外伝 ウチの政さんがすごいの

 土浦城から出撃した菅谷政貞は小田家の重要拠点・藤沢城を経由して小田城へ向かう。

 道は脇を流れる桜川沿いにある一本道となる。

 ここ以外の道となると山間部に行くか、桜川を渡河するかになるのであまりにも不効率なのである。


 政貞は毎回ここを通って小田城に向かう。

 政貞の軍が小田城に到達したら、民衆は今こそ小田城奪還の時と勝手に蜂起するのである。

 因みに彼自身は民衆の扇動はしていない、ただお決まりのパターンになっていた。

 つまり政貞の軍が来た=反撃の時と勝手に認識されてしまうのだ。

 こうして彼は何度も小田城奪還を成し遂げてきた。


 ……だがそれは敵である真壁久幹まかべひさもとにもよく分かっている事であった。

 元々は小田家で同僚だったのだから彼のやり口を理解していた。

 政貞の軍が小田城に到達したら民衆蜂起が起こって負ける。

 なら政貞が小田城に来れなければいいのだ。

 故に真壁軍は街道の一部を占拠して布陣し、菅谷軍を待ち伏せした。


「くそっ!待ち伏せとはやってくれんじゃねえか!」


「親父!一度退きやしょう!」


「バカ野郎!あの場所に陣取られたら、コッチが進めねえんだよ!」


 既に街道の真ん中で防柵まで作って待ち伏せていた真壁軍に政貞は苦戦した。

 真壁久幹は防柵を盾に防御陣形を敷き、終始防衛を徹底した。


 真壁久幹は小田家先代・政治の頃は小田家傘下に居た。

 政治の死後、跡を継いだ氏治と『ある問題』で対立し小田家を去ったのである。


 そして同僚として菅谷政貞は幾多の戦いを共に戦ってきた戦友でもある。

 故に彼は全く油断しなかった。

 たとえ兵力差で優っていても迂闊な追撃などは仕掛けなかった。


 真壁軍が陣取った場所は北側に『大池』という沼地地帯と南側を桜川に挟まれた街道の要衝。

 ここを通らないとなると北側の沼地を大きく迂回して山地に入るか、敵を目の前にして桜川を渡河する事になる。

 今から北の山地へ迂回することは不可能、余分な兵糧を持ってきていないからだ。

 渡河する場合は一度退き上げて安全な場所で行わなければ追撃を受ける事になる。

 時間が掛かる上に小田城近辺でもう一度渡河せねばならないのでとても危険である。


「でも親父、このままじゃ!」


「くっ、仕方ねえ、後方に下がって立て直すぞ!」


「退けっ!退けえ!」


 不利を悟った政貞は一旦後退して軍勢の立て直しに掛かる。

 これに対し真壁軍からの追撃はなかった。

 だが後退に焦ったのか、政貞は馬の手綱さばきを誤ってしまう。


「うおっ、しまっ!?……グワッ!?」


「お、親父ー!」


 そのまま体勢を崩してしまい、政貞は落馬してしまったのだ。

 養子の政頼は馬から飛び降りて、倒れている義父の元に駆け寄る。


「親父!しっかりしてくだせえ!」


「……んぁ?誰だ、お前さん?」


 政頼の呼び掛けに、目をうっすら開けた政貞は寝惚けた様な口調で呟いた。


「政頼ですよ!寝惚けねえでくだせえ」


「……ああ、頼か、そうだったな……」


 まだ意識が朦朧といている様な政貞を担ぎ、政頼は戦場を離脱した。

 彼は急いで政貞の休める場所を確保しなければならなかった。


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 菅谷軍は後退して態勢を立て直していた。

 真壁軍が陣取る場所からはさほど離れていない場所であり、藤沢城までは戻らなかった。

 政頼は義父を休ませ、部隊の確認を行っていた。

