甲賀攻略戦の決着

 恒興の返答を得た山内一豊は直ぐに多羅尾光俊の所に報告に行った。多羅尾屋敷には一豊の主君である山岡景隆も居たので都合が良かった。

 そして一豊は恒興の返答を二人に報告する。恒興から交渉人に指定された山岡景隆は特に驚いていた。


「私が交渉人に?甲賀合議衆でもないのに?」


「はい……理由は聞けませんでしたが」


 彼が驚くのも無理はない。山岡家の源流は甲賀二十一家の伴家にあるとはいえ、山岡家はかなり前から甲賀を離れている。山岡家が瀬田城を築いたのはおよそ150年前となる。

 山岡家は甲賀出身豪族ではあるが甲賀を代表出来る立場ではないという事だ。


「一豊君、君の意見は入っていないんだね?」


「もちろんです。意見なんて欠片も言えませんでしたし」


「ふむ」


(嘘は無いな。彼は正直過ぎるくらいか。もう少し、腹芸というものが出来ないと……フッ、余計なお世話か)


 予想外の指名に山岡景隆は慌てているが、多羅尾光俊は特に動揺も無かった。嘘の欠片も見受けられない一豊に、もう少し虚実を扱えた方が良い

 とすら思ってしまう。光俊は余計なお世話だなと自嘲気味に笑う。


「多羅尾殿、これはどうすべきでしょうか?」


「考えてみれば、都合の良い話だ。山岡殿は甲賀豪族ではあるが甲賀を離れており、甲賀合議衆に名前を連ねていない」


 多羅尾光俊に余裕がある理由、それは甲賀合議衆から指名されていない事だ。実は多羅尾光俊自身が甲賀合議衆以外の交渉人を探そうとしていたくらいだった。


「たしかにそうですが、都合が良いというのは?」


「甲賀合議衆に名前を連ねている豪族に優劣は無い。全員が横並びで組織されている。だが、今回の交渉人に合議衆の誰かがなれば、その者だけ頭一つ抜けてしまう。それは今後に良くない影響が出そうだ」


「成程、合議衆の均衡を崩してしまう訳ですね」


 多羅尾光俊が危惧していたのは、甲賀合議衆内の均衡である。もし合議衆の誰かが交渉人になった場合、その者の功績だけ他の合議衆豪族より頭一つ抜けてしまう。つまり甲賀の勢力均衡が崩れる可能性がある。

 これは後に悪影響を及ぼしかねない。頭一つ抜けた者は甲賀の第一人者になろうとするだろうし、周りはそれを阻止に動く。争いになる。そこに織田家の意向まで加われば甲賀崩壊まで現実味を帯びる。だから交渉人は甲賀合議衆外の者が相応しいと光俊は考えていた。


「ああ、この事からも池田恒興は甲賀をよく知っているのだろうな。やはり身近に甲賀者が居るとしか思えないが、まあ、今更か」


 甲賀合議衆外の者を交渉人に選んだのは池田恒興だ。だからこそ強く感じる、池田恒興が甲賀を崩す気が無い事を。そして多羅尾光俊にとって都合が良いのは、合議衆を説得しやすいという事だ。何しろ、交渉人を選んだのは池田恒興本人なのだから。光俊の息が掛かっているか、などという疑いを掛けられずに済む。


「では、そのまま私が交渉人で良いと?」


「出来れば頼みたい。合議衆の方は私から説明しておく。反対者はいないだろうから、あとは山岡殿の一存だ」


「……やりましょう。今の私は甲賀の居候、少しは甲賀の為に働きたいので。一豊君、伴をしてくれ」


「はいっ、お任せ下さい」


「ご苦労だったね、一豊君。山岡殿をよろしく頼む」


「ははっ」


 こうして山岡景隆は山内一豊を伴に連れて小堤山城に向かった。


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 山内一豊を伴に馬を走らせ、山岡景隆は小堤山城まで辿り着く。池田軍の門番は即座に反応し、取次ぎの加藤政盛が出迎える。山岡景隆は一豊を待機させて単独で恒興に会う事にした。


