出撃!
六角家の本拠地である観音寺城に後藤賢豊が来たという話を部下から聞いた尾上兵部は主の部屋に急いでいた。その足取りは軽く、これからの栄達と
(フッ、呼び出される前に来るとは好都合。既に佐和山の件は義治様に報告済みだ。これでヤツも失脚となるだろう)
後藤賢豊が自分の次男にかけられている嫌疑について抗議しに来るのは分かっていた。息子に嫌疑を掛けられて黙っている様な男ではない。そのために相手にも分かりやすく調査をやっていたつもりである。知りたい情報はだいたい集めてあったので時期を見計らって義治に伝えただけである。
その調査結果により後藤親子が織田家と交渉しているのは明らかであった。流石に六角家が望まない外交を勝手にやっていたのでは家老罷免も止む無しであろう。如何に権勢の大きい後藤賢豊であってもだ。
逆に言えば、これくらいしなければ後藤賢豊を失脚させる事は出来ないのだ。主君が気に入らないからで役職を変える事は難しく、謀反やお家衰退の要因になってしまう。家臣や豪族も家の安泰が自身の権利ではなく主君の好悪次第となれば、謀反や寝返りに躊躇いが無くなるからだ。
だからこそ重臣の失脚には理由が要る。誰もが納得できるだけの理由が。
これを整える事が出来たのだから心も躍ろうというものだろう。いつも分家筋とバカにしてきた後藤賢豊の一矢報いた気分だった。そして後藤賢豊は失脚して、その後釜に自分が座る想像を尾上兵部はしていたのだ。主君の信頼はあるはずなので可能だろう。
尾上兵部は元々は後藤賢豊の部下であった。彼の家が後藤家の分家であるため、自動的にそうなった。それは彼にとって苦渋の日々であった。宗家として後藤賢豊は尾上家を部下として扱い、普段から小間使いの如く使いまわしていた。と言っても大した報酬を得られる訳ではない。
この状況は前田家における前田慶の状況によく似ている。本家に功績を集中させて立身を図るやり方だ。なので一般的ではあるのだが尾上兵部はそれを搾取だと感じていた。
だからこそ彼は本家からの分離独立を果たそうとしていた。そして後藤賢豊に代わって後藤派の代表になってやると。元々、後藤賢豊の派閥に不本意ながら居たのだから当然、派閥に属している者達と面識がある。仲のいい者もいる。後藤賢豊が失脚したなら説得も容易いだろう。分家が本家を超えて呑み込むのも戦国の下克上風情と言える。
義治の部屋の前まで来た兵部は中に声を掛ける。主である義治の他、後藤賢豊も居るはずである。この時の彼は軽い気持ちでいた。それこそ中に居るであろう賢豊に「お疲れさん」とでも言ってやろうかというくらいに。
「兵部に御座います、義治様」
「入れ!」
「……?失礼致しま……な、これは!?」
主君の乱暴な返事に首を傾げつつ、兵部は襖を開ける。その瞬間、ムッとするような臭気に当てられ顔を顰める。戦場で嗅いだ事がある生臭い鉄の様な匂い。血の匂いである。
そこには血塗れで刀を手に持つ主君・六角義治と大量の血を流して倒れている二人の男が見えた。一人は直ぐに分かった、兵部が見間違うはずはない。
「ご、後藤……賢豊?奥に居るのは?」
「賢豊の嫡男だ。二人とも先程、俺が誅殺した。当然だろう、主家に反逆したのだから。なあ、兵部」
事も無げに義治は言う。この部屋には義治と後藤賢豊とその嫡男しかいない。つまり義治自ら二人を惨殺したのである。
六角義治は軟弱ではない。武芸に通じ、特に弓の腕前は達人クラスである。無論、刀も槍も一端に使える武芸者なのである。
後藤親子にも油断はあっただろう。まさか主君が斬り掛かってくるとは夢にも思わなかったに違いない。その油断と主君の腕前によって、この惨状は作りだされた。
正に惨状である。尾上兵部は頭が真っ白になる思いだった。
(……な、何という早まった真似を。謹慎させる程度でよかったのに。これでは……)
彼の頭の中に最悪のシナリオが浮かび上がる。後藤賢豊の権勢、人脈、派閥の大きさを考えればこれはただでは済まない。更に言えば、賢豊は騙し討ちにあったも同然だ。少なくとも他者からはそう見える。いくら戦国時代だからと言っていきなり処刑はマズイのだ。
