才蔵の帰郷

 可児室原。

 ここには昔から可児氏が土豪として根を張っている地域である。とは言うものの勢力が大きい訳ではなく、あくまで土豪だ。

 その可児家の当主である可児六郎左衛門秀行は近年森家に出仕する様になり、無事領地安堵を約束され森家臣となった。

 その秀行が領内の見廻りをしているとある男が近付いてくるのがわかった。その男が誰か判別出来ると秀行はまたかと嘆息した。


「よう、六郎」


「誰かと思えば穀潰しの才蔵じゃないか」


「いきなりご挨拶だな、おい!」


 その男の名は可児才蔵吉長。可児一族で秀行にとっては幼馴染みみたいな者だ。槍の腕前もあって一族の中でも最強と言える。

 ただこの男にはある欠点があって秀行は嘆息したのだ。それは仕官しても長続きしないという辛抱力と我慢と忍耐力が足りないところだ。

 特に最初に仕官した斎藤家は酷いもので、当時の秀行でも溜め息以外出てこなかった。


「はっ!斎藤家を半年で辞めて、柴田家の陣借者も一月保たなかったじゃないか」


 才蔵は半年にして斎藤家の侍と派手に喧嘩をやらかし放逐された。この事は可児一族を大きく落胆させた。武芸に優れた才蔵なら出世して一族の発展に寄与すると思われていたからだ。つまり才蔵が偉くなれば他の一族も部下になったり、仕官の口利きで恩恵を得られるという事だ。

 結局、才蔵は放浪し織田家の傭兵として柴田勝家の陣借者となるが、一月経つ前に同僚といさかいをおこして前田家に移った。柴田勝家は才蔵の名前すら覚えていないが。


「今は前田家だっけ?いつまで保つことやら」


「……前田家はもう辞めたよ。窮屈だったんでな」


「ほら見ろ、そんな理由で辞めるのお前くらいだ。まあ、乱闘しなかっただけマシか」


「悪かったな」


「私くらいに真面目に仕えてみろ。森家に仕えて既に百石の知行を戴く様になったんだぞ」


 可児秀行は可児の土豪ではあるが、可児の大豪族である久々利頼興の支配下ではない。それ故、東濃軍団長である森可成に直接仕える事になった。


「そうかい、そりゃ良かったな」


「で、どうしたんだ。前みたいに飯でもたかりにきたのか」


 才蔵が牢人をしていた時、当然だが金が無かった。それ故度々六郎の家に転がり込んでは食事の世話になっていた。六郎の家だけでなく一族の色んな知り合いの家にも行っており、才蔵は皆から厄介者として認識されていった。


「ちげーよ。故郷に錦を飾りに来たんだ」


「は?牢人のお前が?」


「誰が牢人だ。既に働いてるよ。聞いて驚くなよ、俺は五百石取りだ」


「ウソつくなー」


「即答かよ、テメエ!」


 故郷に錦を飾るとは 功名を挙げて故郷に帰る事を指す。つまりは出世したから自慢しに来たという訳である。

 だがそんな才蔵の言葉を秀行は即座に嘘だと言い切った。元々可児の土豪である秀行はこの1年、真面目に森可成に仕えて給料を80石から百石に増やしてもらった。普通はこの程度なのだ。なのに0からいきなり五百石など有り得ない。

 だが秀行は幼馴染故に知っている、この才蔵は見栄や保身で嘘を弄したりしないと。なので秀行の「ウソつくな」は信じられないというニュアンスを含んでいる。


「何処の奇特者がお前に五百石なんて払うんだよ」


「犬山城主・池田恒興様だ。俺は殿直々に親衛隊長に抜擢されたんだ」


「という夢をみたのか」


「どうあっても信じないつもりかよ、テメエ」


 秀行は信じられないと言うより信じたくない。だが具体的な名前や役職まで出てきている。だらだらと冷や汗が止まらない。


「あ、当たり前だ。何でいきなり親衛隊長になんてなれるっていうんだよ。おかしいだろ」


「フフン、大河内城攻めで殿直々の任務をこなしたからな。それが評価されたのさ。やっぱ見てる人は見てるんだって事だな」


「ど、どうせ長続きしないんだろ」


「俺の上には殿しかいないんだぜ。一応殿の上に信長様がいるが、ほぼ関係ないだろ。つまり殿とさえ上手くやっていきゃいいのさ。他の同僚は大体備大将クラス、自分の領分があるんだからあまり干渉して来ねえよ」


 一応、可児才蔵の採用は恒興の前世の記憶からくる縁故採用である。だがこれは恒興以外には理解出来ない事なので、一般的には大河内城攻略時における前田利家救出が評価されたのだと認識されている。流石に何の功績も無く親衛隊長就任は有り得ないからだ。

