別働隊の帰還
大和国筒井城。
現在はここに池田軍本陣が置かれている。筒井城内のいくつかの建物を間借りして恒興も滞在している。
その廊下を加藤政盛は歩き、恒興の下まで急ぐ。そして見つけた恒興は庭のある縁側で手紙を読みふけっている様だった。
政盛は恒興の前で片膝をつき話し掛ける。
「殿、如何なさいましたか?」
「ん、実は信長様からの返事が早馬で届いてニャ。例の順慶の件だ」
「早いですね」
筒井城から織田信長が居る京の都はそれ程離れていない。古都である奈良と京の都はいろいろと交流があり、他と比べても街道が整っている。このため一昨日に恒興が出した早馬の使者は、信長の返事を携えて戻って来ていた。
「織田家の代官として塙殿が派遣される。既にこっちに向かっているそうだニャ」
「
恒興は大和国に留まらない為、信長から代官が送られて来る事になっている。
派遣されて来るのは塙直政。かなり早くから信長に仕えており、彼の妹は信長の側室となっている。そのため、信長が信頼している家臣の一人となる。そして産まれてからずっと信長と共に育った恒興にとっても、塙直政は親しい人物である。
「まあニャ。塙殿は早くから信長様の近習にいたから、ニャーにとっても兄みたいなもんだ。歳は十ほど年上で幼い頃はよく稽古をつけてもらったニャー」
「今も近習衆ですか?」
「いや、今は赤母衣衆だ。つまり又左の部下って事になるニャ」
「……前田様は意外と立場が上の方にありますね」
「そりゃそうだ。アイツの家は尾張でも有数の大豪族ニャんだから。四男だったけど。まあ、これで塙殿も利家の部下は卒業、晴れて部将の仲間入りだニャー」
前田利家の実家は昔から尾張の大豪族であった。そのため、信長であってもそうそう手が出せる勢力ではなかった。だからこそ実家からあぶれていた前田利家を自分の近習に加え、懐柔策の一つにしていた節さえある。前田利家の赤母衣衆筆頭就任には前田家への配慮も入っていたのは間違い無い。なので先輩であっても実家が小身である塙直政は赤母衣衆の一隊員となっていた。
この様に家中序列とは実家の影響が大きく作用するものである。織田信長が尾張豪族に配慮しなくてよくなったのは、『桶狭間の戦い』以降となる。
大和国における現在の織田家最高指揮官は池田恒興である。その恒興の代役として塙直政が来るという意味に相当するので、彼は確実に部将の地位に出世しているはずだ。
「成程。それで順慶様の扱いはどの様に?」
「犬山行きが認められた。信長様、面倒だから世話したくニャいってさ」
「それは……まあ、予定通りという事で」
そして懸案となっていた筒井順慶の扱いだが、何の問題も無く犬山行きが確定した。理由は京の都の邸宅は借り物だから失礼になるとかいろいろと忙しいとか書いてあったが、恒興は面倒なんだなと見抜いていた。
「それで、政盛。お前はニャーに何か用事か?」
「は、そうでした。先程、稲葉彦が率いる別働隊が戻りました」
政盛は別働隊となっていた稲葉彦及び美濃衆の帰還を報告する。彼等は筒井軍との合戦後、逃げ散った筒井軍を追撃し、その後は街道に陣取って筒井軍の再集結及び南下を防いでいた。その為、帰還がここまで遅れたのである。
「お、戻ったか。今は何処だニャ?」
「は、諸将は皆、城門付近の広間に留まっております。呼びますか?」
「いや、ニャーから行く。こういうのは重要だからニャ。皆の顔、暗かったんじゃないか?」
「まあ、敗戦ですから仕方がないかと」
「それもあるだろうが、本題はソコじゃないニャー。『負けると褒美が出ない』と思ってヘコんでるんだよ。豪族にとって褒美は死活問題になる。だからニャーが出向いて労うんだ。『褒美は出るよ』ってニャ」
一般的に勝ち戦でないと褒賞の是非を問う論功行賞は行われない。まあ、戦に負ければそれどころではない、という理由もある。
だが恒興は今回の戦果は褒賞に値すると考えている。恒興が筒井城まで一気に問題無く制圧出来た要因に、稲葉彦隊が筒井軍主力を抑え続けた事も挙げられるからだ。
「成程、人心掌握の一環ですね」
「それにだ、このままじゃ敗戦をやった彦は美濃衆内で立場を無くしてしまう。それはニャーにとっても被害甚大だからニャ。怠る訳にはいかん。行くぞ」
「ははっ」
恒興が率いる池田軍団は規模がかなり大きくなっている。総勢で万を優に超える兵数を恒興一人で運用するのは現実的ではない。日の本で最も有名で軍神とまで評される大名でも、自分で率いる最大の兵数は8千だと言われている。兵数は増え過ぎると上手く動かなくなってしまうため、用兵の上では邪魔にすらなるからだ。
だからこそ恒興は自分以外の指揮官育成をしていかねばと考えている。2番手となるのは家老の土居宗珊。育てる必要がない程優秀なので問題は無い。