 初戦は負けたといってもまだまだ士気は高い様で政頼は安心した。


 そしてその事を政貞に報告する。


「損害は?」


「およそ百名、まだ行けやすぜ。それより大丈夫ですかい、親父」


「ああ、大体飲み込めたわ。敵は真壁久幹、約2千。街道の要衝に陣取って動かない。そしてそこを通らないと小田城に行けないと。そういう事でしょ、頼」


「そ、そうなんでやすが、親父、喋り方が変ですぜ」


 回復した政貞はいつもの様な厳しい顔付きではなく、どことなく緩んだ様な表情であった。

 更に厳しめの口調もなくなり緩い口調で話し始めたため、政頼はかなり心配になってくる。

 もしかしたら頭を強く打ち過ぎたのかと。


「そうなのか?まあ、気にしてても始まらないよ。しかし厄介な場所に陣取られたねえ」


「相手は単純にコチラの2倍。防柵も作って待ち構えているから奇襲も出来やせん。ここは一度土浦城に戻って作戦を練り直すべきではありやせんか」


「なーにをバカな事言ってんの、頼。相手が備えているから奇襲が出来ないなら、相手が備えていても奇襲すればいいじゃないの」


「はい?」


 政頼は目を丸くした。

 目の前の口調がまるで変わってしまった義父が意味の分からない事を言い始めたからだ。

 そして唖然とする政頼を置いて、政貞は全員に呼び掛ける。


「よし、将官は全員聞け!」


 政貞に呼ばれた部隊長が彼の元に集合する。


「これより作戦を伝える。各自決められた目標を達成するように。さすればこの戦は勝つ!」


 集まった部隊長達をぐるりと見渡し、政貞は宣言する。

 その言葉には何故か虚勢や偽りの響き無く、まるで確信している様な信頼感があった。


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「さあて、いっちょやってみようかね」


 菅谷政貞は一人呟く。

 空は朱く染まり夕刻、逢魔が時である。


 場所は真壁軍が陣を敷いている場所の近くであった。

 そこに政貞と部下の騎馬武者が数名、真壁軍の陣を眺める。

 遠目から見える陣は人が忙しなく動いて、野営の準備をしている様だ。

 篝火は多く灯され警戒の兵士も多く出ていた。

 傍から見ても臨戦態勢を維持している。


「親父さん、やっぱり危険ですぜ」


「兵力劣勢、地の利劣勢。この状況下で危険を犯さず勝てるなんて事は無いよ。時間も無いし。兵の配置は?」


「ご指示通りに」


「そうか。じゃ、行ってくるわ」


 政貞は散歩に行ってくるという感じの軽さで、一人真壁軍の陣に向かう。

 残っていた部下達は主君の命令故、主君を無言で見送った。


(失敗したら死ぬなあ)


 政貞は首の後ろをポリポリと掻きながら能天気にそう思う。

 何しろ敵陣に一人で向かっているのだ、上手くやらなければ死ぬのは当然と言える。


(ま、死ぬのは初めてじゃないし。……しかし不思議な体験もあるもんだ、オレは菅谷政貞でありながら別人でもある)


 政貞は今の自分の状況は理解していた。

 自分の中に別人が居る、居るというよりは一緒になっている。

 体を乗っ取られた訳ではない。

 精神と人格と記憶が一体化して新しい『菅谷政貞』になっているのだ。

 そして今の政貞には昔には見えなかった事が鮮明に見える様になってきた。

 即ち知識の幅がとても拡がってきたのである。


(この知識は役に立つ。今のオレならもっと主君の役に立てる。……主君の泣き顔なんざ見たくないだろ、オレの中に居るアンタも。役に立ってもらうぜ)