「山岡殿、ようこそ小堤山城へ。ニャーが池田勝三郎恒興だニャ」


「お初にお目にかかります。山岡景隆と申します」


 当の恒興は広間ではなく、十畳程の一室で待っていた。明らかに他家の使者を応対する場所ではない。何しろ、恒興までの距離が近くなるので暗殺の可能性まで出るからだ。おそらくは両脇を堅めている二人が護衛なのだろう。親衛隊だと思われる。

 では恒興は何故、そんな危険がある部屋での会見にしたのか?これも景隆の予想だがあまり大っぴらしたくない話をするからだ。景隆は山内一豊を置いてきて正解だったと感じた。

 中央の上座に座る恒興は笑顔で景隆を出迎えた。


「では、織田家と甲賀の和睦交渉といこうかニャ」


「その前に、甲賀の絶対条件を聞いて頂きたい。これが約束されない限り、甲賀は和睦を受け入れられません」


「何かニャ?」


「現在、甲賀内に居る六角家御当主の身柄の安全です。それに伴い織田兵の甲賀侵入を認めない。この2点をお約束頂きたい」


「……」


「これがお約束頂けないのなら、この和睦交渉は無かった事にして頂きます」


 これは甲賀の合議で決まった絶対条件だ。これが保証されない限り、和睦を進めてはならないと言われている。

 かなり厚かましい条件だが言わなくてはならない。恒興が激昂する可能性もあり、彼の顔色をチラリと窺う。しかし恒興の表情は平静そのもので特に気にする様子も無い。


「へー、六角親子は甲賀に居たんだー。ニャー、知らなかったニャー。きっとこれからも知らないままだろーニャー」


「はい?」


 そして恒興はわざとらしい棒読み口調で答える。六角親子が甲賀に居たとは知らなかったと白々しく。しかし、これが池田恒興の基本姿勢なのだ。


「何か勘違いしている様だが、ニャー達は六角親子を捕まえに来たんじゃないよ。ただ甲賀と仲良くしようとしたら反抗されただけだニャー」


「は、はあ……」


 六角親子などまったく関係がなく、甲賀と取引しようとしたら反抗状態だった。これが織田家側の見解で六角家など微塵も関係がない。


「まあ、こちらも付城を造って対抗せにゃならんかったがニャー。故に和睦するとは言っても何の罰も無しとはいかない」


「……」


「という訳でニャ。山岡殿、貴殿には甲賀を扇動して信長様に逆らった張本人になってもらうニャー」


「なっ!?それは、どういう意味ですか!?」


 山岡景隆は驚愕する。当然だろう、冤罪だと言うのも億劫になる程の捏造でしかない。だいたい、山岡家に甲賀を動かす程の力などある訳がない。景隆は抗議の声を挙げるが、恒興は淡々と続ける。


「貴殿のみを罰する事で他の甲賀豪族は赦免とするんだニャ。流石に誰一人、罰さずに赦す訳にはいかないのは分かるだろう」


「……」


「山岡家の罰は領地没収の上、取り潰して追放処分だニャー。ま、貴殿が放棄した瀬田城と領地は既に接収したがニャ」


「くっ……。わ、分かりました……」


 甲賀に被害が行かない様に山岡家が犠牲になれ、話はこういう事だ。罰は領地没収、お家取り潰し、追放となっている。だが山岡家の領地は既に制圧済でお家は潰れる寸前で甲賀に逃亡中と他人が聞けば途轍もない重罰が実質意味がない。

 それでも景隆は悔しさで呻きつつ了承する。これは甲賀の為の交渉であって、山岡家の為の交渉ではないのだ。自分を押し殺して景隆は返事をした。


「という体裁で行くニャー」


「……は?」


 突如、恒興が『体裁』と発言する。体裁とは取り繕う事だ。誰に?周りにだ。つまり当事者である織田家、甲賀、山岡家以外に向けた『体裁』なのだ。今までの話が全て。

 そして恒興は本題に入る。この話をする為に山岡景隆を呼んだのだ。多人数に聞かれない為に広間で会う事を避けて、最小限の者以外は人払いしているのだ。


「つまりだ、信長様は甲賀の罰として山岡家に責任を取らす。その上で赦免という段取りだニャー」


 赦免と聞いて景隆の顔は明るいものになる。それは何故か?山岡家の罰は領地没収、お家取り潰し、追放である。これが赦免というなら領地が返ってくる事に他ならないからだ。


「成る程、いずれは再興させてもらえるのですね」


「再興?ニャんで?罰の命令が出たら直ぐに赦免だけど?」


 元通りにまで再興して貰えるなら一時的な罰を受けよう。甲賀の為に甘んじて受けよう。

 景隆はそう考えて、恒興に山岡家再興を確約してもらおうと聞いてみる。すると恒興からは素頓狂な答えが返ってくる。罰が下されて直ぐに赦免とは体裁の話はどうなったと景隆はツッコミを入れそうになる。