では、今回の様に土居宗珊が居なかったら?恒興が次の候補として目を着けたのが稲葉彦なのである。彼女は言動がアレで我が強いが、用兵は堅実だし軍規の面でも自他共に厳しい傾向にある。そして稲葉家は西美濃最強という風評もあり、強く名声ある者を指揮官にと望む武士達にとっても文句の出ない人選である。あとは恒興の下で実績を積み上げさせれば良いのだ。
恒興は自分の計画を御破算にしない為に、美濃衆諸将が集まる広間へ急いだ。
恒興が広間に到着すると美濃衆の諸将は稲葉彦を真ん中に横一列で座り一礼する。左から佐藤紀伊、岸勘解由、肥田玄蕃、稲葉彦、前田慶、遠藤慶隆という並びになる。
「諸将、皆々御苦労であったニャー」
「主殿、此度の敗戦の責任は全て妾にある。従ってくれた諸将らには何の咎も無く……」
「彦、ニャーはまだ喋り終わってない。後にしてくれないか?」
「む、むぅ」
開口一番、謝罪の言葉を口にする稲葉彦を恒興は即座に封じる。この謝罪を受け入れてしまうと、彦が悪いと確定してしまうからだ。
「此度の戦果報告は既に確認したニャ。よくやってくれた。別働隊が筒井軍本隊を抑えてくれたおかげで、こちらは筒井城まで制圧出来た」
戦果報告とは戦目付が戦場において、誰が何処でどんな活躍をしたかを記した物で論功行賞の際に用いられる。池田家の戦目付は加藤政盛となっている。稲葉彦隊の戦目付は加藤政盛の部下で彦達より早く帰還していた。
「戦果として申し分ないニャー。褒美はちゃんと出るから安心してほしい」
「「「おおー」」」
その戦果報告から恒興は褒賞に値すると諸将に告げる。褒美は出ないだろうと予想していた諸将からは一様に安堵の溜め息が出る。
本来であれば部隊全体での任務達成と考えるべきかも知れないが、戦国時代は全体意識が希薄であり、戦功は個人で稼ぐものという意識が強い。だからこそ抜け駆けに走る者が出る。
また部隊全体での褒賞にしてしまうと働かなくなる者が必ず出る様になる。自分がやらずとも他がやるだろうと。戦功を個別にしているのは競わせて怠ける事を許さない意味もある。
「ふう、一安心だな」
「ホントよねー。出なかったらどうしようかと。……まあ、あまり活躍は出来なかったけど」
「私も似た様なものです。相手が早過ぎて本陣救援は間に合いませんでしたし」
「貴殿らはまだいい。私など敵を追い駆けただけで終わってしまった。伏兵は撃破したがな」
並んで座っている佐藤紀伊、肥田玄蕃、岸勘解由、遠藤慶隆が談笑を始める。先程まで堅い表情だった彼等も顔をほころばせながら喜んでいた。褒賞が出る、恒興が笑顔であるというところに安堵したのであろう。
「今回は一番戦功とかはニャいので均等にするつもりだ。各々、次回を期待しているニャ。直ぐに甲賀攻略に戻りたいので撤収準備をよろしくニャー」
「「「応!!」」」
「……」
皆、元気良く返事を返す中、稲葉彦だけは表情堅く一礼のみだった。彼女が今回の敗戦をかなり気にしているのは確実だなと、恒興にも把握出来た。
(あちゃー。彦のヤツ、だいぶ気にしてるニャー。これはニャーから直接言うのが良さそうだ)
恒興は今後の事も考えて、少し話をしておく事にする。責任感が強いのは美徳であるが、終わった事を何時までも引き摺るのは良くない。そこはちゃんと切り換えて次に臨める様に話さねばと思う。
「彦、ちょっと残れ。話があるニャー」
「む?何じゃ?」
「何かご褒美でもくれるんじゃないの?姉貴、あたしは先に行ってるからね」
呼び止められた彦にお慶が楽観的な意見を述べる。その瞬間、恒興の脳裏に出来れば忘れたかった記憶が蘇る。
「忘れとったわああぁぁぁ!!!お慶、テメェも残りやがれニャああぁぁぁ!!!」
「何?ご褒美くれるの?」
「ニャーがそんな顔をしてる様に見えるのか、お前は!?」
恒興が忘れていた事、それは前田慶の抜け駆けと無断の部隊移動の件だ。……慶の存在ごと忘れかけていた恒興だったが。
「やべえ、御大将がお慶の存在に気付いちまったぜ」
「気付かない訳がありませんがね。では、我々は撤収作業に入りますので」
「稲葉衆と前田衆もやっとくね。ごゆっくり」
「済まぬな、玄蕃」
「いーのいーの、兵内伯父さんにやってもらうから」
「では義兄上、後程」
「おう、お疲れさんだニャー」
恒興が慶に気付いて、その形相が鬼の面に変わると、諸将はそそくさと広間を後にする。広間には恒興と稲葉彦、前田慶が残る。稲葉彦は腕組みしながら直立不動で恒興を見ている。その視線には「早くしろ」という意思表示を感じるので、恒興はまず稲葉彦と話す事にする。
「さてと彦よ、お前は悔しいのだろうが、ニャーから言わせれば『良い経験をしたな』ってところだ。責められる話じゃニャい」
「しかし敗戦は敗戦。責められるべきじゃろう」
恒興は一息付いて穏やかに話始める。彦が負うべき責は無いと。だいたい敗戦と言っても全軍が崩壊した訳ではない。相手が戦果を掻っ攫って逃げたに過ぎない。それも森志摩守が恒興に大敗したので意味無しとなっている。