 今まで気にも止めなかった煩雑な情報も、意味を持って理解出来る様になってきた。

 これを利用できればきっと小田家を繁栄に導ける、政貞はそう確信した。

 なのでまずはここで最大の戦果を得て、生きて帰らねばと覚悟を決めた。


 政貞は一人馬を歩かせ、真壁軍の陣の入口に姿を現す。

 その堂々とした様子に番兵は味方かと勘違いしてしまうほどだった。

 だが報告には無い方向からの帰還者で、見知らぬ鎧兜、番兵は叫んで仲間を呼ぶ。


「何だ!?テメエは!?」


「騒ぐなよ、雑魚共」


「何ぃ!?」「どうした!?」「何だ、何だ!?」


 次々に集まってくる兵士達、彼等が政貞に襲い掛からないのは敵か味方か分からないからではない。

 味方であった場合は鎧兜が立派な騎馬武者は上級士官なので、手を出すのは後が怖い。

 敵であった場合でも敵軍からの軍使である場合があるので手出し厳禁、一人でやってくるなどそうとしか思えないのだ。

 つまりどちらにしても手出し出来ない状況で、部隊長クラスでないと判断出来ないからだ。


 そんな彼らを見下ろして政貞は高らかに名乗りを挙げる。


「やあやあ我こそは、村上源氏赤松流菅谷家当主・菅谷左衛門大夫政貞なり!」


「はあ?」「何だありゃ?」「政貞って敵の大将でねえか?」


「我こそはと思わん者は掛かってくるがいい!腕に覚えなければ其処で震えているがいい!」


 そう言い放つとニヤリと嗤い、馬上から弓を構え即座に撃つ。

 矢は人に当たる事はなく、兵士達の頭上の防柵に命中した。

 最初から当てる気もなく、からかっただけであった。


「どうした、諸君。オレ一人も相手出来ないへっぽこなのかい、真壁は」


 その言葉を理解した兵士達は見る見る間に顔を赤くさせていた。

 弓でからかわれた上に武名で鳴る真壁家を侮辱された兵士達は怒ったのだ。


「ざけんじゃねえ、この野郎!」


「何が菅谷じゃぁ!一人でノコノコ出てきやがって!手柄頸にしてやらぁ!!」


「「「待てや、コラー!!!」」」


 怒り狂った兵士と政貞の追いかけっこが始まった。


 兵士達が走り出したのを見て、政貞は馬首を返して逃げる。

 そう、目的はコレであった。

 敵を陣地から釣り出すため、挑発する囮に自らなったのである。


「甘い、甘いねえ。こんな目先の明白あからさまな罠に掛かる真壁君じゃあないんだろうけど。でもな、目先過ぎる餌に兵士は食いついちまうもんなんだよ」


 その場に真壁久幹が居たなら絶対制止しただろう。

 彼がこんな見え透いた手に乗る訳がない。


 だが大将である久幹が番兵などしている訳がないし、制止出来る部隊長も大体陣の奥だ。

 だからわざと挑発したのだ、久幹や部隊長が出てくる前に兵士達が怒り出す様に。

 何しろ兵士は先の戦いで殺気立っているし、緊張状態にあるので怒りに火が点きやすいのだ。

 その目の前に大手柄頸がいて、挑発すればこの通り。

 怒りと手柄に焦った兵士達は我先にと走り出す。


「そして走り出した若い激情は止まらないってね。十代の幼い欲望パトスってのはそんなもんよ」