「え?あの、それでは織田家の体面というものが……」


「問題無いニャー。赦免の命令は『公方様』から出してもらうからニャー。居るだろ、公方様の傍に、貴殿の弟が」


「ご存知だったのですか!?」


「ニャーが公方様の身辺を調べてない訳ニャいだろ。甲賀の主力産業は『人材派遣』。どういう話があって貴殿の弟が行く事になったのか、まではニャーも知らない。だが将軍家の子息の側仕えとなれば、それなりの身分が要る。だから弟を派遣したんだろ」


 恒興は赦免の命令を足利幕府現将軍である足利義昭から出させると言う。そして、そのために利用されるのが山岡景隆の弟である山岡景友であった。恒興は山岡景隆の弟が足利義昭の傍に居る事もしっかり把握していたのだ。

 山岡景隆の弟・山岡景友は幼い頃から寺に送られていた。その理由は同じく寺の僧侶になるために送られた足利義昭の雑色として送られたのである。

 そこで年の近い彼等は仲良くなり、景友は陰日向となって義昭を守った。そのため景友は義昭の寵臣とも言えるほど信頼されており、山岡家が潰されると聞けば必ず動くだろう。織田信長に止めろと言うだけで、さしたる労でもない。


「からくりはこうだニャ。信長様は甲賀反逆の罰を山岡家のみに与える。その山岡家の罰を公方様によって赦免してもらう。結果、公方様は織田家に命令出来る力有る将軍だと世間に示し、信長様は甲賀を罰した上で制圧したという体裁を保ち、その実、甲賀は何も失わない」


「……何というか、理解が追い付きません」


 恒興の計画は現状を一つも変更しない。だが関わった者達はもれなく利益が出ている。足利義昭は織田信長の上位者であると示せる。織田家は甲賀という諜報機関を手に入れる。甲賀は織田家の仕事を請け負える。山岡家は領地と城が返還される。その上で世間への体裁が整っているとかいう恐ろしいロジックが組まれていたのだ。

 これこそが池田恒興の甲賀攻略戦であった。


「瀬田城も領地も既に信長様からの安堵状が出ているニャー。貴殿が来るという事で準備していたからニャ。ただ、覚悟して受け取ってほしい」


「覚悟ですか?」


「これを受け取れば、貴殿は織田家臣だ。当然だよニャ、武士は領地を与え安堵した者が主君だ。その意味をキッチリ認識して貰う」


「……然と承りました。六角御当主の安全を確保したという事を最後のご奉公とさせて頂きます。これよりは織田信長様を主君と仰ぎ、その御心に従いましょう。どうかご重用頂けます様」


 その上で恒興は山岡景隆に覚悟を迫る。領地と城の安堵状を受け取れば、山岡家は織田家臣であると。織田家の者が甲賀に入らない以上、誰かに織田家の依頼を甲賀に持って行って貰う必要がある。そこで目を付けたのが山岡景隆だったのだ。

 山岡景隆は少しの逡巡の後に安堵状を受け取った。六角家と決別し、織田信長を主と仰ぐと恒興の前で宣誓する。山岡景隆にとって、山岡家にとって領地は何にも代え難い。甲賀と共に戦い取り戻す予定で放棄したのだが、甲賀が既に諦めてしまった。どうやって取り戻そうかと思案していたら、恒興に交渉人に指名されて呼び出される。そして今、目の前に安堵状を突き出されて領地が返ってくるという。山岡景隆にはもう選択肢など考えられなかった。たしかに六角家には世話になった、忠誠心もあるつもりだった。だが、彼にも守りたい家臣や領民がいるのだ。流石に六角家への忠誠心だけで家臣と領民を全て犠牲しろというのは酷な話だ。寧ろ、家臣と領民を守る為なら織田信長に頭を下げるなど容易い事なのだ。