 淡々と話す才蔵に顔が真っ青になっていく秀行。認めたくない話が現実になっていく感覚に襲われ、秀行は感情を爆発させてしまう。


「ウソだ、ウソに決まってる!お前が私の5倍の給料なんて!そんなのウソだー!!」


「ハッハッハー、事実は変わらんよ。ウソだと思うならいつでも犬山に来いよ。池田家はいいぞ、古参なんてヤツは殆どいない実力主義だからな。大体家老の土居宗珊殿からして他所者なんだぜ、スゲエ(説教が長い)お人だがな」


「ウソだ、真面目に務めている私より才蔵の方が上なんて……そんな……」


「あーあ、あっちの世界に行っちまったか。槍稽古に付き合ってもらおうと思ったのによ。まあいいや、裏山でやってるぜ。気が向いたら来いよ」


 才蔵は地面に這いつくばってブツブツ独り言を言っている秀行に声を掛けるも返事はなかった。しょうがないので裏山に行って槍の稽古をする事にした。何しろ晩飯までまだ時間があるから時間を潰さねばならなかった。

 才蔵は死んだ両親の墓参りをしてから裏山へ向かった。


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「変わらんな、ここも」


 才蔵の言う裏山は村の裏手にある小高い丘で、所々に桑の木が立っている。木は密集していないので槍を振るうにはちょうど良い間隔であった。

 昔はここで秀行と一緒に槍の修行をしたものだと才蔵は懐かしむ。そして時折、桑の実をかじっては秀行の祖父に怒られていた。

 桑の木に実る果実は、現代においては『マルベリー』とも呼ばれラズベリーを思わせる赤や黒紫色をしている。その甘酸っぱい果実は体に良い事でも知られており、この村の重要な出荷品になっている。ただし鹿と猿がよく荒らしに来るので実を守る闘いは激しいものであった。

 才蔵も鹿猿退治にはよく出ていたと昔を思い出した。


「さて、始めるか」


 しばらく槍を振るっていると近くに4、5歳の子供が才蔵を眺めているのが分かった。自分の身長と同じくらいの棒を手にしており、少し離れた場所から才蔵をじっと見ていた。

 ここら辺では見ない顔だが子供の成長は早い。自分が村を離れて二年ほどなので、幼児は外見が変わって当然かと思った。ただ小奇麗な格好をしているのは気になったが。


「どした、坊主。迷子か?」


「ねえ、やりおしえて」


「はあ?お前みたいなちみっこが槍なんて……」


 そこまで言って才蔵は考える。その年齢で槍が教えて欲しいなんて中々見所があるなと。普通は見栄を張る様に刀を選ぶヤツが多い。侍は何故か槍より刀を重視するからだ。だから槍で有名な武将は実戦的な強者が多いのだ。刀には名物が多く、槍には名物が少ないのもこの辺が関係しているのだろう。

 きっと村の子供が自分に憧れて教えを乞いに来たのだと才蔵は判断した。


「ようし、いいだろう。教えてやるよ」


「ほんと?」


「ああ、だが教えるのは基本と心構えだけだ」


「えー」


「文句言うな。今のお前が技を覚えたって役に立ちはしないぜ。技ってのはな基本的に『蛇足』なんだよ。基礎が出来てないヤツが技覚えたって、ただの飾りでしかないんだ」


「うん、わかった」


「いいか、大事なのは心構えだ。こいつを叩き込んで槍振っときゃ強さは後からついてくる。槍の技とかはその後で覚えればいい」


 才蔵は子供に基本的な槍の振い方と心構えを教える事にした。変に技を教えても役に立たないし、身体の成長も足りない子供では骨や筋肉に負担を掛けると成長の妨げとなりかねないからだ。

 なので突きの基本と払いの基本だけを教える。


「槍使いに限った話じゃないが、戦場は躊躇ったヤツから死んでいく。だからお前に躊躇わないための心構えを教えてやる」


「うん」


「よし、俺の後に続け!」


「おー」


 ここから才蔵流・槍使いの心構え講座が始まる。あくまで才蔵流であり宝蔵院流ではないというところがポイントだ。つまり才蔵が実戦から学んだ事なのである。


「あれは人間じゃない!人間の形をした何かだ!だからってもいいんだ!」


「やってもいいんだー」


「喉を突け、胸を突け、腹を突け!槍はその為にある!だから自然の摂理なんだ!」


「しぜんのせつりなんだー」


「殺すんじゃない、処理するだけだ!」


「しょりするだけだー」


「相手を槍で突く事は息を吐く事に等しい!」


「はくことにひとしいー」


「敵はるためにいる!らない方が失礼だ!」


「やらないほうがしつれいだー」


「据え膳らぬは槍使いの恥!」


「やりつかいのはじー」


 一言毎に槍を突き出し教え込んでいく。動作と共に言葉を叩き込むためだ。

 そしてこの言葉は戦場で罪悪感などを感じないための暗示でもある。戦場で少しでも躊躇えばそれが命取りとなりかねない。技などは戦場で生き延びるための一助でしかない。だから精神的な強さこそが大事なのだと才蔵は考える。