「「「待たんか!ゴルアァァァ!!」」」


 走り出した兵士達は奔流となって政貞を追い掛ける。

 政貞も一定の距離を保ちながら馬上弓で騎射を行う。

 精々、一人を戦闘不能にする程度だが、仲間をやられた兵士達は更に怒り政貞を追走する。


 幾ばくか追いかけっこが続いた頃、残してきた部下の一人が合流。

 彼はここら辺の地理に詳しい者なので先導役にしたのだ。


「親父さん!こちらでやす、お早く!」


「分かってるよ。しかし釣れた釣れた。これで追い掛けてきているのが美女なら、男冥利に尽きるんだがねえ」


「そんな事言ってる場合じゃねえですよー!」


 呑気な感想を言う政貞を部下はツッコミを入れながら急かした。


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「何事だ!?」


 陣内が騒がしくなって陣幕から出た真壁久幹は、部下に説明を求めた。

 事態を確認してきた部下が久幹と部隊長達の前で片膝をつき報告する。


「殿、陣外にて兵士が菅谷政貞を発見!追い掛けているとの事!」


「何だと、それは罠だ!あの菅谷がそんな迂闊な訳がないだろう!呼び戻せ!」


「そ、それが……兵士の数人が手柄に焦り追走、それを見た者達も我先にと加わり、更に事情も知らない者達も釣られて走り出し……」


「な、何ぃ?」


「既に陣内には2百名足らずしか残っておりませぬー!!」


「バ、バカなーっ!?」


 これは人の習性の様なものである。

 人は大多数を正しいと認識してしまうのだ。

 今回の場合、怒りと挑発で走り出した者が先頭で、大手柄頸がいると聞いた者達が加わった。

 その大勢の兵士が走り出す様を見て、敵襲と勘違いした者達が走り出した。

 更に大多数が出撃していく様を見て、自分達は聞いてないけど出撃命令が出たに違いないと思った者達まで加わった。

 結果、真壁軍9割が陣からいなくなるという事態が発生した。


 真壁軍の兵士は強い、だが命令遵守が徹底出来ているかというと難しい。

 つまり兵士個人の強さが並以上という事で、陣形を組んだり戦術的な動きが出来る訳ではないのである。

 兵士自体は強いが練度は大した事ないのが真壁軍の欠点であった。


 だがこれは戦国のスタンダードであり、訓練などあまりしていない大名豪族が結構多い。

 ……訓練してても織田兵は弱いので尚更かも知れない。


(い、いかん!今陣を襲われたら一溜もない。こうなれば走り出した軍勢と共に行くしかない。要所は捨てる事になるが致し方あるまい)


「追うぞ、急いで陣を引き払え!」


「はっ」


 真壁久幹は馬に乗って走り出した。

 それに部隊長達も続いていく。

 まずは何にしても走り出した軍勢を止めねばならない。

 陣は奪われるかも知れないが、軍勢がいなければどうにもならないのだ。


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 真壁軍の近くに伏せていた菅谷政頼隊5百はずっと観察を続けていた。