例が無い訳ではない。毛利元就は重臣であった井上党を抹殺して家中の引き締めをした事がある。ただ毛利元就が家督を継いだ1523年から実に27年後まで準備して決行している。その間、何とか和解の道も探ったであろう。それくらいに慎重に慎重を期さねばならない事なのだ。中国の謀聖とまで呼ばれる毛利元就であったとしてもだ。
短絡的に行って衰退滅亡した事例は枚挙に暇がない。新宮党を抹殺した尼子家や家老の太田道灌を暗殺した扇谷上杉家、九州大友家などは当主が重臣を誅殺したために他の重臣に襲われる『二階崩れの変』に発展した。
「し、しかし……」
「何か文句でもあるのか!?」
「い、いえ、そのような事は決して!こ、こうなれば佐和山城を速やかに押さえる必要があります。事が露見すると後藤高治が籠城するものと」
当然の話であるが、佐和山城代である後藤高治が反抗するのは目に見えている。父親と兄を殺されて恭順する可能性は無いと見ていい。
今、採れる最善の手は速やかに佐和山城及び後藤高治の身柄を押さえる事と彼を決して殺さない事になる。賢豊は殺してしまったのだから仕方がないが、高治と義治を和解させ彼に後藤家を相続させる。これは必ずやらないと豪族や家臣が納得しない。いざとなれば先代で隠居の六角承禎にも動いてもらわねばならないだろう。
「む……そうだな。急ぎ兵を集め佐和山城を押さえよ」
「ははっ!」
(イカン、急いで兵を集めて佐和山城に行かねば!)
尾上兵部は頭の中で予定を組み上げる。何としてもこの騒動を穏便に収めなくてはならない。そのために重要なのが高治と義治の和解。そして高治の身柄を一時的に匿って、和解を仲介してくれる大豪族だろう。適任となるのは日野城主・蒲生定秀だと考える。彼なら実力的にも人望的にも申し分ない。兎にも角にもまずは後藤高治を押さえる事が先である。
この時、彼は失念していたというべきか。まずやらなければならない事をやっていなかった。それは情報封鎖である。つまり城内の侍に対する口止めだ。これを怠ってしまい、兵を集めるために侍を方々に放ってしまったのである。
兵を集めるにも理由は必ず必要である。だから方々で言ってしまったのだ、「後藤賢豊と嫡男を誅殺。次男の後藤高治の佐和山城を押さえる兵を集める」と。
これを聞いた六角家家老の進藤賢盛は嘆き悲しんだ。彼は後藤賢豊と共に『六角の両藤』とまで呼ばれ、先代の頃から協力して主家を盛り立ててきたのである。そのため彼は兵を集めても領地からは動かずに籠城した。後藤派の豪族や家臣もこれに続き、各地で出兵拒否が起こった。
結果として尾上兵部は兵1000を集めるのに2日も掛かる事になる。
そしてそんな驚天動地の騒動が起これば、六角家に不安を感じ別の保身を考える者も出る。そういう者達の所には金森長近の部下が行商に化けて出入りしている訳だ。この騒動はその部下から即座に長近へと報された。
「本当にそんな事が……。これが我が友が言っていた成果か。何とも凄まじい……上にえげつない」
「恒興様が居られましたら『やかましいニャー』と言ってくるでしょうね」
「代理の返事、ご苦労。お前はこれから殿の元へ走りなさい。馬が保たない様なら調達して構わない。経費は後で出す」
「はっ、殿は如何致しますので?」
「佐和山城に行くよ。必ず説き伏せるから即座に援軍が欲しいと伝えてくれ」
「了解致しました。お気をつけて」
部下を見送った後、金森長近は佐和山城へと向かう。既に後藤高治とは
観音寺の異変は既に高治の耳に入った様だ、長近はそう判断した。高治自身も何が起きたのか、詳細までは分からないだろう。分からないと言っても、親兄弟を殺されて平然としている訳が無い。だからこその籠城準備だ。六角家が後藤家を根絶やしにする可能性も現段階ではあり得る。その最悪の事態に対処するための準備という訳だ。
そうでなくとも武士という生き物は不穏な空気を感じると戦支度するものなのだ。