だから恒興は今回の戦は彦が同等以上の相手と戦術勝負をしたという経験が収穫だと考えている。この経験も今後、別働隊を率いる時の糧となるはずだ。だが、彦の表情は相変わらず堅く、処罰はあるべきだと主張する。
恒興は全員に褒賞を約束した以上、処罰などしない。稲葉彦もそれは理解しているものの、手放しに喜べない居心地の悪さがあるといったところか。彦は普段の言動ほど性格は飛んでおらず、寧ろ常識は備わっている上で自分にも厳しい。恒興は彼女こそ諸将を束ねる指揮官として育てるべきと確信した。
「ただ敗けただけならニャ。だがお前は態勢を立て直して敵を追撃した。その場に陣を構築し、街道を封鎖した。だからこそ大半の筒井軍兵士は戻れず、結果としてニャーは筒井城を楽に占拠出来た。お前の行動が無ければ、こうも容易くは行かなかったはずだニャ」
「む、むぅ」
「つまりな、稲葉彦隊は戦術では敗けはしたが、戦略では勝利だったと言えるんだニャ。敗けは敗けとして反省材料にして次に活かせばいい」
「しかしお咎め無しというのものぅ……」
「なら次は敗けない様に戦術を研究するんだニャ。奇策ってのは常道が出来て効を成すという。奇策ばかりに頼るヤツは大抵、ロクな事にならないもんだ。常道の兵法を磨け」
「ふむ、意地を張る場面でもないか。了解した」
言葉を尽くす恒興に彦は反論出来なくなる。その言葉は正論な上に誉め言葉なので、稲葉彦も否定し辛い。彼女が余程のネガティブ思考の持ち主でもない限りは難しい。更には寡黙で厳しい父親の下で育った彦は誉められる事に慣れていない。恒興はそこまで計算して、彦を納得させた。
その様子は恒興が彦を丸め込んでいる様に見えたのか、慶が辛辣気に口を挿む。
「偉そうに。そっちは大丈夫だった訳?」
「お前はニャーがどんな立場か思い出せっつーの。政盛が書いた戦果報告、見てみるかニャ?」
「おー、どれどれー」
恒興は池田家戦目付である加藤政盛が纏めた戦果報告書を前田慶に渡す。こういった戦果報告書には個人的な感想は入るものの、上司に
この話題は選ぶに事欠かないが一つ紹介する。鎌倉時代の御家人・波多野忠綱である。波多野忠綱は相模国の名族である波多野家の当主。彼は恩賞事務が原因で北条義時との確執を作る。
ある戦いで波多野忠綱の家臣が手柄となる敵将を矢で射たのだが、彼が辿り着く前に三浦義村の家臣が敵将の首を持って行ってしまったのだ。これを北条義時は三浦義村の手柄としたので波多野忠綱は証拠の矢を持って猛抗議した。当の三浦義村本人が矢は刺さっていたとあっさり認めたので、周りも波多野忠綱を支持し、判定は彼の手柄となった。
この判定に納得がいかなかった人物が北条義時である。彼は自分の派閥の人間(三浦義村)が攻撃された事、自分の判定を覆された事を根に持った。なので「波多野忠綱の手柄は認める。だが、幕府に無用な争議を起こしたので恩賞を一等減じる」とした。功績は認めるけど罰も与えるという謎の判定をしたのだ。これには波多野忠綱は憤慨し、鎌倉御家人達は義時に呆れたという。
時は流れて源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁に殺される事件が起こる。この時、公暁は実朝の首を抱えて逃走したのだが、人間の頭はかなり重い上に持ち辛い。結局、公暁は首を途中で捨てて逃げている。この首は三浦党の武常晴によって発見され、彼は波多野忠綱に保護を要請した。
一方で公暁を討ち果たした北条義時は実朝の首が無い事に気付いて探し回る。人の魂や思念などは頭に有って身体には無いとされていたので、完全な葬儀をする際には必要なのである。……北条義時が権力の継承者となる為には。
義時は実朝の首が波多野邸にあると聞いて、波多野忠綱に引き渡しを要求する。だが波多野忠綱の返答は『断固拒否』。首を守る為なら一戦も辞さずという態度だった。
これは北条義時にとってはマズイ事態だった。現職の幕府将軍が身内に殺され、混乱しているところに波多野家の叛乱など幕府そのものが崩壊する事態だ。結局、北条義時は実朝の首を諦め、首無しの遺体で葬儀をするという締まらない結末となった。
波多野忠綱は昔の恩賞事務で分かっていたのだろう。北条義時は自分の都合しか考えていない人間だと。主君・源実朝の首を渡したら自分の為に政治利用するに違いないと。そもそも実朝の首を発見した武常晴は三浦義村の部下なのに、首を義時に届けず波多野家を頼っている。この時点で鎌倉武士の北条義時に対する信用の無さが覗える。
源実朝の首は誰にも報せずに波多野家で葬られた。おそらく波多野忠綱は主君を静かに安らかに眠らせたかったのかも知れない。
この様に恩賞事務での依怙贔屓や虚偽申告は信用を失い騒乱の種にもなるので、戦目付の職務は重大である。主君の御機嫌伺いに加飾する者は戦目付になる事は少ない。
戦果報告書の巻物を開いていく慶の横から彦も確認する。
「まず鉄砲の一斉射撃で敵の足を止め、飯尾衆の正面突撃か。今の織田軍の常道じゃな」
「で、三河衆突撃で2方向からの攻撃、と」
