外伝 ウチの政さんがなんだかすごいの
土浦城に戻った菅谷政貞は真壁久幹を伴い、主君・小田氏治に報告に向かう。
氏治はその報告を今か今かと待っていた……様子が全く見受けられないほど弛緩した表情で幸せそうに大福餅を頬張っていた。その様子を見た久幹は相変わらずだなと嘆息した。
だが傘下に入ると決めた以上、帰る訳にもいかない。久幹は覚悟を決めて政貞の隣、上座に座る氏治の目の前に座る。
そこからは政貞が真壁軍と交戦した事をすっぱり抜いて勝った事だけを報告した。普通、交戦内容や戦果などを詳細に聞くべき場面なのだが、氏治は何も聞かずただ勝った事を喜んでいた。
「いやー、久幹が味方してくれて勝てましたよ」
「はっ、色々悩みましたが帰参する事に決めた次第で」
「じゃあ、私の事を『氏治ちゃん』って呼んでくれるの?」
「あ、いや、それは……」(おいっ!政、何とかしてくれ!)
何故そうなると久幹は思う。やっぱり何も変わってないじゃないかと政貞の方を向いて助けを求める。
「まあ、主君である氏治ちゃんの命令だし、仕方ないんじゃね?」
「おいーっ!政ーっ!裏切る気か、てめえっ!」
そして裏切りの返事をした政貞に、堪えられなくなった久幹は声を荒げる。それに対して政貞は冗談だよという感じでニカッと笑う。
「でもねぇ、氏治ちゃん。その呼び方をされるためには普通以上の信頼と実績と当主としての格を上げる必要があるよ。普通以上の呼び方をさせる訳だからね」
「そうなの?」
「そりゃそうさ。家臣の忠誠は無条件で得られるもんじゃない。もし得られるなら今の関東がこんな状態にはなっちゃいないよ。氏治ちゃんも更に尊敬される様に努力しないとね」
「うん!がんばるのー」
つまり『氏治ちゃん』と呼んで貰うためには、小田家当主として更に高みを目指す必要がある。その上で家臣から絶大な支持を獲得しなければならないと政貞は諭したのである。
ただ拒否するのではなく必須条件を満たさないといけないとしたのである。
氏治も政貞の言葉に感じるものがあったのか、これを素直に受け入れた。そして彼女はみんなから『氏治ちゃん』と呼ばれる様に努力する事を決意した。頬にあんこを付けながら。
「てことでいいかね、真壁の?」
「ああ、まあ、うん……」
取り合えず緊急の懸念材料は回避出来たので、久幹は良しとした。そして一連の流れから、次からはまだ足りないから呼べないと断ればいいのかと彼は対処法を学んだ。
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その後、同盟者の上杉景虎が小田城と海老ヶ島城の攻略を手伝ってくれた事を伝えた。そのお礼のために氏治は政貞らを連れて小田城へと向かう。
そして小田城の広間にて景虎と氏治は対面する。
「景虎ちゃん、ありがとー」
「か、景虎ちゃん?」
氏治を城主の席に座らせようとした景虎は虚を衝かれた感じで彼女に抱き付かれる。この行動には上杉家臣一堂驚く。未だかつて景虎にこんな無礼を働いた者などいなかったからだ。
(おいおい、姉上に抱きついた上に『ちゃん』付け呼ばわりとか、命が惜しくないのか。俺なら両断されてるぞ)
下手をすると血の雨が降るのではと全員緊張した面持ちになる。
……が、当の本人はというと。
「ヤ、ヤバイ、可愛い……」
(満更でもなかったー!)
……頬を赤らめ恍惚とした表情になっていた。
「お持ち帰りしたいわ」
「???」
(しかも姉上の思考がヤバイ方向に行ってるー!)