 動き出した陣の偵察を続け、政貞が言っていたタイミングを計っていたのだ。


「政頼様!親父さんが真壁の釣り出しに成功しやしたぜ!」


「マジか!流石は親父だ。様子はどうだ?」


「今、荷駄隊が出るところでさあ。急いで出たのか護衛部隊がいやせんぜ」


「親父の言ってた通りになってやがる。よし、なら予定通りに荷駄を奪うぞ!」


「「「応!」」」


 彼等の役目は真壁軍の物資を奪う事。

 軍勢が走り出し、真壁久幹達も走り出している。

 だが物資はそうはいかない。

 積み込むにも持ち出すにも時間が掛かるのだ。


 その物資を奪う事、これが彼等の任務であった。

 注意事項としては絶対に燃やすなと言われている。

 物資が運べないのなら真壁の陣を乗っ取って防衛をと考えていたが、その手間は省けたようだ。

 政頼は部隊を引き連れて真壁軍最後方にいる荷駄隊に襲い掛かった。


 一方、騎馬で走り軍勢の最先頭をやっとの思いで止めた久幹の元に伝令が届く。


「後方にて遅れて出た荷駄隊が敵に補足され、兵糧を奪われたとの事」


「やられた。……これを狙っていたのか、菅谷!」


 既に菅谷政貞は姿を消していた。

 久幹は軍勢を釣り出して伏兵の罠を仕掛けたのだと思っていたのだが、実際は違っていた。

 伏兵は誘い出された場所に出てくる事なく、最後方に出てきたのである。

 狙いは最初から兵糧だったという事だ。


 そしてそれは真壁軍が戦闘継続不可能になった事を意味する。


「殿、如何致しましょう」


「兵糧が無くては戦えん。かと言って小田城に戻っても、あの城は守れる城ではない」


「『百戦必落の小田城』とか言われてますしね」


『百戦必落の小田城』とは別に比喩表現ではなく、本当にそうだったりする。

 昔から奪われては奪い返すの繰り返しなのである。


「急いで真壁城に戻るぞ」


「ははっ」


 真壁久幹は撤退を決断する。

 自分達が拠点としていた陣地は塞がれている可能性が高い。

 それゆえに沼地を北上して山地から帰る事にする。


 真壁家は元々山地に領地があるため、兵士も山は歩き慣れている。

 おそらく兵士達の持つ腰兵糧で何とか帰れるはずだ。

 敵に襲われなければという条件は付くが。


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 山地を進む真壁軍の目の間に突然軍勢が展開する。

 掲げられた旗は『亀甲の内に三つ巴』、菅谷家の家紋であった。

 その旗を掲げた軍勢は真壁軍のいる場所の高所に陣取っていた。

 真壁軍からは登れない様な急斜面の上から、弓矢を構えているのである。


「よう、真壁の。絶好の月見日和だと思わないか」


「菅谷……政貞……何故ここが分かった!?」


「ここは小田領だ。自分の庭が分からん程、耄碌しちゃいないよ。お前さんがどっから帰るのかも分かるさ」


 そして政貞は進み出て真下にいる真壁久幹に話し掛ける。

 見上げた久幹は月明かりと声で政貞だと判断した。


「悪いがこの山道の高所は既に抑えてある。ジタバタしなさんな」


「この俺を殺せると言いたいのか?それとも降れと?真壁の名も舐められたものだな」


「舐めちゃいないし降伏しろとも言わないよ。ただオレは昔みたいに一緒にやろうやって言いたいんだ」


「……昔だと?笑わせるな。政治公ならともかく、何故俺があんな小娘に」


「やっぱり気にしてるのか?『氏治ちゃん問題』の事」


「当たり前だろ!いい歳こいて『ちゃん』付けで呼べるか!!ってお前もそう言ってただろが、政!」


 実はこの二人は仲が良かったりする、最近は疎遠であったが。

 真壁久幹は小田政治の時代は小田家に居て、同年代の政貞とは家中でも両輪と言われるくらいに活躍していた。

 その彼は新当主・氏治に先代政治ほどの器量は無いと言い切り、独立勢力となった。

 そこには主君・氏治から『ちゃん』付けで呼ぶ事を要求されて、勘弁してくれと苦悩していた事を政貞は知っていた。


「でもよ、このままじゃ兵糧奪われて大損な上に、多賀谷見捨てて名声が地に墜ちるぜ」


「……どうしろと言うんだ」


「だから昔に戻ろうって事さ。兵糧は返すし、多賀谷も戦う前に説得出来るだろ。『氏治ちゃん問題』はオレが何とかするからさ」


「ううむ」


 真壁家は山地故にあまり財政状況は良くない。

 今回奪われた兵糧で破産する事は流石に無いが、数年は動けなくなる可能性がある。


 また小田城に居る多賀谷政経を見捨てて帰国する事になるのだから、当然真壁の名声にキズが付くだろう。

 周りに舐められれば真壁家の存続にも影響する。


「それとも佐竹殿を頼るかい。それも手だが家臣化は避けられないだろな」


 佐竹家とは常陸国北部に広く勢力を持つ大名。

 現当主は英主と名高い佐竹義昭である。

 この佐竹家とは共闘した事があるので良好な関係を保っているが、援助となれば頭を下げる必要もある。

 下手な外交をすれば真壁家の惣領権を奪われかねない。

 それは真壁家の家臣化を意味している。


「分かった、分かったよ。全く、痛いとこばっかつつきやがって」


「分かってくれて嬉しいよ、真壁の」


「但し、『傘下』だからな。『家臣』じゃない」


「分かってるさ」


 久幹は小田家傘下という事でよりを戻す事にした。

 流石にこの話を蹴ったら、何処かの家臣になるか、破滅の未来しか見えなかった。

 それなら独立は保てる小田家傘下を選んだ。

 あの問題は政貞が何とかしてくれると信じて。


 この後、二人は政頼と合流。

 兵糧は無事返還されて、共に小田城へと進み始めた。


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 小田城への道を進む途中、見えてきた城の様相に政貞は眉をしかめる。