「圧されて右翼に固まり出したところで本陣総突撃。これで三方包囲が完成じゃ。敵は後方に逃げる以外はないのう」
端的にではあるものの、二人は戦場の様子を想像した。どう考えても恒興の圧勝という結論に到る。
「うわっ、えげつな。相手に何もさせてないじゃん」
「まさに完勝じゃな」
「やかましい。ニャーがあんなのに負けるかよ」
この圧勝ぶりに前田慶は『えげつない』と評したので、恒興は『やかましい』と返しておいた。そして慶はある事に注目する。
「しかも敵将まで捕らえたんだ……捕らえたのは才蔵!?」
慶が驚いたのは恒興の親衛隊長である可児才蔵が敵将を捕えた事だ。たしかに才蔵には能力がある。敵将が居たのなら捕えた事に何の不思議もない。ただし、才蔵は親衛隊長で基本的に恒興の傍から離れない筈である。それが敵陣の奥に居る筈の敵将を捕える。まるで親衛隊が先陣を切ったとしか思えない戦果なのだ。
驚いている慶に恒興は回答する。
「本来、敵の右翼に突撃するのはニャーの親衛隊じゃなくてお前の前田衆だったんだがニャー。誰かさんが居なくなってたからさ」
「え?何それ?……じゃあ、コレってあたしが稼ぐはずだった武功じゃない!うわーんっ!ヒドいよーっ!」
「いや、お前が勝手に居なくなったせいだろうが!ニャーのせいにすんじゃねーよ!」
「知ってたら動かなかったわ!うわーんっ!」
「ウソ泣きも大概にしやがれニャー。だいたい……」
両手を顔に被せて泣き真似をしながら非難する前田慶に、恒興は怒りが沸いてくる。勝手に部隊を動かして行方不明になった上に、しれっと帰って来て謝罪の一つも無く、あまつさえ恒興を非難してくる。怒りの形相そのままに怒鳴り付けてやろうとした恒興であったが、意外な方向から横槍が飛んでくる。
「悪いが主殿、これについては妾からも苦言を呈させて貰う。甲賀からの主殿は秘密主義が過ぎるぞ。伏兵の事、誰にも言うておらんじゃろ」
稲葉彦の突然の横槍は恒興の急所に突き刺さる内容だった。そう、恒興は筒井軍の伏兵の事を
「いやー、何というか、ニャーは防諜を意識している訳で……」
「甲賀なら分からんでもない。アレの諜報力は群を抜いておるからのぅ。しかし筒井家はそれ程では無かろう。敵の情報や作戦を各将に通達浸透させておかねば、お慶の様に先走る者は必ず出る」
「う……」
「妾達は
(……正論過ぎてぐうの音も出ねえ。そうだよな、これが正論なんだ、
稲葉彦の言葉はこの戦国時代の常識なのだ。どう言い繕おうが恒興は部下である彼等に命を懸けさせた。しかも予測してある戦況情報を隠してだ。これはある意味、不義と取られても仕方がない。
そして豪族達は稼ぐ為に戦場に来ていると言っても過言ではない。だが織田家は焼き働きや刈り働きを禁止しているので褒賞の有無だけが稼ぎ所となる。だからこそ稼げる情報を渡さないのは、豪族の不信に繋がると彦は警告しているのだ。
豪族が自費で戦に参加する事を止めさせ、軍隊化を図りたい恒興ではあるが、そこに辿り着くにはまだまだ遥かに遠い。
「そうよそうよ。もっと言ってやってよ、姉貴」
「お主は勝手に動くな!最低でも言ってから動け!」
「へーい」
「人に返す返事は『はい』じゃ!!」
「はいっ!」(うわー、藪蛇だったわー)
稲葉彦が恒興を糾弾する様を見て、前田慶は味方を得た感じで調子に乗る。しかし彦は慶の味方になったつもりはなく、即座に一喝する。彦としては恒興の軍事的姿勢に対して、その危険性を指摘したに過ぎない。彼女は恒興に言いたい事があっただけで、慶にも言いたい事は山程ある。
振り向いて一喝する彦の剣幕に圧された慶は『気を付け』の姿勢になって返事した。自分の余計な一言は藪をつついて蛇を出す行為であったと慶は後悔した。
(……彦とお慶は相性がいいのかニャ?なら、お慶は彦に併せて使うか。コイツ、ニャーの言う事ちっとも聞かないし、敬わないし、生意気だし、クソ生意気だし……って言うか、何でニャーまで怒られてるんだ?)
前田慶が素直に稲葉彦の説教を受けている様を見て、恒興は彦なら慶を御せるのではないかと思う。前田慶は恒興にとって非常に御し難い。いろんな条件が重なってはいるものの、最終的には個人的な相性なんだと思う。それならそれで御せる人物と一緒に使えばいい。恒興は無理でも、彦は良いストッパーになってくれるはずだ。
「理解したか、主殿?」
「あ、はい。了解致しましたニャー」
「……何故に敬語なんじゃ?」
「いや、何となくかニャ……」
何となく自分も怒られている感じがしたので、敬語になる恒興であった。
そして慶に向き直り、一息付いてから話始める。
「とりあえずお慶、次は勝手に動くんじゃないぞ。ちゃんと出番も用意するからニャ」
「次?そっか、甲賀攻略戦ね!」
前田慶は甲賀攻略戦が途中である事を思い出して答える。
「ニャに言ってんだ、お前」
「何故そうなるのじゃ。そんな訳あるまいに」
「何よ!?二人して可哀想な子供を見る目止めてよ!」