長近が来た事を知った後藤高治は自室にて面会した。高治は供を付けず人払いまでして待っていた。その理由は長近の話を察していて、それを他人に聞かれたくないからだ。
着座して待っていた高治だがやはり動揺は隠しきれていなかった。目は泳ぎ、体をしきりにもぞもぞと動かしていた。何かしてないと平静が保てないのだろうと長近は見た。そして平静を得んが為、縋りつく様に話し始める。
「長近殿、お、俺はどうしたら……」
「選べるほど道が残っていましょうか?今から観音寺城に行けばお父上と兄上の後を追う結果になりますよ」
「うう……」
長近は真っ向から切り込む。この上は小細工など不要、詐術に掛けるまでもない。高治の父と兄を殺したのは紛れもなく六角義治なのだから。既に高治にとって義治は親殺し兄殺しの仇である。
当然、向こうもやるべき事は分かっているだろう。この場合、最善の手となるのは皆殺しにする事である。事の次第を確かめにのこのこと観音寺城に行った日にはまず生きて帰れない。そんな事は確認するまでもなく高治も分かっているはずだ。
「当主と嫡男を殺されて黙っていては武門の名折れと言うべきでしょう。それにこの様な騙し討ちでは六角家に大義無しと見做されるでしょうね。さりとて高治殿一人で六角家と渡り合うのは難しい」
親兄弟を無残に殺されて仇討ちしないでは武士の面目が立たない。面目が潰れた武家は部下の侍達からも見放されてしまう。直近の例では今川氏真が好例となる。彼は『桶狭間の戦い』の後、父親の雪辱を晴らそうとしなかった事から松平家の独立に繋がり、幾多の寝返りの理由にもされている。つまり今川氏真は腰抜けだ、主君に相応しくないと舐められているのである。これがそのまま謀反の理由になってしまう程の武家の罪なのだ
だからこそ後藤高治は進退が極まっている。彼が採れる道は大人しく出頭して死ぬ、籠城して抵抗の果てに死ぬ、或いは織田家か浅井家に寝返るとなるだろう。長近がいなければ浅井家に寝返るが最も良い選択肢となったはずだ。これが当たり前の選択肢になるので尾上兵部は高治の身柄を押さえようとしているのだ。
「……織田家に寝返るしかないのか」
「既に後藤家の領地は差し押さえられたでしょうね、当たり前ですが。これをどうやって取り返すおつもりで?それとも後藤家は滅亡しますか?」
「そんな事はさせない!……が、六角家そのものが敵では。織田家はちゃんと援軍をくれるのだろうな?佐和山城を明け渡せば領地を取り返してくれるのだろうな?」
「当然です。信長様は高治殿を後藤家当主と認め、織田家中でも重く用いるとの事。ご領地の返還も含まれています」
ここまでは既定路線である。長近は信長の許可は取っていないが、佐和山城を得るためなら事後承諾で構わない。いざとなれば恒興が説得する事になる。
そして武家にとって最重要なのが領地の奪還である。これに比べれば親の仇、兄の仇が二の次になってしまうのが武家というものだ。仇を取らねば世間から舐められるとは言っても、相手は六角家当主義治である。彼を殺すというのは現実的ではない。故に世間に気概があるところを見せるなら、反抗と領地の奪還となる。
このあたりはこちらと相手の規模や事情が込み入るケースバイケースとなり、定まった形は無い。なので今川氏真の場合は、尾張まで行って信長と一戦交えなければならなかった事になる。いずれにしても武士の面目が立つ様に振舞わなければ、家臣や豪族の離反が抑えられないのである。家臣や豪族も情けない主君に仕えていたくはないのだ。
「そして援軍ですが……明後日までには到着しますよ」
「は?明後日?速すぎるだろう」
「北近江坂田郡を束ねる大豪族・堀家が既に内応済みなんですよ。佐和山まで障害物がありません」
「堀家が……。たしかに最近よそよそしいと思っていたが」
(……おかしい。整い過ぎている。まさか……)
あまりの手回しの良さに高治は考える。まるで長近はこの事態を予測していたかの様に。事が起こると長近が即日、佐和山に来た事。援軍が明後日というのはほぼ行軍時間となる。という事は徴兵が既に終わっている事を指す。そして堀家の内応も重なっている。
