるニャ)


 恒興は感慨深くこれまでを噛み締める。その表情は『喜』を表す嗤い顔だった。

 近江商人の強さの源は近江国そのものである。日の本、いや大和朝廷の都は何度も遷都しているが、大和国周辺ばかりだった。だからこそみなとと接続するには近江国を通らねばならなかった。湊とは敦賀の事で他国の使者も来る日の本初の貿易港であった。大和朝廷が外国と交渉する前であっても敦賀は『越の国』などの北陸に接続出来る重要港だった。だからこそ近江国の強さは遥か昔から絶大なものだった。

 故に近江国からは海外遠征までした日の本最強の女帝や大和豪族の殆どを敵に回しても互角に渡り合った強き帝が輩出された。彼等が近江国の力を背景にしていたのは疑うまでもない。

 この強大な軍事力まで有していた近江国だったがある帝により完膚なきまでに叩き潰される。その残滓ざんしから近江商人が産まれてきたと言ってよい。敦賀が在り、近江国を挟んで都が在る限り、彼等は幾らでも力を付けられたのだ。


(お前達はまだ何もやってないのかも知れない。だが、信長様が言う事を聞かないと判れば、直ぐに牙を剥いてくる事をニャーは知っている。大して仲が良い訳もない浅井家と朝倉家を結び付け『金ヶ崎の退き口』を起こした。本願寺決起を見計らい浅井朝倉連合に宇佐山城を攻撃させた。更に比叡山も使い、彼等を匿わせた。……そう、あの『織田家包囲網』を形成したのはお前達、『近江商人』だニャー)


 恒興は知っている。近江商人の過剰要求を織田信長が撥ね退けた時から戦いが始まった事を。信長も恒興も当時は「商人ごときに何程の事が出来る?」と舐めていた。だがここから信長の苦難が始まる。

 追い掛けている六角親子は誰かに庇われているかの様に捕まらない。金ヶ崎では義弟であるはずの浅井長政が特に仲も良くない朝倉家の味方をした。朝倉家は見下していたはずの浅井家と対等の同盟を結ぶ。更に三好三人衆や荒木村重が攻勢を掛け始め、更に本願寺が信長に対し一向一揆を決起する。比叡山延暦寺が浅井家や朝倉家を匿うなど、所謂『第一次信長包囲網』が展開される。

 あの一連の動きの絵図面を描いた者達こそ、『近江商人』であると恒興は知っているのだ。加賀国に勢力がある本願寺も近江商人は動かせるかも知れないとも疑っている。関係無いのは三好三人衆くらいで、彼等は信長に隙があるからやって来た程度だ。


(ニャーは転生出来たから、今度こそ上手くやろうとか、本懐を遂げて幸せになろうとか考えてる訳じゃねーギャ。ニャーはただの『復讐者』だ。前世において森三左殿に信長様の弟君も2人、死なせる破目になった。そんな事はもう許さねーし、前世の分もツケにして纏めて支払って貰うニャー)


 あの『第一次信長包囲網』において信長は寵臣であった森可成を喪う。更に弟の織田信治と織田信興を亡くす破目に陥った。当時、信長の傍に居た恒興は、彼の悲しむ様を誰よりも見ていた。何も声を掛けられない程で、恒興はいたたまれない気持ちを覚えている。信長が苛烈に変わったとするならあの時だ。もうそんな事は許さない。恒興は自分が歴史の『復讐者』であると改めて刻み込む。

 この『第一次信長包囲網』の結果はご存じだろう。寵臣と弟2人を失った信長の怒りは凄まじく、朝倉義景は追い詰められた挙句に親族に裏切られて殺される。義弟の浅井長政は城に火を放ち自害して果て、比叡山延暦寺は焼かれた。そして本願寺には徹底的な殲滅戦を行い、伊勢長島は罪の有る無しに関わらず殲滅された。しかも騙し討ちという情け容赦無い手段で。そして首謀者である近江商人はとことんまで信長に叩かれ続ける事になる。だが信長は旧来の近江商人を叩くと同時に新しい近江商人も育てた。安土の楽市楽座だ。ここで儲けて頭角を現した者を優遇して新しい近江商人としたのだ。江戸時代に名を馳せる近江商人は彼等である。


(そうだ、ニャーの敵は最初から近江商人だ。六角家も甲賀衆も堅田衆もでしかニャい。奴等の暴力装置と財源を押さえれば勝ちだ。残る暴力装置は浅井家と朝倉家と比叡山延暦寺か。押さえるべき財源は『敦賀つるが』……まだまだニャーは忙しいニャー)


 近江商人が使える武力は全て外側にある。自分達で武力を持っていると叩き潰されるのは学習済だ。だからこそ近江国に関与する者達を武力としている大名に対する武力は六角家や朝倉家、浅井家の辺り。昔は若狭武田家や京極家もだ。そして幕府には賄賂で黙らす。

 一般に対しては甲賀衆や堅田衆が暴力装置となっていた。だから恒興は甲賀衆と堅田衆の制圧を最優先にした。津島会合衆や堺会合衆が襲われない為に。

 恒興は近江商人の暴力装置を一つ一つ引っ剥がしてやる。その様に思考を巡らせた。


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【あとがき】


 近江商人の仰祇屋は架空のお店ですニャー。最初は『扇屋』だったんですが、同じ名前のお店さんがあるので、それはマズイと思い文字を変えましたニャー。何れにしても架空のお店ですニャー。


 書き忘れた四国民が犬山に来れた理由。

 四国民が侍と共に移動→途中で合流者多数→阿波国に到着

 三好家「これは困るわー」→土居清良さん達が交渉→流血騒ぎにしたくない三好家が折れる→淡路水軍の安宅信康さんが対岸へ送る事になる→信康さん「こんな仕事、貧乏くじだー」

 三好家「早くどっか行け」

 六角家「早くどっか行け」

 浅井家「早くどっか行け」

 西濃豪族「見なかった事にする」

 で犬山到着

 家老「これは、どうすれば……」

 主君「宗珊、これは災いではないニャ。寧ろ吉兆、彼等を開墾事業に参加させるんだニャー!」

 家老「しかし、殿。食糧の問題が」

 主君「犬山の米蔵を開放する。それでも足りなきゃニャー所有の蔵も開放する。ニャーはこういう時の為に貯め込んでるんだからニャー。それでも保たないなら義父殿や図書助殿に借金してでも持ってくる!」

 家老「と、殿……」

 主君「宗珊、この開墾事業は絶対に成功させるんだニャー!」

 家老「ははっ!」

 その後、鵜沼城攻防戦にて斎藤軍が逃げて残された大量の物資を、ほくほく顔で犬山に持って帰る恒興くんがいたとかなんとか。


 更にその後。

 信康さん「父さんは長慶伯父さんに殺されるし、三好家はガタガタだし、織田家が凄い勢いで攻めて来てるし、もうどうしたらいいんだー!……はっ!そういえば昔、四国の侍や農民をただで舟に乗せてやったっけ。あの縁で織田家と交渉出来ないかなー?」

 清良さん「殿、実は……」

 恒興くん「ニャに、淡路水軍の元締である安宅信康殿が交渉を望んでいる!?でかした、清良!堺にも行かないとだし、これだけ早期だと淡路水軍を丸ごと味方に出来るかも。ニャー、ちょっと交渉に行ってくりゅううぅぅぅ!」

 となる予定。頑張れば一話分くらいありそうだけどキングクリムゾンしますニャー。

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