意気揚々と断言した慶を恒興と彦は冷ややかな視線を送る。それは察しの悪い子供を見るが如く。
「お慶、甲賀はもう終わってるニャー。付城が完成した時点でな。あとは油断無く仕上げまで運ぶ程度だ」
甲賀攻略戦は付城が完成した時点で終わっていた。これ以降は甲賀をじわじわと追い詰める感じで防衛戦闘以外は有り得ない。甲賀側が攻勢に出るにしても付城があるため、大きく不利となる。まともな思考が出来るなら仕掛けないだろう。崩される可能性があるとすれば、それは恒興の油断くらいなものだ。
予想がハズレだと言われて、前田慶は少しむくれながら回答を求める。
「じゃあ、何処なのよ?」
「彦は分かるかニャ?」
「当然じゃ。主殿は『近江経略』の責任者、その目的は『商路街道の確保と維持』。その安全を脅かす者は最初から標的という訳じゃ。つまり、次は『浅井家』じゃな」
「合格。よく分かってるニャ」
恒興は回答を稲葉彦に振る。彼女がどの程度、戦略を見通しているかを測る良い機会だと思ったからだ。そして彦は『浅井家』だと答える。
恒興はそもそも六角家を打倒する為に戦っている訳でもないし、上洛の成功の為に戦っている訳でもない。少し語弊がある言い方だが。
池田恒興の本当の狙いは東国と北陸の財が集結する重要商路『近江国』を手に入れて、主君である織田信長の巨大な財源にする事なのである。だから恒興は『近江経略』の責任者で近江国に対する外交権まで委ねられている。誰を味方に付けて誰を敵に回すかは、恒興の一存で決まると言っても過言ではない。そして恒興が次の敵と定めたのが『浅井長政』という事だ。
何故、浅井長政と交渉をせず敵とするのか?それは浅井長政は織田家がどれだけ強勢となっても降伏などしないからだ。何しろ彼は野良田の戦いで倍以上の六角軍を撃破している。現状でその時の六角軍より少ない池田軍団にも勝てると考えていてもおかしくはない。それに野良田の戦いで英雄的な勝利を挙げた浅井長政が一戦もせずに降伏は有り得ない。だからこそ、まずはその上がり過ぎた自信を戦場で打ち砕かなければならないのだ。話し合いが出来るとすれば、その後の話である。
「浅井家、浅井長政ねえ。随分と強いらしいし、相手に不足は無いけどさ。ちゃんと大義名分はある訳?」
「お前が大義名分とか気にするとは、正に青天の霹靂だニャー」
「ケンカ売ってんの!?」
青天の霹靂とは有り得ない事が起きたの驚いていますという意味だ。恒興は前田慶が大義名分を気にしていた事に驚いた訳だ。ただ暴れたいだけの少女だと恒興は思っていた。
「大義名分?有るに決まっているニャ。何の為に長近に京極殿を迎えに行かせたと思ってんだ」
「成程のう。たしか京極殿は嫡男を浅井家に取られておるな」
上洛開始前に金森長近が京極高吉を迎えに行ったのは、浅井家に対する大義名分という意味がある。京極高吉は恒興が迎えに行かせた、つまりその時点で恒興の想定の中で浅井家は敵であったという事になる。上洛の為に利用される京極高吉から自身の嫡男の奪還を要請されるなど、恒興には当たり前の様に予想していた事柄なのだ。
「もう一つ、朽木家からも浅井家に取られた人質の返還を要請されてるニャ。この二つが主な大義名分になる」
そして朽木家からも人質奪還を要請されている。こちらも幕府経由で足利義昭から織田信長に命令された事なのでやらねばならない。恒興としては大義名分が強化されたので好都合なのだが。
「朽木家って?」
「琵琶湖の西に領地を持つ『幕臣』じゃ。あの家に手を出してただで済む訳があるまいにな」
「幕府が復権するって予測してなかったのかも知れんニャー。浅井長政としては前公方(足利義輝)暗殺で混乱した隙を突いたのかも知れんが、朽木家の件は幕府が真っ先に対処する案件だニャ」
朽木家の現当主は朽木元綱。年齢は12歳で家督相続は僅か2歳であった。この朽木家は朽木谷を本拠地とする源姓佐々木氏の分流である。室町時代に幕臣となり、三好長慶に京の都を追われた将軍足利義輝を匿ったりもしている。
足利義昭は上洛に成功すると幕府に従う大名や幕臣達と会い、各種の対処を開始している。……主に織田信長に命令するだけではあるが。朽木家の件は領地の近さもあり、既に恒興の所まで通達が来ている。
「うーん、いまいち分かんないんだけどさ。朽木家は何か特別なの?幕臣なんてそこら中で衰退してるじゃない。それで幕府が助けてくれる訳でもないでしょ。慶隆の遠藤家も幕臣の主君から下剋上したはずよね?」
「ああ、『
前田慶の言う通りで足利幕府は幕臣を助けている余裕は無かった。上洛に成功し、幕府を建て直したと言っても、実態は織田軍以外の力は持ってない。なので幕府の好きには動かせない。
その前の三好家も細川家であっても自分の都合で動く為、基本的に幕臣は自力防衛が求められる。それに失敗した武家は例外なく下剋上の対象となる。奥美濃遠藤家が主君で幕臣の東家を追放したのが典型的な例となる。この件でも幕府が何か出来たという話は無い。因みに東家の現当主である東常堯は飛騨国帰雲城に身を寄せている。