卯松はマズイと感じる。景虎は気に入った者をお持ち帰りする時があるのだ。以前京の都に上洛した時も気に入ってしまった男の娘をお持ち帰りした事がある。その男の娘は低い身分から侍に取り立てられたので、まあ良いかも知れない。しかもその彼は城代にまで出世するほどの優秀さなのだから、景虎の人を見る目は侮れない。能力を見込んで連れ帰ったのか、見た目だけだったのかは定かではないが。
だからと言って大名家の当主は絶対にダメである。
「流石にやめてくださいね、姉上。大名家の当主を拐うとかシャレになりません」
「わかってるわよ、……ケチ」
「今、何か言いました!?」
卯松は即座にツッコミを入れておいた。
その後は皆、挨拶をしあい酒宴を開くことになった。
政貞は酒を飲んでいる景虎に酌をするため近づく。そして景虎の戦果を褒め称える。
「流石は上杉殿、まさか一週間で佐野家と小山家に結城家を降して小田城まで来られるとは。この菅谷政貞、感服仕りましたよ」
「景虎でいいわ。優秀な家老なんですってね、氏治ちゃんをちゃんと支えてね」
景虎は佐野家を降した後、小山家そして結城家を降した。そして結城家から海老ヶ島城の水谷正村と小田城の多賀谷政経に兵を退くように命令を出させて両城を制圧したのである。結城家に関してはそれが和議の条件になっていたのだ。また水谷、多賀谷としても上杉本隊と交戦してまで城を保持する気はなかったようであっさり退いていった様だ。
「それは勿論。景虎殿の行動力に今頃、北条氏康くんはビックリして腰抜かしてるよ」
「それはいい気味ね。つまらない篭城策ばかりするし」
ふふん、という感じで景虎は得意気になる。それを見た政貞はわざとらしく首を傾げて彼女を見る。政貞の仕草が気になった景虎は盃を置いて彼に向き直る。
「……あれ?もしかしてご存知無い?」
「何がかしら?」
「氏康くんは景虎殿の事、見ちゃいないよ。ぶっちゃけ無視されてる」
「はあ?どういう事?」
政貞の言葉に景虎は少しイラッとしてしまう。当然だろう、自分達の戦いに意味は無いと言われたも同然なのだ。この発言には上杉家臣の面々も政貞を睨み付ける。広間は一瞬にして凍り付いた。氏治でさえ場の空気の急転に、首を振ってオロオロする。
だが政貞はそれに怖じる事なく言葉を続ける。
「北条の援軍、来なかったでしょ」
「……まあ、そうね」
この一言は景虎も認めざるを得ない。何処を攻撃しても北条軍は一兵も出て来なかった。
「北条家は今、南に戦力を集中している。狙いは里見家と岩槻太田家だ。氏康くんにはどうしても里見家を倒し、岩槻太田家を取り込まなければならない事情があるのさ」
「聞かせてもらえるかしら?」
景虎は感じた、この男は自分の知らない情報を持っていると。自分がイライラした籠城策の理由を答えられる人間かも知れないと。
景虎が聞く姿勢を整えたので、政貞は立ち上がって全員に聞かせる様に説明を開始した。何故ならこれは上杉家のみならず小田家でも認識出来ている人間はいないからだ。
かくいう政貞も昔は解っていなかった。煩雑な情報で自分には関係無いと思っていたからだ。だがそんな煩雑な情報を一つ一つ読み解けば、それは意味を持って繋がった。そしてそれは危険なほどの意味を持って、彼等の思惑が見えてきたのだ。
「じゃあ、まず北条家が里見家を倒さなければいけない理由からだ。簡潔に言うと里見家が強いからかな」
「それは強敵にはちがいありませんが、我ら上杉家よりもですか?」
「与六の言う通りだぜ。ウチより強いとは思えん」
景虎の近くに座る樋口与六と卯松が反論する。自分達の強さに自信を持つ上杉家臣達もその通りだと頷く。
「里見家はある部分で北条家を圧倒しているのさ。それが途轍もなく危険なんだ」
「それは?」
「『里見水軍』(房総水軍)だ。弱体の北条水軍(相模水軍)じゃ手も足も出ないほど強い」
「聞いた事あるの、すっごい強いって」
政貞の言う途轍もない危険は里見家が傘下に収めている房総水軍の事である。この水軍の戦力は北条傘下の相模水軍を圧倒しており、北条家は防衛で手一杯な状況であった。
「海の上じゃやられたい放題でね、小田原をはじめとする沿岸部の町は何度焼かれたか数え切れんのよ。氏康くん、相当頭に来てるって」