手際が良過ぎる、高治の中に今回の件は謀られているかもという疑念が浮かび上がる。
「長近殿。まさかとは思うがこれは織田家の
「フム、どうやれば六角家当主が貴殿の家族を殺す様に仕向けられるのでしょうか?そんな事が容易に出来る訳ありませんよ。観音寺城に入る事も、六角家当主に会う事も出来ないんですよ」
「……だよな。疑って済まない」
「いえ、心中お察しいたします。混乱もされているようですし仕方ありませんよ」
(ホントだよ。どうやって六角家当主が家老を殺す様に仕向けたのか、実際にやった私にも謎なんだがね)
実際の所、長近にも分かっていない。長近は普通の調略に励んでいただけである。
この様な敵対国への調略合戦は当たり前の話で、もちろん六角家も織田家に対してやっている。特に伊勢国には六角家の手が良く伸びている。神戸具盛や関盛信などは正室が六角家の大豪族・蒲生定秀の娘であるため、当然六角家に付かないかと誘われている。織田家が劣勢と見れば彼等も寝返るかもしれない。浅井家も南近江の各所に調略を入れているし、六角家も然りである。
つまり敵国調略は普通の事で何も特別ではないのだ。この程度で家老を主君に抹殺させる事が出来るなら戦国の世はさして苦労しない。
いつもと違っていた点と言えば後藤高治に多額の賄賂を渡していた事と六角家との和議の仲介を頼んでいた事か。だがこれは高治も知っている事だ。六角義治と後藤賢豊の仲が上手くいっていないくらいは聞いていたが、まさか殺すほどの悪さであったなど想像もつかない。高治も同様だろう。
恒興はここまで見切っていたのだろうか?一度聞いてみようと長近は思った。
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長近の部下は全速力で馬を走らせた。当然ではあるが馬も生き物なので疲れてしまう。役目を果たすためには何処かで新しい馬を調達しなければならない。だからと言って自分の馬を捨てる訳にもいかない。野生に戻したところで野犬に襲われて死ぬだけだ。
そこで部下は近くの農村で馬交換を申し出る。多少の金を払うので疲れた馬と農村の馬を換えてくれという訳だ。用事が終わったら返しに来る、それまで自分の馬を担保に預かってほしいという条件で。
突然の申し出に農民は困惑するが交換する事にした。金を貰えるという事もあるが、侍の馬の方が体格がいいからだ。もし約束を破られて侍が戻ってこなくても農民に損は無い。侍の馬を自分達の馬にすればよいだけの話だ。
こうして長近の部下は数刻で犬山に到達。即座に池田邸の恒興に報告に行く。
「それで、長近はニャんと?」
「佐和山城代・後藤高治を必ず説き伏せると。それで……」
「援軍だニャ。任せろ、直ぐに出る!お前は戻って長近に報せろ」
「はっ!」
援軍の確約を得て長近の部下は来た道を引き返す。佐和山城に居る主君に報せるために。あと農村に預けた自分の馬もついでに引き取らねばならない。
そして恒興も即座に動く。今日はこの後、産まれたばかりの子供を見ながら過ごそうかと思ったがそうもいかなくなった。
「政盛、非常招集だニャ!」
「ははっ。城下で待機している兵も招集します」
恒興は近くに居る加藤政盛に将兵を招集させる。犬山では現在、堀工事のために農村の若者達が集められている。その数、2000。犬山の徴兵数は6000を数える程になっているので、約1/3といったところ。この2000に親衛隊500が加わるので総勢は2500となる。
「弥九郎!甲冑着けるのを手伝ってくれニャー!」
「はい、ただいま!」
指示を出し終えた恒興は小姓である小西弥九郎を呼び自室へ向かう。鎧の着脱の他にもやらなければならない事がある。主君・織田信長への報告、各城主への通達と準備促しである。各城主への通達は従者達にやらせればいいが、信長への報告だけは恒興が書かねばならない。