幕臣が幕府からの支援を得られず各地で衰退していく中、何故朽木家だけがこうも対処が早いのか、前田慶には違和感しかないのだ。
「問題は朽木家の領地の場所じゃ」
「場所?」
「彦の言う通りだ。琵琶湖の西には大きな街道がある。京の都と敦賀を結ぶ重要な街道で、日の本の流通の要だニャ。この街道で運ばれる富は莫大で流通量も莫大。という訳で幕府はこの街道のいたる所に関所を設けて関銭を徴収しているんだニャー。その関所を多数、領内に所有し管理しているのが朽木家という訳だ。だからこそ朽木家は幕臣の中でも特別扱いされていて……」
朽木家の重要度が段違いな理由。それは領地を通っている都〜敦賀間の街道にある。この街道には何十という関所が集中して建てられており、幕府の重要な財源であった。その関所を領内に多数管理しているのが朽木家という事だ。
北陸の品を扱う商人にとって都〜敦賀間の街道は絶対に避ける事が出来ない為、関所を建てれば建てる程に税金が増える。正に足利幕府の『金がなる木』と言える訳だ。それが朽木家が段違いに特別な理由となる。
そして、この関所こそが織田信長と足利幕府の対立の火種の一つともなる。何しろ織田信長は関所が大嫌いで通商の邪魔だとしか思わない。関所が生命線の足利幕府と関所を壊して回る織田信長が対立するなど火を見るより明らかだ。
だが信長と言えども現状では幕府の関所に手は出せない。都〜敦賀間の通商の改善は難しい。
そのために信長が考えているのが『琵琶湖水運計画』である。つまり「街道使わずに荷物運べればいいんじゃね?」という事だ。この計画で必須となるのが琵琶湖水軍の大勢力『
この『琵琶湖水運計画』が実行されればどうなるかはお気付きの事だろう。商人が街道をあまり使わなくなるので関銭が減り、幕府の財源が大幅な減少となる。
とはいえ『琵琶湖水運計画』には欠点がある事を恒興は前世の記憶から知っているため、予備のプランもちゃんと練っている。
「主殿、一度止まれ。お慶の頭から煙が出ておる」
「うむむむむむ……」
「理解出来なかったかニャー……」
ただ、恒興の説明が難しかったのか、慶は腕組みをしながら俯いて唸っていた。
「仕方ないのう。お慶、他人がお主の懐に手を入れた上に財布を取っていったらどう対処するのじゃ?」
「ぶっ殺すわ!」
「それが今の幕府の感情じゃ。朽木家とは幕府の財布に等しいのでな」
「あー、成程、理解したわ。そりゃ、浅井家ぶっ殺すってなるわね。さすが姉貴、解り易い」
頭から煙を吹き出しそうな慶に、彦は例え話をする。慶を幕府、他人を浅井家、財布を朽木家に例える。慶は成程とばかりに手を打って理解したと伝える。
「手間の掛かるヤツだニャー、ほんとに」
「何よ!アンタが難しい言葉ばかり並べて、人を煙に巻こうとするのが悪いんでしょ。もっと解り易く言いなさいよ」
(もう殴ってもいいかニャー、コイツ)
流石の理不尽さに恒興の堪忍袋の緒が切れそうになる。恒興はそこまで難しい話をした覚えはない、たしかに彦の例は解り易いが。
「お慶、そろそろ主殿のお説教も終わりの様じゃし、部隊の撤収に行け。玄蕃だけに負担させるのは可哀想じゃ」
「あ、そうね。じゃ、先に行ってるからね、姉貴」
恒興の様子を察したのか、彦は慶に部隊の撤収に行くよう指示を出す。部隊の撤収準備に関しては肥田玄蕃に負担させている現状なので、慶も早く行かないととは考えていた様だ。
前田慶は笑顔で手を振って、パタパタと走り去って行った。
「スマン、彦。正直助かったニャー」
「何となく、そんな気がしたのでな」
そろそろキレそうになっていた恒興は素直に礼を言う。というのも、慶を殴っても意味など無い。いや、慶が意味を理解しないだろう。それどころか、ノータイムで殴り返してくると思われる。
そんな事は彦も理解していたので、適当な理由で追い払う事にした訳だ。
前田慶が居なくなると入れ替わる様に筒井順慶が姿を表す。順慶の後ろには護衛の様に男が二人、追従している。
「あ、恒興君。ここに居たのか」
「ん、順慶か。どうしたニャ?」
「オレの準備は出来たよって報せようと……」
順慶は犬山に出発する準備が整った事を伝えに来た様だ。だが恒興の横に立つ稲葉彦を見て固まる。その順慶の視線に彦も気付く。
「む?何じゃ?妾の顔に何か付いておるのか?」
順慶は恒興に近寄って、彼の耳元で喋る。ヒソヒソ話をする時の態勢である。
「ちょ、恒興君。この
「聞こえておるわ!」
順慶の小声は彦に聞こえていた。「顔が恐い」の部分が特に。
「そちらは稲葉彦。池田軍団の部将だニャ」
「貴殿が筒井順慶殿か。稲葉彦じゃ、見知りおいてもらおう」
「あ、はい……」
自分の余計な一言で更に威圧感が増した彦に、順慶はかなり気圧される。それを察した様に二人の若武者が順慶を庇う様に彦との間に立つ。