「そんなに差があるのですか」
「昔はそうでもなかった。だがかの英雄・早雲公が三浦党を殲滅してね。それを見た水軍衆はかなりの数が別の土地に行ってしまったんだ。そして相対的に房総水軍は強化された」
北条家の祖・北条早雲(伊勢宗瑞)は相模を完全に支配下に置くため、反抗勢力であった三浦党の三浦義同を攻め滅ぼした。この三浦党が滅ぼされた最後の場所は『油壺』と呼ばれ、三浦家の将兵が全て身を投げて大量の血で染まった事が由来とされる。つまりは殲滅戦であった。
「流石に京の都で育った早雲公では海の人の考え方を理解出来なかったって事さ。三浦党さえ居なくなれば相模水軍を全て支配下に出来ると思ったんだろうね。彼の数少ない失敗の一つさ、未だに北条家を祟り続けているがね」
北条早雲は三浦党さえ倒してしまえば相模水軍が手に入ると踏んだのだろう。豪族や国人ならその認識で正しい。彼等は自分の『一所』に縛られているため、それを守るための妥協は簡単に有り得る。
だが水軍はそうはいかない。彼らには『一所』の概念が無いため、都合が悪いなら船に乗って別の土地に行ってしまう。何しろ彼等の『一所』は海そのもの、陸上の拠点など何処でもいいのだ。
これが北条早雲ですら理解出来ていなかった海に生きる者達の考え方なのである。
結果として貧相になった相模水軍が残り、脱出者を吸収して大勢力となった房総水軍に手も足も出なくなった。
だから北条家は里見家を海から攻略することが出来ず、房総半島を北側から回り込まねばならないのだ。つまり陸戦でなければ里見家に勝てないのである。
「でも里見家は北条家から領地を大して奪えてないぞ。圧倒的とは言えん」
「そりゃそうよ。だって水軍は焼いて奪うしか出来ないもん。攻城戦なんか出来ないし、占領も無理だ。でもな、とにかく被害を与え続けてくるので、氏康くんもキレちゃってるんだよ」
現在の北条家は沿岸部の各所に防御の兵士を配置しなければ、突然襲ってくる房総水軍に対抗できない状態なのである。故に大兵力を動かすことが出来ず、対上杉家の援軍も動かしがたいのである。この状態でまとまった兵力を出して上杉軍に惨敗でもしたらそれこそヤブヘビ、里見家が更に勢い付く事は目に見えている。だから先に里見家を倒そうとしているのである。つまり後顧の憂いを断ちに来た訳だ。
「お次は北条家が岩槻太田家を取り込まなければならない事情だ。北条家は岩槻太田家にかなり気を使っている。出来れば無傷で欲しいんだ。領地は殆ど囲んだのに、武蔵岩槻城を包囲しないのは何故だと思う?敵対しているにも関わらず、氏康くんは朝廷に奏上して、岩槻太田家当主・太田資正に民部大輔の官位を贈ってるんだぜ」
「重い愛か何かかしら」
「政、どうして氏康くんはそんなに至れり尽くせりなの?」
「理由は『荒川・利根川川並衆』だ」
『荒川・利根川川並衆』とは荒川と利根川で水運業を営む者達の総称である。この戦国時代は大きな川には必ず水運を営む川並衆が居る。この者達が陸運の要となっている事が多い。畿内であれば道が整備されているところが多いのでそこまで水運に頼らずともよいが、畿内以外はまず無理である。道の整備には大金が掛かるのでやらない大名家が多い。
街道整備に熱心な大名家と言えば織田家と武田家くらいなものだ。甲斐・信濃などは水運がほぼ使えないため、大金を捻出してでも街道整備をするしかないという事情もある。そこを考えると甲斐・信濃の立地は何かの罰ゲームかと言いたくなる。
「この川並衆が扱う富はこの関東の半分に匹敵すると言っていい。この取り纏め役が岩槻太田家なのさ、昔からね」
この川並衆は内陸物流の要であり、かなりの富を産む。それ故昔からの国人衆が根を張り、川並衆となった。そしてこの川並衆の取り纏めは利権と化し、武蔵国は平安期の頃から関東最大の『火薬庫』となっている。
鎌倉期でもこの利権を手に入れるために、北条時政が娘婿の畠山重忠に謀反の疑いを掛けて殺したくらいだ。後にこの畠山家に足利家が養子を入れて再興させた。だから本来『坂東八平氏』の畠山家が現在は源氏で足利御連枝なのである。
そしてこの火薬庫状態は今も変わっていないという事だ。