 それを子供のうちからしっかり身に付けておけば、この子供は立派な武人に成長するだろう。

 才蔵はこの子供が成長したら技を教えてやって仕官の世話でもしてやるかと思い、共に夕方まで棒を振い続けた。


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「おい、六郎や。どうしたんじゃ、蹲って?」


 地面に突っ伏して精神が向こうの世界を旅していた秀行は老人に声を掛けられ、ようやくこちら側へ帰還を果たす。悪夢の様な現実から逃避していたのだ。

 そんな事は露知らず、声を掛けてきた者は秀行の祖父であった。


「はっ!?……ああ、じい様か。大丈夫だ、ちょっと悪夢に遭遇してね。何か用事で?」


「おお、そうじゃ!姫様を見なかったかのぉ」


「?何だい、その姫様って?ウチに姫なんていないだろ」


「森の殿様のお姫様なんじゃよ。殿様が視察中は儂が預かる事になったんじゃが、ふいっといなくなってしもうて」


「な、なんだってー!?そ、そんなの、姫様に万が一があろうものなら切腹ものだぞ!」


 秀行の祖父が言う『姫様』は森可成の息女であった。つまり主君の姫君であり、それが居なくなったという。

 秀行はまただらだらと冷や汗が出てくる。もしその姫様に何かあろうものなら切腹で済むだろうか?一族郎党全て磔になってもおかしくなかった。

 今日は厄日だ、自分は何回悪夢を見せられればいいのかと秀行は嘆いた。


「い、急いで捜してくる!!」


「儂は村を捜すからのぉ、六郎は山を頼むぞぃ」


「分かった!!」


 秀行は山に入る道を丹念に捜した。容姿や年齢を聞くのを忘れたが、姫様というからには山に入れる様な格好はしていないはず。ならば山までは行っていないと考える。

 山へ到る色んな道を見て回り「姫様ー!」と声を上げながら捜していき、夕方過ぎに裏山に来た。

 そしてちょうど山から下りてきた才蔵と鉢合わせする。


「よう、六郎、どした」


「才蔵!姫様見なかったか!?」


「はあ?何処の姫様だって?」


「森家の姫様だよ!」


「森家の姫様ねえ、そんなのいなかったぜ。近所のガキが一人いたぐらいだ。ま、もう村に帰ったがな」


「くそう、役に立たん!」


「随分な言いぐさだな、おい!」


 地面をダンッと踏みつけて悔しがる秀行。その言動を才蔵は咎めるが、彼はそれどころではなかった。何しろ自分や一族郎党の命まで掛かっているのだから。

 そんなやり取りをしていると村の方から老人が走ってくる。秀行の祖父であった。


「おったおった。おおい、六郎や」


「あ、じい様、姫様は?」


「先程帰ってこられてな、無事じゃったわい。ん?お前、穀潰しの才蔵か?」


「誰が穀潰しだ!ジジイといい六郎といい失礼だな」


 秀行の祖父は才蔵の顔を見るなり、また来たのかという表情をした。そして秀行と同じく才蔵を『穀潰し』と罵る。どうやら才蔵に対する彼等の共通認識と化しているようだ。


「まあいいわい、お前なんぞに構ってられん。六郎、儂は姫様を殿様の所に送ってくるからのぉ」


「分かったよ。留守は任せてくれ」


 それだけ言うと秀行の祖父は村へと戻っていく。走り去る祖父を見て秀行は安堵の溜め息をつく。


「ああ~、良かった。切腹沙汰は回避出来たか」


「姫様ねえ、さぞかし着飾っているんだろうな」


「私も姿は見た事ないから知らんが」


「それで人捜ししてたのか?お前、バカだろ」


「うるさいな、飯食わせないぞ」


「はは、悪かったよ。いい酒を持ってきたんだ、一緒に飲もうぜ」


 お互い軽口を利きながら二人は家へ戻っていく。秀行は自宅へ、才蔵は秀行宅に飯をたかりに。

 そして二人は才蔵が土産に持ってきた酒を飲み合い、朝まで語り明かした。才蔵は妙に小奇麗な子供が裏山にいた事など忘れ、その正体についても考える事はなかった。

 それが後に池田家をも震撼させる事態になるなどとは思いもしていなかった。


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【あとがき】

恒「おい、才蔵。あえてもう一度言うニャ。おい、才蔵」

これが後に池田家の責任問題に……。そして養徳院様がスタンバイを始めましたニャー。

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