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池田邸前というか犬山城旧城門前辺りに兵が参集し隊列を組んでいる。旧城門というのは恒興が赴任する頃はここが犬山城の最外門だった。だが犬山城の総構え工事によって最外門は町の外まで移動してしまった。故に旧城門前はちょっとした広場になっているので兵の集合や編成を行う場所になっている。
恒興も鎧兜を着込み隊列が整うのを待つ。目の前に並ぶ者達は黒一色の池田家親衛隊である。黒甲冑に刀と手槍を装備し、今回は腰兵糧も各自持っていく。
腰兵糧というのは兵士に持たせる数日分の食料の事。
池田家ではオーソドックスに焼き飯と味噌と梅干である。その配布に少々手間取っていた。
そこに池田邸から美代をはじめとする女性陣が見送りに出てきた。恒興の子供である幸鶴丸とせんも美代に抱えられて。
「あなた様、子供達に」
「ああ」
美代に促され、恒興は二人を抱える。産まれたばかりの子供をそおっと抱きかかえ、恒興は顔を綻ばせる。
「幸鶴丸、せん、父ちゃんは行ってくるぞ。お前達が大きくなる頃には、信長様の天下を見せてやるニャー」
恒興にとってこの二人は池田家の未来であり希望でもある。だからこそ強く思う、こんな時代は終わらせなければならないと。自分の子供が人様と殺し合って欲しいなどとは思わない。
前世であれば、強く逞しく育って首を獲れ、武功を稼げくらいに思っていた。それが武士として名を挙げる近道だからだ。だがそれは必ずしも重要ではない事を恒興は謀略によって知った。現に恒興は前世と違って首狩りなどしてないからだ。それでいて前世よりも格段に名前を上げている。
ならば強く育つ事は生きるために必要だが、戦にまで出る必要まではないのではないかと。そのためにはこの戦国時代を終わらせねばならない。
この戦国時代を終わらせるのは織田信長だと恒興は信じている。現に前世ではあと一歩まで行っていた。前世で失敗した原因は裏切りだと皆は言うだろう。それは間違いないが最後の決定打だというべきだ。
最大の原因は『時間が掛かり過ぎた』、この一言に尽きる。本能寺の変の時、信長は既に50歳近く。老人と言ってもよい年齢だ。他の大名家に比べれば拡大のスピードは速いと言えるが、そもそも天下統一に届きもしない大名家と比べても意味が無い。問題は本能寺の変あたりで重臣の全員が老境に差し掛かっていたという事だ。恒興も例外ではない。
つまりは天下統一半ばにして、重臣全員が次代への引継ぎを考えなければならなくなった。恒興には20歳を越えた後継者がいたが、明智光秀、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀は問題大有りだった。何しろ明智光秀と丹羽長秀の嫡男は共に10歳くらい、羽柴秀吉は長男の秀勝を6歳で亡くし養子のみ、柴田勝家に至っては結婚すらしておらずこちらも養子しかいなかった。そして家督相続はこの戦国時代で一番の騒乱の元。何が起こるか分からない上に、信長の能力主義を考えれば子供の将来を心配する者が出てもおかしくない。
そこを考えれば、源頼朝や足利尊氏という先人はだいたい一代でやっている。だから『時間が掛かり過ぎた』と言えるのだ。
今世では既に上洛までの期間を6年短縮する事に成功した。あまり力攻めを行わなかった事もあり、兵力も十分に温存できたはずである。だからこそやれるはずだと恒興は思う。自分達で戦乱の世を終わらせて子供達に円満に引き継ぐ事が。
「美代、二人と犬山の事は任せたニャー。分からない事があれば休伯に聞くといい」
「はい、お任せ下さい」
美代に二人を預けつつ、犬山の事も頼む。恒興が居ないとなれば犬山の指揮権は正室の美代に移る。とはいっても政治内政が出来る訳ないので、だいたいは留守居役の大谷休伯がやる事になる。美代は
「お藤は横になって休むニャー。無理すんニャ」
「そうさせて貰います。気ぃ付けてな」