「心配しなくても瀬田の重要度はかなり高いニャ。その地域を委ねるのだから、貴殿には信長様も期待している。ま、という訳で茶番に付き合ってくれ」


「ありがとうございます。何と礼を申してよいやら」


「礼なら一つ頼まれて欲しいニャー」


「何でしょうか?私に出来る事なら良いのですが」


 話は終わった。山岡景隆は何も失わず領地に復帰して織田家臣となる。南近江全域が織田家勢力となった以上、南近江での戦争も終わりだ。これから領地の直しと織田家での仕事が始まる。

 この恒興からの依頼が自分の織田家での仕事の始まりになると感じ、彼からの言葉を待つ。


「お宅に居る『アホ』を追放しといてくれニャ。義妹が寂しいって泣くんでな」


「は、はあ」(それはどう考えても一豊君しかいませんね)


 その『アホ』は何処からどう考えても山内一豊の事だろうと感じた。義妹とくればもう間違いない。山内一豊が語った、池田恒興に預けた妻の事だろう。つまり山内一豊の妻は一豊が織田家に帰ってくると思っている訳だ。


「流石にもう重荷だろ、アレ」


(……池田殿の言う通りですね。これだけの功績を立てられて出世しないは有り得ない。だが彼は甲賀の一族ではないため、身内からの猛反発が予想されます。それに彼は池田殿の義弟、池田家で無下にはされないでしょう。これが彼の為ですね)


「その件、確かに承りました」


「頼んだニャー」


 山岡景隆は恒興の依頼を受けた。実は恒興の言う通りで山岡家で外様衆の出世は難しいのだ。山岡家はかなり古くから在る家で一門衆が多い。外様衆であっても甲賀出身は当たり前で山内一豊の様な完全外様は初めてと言ってよかった。だから一豊を小者として雇うと言った時も身内からは反発があったくらいだ。それでも彼が今も勤めているのは、一豊が誰とでも仲良くなる才能にも似た能力があるからだろう。しかし出世となれば話は別だ。その席は『身内が座る』為にあるからだ。一豊を出世させると言えば、身内が牙を剥きかねない。そして、そんなツライ環境に一豊を置き続けるより、池田家に行って思う存分に出世出来た方が彼の為だと山岡景隆は考えた。

 そう思い、山岡景隆は恒興の依頼を受けるのだった。


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 安堵状を受け取った山岡景隆は甲賀に戻り顛末を報告。甲賀の要求は全て通った事で和睦は成立した。その後、山岡景隆は家臣達を全員連れて瀬田城へ帰還した。そして今回の功労者である山内一豊を呼び出した。


「一豊君、今回はよくやってくれた。おかげで山岡家も甲賀も救われたよ」


「いえ!殿のお役に立てて光栄です」


「それで今後の事なんだが……」


「はっ!」(キター!これはご褒美に昇進だろ!)


 今後と聞いて一豊の心は弾む。どれくらいの褒美が出るのだろう、どれくらいの出世になるのだろうと。


「それでなんだが、その、落ち着いて聞いて欲しいんだけど……暇を出そうと思うんだ」


「え?」


 一豊は自失茫然としてしまう。『暇を出す』というのは現代風に直すと『クビにする』という意味だ。


「すまない。褒賞金は出来る限り弾むつもりだ」


「え?」


「そういう事だから。……本当にすまない」


「えー……」


 一豊は理解が出来なかった。彼の手に残ったのは少額の報奨金のみ。彼はフラフラと歩き、気付けば夕陽が見える土手に居た。


「なんでこんな事に……」


『暇を出す』と宣告された一豊は夕陽を眺めながら体育座りして黄昏れていた。とりわけ、家臣達に何と言えばいいのか、まったく分からなかった。そんな彼に近付いてくる者が居た。


「よう、一豊。どうしたニャ、膝を抱えて」


「池田……殿?」


 現れたのは義兄である池田恒興その人だった。失意の底に居た一豊はその異様さには気付かなかった。いや、気付く余裕は無かった。もしも一豊が冷静なら気付いたかも知れない。『何で山岡家の領地に池田恒興本人が居るのか?』という有り得ない状況を。