「関東最大の穀倉地帯である武蔵国を横断する荒川。上野国から下総国を掠めて荒川に合流する利根川。この二本の大河は西関東の物流の要だ。物流が金を産むことは景虎殿がよくご存知のはずでは?」
「確かにね」
「以前『川越夜戦』の後、氏康くんは強引に岩槻太田家を飲み込んだ。これが川並衆の反感をかなり買っちゃってね。これ以上怒らす訳にはいかないんだ。氏康くんの最大の失敗だね」
戦国の3大奇襲戦として有名な『川越夜戦』の時北条氏康は岩槻太田家の主君である扇谷上杉家当主・上杉朝定を討ち取り、その勢いで扇谷上杉家を滅ぼす。その時に岩槻太田家も飲み込まれ、太田資正も臣従を余儀なくされる。これで氏康は川並衆を傘下に出来ると考えたのだが、かなりの反発を受ける結果となる。
国人衆という存在は土地に根付いて生活を確立しているため、自分の生活が変わる事を特に嫌う。このため取り纏めが岩槻太田家から北条家に変わって生活が脅かされると感じた川並衆は一斉に反発。景虎の関東進軍を機に太田資正と共に離反した。
同じ様な状況の大名に武蔵忍城主・成田長泰も当てはまる。かの家も領地が荒川と利根川の間にあり、水運で財を成している。本来なら北条家は成田家を乗っ取りたいはずだが同様の理由で手が出せない。川並衆の取り纏めを成田家にさせるしか手が無いのである。
「氏康くんは川並衆を穏便に収めたいんだ。だから彼等の上役である岩槻太田家を攻める訳にはいかないのさ。……向こうから手を出してくれれば話は別だがね」
「まだ何かありそうね」
この武蔵国の川並衆こそ関東最大の爆弾であり利権なのだ。北条氏康はこれを手に入れる事を最優先にしており、上杉撃退は二の次になっている。
ここまで聞いて景虎も理解した。氏康はこの問題を解決するために自分を無視したのだと。そして氏康は何かの行動を始めたのだろう。
景虎は政貞の顔を見てまだ話があるのだと悟り続きを促した。
「次は里見家と太田家の事情を説明するよ」
「わー、どんどんどん、ぱふぱふーなのー」
「いやあ、照れるね」
「政よ、遊んでないで話を進めてくれ。上杉家の方々が呆気に取られてるだろ!」
更に説明を続ける政貞を氏治が持て囃す。二人のアットホームなやりとりに上杉家の面々も呆気に取られる。
その空気を察した久幹はツッコミを入れておく事にした。
「分かってるよ。里見家と岩槻太田家の関係なんて簡単だよ。『荒川・利根川川並衆』さ」
岩槻太田家と里見家は同盟関係ではない。一応、両者は親上杉派ではあるが。だが同盟など組まなくても問題など何も無い。最初から彼等は一蓮托生の間柄なのだ。その理由も『荒川・利根川川並衆』である。
「彼等川並衆が西関東の物流で財を成しているのは説明した通りだ。だが品物は遠くに運んでこそ価値が出る、利益が出る。荒川利根川水域だけで全ての商売が成り立つと思うかい?」
「なるほど、それを外海へはこんでいる者たちがいるのですね。そして関東の海は里見水軍の勢力下」
「ご慧眼」
答えに辿り着いた与六を政貞は褒め称える。そう、荒川・利根川から運ばれてきた品物を東国水運に乗せて駿河方面へ運んでいる者達こそ里見水軍なのだ。水軍とは海賊行為もするが平時は商人と共に物流や護衛をやっている。
「そういう事か、里見水軍はその品物を遠方に運んで儲けているのか」
「そうだよ。コイツが里見水軍の屋台骨を支えていると言っていい。水軍は金が掛かるからね」
この川並衆と水軍の繋がりがそのまま岩槻太田家と里見家の関係なのだ。そしてこの者達を支えているのが物流による利益なのである。これが無いと生きられないというくらい里見水軍の維持は金が掛かる
「問題は『葛西城』だ。この荒川と利根川が合流した河口部にある葛西城が北条家の物である事が問題なのさ」
だが両者にとって大きな問題となったのが荒川利根川河口部西岸にある『葛西城』である。この城が近年に北条家の手に落ちた事が発端であった。
「そして氏康くんは戦力を南に集中し、ある作戦を始めたんだ。川の物流を止めに掛かっているのさ、葛西城で。分かるだろ。こんな事されると川並衆は生きていけないし、岩槻太田家も生きていけない。ついでに里見水軍も崩壊する」
北条家はこの葛西城を使って川からの物流を色んな理由を付けて足止めに掛かったのである。川並衆の力が要の岩槻太田家と水軍を維持せねばならない里見家にとって、葛西城は何としても攻略しなければならなかった。