次に恒興は藤に声を掛ける。藤は大分気怠そうな顔で女中に支えられながら門のところまで出てきていた。というのは藤は産後の肥立ちが悪く、体調を崩していたのだ。産婆の梅の話では命に別状はないが無理は出来ないとの事。とにかく滋養のある物を梅が選んで食べさせているところだ。
美代は日頃から健啖家であり、出産後も回復が速かった。それに比べると藤は食が細い感じがある。
「母上、お藤の事、お願いしますニャー」
「ええ、この母にお任せなさい」
「栄と千代も頼むニャー。美代と藤、二人の支えになってやってくれ」
「兄、戦果を」
「うん、任せて!」
母親の養徳院、妹の栄、義妹の千代にも二人の事を頼んでおく。特に養徳院は池田家の臨時当主を務めた事もあるので美代に適切なアドバイスが出来るはずだ。
恒興が妻子家族と一通り挨拶を済まして戻ると、可児才蔵と可児六郎が報告のために待っていた。
「殿、親衛隊の準備、終わりましたぜ」
「何時でもご下知を」
「よし、出るニャ。騎乗しろ」
「全員騎乗!」
「法螺貝を鳴らせ!道を開けさせろ!」
城の前に集まった軍団が出陣するためには町の大通りを走るしかない。しかし町では今もなお営みというものが行われている。それを一時的に開けさせるために法螺貝は使われる。今から軍勢が通るぞと報せるのである。
「敏宗、教明、足軽隊を後から連れてくるニャー!宗珊は残った豪族達を纏めて連れてきてくれ」
「「はっ!」」
「殿、佐和山城でお会いしましょうぞ」
今回の編成は恒興率いる池田家親衛隊500が全て騎馬武者となって先行する。副将は可児才蔵吉長と可児六郎左衛門秀行。次に歩兵足軽1700が続く。大将は飯尾源右衛門敏宗に副将は加藤三之丞教明となる。最後に荷駄隊300を土屋十兵衛長安が連れて来る事になる。
残りの家臣や豪族、兵士は集まり次第、家老の土居宗珊が連れて来る事になっている。
「政盛はこの書状を持って事の次第を信長様に報告するニャー。『佐和山城でお待ち致す』とニャ」
「はっ、直ちに!」
恒興は事前に
政盛を見送った恒興は新しい愛馬である影月に乗る。その背中から全員に向かって号令を出す。
「これでよしだニャー。……全員、聞け!この作戦の正否は佐和山城を死守する事にある!佐和山城落城せし場合、信長様の理想の実現を大きく遅らせるニャー。故にニャー達は何が何でも佐和山城に着かねばならん!敵より早く!!」
「ニャーの最精鋭たる親衛隊の力を見せる時ニャー!
「「「おおー!!」」」
全員の掛け声と共に軍勢は動き出す。まずはゆっくりと町の人達に見せつける様に進む。道を開けさせたとは言っても子供の飛び出しや老人の逃げ遅れがあるといけない。故に町中で走る真似はしない。
第一に犬山を出るとすぐに木曽川を渡河しないといけないので走る意味もあんまりない。全力で走るのは木曽川を渡った後になる。
ゆっくりと隊列を乱さず最外門に向かう恒興達を店から出てきた加藤図書助も店の番頭と見送る。
「いよいよか」
「突然の出陣ですね、城主様」
「思慮深く用心を重ねる方だが、動く時は疾風迅雷だからのう」
(フム、近江が織田家の支配下になるなら支店を出す事も考えるか。いつまでも
日の本全域で考えても絹はあまり流通していない。だからこそ貴重なのではあるが。
故にその代わりの繊維が遥か昔から存在している。それが麻(大麻)やカラムシ(苧麻・青苧)を原料とする『麻織物』である。
天皇が詔を発して役人が民に栽培を奨励すべき草木の一つとして「紵(カラムシ)」が挙げられているほど昔から広く栽培されている。というのもこの麻や苧麻は雑草であり、簡単に育つため大量に手に入った事も一因であろう。因みに古代日の本では布を織るための部民・
この戦国時代においてはある一地域の青苧が有名であり、これが北陸水運に乗って京の都周辺まで届いていた。それが越後青苧である。畿内の布販売と言えば越後青苧がかなり有名であった。
麻織物は通気性が良く、夏は涼しいが冬は寒いという欠点がある。なので少しづつではあるが木綿の普及も始まっている。ただ木綿は完全に輸入品となるため価格面では越後青苧に勝つ事は出来ないのである。