 そしてどういうことか理解出来ず、隣にいる久幹に問い掛ける。


「なあ、真壁の」


「なんだよ、政」


「多賀谷の家紋は何時から『竹に二羽飛び雀』になったんだ?」


「何をバカな事を。多賀谷は『木瓜に一文字』……『竹に二羽飛び雀』だとぉ!?」


「ああ、小田城に掲げられているよ。オレの記憶違いじゃなきゃ、『関東管領上杉家』だよな」


『竹に二羽飛び雀』は上杉家の家紋である。

 この家紋はとてもバリエーションが豊かで、色々な『竹に二羽飛び雀』が存在する。

 上杉家自体がとても沢山に分かれているので見分けるためかも知れない。


 上杉家は宅間上杉家、犬懸上杉家、山内上杉家、扇谷上杉家、深谷上杉家、越後上杉家、千秋上杉家と分かれている。

 因みに現在勢力があるのは上杉景虎が継いだ山内上杉家だけである。

 他は滅亡か家臣化した。


 何故こんなに上杉家が沢山あるかというと鎌倉公方の領地を治めるためである。

 そもそも上杉家は領地を持っていないのである。

 上杉家の領地と認識されている場所は全て鎌倉公方の領地で、彼等は鎌倉公方の家宰なのだ。

 だが鎌倉公方一人で広大な領地は治められないので、家宰の上杉家が分割して統治を行っていたのである。

 そして沢山の上杉家が持ち回りで関東管領に就任していた。

 つまり関東管領とは領地も無いし、ただの鎌倉公方の部下にすぎないのだ、


 実際に統治をしているのは鎌倉公方ではなく関東管領上杉家になる。

 なので関東の大名豪族は上杉家の命令を聞いていた訳だ。

 この権力の二重構造が今日の関東情勢を複雑化させたと言える。


 あと『竹に二羽飛び雀』の家紋を使っているのは奥州伊達家である。

 こちらは越後上杉家に養子を出す時に引き出物として許された経緯だ。

 結局養子は出していないのだが、ちゃっかり家紋だけは戴いている。


「どゆこと、コレ?」


「知らん!俺は何も聞かされてない!」


「……どーしたもんかねえ」


 政貞の記憶が正しければ、上杉景虎は1週間前まで武蔵国北部にある忍城を攻略中だったはずだ。


 忍城は籠城を選んだがこれは当然だ。

 兵力差がある上に忍城は堅城で名高い、野戦を挑んだらそれこそ正気を疑う。

 そしてこれに対して北条家が援軍を送る事は絶対にない。

 何せ北条氏康は上杉軍など眼中に無いからだ。


 今の政貞にはハッキリ解る。

 北条氏康の狙いが。

 そして今頃は噴飯して驚いている事だろう。

 武蔵国北部で遊んでいたはずの上杉軍が1週間で下野国と下総国をブチ抜いて常陸国小田城に居るのだから。


 流石にこの事態は政貞にも想定外過ぎた。


「とりあえず様子見で止まるか。下手に手を出したらそれこそヤブヘビだ」


 流石に支持勢力である上杉家と戦端を開く訳にもいかず、政貞は小田城の前で停止した。

 一応、村々に人を放って蜂起しない様に通達した。

 もしもあれが本当に上杉景虎の軍だったら、1万以上の兵が居るはずだ。


 既に戦う前から勝敗が決まっていると言ってもいいので、大人しく上杉家からの連絡を待つ事にした。


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 様子見している最中の政貞の元に政頼が報告に来る。

 おそらく上杉家の使者が来たのだろう。

 政貞が陣を張った場所は小田城からなら丸見えなのだから。


「親父!」


「どした、頼」


「上杉家から使者が来てやす」


「そうか、丁重にお通ししろ」


 さてどんな話が飛び出てくるやらと覚悟して、久幹と共に使者を陣内に迎え入れる。


「初めまして、上杉家の千坂ちさか対馬守景親と申します」