「む、お主らは」
「久し振りだな」
「順慶様を
順慶を庇う様に出てきたのは筒井軍団の指揮官格の二人、島左近と松倉右近であった。
稲葉彦は直接、刃を交えたので当然知っている。だが恒興にとっては初対面なので順慶に何者か尋ねる。
「順慶、この二人は誰だニャ?」
「ああ、この二人はオレの護衛さ。その名も!」
二人は順慶の護衛との事。そして順慶は二人の真ん中を進み出て、右手を挙げて高らかに叫ぶ。
「筒井レッド・島
「筒井ブルー・松倉
「「他は省略!」」
順慶の宣言に合わせて二人も妙なポージングをしなから珍妙な名乗りを挙げる。金森長近が居たら対抗心を燃やしそうなので、留守番になって良かったと心の底から思った。
「「我等、5人の武将揃って、筒井戦隊『松永絶対殺すマン』!」」
「そしてオレが筒井戦隊長官の筒井順慶、なのさ!!」
この二人がもう一つの筒井軍を指揮していたのかと恒興は認識する。つまり稲葉彦が戦った相手であると。
訳の分からない名乗りと順慶のドヤ顔に、恒興と彦は非常に冷ややかな視線を送る。その表情は他人から見れば能面の様だと言われるくらいの無表情で。
織田側と筒井側で壮絶な温度差を誇る沈黙が訪れる。その静寂を切り裂いて、恒興が彦に話しかける。
「なあ、彦。一つ聞いていいかニャー?」
「……何じゃ?聞きたくないが言うてみよ」
「お前、コレに敗けたのかニャ?」
「言うでないっ!!」
今一番、指摘されたくない事をピンポイントで突かれた彦は叫び、部屋の片隅で頭を抱えながらしゃがみ込む。
「おおお、何故じゃ、何故に妾はこんなのに敗けたのか……」
(やべえ、彦がガチ凹みしてるニャー)
そして凄い勢いで負のオーラを撒き散らしながらブツクサと呟く。恒興は彦の凹み様を見て、何か対策を打たねばと思う。という訳で、まずは情報収集からしてみる。
「しかしだ、お前らは筒井軍の指揮官ニャんだろ。かなり若いニャー。20代そこそこじゃないか」
「あ、いや、貴殿の方が若い様な……」
恒興が見た通り、島左近は20歳、松倉右近は24歳となっている。恒興がかなり若いので感覚が麻痺しがちではあるが、普通の大名家で20歳そこそこで指揮官になる事はない。
「そりゃ、ニャーは3歳で池田家の当主になったからな。お前等もその歳で指揮官なら重臣や大豪族の出身ニャんだろ?」
「いやぁ、うちはそれ程では。右近の家ならそうかと」
「いや俺だって、親父が現役なんだし……」
指揮官にまでなるには条件として家柄が必ず付き纏う。重臣や大豪族の家柄なら若くして就任するのも不可能とは言えない。主君の一族である一門が若くして出世しやすいのも同じ理由だと言える。
家柄が低くても出世するのであれば、とにかく実績を積み上げる事だ。戦は全員の死活問題、少しでも優秀な者を就けるのは当然だ。だからこそ武功は無視されない。
若くして指揮官になった二人を恒興は家柄で成り上がったのかと思ったが、二人の様子は芳しくない反応だった。
「ニャんか要領得ないな。じゃあ、どうやって指揮官にまでなれたんだニャー?」
「そりゃあ、オレが抜擢したからさ!」
「……順慶が?ニャんで?」
「3年くらい前にさ、オレ、松永弾正の刺客に襲われたんだよね。その時に助けてくれたのが左近と右近って訳。で、そのお礼みたいな感じで筒井軍の指揮官にしたんだよ」
彼等が軍の指揮官になった理由。それは順慶が気に入って推挙したからだった。
3年くらい前に順慶は松永弾正の刺客と思しき者達に襲われたらしい。その時に順慶を守り通したのが島左近と松倉右近であった。家中にあまり親しい人物がいない順慶が二人を気に入ったのが理由だと言う。
恒興は若干、顔を顰めて聞いてみる事にした。
「へえー。それは家臣や豪族の力関係を加味した上での抜擢ニャんだよな?」
「うん?何それ?」
疑問を疑問で返される。というか、恒興の質問が理解出来ていない感じだ。この反応に恒興は愕然とした、この男には当主としての自覚が一切無いのかと。
「……ま、マジか、お前。よくそれで当主が務まるニャー。かなりの反対が出たんじゃないか?」
「うん、順政叔父さんは「何を馬鹿な事を」とか言ってきたけど、オレが押し通したのさ!」
(コイツ、家中序列を大きく乱すとか、そこら辺の当主なら家臣に刺されててもおかしくない事を平然とやりやがる。転生者とは恐ろしいニャー。そうか、何で部将クラスがいきなり護衛になったのか理解出来たニャ)
順慶が行った行為は筒井家内の家中序列を大きく乱す、所謂『依怙贔屓』なのである。大名家ともなれば家臣や豪族の間で力関係による序列が必ず決まっている。誰が目上で誰が目下かだ。というか組織なら必ずあるはずだ。
貴方が10年20年と働いて会社の根幹を支えている者だとする。会社の社長が貴方を差し置いて、気に入ったという理由だけで新入社員の素人を専務や部長にしたとしよう。さて、会社の根幹を支えていると自負する貴方ならどう思うのだろうか?