「ニャんだ、とうとう山岡殿に捨てられたか?ニャハハハハハ!」


「うう……」


「当たり前だニャー。他所者のお前が身内一族でガチガチな山岡家で出世出来る訳ねーだろ。そんな事したら身内の反発食らって山岡殿自身が危ないわ」


「!?……ううう……」


「だからと言って、織田家重臣の義弟をいつまでも小者にしておける訳もニャい。ニャーは気にせんが体裁が悪過ぎだ。手柄まで立てたなら尚更だニャー。ニャハハハハハ」


「ううう、そんな……そんなのって……千代、何時になったら俺は……」


「ニャハハハハハ……フゥ」


(チッ、止めだ止め。何かニャーの方が虚しくなってきた。母上と千代の件もあるし終わらせるか)


 当初は一豊を扱き下ろし憂さを晴らそうとした恒興だった。しかし一豊は千代に会いに行けない事を悲しむばかり。思えば千代も一豊の帰りを待ち焦がれ、恒興に汁ぶっかけ飯を出してくる始末。どうしてこの二人はこれ程に相思相愛なのかと軽く嫉妬を覚える。これでは自分がまるで他人の恋を阻む嫌な奴みたいじゃないかとも思える。それにこのまま一豊の思考が進むと、また仕官の旅に出るかも知れない。恒興はもうここで畳み掛ける事にした。

 恒興は母親である養徳院が何を危惧しているのかは分かっている。それは日の本に当たり前の様に存在している人々の理想だ。尚、現代に到っても存在している。それが『破天荒な初代、貴公子な二代目』である。正式名称があるのかは不明だ。

 概要は簡単だ。家を隆興させた初代は破天荒が許される。その下品なまでのバイタリティで多少卑怯な手段を用いても、家を隆興させたなら多くの人間がその恩恵を享受出来るからだ。だが人間とは勝手なもので、二代目からは安定性と保守性、常識的で人格者で気品溢れる貴公子の様な者を望むのだ。失敗する二代目経営者の問題はこれである可能性もある。父親の真似をしていると嵌まる時がある。まあ、あとは本人の資質次第か。

 つまり池田家を隆興させた恒興は破天荒な初代であり、剛腕経営も一門衆無しの歪な家政も許されるのである。だがこんなものは次代の幸鶴丸には許されない。彼には当たり前が要求され、常識的で教養高い貴公子である事を家臣が望むのだ。「初代の冒険的経営はもうたくさんだ」と言わんばかりに。

 この押し付けに近い常識を打ち破った者がいない訳ではない。その者の名前を聞いて幸鶴丸に可能かどうか判断してほしい。

 その者の名前は『織田信長』である。誰もが「織田信長は『破天荒な初代』だろ」と首を傾げるかも知れない。それは現在ならの話だ。信長が家督を相続した頃はそうではなかった。一万石に満たない織田弾正忠家を尾張国筆頭格にまで育てた父親の織田信秀が『破天荒な初代』だった。だからこそ家臣達は信長に貴公子たれと望んだ。だが信長は奇異な格好を好み、無頼な子供達を集めて傾奇者集団を作って暴れ回る始末。恒興も前田利家もこの傾奇者集団に居た。故に多くの家臣達は信長の事を『うつけの若殿』と蔑み、貴公子然としていた弟の織田信勝に期待する様になったのだ。その結果、どんな悲劇が兄弟にもたらされたのかは、語る必要もないだろう。

 それを乗り越えた信長は進み続けた。既に父親である信秀の業績を大きく超え、不動の『織田弾正忠家隆興の初代』となったのである。つまり貴公子である事を望まれる二代目は嫡男の『奇妙丸 (信忠)』という事になる。