更に北条方の江戸城代・太田康資が内通した事を北条家に覚られてしまい、康資は逃亡した。その康資の救出に里見軍と岩槻太田軍が国府台城に集結を始め、一触即発の状況になっている。
「相手の首を真綿どころか縄で締め上げて暴発するのを待っているんだよ、氏康くんは。言ったろ、岩槻太田家から手を出してくれれば円満解決だって」
「えげつないな」
「だが今ここで予想外の事態が起きた。北武蔵で足止めしているはずの景虎殿が小田城に来た事だ。もう少しすれば必ず里見家と岩槻太田家から援軍要請が来るよ」
だから北条家は上杉軍の行動に対して一切の援軍を出さなかったのだ。北条家の計画としては里見家と岩槻太田家の対処を終わらせてからだったのだろう。流石に葛西城の荷止めをいつまでも続ける訳にはいかないのだから。
それなのに上杉景虎は突然何の前触れも無く小田城まで来たのだから、三者共に驚愕しているはずだ。誰にも予想出来なかったのは間違いない。
「フフフ、やっぱり私ってば冴えてるわね。行きましょ、氏康を野戦でボコボコにしてあげるわ」
「……景虎殿が援軍に行った場合、氏康くんは出てこないよ」
「何故かしら?里見と太田を討たなきゃいけないんでしょ、氏康は」
「だって景虎殿は秋前に帰るでしょ。オレなら冬まで延期するね」
そう、上杉軍は農繁期には帰らねばならない。ならば危険を犯す必要はなく北条家は亀の甲羅に籠る様に籠城を続ければいい。
「くっ、だったらどうすればいいのよ!」
「……聞くかい?どうにかする方法」
「……聞かせて貰いましょうか」
(あの人の意見なんて微塵も聞かない姉上が、意見を求めている!?いや、あの政貞っていう人の話術か?)
卯松はいつでも人の意見を聴かない姉が政貞に意見を求めている事に驚愕した。そんな姉が耳を傾けるほどの説得力を政貞は見せたのだと感じた。
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説明を終えた政貞は説明の途中で頭から煙を噴いて呆けていた氏治を寝所に送ってきた。どうやら知恵熱を出した様だ。
その後、久幹と政頼を連れてどうにかする方法の準備に取り掛かる。
「政よ、本当にやるのか」
「まあ、景虎殿もやる気だし、恩もある事だし。あとさ、返してもらった海老ヶ島城にお前の
「ん?氏幹か?」
真壁久幹の嫡男・真壁氏幹。
未だ13歳ながら長さ2メートルもの木杖・金砕棒を振り回して戦場を暴れまわり、初陣で大戦果を挙げた。その武勇と初陣の戦果から『鬼真壁』と周りからあだ名され、真壁家中においても兵士から高い信望を得ている。
(どういう事だ?それは海老ヶ島城を真壁家の物にするって事と同義だぞ。普通においしい話ではあるが……)
「政、正直に言え。何を考えているんだ?」
「海老ヶ島城の北に誰が居ると思ってんのさ。水谷正村だぜ、あの変態訓練魔に勝てるヤツなんざウチには見当たらんよ。お前の倅、強いらしいじゃない」
「んー、まあ、そうだな。周りから『鬼真壁』とまで呼ばれてるしな。……小田家相手に暴れたんだがな、アイツ」
そう、氏幹が大暴れして大戦果を挙げた相手は小田家である。つい最近の話であった。
「もうそれは言いっこ無しさ。そういう兵士が奮い立つ様な名声が必要なんだ、当てにしてるよ」
「分かった、引き受けよう」
「氏治ちゃんはオレが説得するよ」
ちゃんとした理由があって海老ヶ島城を譲ってもらえる事に久幹は安堵した。それは久幹にとっても海老ヶ島城は欲しい城でもあったからだ。はっきり言うと山地にある真壁城より川沿いの平地にある海老ヶ島城の方が実入りが良いからだ。立地的にも海老ヶ島城は真壁領の隣なので、守備するのも大した苦ではない。
久幹としては今は真壁城を自分、海老ヶ島城を氏幹で治める。ゆくゆくは真壁城を氏幹、海老ヶ島城をまだ元服していない次男にしようと未来設計した。
「あのー、親父」
「何だよ、頼」
「その喋り方、何とかならねえんでやすか?皆、親父が不抜けたって噂してて」
それまで神妙な面持ちで付いてきていた政頼はおずおずと政貞に問いかける。内容は政貞の話方である。以前の厳しめの口調がいきなり砕けた感じになったので、土浦城の家臣達が困惑していたのである。