「これはご丁寧に、小田家家老・菅谷左衛門大夫政貞であります」


 千坂対馬守景親は上杉家臣で外交や情報収集を担当している。

 千坂家は上杉氏の四家老の一つで、上杉景虎が上杉家の名跡を継いだ時に家臣となった。


「我々が小田城に居るのでさぞかし困惑されたでしょう。そう考えた景虎様が私を遣わし、状況説明に参った次第です」


「ええ、そりゃもう、度肝を抜かれちゃいましたよ」


「まあ、使者を送るのを全員忘れておりまして、申し訳ありません。我が主、景虎様は重要な同盟相手である小田家を援護するために小田城まで来たのです」


「ほほう、援護でありますか」


 納得した様な口振りで話している政貞であるが、その実よく分かっていない。

 と言うより上杉家に援軍を頼んだ覚えはない。

 そして無言で助けて貰える様な仲でもないはずだ、小田家と上杉家は。

 なので政貞は相手からより多くの情報を取ろうとして相槌しているだけである。


「ですので小田城引渡しのために小田氏治様にお越し頂きたく。ああ、それと海老ヶ島城も攻略しておきましたのでお渡し致します」


 そしてこの発言で訳の分からなさが頂点に達する。

 何処に実力で奪った城をただで返してくれる戦国大名がいるのか。

 更に小田城だけでなく海老ヶ島城までおまけに付けてくれるとの事。

 最早、理解不能であった。


(こ、この千坂とかいうのは何を言っているのだ?意味がわからん)


(俺に言わねえでくだせえよ)


 久幹も政頼も全く理解できなかった。


「成る程、お話はよく分かりました。では我々は土浦城に戻って、主君・氏治様と共に参上したいと思います。上杉殿には暫しお待ち頂けるようお伝えくだされ」


「ええ、しかと伝えましょう。ではこれにて」


 そう言って千坂景親は悠々と去っていった。

 その立ち居振る舞いは流石外交官だなと政貞に思わせた。


 一方で久幹と政頼は頭を抱えて悩み続けていた。

 因みに政貞は考えるのを止めた。

 考えても無駄だと分かったからだ。


「おい、政!これはどう考えても罠だろ!」


「そうですよ、親父!こんな虫のいい話がある訳ねえです。氏治様をおびき寄せる罠でやすよ」


 悩み抜いた二人の結論は『罠』である。

 もうそれ以外に考えられないほどのおいしい話だからだ。

 この時代の大名外交に打算が無いなど、二人には信じられないのだ。


「んー?じゃあ聞くけど、上杉殿が小田家を罠に掛ける意味は何処にあるんだ?上杉殿がその気なら既に踏み潰してるよ。戦力差は絶望的なんだぜ」


「……あ、いや、まあ、そうなんだが……うおおおお!頭が沸騰する、まるで理解出来ーん!」


 政貞は真っ向から二人の『罠』説を否定する。

 現状で上杉景虎が小田家を潰すなら、そのまま実力行使すればいいのだ。

 わざわざ詐術など掛けるまでもない、ただの時間の無駄だ。


 兵力差はどう考えても3倍以上、兵士の強さも練度も段違いの上杉家である。

 最初から勝負になっていない。


「そんなに難しく考えなさんな。それに小田家としては氏治様に行ってもらうしかないんだよ。ここで行かないなんて選択肢選んでみなさいって。それこそ恥掻かされた上杉殿は必ず小田家を殲滅するよ」


「既に議論の余地すらねえですか」


「そういう事。わかったら土浦城に戻るぞ」


 政貞は考えても無駄だと分かったのは、こういう事である。

 もう彼女が小田城に居て、氏治を待っていると伝えた時点で、逃げ場は消失したのである。

 なるべく主君を危険な目に合わせたくないと思いながらも土浦城に戻らざるを得ない政貞であった。

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