 これが恒興や養徳院を焦らせる『常識』なのだ。この『常識』を黙らせるには信長がそうした様に幸鶴丸が恒興を上回り『池田家隆興の初代』と認知されねばならないのだ。自分の子供が才能に溢れていればそれは嬉しいものだが、わざわざ分かっている地雷を残すのは酷というものだ。だから恒興が健在な内に『当たり前』の家政の形を作り上げ、万全な状態での家督相続を望まれているのだ。誰からか?家臣全員からである。家臣は恒興が築いた物を守り通せる後継者を望む。初代は伸びて行くので付いて行くだけでも良い。しかし自分の職場がいつまでも不安定なのは我慢が出来なくなる。その不安定さを解消しようと何人かが家政の指揮を取ろうとし、それを防ごうととする者も現れる。これがお家騒動へと繋がる第一歩なのだ。そう考える人間が出ない様に、幸鶴丸には隙の無い家督相続が求められるのである。

 養徳院は恒興なら山内一豊に帰還を強制出来ると言った。当然だ、恒興は思う。一家を背負う者には必ず付き纏う業がある。即ち、付いてきた者達の面倒を見る事だ。主君と家臣の関係は家臣が主君を支えるだけではない。主君は家臣の面倒を見なければならない。現在の一豊は支えられこそすれ、面倒が見れていない。これで家臣が離れていかないのは驚異的な話だが長くは保つまい。そんな事は一豊も分かっているだろうし、早く面倒を見れる様になりたいと願っているはずだ。

 だから、恒興は一家を背負う者への最上級の殺し文句を叩き込む。現状、恒興しか言えない殺し文句を。


「二万石だ!!これでニャーの家臣になれ!」


「え?」


 二万石は俸禄という意味ではない。そのまま、二万石分の領地を用意するという意味だ。それを聞いた一豊は驚いて振り向く。


「ついでに城もくれてやる、対岸の鵜沼城だニャ!」


「え?え?」


 一豊の理解を待たずに恒興は畳み掛ける。更に一城の主として待遇すると。二万石の城主、こんな待遇は一豊が何処に行っても得られる訳がない程に破格なものだ。大変高名な元大名や武将ならいざ知らず、名声も武名も無い青年に与える者はいない。一豊は目を白黒させながら混乱しているが、恒興はまだ畳み掛ける。


「役職は脇大将、ニャーの一門扱いだ。甲賀制圧に功績があったと信長様に奏上してやるニャ。全ての遺恨を捨てて付いてこい!」


「い、池田殿」


「さっさと来いニャ、置いてくぞ!」


「あ、待ってくれ。池、じゃなくて兄者ー!」


 恒興は一豊に有無を言わさず、歩き去る。一豊はもう考えるのも止めて恒興の後を追うのだった。


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【あとがき】


 べ「太閤立志伝は面白い。でももう少し、歴史ifイベントが欲しいかな」

 恒「歴史ifってニャんだ?」

 べ「石田三成さんが関ヶ原の戦いに勝つと起きる『江戸の陣』とか秀吉さん光秀さんのタッグ謀叛とか」

 恒「スゴイifだニャー。秀吉光秀タッグ謀叛って何だ?」

 べ「姫路城に移った後、秀吉さんが謀叛を起こすと光秀さんも仲間になるイベント」

 恒「よし、アイツラ殺しに行こうニャー」

 べ「他にもあって、べくのすけのお気に入りifが『武田親子の和解』だね。武田信玄さんと武田信虎さんが和解する」

 恒「は?どうやって?アイツラ顔も合わせられないはずだけどニャー」

 ベ「条件は主人公『武田信虎』身分『大名』で『武田信玄隊の壊滅』or『武田信玄本拠地の制圧』だと思う。これを達成するとイベントが起こって信玄さんが信虎さんに捕まる」


 信虎「親を追放する不孝者、腹を切れ!」

 信玄「……」

 足軽「子が親を追放するのも親が子を殺すのも人倫に反しますぞ!」


 べ「ここで選択肢が出て殺すが和解するかになる。なんで諭すのが足軽なんだって思うけど」

 恒「なかなか良いifだニャー」

 べ「それだけじゃないよ。和解後、信虎さんは甲斐武田家当主に復帰、信玄さんは名前を『晴信』に戻して家老に。武田家臣は全員、信虎さんに仕えて武田家領地も全部貰える。もう敵無しな状態になるよ」

 恒「勝ち確定したニャー」

 べ「武田信虎さんにスポットライトを当てるというのもスゴイ話だけどね」

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