「ああ、これね。わざと直してないんだわ、これが」
「でもそれじゃ示しってもんが」
「だから頼。お前、オレの跡を継いで菅谷当主・土浦城主になれ。オレは隠居するわ」
「そ、そんな。菅谷当主は養子の俺じゃなく、弟の小次郎がなるべきでやすよ」
政貞には養子の政頼の他に、実子の息子がいる。政頼は家督を継ぐのは弟だと主張する。一般的に考えても政頼の考えは正しい。
だがその言に政貞は渋い顔をする。その意見には問題があるからだ。
「何言ってんの、お前。3歳の小次郎に何が出来るんだ?」
「いや、だから小次郎が元服するまでは親父が……」
「以前のままならそれでも良かった。だがもうダメだ。上杉景虎殿を見たからな」
「政、口を挟んで悪いが何故上杉殿を見たら隠居する事になるんだ?」
「そうでやすよ」
「あの御仁は恐ろしい。恩情には千倍で報いてくれるが、裏切りには億倍で返してくる、それでいて気まぐれときたもんだ。こっからは外交の舵取りを誤る訳にはいかんのよ。だからオレは小田城に居る事にした」
政貞が隠居する事にしたのは上杉景虎に会ったからが理由であった。その性格、思考、戦力を鑑みて外交の誤りは小田家の滅亡に繋がると判断した。
「ほら、氏治ちゃんって結構フラフラするタイプじゃん。ここからは氏康くんも外交攻勢掛けてくると思うんだよね」
北条家からの調略を防止する事も大事だ。今回の件を見れば分かるが氏康は北条家の都合を優先する。北条家当主なのだから当然だが、それで見捨てられては小田家は堪らないのだ。
だからどんな好条件を出されても氏治が靡かない様に傍にいる事が必要だと政貞は感じている。
しかし秋前に越後へ帰ってしまう上杉家を当てにし続けるのも危険な話だ。故に綱渡りの様な外交をせねばならないだろう。
そんな神経の削れそうな外交を主君一人に押し付けるのも酷な話だとも思う。
今の小田家の最善策は景虎を利用して北条家の力を削り、隙間を狙って勢力を拡大する事なのだ。人の良い氏治にそんな事は出来ないので政貞がやるしかない。
「まあ、道理か。政が居たなら水谷に仕掛けるなんて無謀はさせなかっただろうし」
「しかし……」
「お前はオレの息子だ。血の繋がりとか養子とかは関係ねえよ」
「親父……はい、頑張りやす!」
「頼むぜ」
政頼はその言葉に涙し、菅谷当主・土浦城主を務める事を承諾した。
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【あとがき】
べ「作中で政さんが言っていた『房総水軍が圧倒的に強い』は誇張表現になります」
恒「ではそんなに差は無いという事かニャ」
べ「差が無いっていうか、比べる事に意味が無いっていうか」
恒「ん?」
べ「そもそも水軍衆同士が海上でかち合う事が稀なんだよ」
恒「そうニャのか?」
べ「どうやって海上にいる船団を見つけるのさ。この時代にレーダーは無いよ。そして水軍は突然出撃するから出陣を予想する事も不可能。更に何処を襲うかも解らない。それこそ「最近儲からねえなー。よし、町でも襲うか」くらいの理由で出撃する。発見出来たとしても迎撃艦隊を出撃させる前に襲撃終わらせて帰ってるんじゃないかな、基本的に一撃離脱しかしないし」
恒「諜報かけて早馬で報せるとかはダメかニャ」
べ「やったとは思うけど陸路だと荒川と周りの湿地帯があるからね。あんまり間に合ってないっぽい」
恒「という事は正確には?」
べ「『襲って襲われて』が正解。北条家も電撃的に襲って里見家の城を攻めた事はある。兵站線が確立できないから負けたけどね。そもそも房総水軍と相模水軍は里見北条抜きに殺し合う関係だ。もうどこから殺し合っているか解らない程だよ。何を巡って殺し合っているかは解ると思う」
恒「じゃあ相模水軍の脱出者が房総水軍に行ったってのは?殺し合いをするほど憎んでいるんじゃニャいのか」
べ「殺し合っているのは勢力であって、個人じゃないって事かな。駿河水軍にも相当数流れたと思うよ。……ただ、房総水軍の襲撃回数はかなり多いから氏康くんブチギレは間違いない」
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