現代社会なら会社の方針なら仕方ないと考えるか、社長に再考を訴えるか、会社に失望して転職するか。こんな感じだろうか。
だが戦国時代はそんなに甘くない。割と高い確率で当主が家臣に刺される。
この様な件で家臣に刺された当主など掃いて捨てるほど居る。下剋上の元になっている事も多々ある。
特に有名だと言えるのが西国の大大名だった大内義隆だろう。彼は開明的な才人で経済発展や文化醸成などに力を入れ、キリスト教などの新しい概念も積極的に取り入れた。その過程で人材育成にも熱心で特に目を掛けていたのが『陶隆房(後の陶晴賢)』である。義隆は優秀な陶隆房を重用して大内家を発展へと導いた。しかし、大内義隆は尼子家との戦争で跡継ぎの大内義持を失うと、政治にはまるで興味を失う。そして台頭してきたのが相良武任などの文治派閥である。その派閥と対立する陶隆房は主君に訴えるも、興味の無い義隆は無視する様になる。だから陶隆房は最早これまでと謀叛を決行したのである。これも主君の依怙贔屓が招いた結末なのである。
恒興は部将の地位にいたであろう島左近と松倉右近が一介の護衛になったのかを完全に理解した。本来であれば順慶が刺されるか押し込められる話なのだが、問題は筒井順慶はその後ろ盾から絶対に下剋上出来ない稀有な当主だという事だ。では、その分の不満は何処に行くのだろうか。恒興には解ってしまったのだ。
「お前等も大変だニャ。」
「「……」」
「家中で
「「うう……」」
「え!?どういう事、恒興君!?」
「一から十までお前のせいだニャー!」
そう、彼等は厄介払いされたのだ、筒井家上層部によって。部将だった彼等が順慶の護衛になってしまったのは、それが理由なのだ。その事は二人共、気付いている。
島左近と松倉右近は森志摩守の3人で『筒井三老臣』と呼ばれる重臣だが、それはもっと後年の話である。森志摩守は既に重臣と言えるが、松倉右近は家督相続後で30代前半と見られる。これでもかなり早いので、松倉家の家柄の高さが解る。だが島左近の家は大した事がない小豪族で、彼が重臣の列に加わったのは本能寺の変より後だと見られている。つまり沢山の戦功を稼いで昇ってきた正に叩き上げの人物である。
本来であれば、時間は掛かれど実績を積んで誰もが認める形で重臣になるはずのところを、そんな戦国の常識を一顧だにしない転生順慶によって台無しにされたという事だ。順慶の感覚は「ゲームで能力値の高い武将を使えばいいんだろ」というものに近い。現実はそんなに簡単ではない。
それでも松倉右近は父親が重臣の位置に居るのでほとぼりが冷めれば戻されるだろう。だが家柄が大した事ない島左近は最早絶望的である。
そんな境遇の彼等に恒興は同情すると共に、自身の陣営強化に動く。
「まあいいや。それならお前等はニャーの下で働け」
「いや、しかし」
「我々は筒井家の家臣ですので」
「じゃあコイツの護衛だけして過ごすか?それがお好みなら、ニャーは構わないが?」
「う……」
「それは……」
順慶の護衛だけして過ごす。それは戦国時代で武将を志す二人には耐え難い事でもある。若い二人にはもっと活躍したいという欲求がある。
「順慶、構わないかニャ?」
「え?じゃあオレの護衛はどうなるの?」
「お前の護衛ならニャーが何百人でも付けてやるよ!欲しいだけ言えニャー!」
「マジで?じゃあいいよ!」
順慶の護衛など殆ど必要ない。何しろ順慶が住む場所は恒興の邸宅の近くと決めているからだ。その辺りは当たり前の様に毎日、厳重な警戒態勢が取られている。普段は親衛隊が持ち回りで、出陣中の現在は刺青隊から人手が出ている。不審者はそもそも近寄れない。
「という訳で、主君の許可が出たニャ」
「はっ、ならば宜しくお願い致す」
「織田家の戦い方を学ばせて頂きます」
「うむ、甲賀に行ったらお前達を家老の土居宗珊に預ける。まずはそこからだニャー」
「「はっ!」」
(よし!将を二人も手に入れたニャー。順慶の護衛なんて多少、腕に覚えがあって真面目なら誰でもいいんだ。将なんて得難い者を無駄使いされてたまるか)
恒興は上手くいったと心の中でガッツポーズした。島左近と松倉右近が武将として優秀である事は彦と戦った事で分かっている。恒興の前世でも筒井家にその人ありと名声の高かった二人だ。将来性も多分にある。
ただ一つ、注意しておかねばならない事があるので、それを恒興は二人に伝える。
「あと……さっきの『なんとか戦隊』とか『れっど』とか『ぶるー』とかは使用禁止だからニャ」
これは徹底しておかないと被害が大きい。特に稲葉彦へのダメージが計り知れない。
それを二人に伝えると違う方向から苦情が出てくる。
「ええー、何でだよー!?せっかくカッコイイ感じにオレが考えたのにー!」
「やっぱりお前の入れ知恵か、順慶!名乗りくらい普通にやれ!ウチの兵士が混乱するニャー!」
やはりというか、考えたのは筒井順慶であった。これは半ば恒興も予想済だった。意味の分からない言葉が出てくるとすれば、順慶の頭の中と相場が決まっている。恒興は兵士が混乱するからと理由付けたが、一番は未だに部屋の隅で蹲る稲葉彦のダメージを軽減する為だ。
「あー、やらなくていいなら、それで」
「俺達もあまり意味は分かってないので」
この禁止令に二人は声を揃えて賛同する。というか、やっている彼等も意味は分かっていない。ただ順慶に付き合っていたに過ぎない。
「チクショー、誰もオレを理解してくれねー!」
「当たり前だニャー。お前は奇抜な事を言うだけで、理解される努力してねーじゃん。無茶振りされる身にもなってやれよ」
順慶の嘆きに恒興は即座をツッコミを入れる。努力も無しに他人が理解してくれるものかと。
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【あとがき】
べ「大河の主人公が北条義時さんなので一つ、時事ネタを挟んでおきました」
恒「べくのすけの北条義時評価はどんな感じだニャ?」
べ「そうだね~『愛すべき小者』ってところかな」
恒「微妙に低いニャー」
べ「この義時さんは北条家の歴史書といえる『吾妻鏡』において、かなり貶されて書かれているんだ」
恒「例えば?」
べ「『ラブレター送ったけど返事が返って来なかった』とか。こんなの書く必要ないじゃんって思う」
恒「酷いニャー。という事はワザとなのか」
べ「そうだと思うよ。たぶんだけど姉の北条政子さんを際立たせる為に貶されている様に見えるね」
承久の乱後
?「三人の上皇は島流し。現天皇は廃位。上級公卿を多数処刑。さあ、義時、やりなさい」
義「え?ちょ、姉上。コレ、俺の名義でやるの?マジで?」
?「そうよ」(ニッコリ)
義「……こんな鋼メンタル姉、もう嫌だーっ!」
考え過ぎてボケが入る恒興くんと天然大ボケの前田慶さんに挟まれた稲葉彦さんはツッコミ役をやらざるを得なくなりましたとさ。
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