そしてこの越後青苧こそ越後上杉家の最大の財源でもある。本来は公卿である三条西家が仕切っていたのだが、越後の下剋上と共に長尾家に奪われた。因みに返却される事は一度もない。
加藤図書助はこの現状に割って入る事が出来るのではないかと考える。そのために必要な増産と価格調整を思案し始めた。
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恒興達が佐和山城へ向かって走り出した頃、加藤政盛は馬を飛ばして岐阜城に辿り着く。そして即座に織田信長への面会を申し込む。犬山城主・池田恒興より火急の報せと。
「信長様、犬山城の池田家臣・加藤政盛が火急にて参っております」
「分かった。会う」
「はっ、では呼んで参りますので……」
「要らん、こっちから行く。庭に来いと伝えろ!」
「え?しかし……」
普通の場合は主君が広間の奥で待ち、使者が来て報告というのが基本である。これはだいたい何処の武家でも変わらない。
だが信長は合理主義であり、時々こういう事がある。急いでいるのに格式張ってる場合かという感じに無駄を嫌う。かといって他国の使者にこんな事はしないが、身内相手だとする時がある。
「恒興の火急はシャレにならねえ事が多いんだよ。時間が惜しい、さっさと行け!」
「ははっ!」
「そこのお前、佐渡を呼んで来い」
「はっ、只今!」
恒興からの火急の報せと聞いてイヤな予感がした信長は家老の林佐渡を呼びに行かせる。さほど間を置かずに現れた林佐渡と共に加藤政盛が居るであろう庭に向かう。
信長と林佐渡が庭に来た時には政盛が庭の砂利に平伏していた。
「信長様におかれましては……」
「政盛、世辞は要らねえから頭上げて要件を言え。火急なんだろが」
「は、つい先刻の事、我が主・池田恒興、2500あまりの兵を引き連れ佐和山城へ出陣致しました!」
「「何ぃ!?」」
「ちょっと待ちなよ。いったい、何があったのさ!?」
信長と林佐渡の驚きは当然だろう。出陣という一大事を事後報告で済まされたのだ。これが池田恒興でなかったら謀反を疑われるかも知れない行為である。
だが信長はこうも考える。恒興が自分を蔑ろにする筈はない、ならば出陣すら事後報告にしなければならない程の事態が起きたのだと。
「はっ!先日の事ですが、観音寺城にて六角家家老の後藤賢豊が六角義治に誅殺されたとの事。これを受けて佐和山城代の後藤高治が当家に寝返りました。その報告を受け取り、我が主は即座に出陣した由に御座います」
「マジかよ。オレの所にはまだ報告が来てないぞ」
「即座に2000の兵を集めたって、どうやってさ?」
「報告は
報告を聞いて信長は納得する。この状況だと寝返った佐和山城が六角家の攻撃を受けるのは当然。守るためには即座に援軍を入れなければならない。その援軍に恒興が行ったのだと。これは味方を救う行為であって、無断出撃の罪には当たらない。そもそも味方を救うのに主君の許可を待っている様では将は務まらない。その判断も含めて将は任命されているのだから。
そして信長は恒興の諜報の速さを再認識した。
「それで、恒興は何と言っていた?」
「『佐和山城でお待ち致す』と。あと信長様にやっていただきたい事をこちらの書状に書いてあると、主より」
政盛は恒興から渡された書状を信長の小姓に手渡す。書状や物品を主君に渡す場合は必ず側付きの小姓を通す事になる。その小姓から渡された書状を信長は開いていく。
「フム、オレにか。どれどれ……」
「何て書いてあるのさ?」
「京極殿の鎌刃城入り。堀家寝返りの大義名分にするそうだ」
「ああ、旧主を迎えて旗色を変えるのね」
「あとは後藤高治への安堵状発給か。直ぐにやる」
恒興からの要求は二つで佐和山城代・後藤高治への安堵状と家督相続承認の発給。これは寝返りの条件なので必ずやらないといけない。約束を破っても信長にいい事が一つも無い。
もう一つが京極高吉の鎌刃城入り。これにより堀家は旧主を迎えたという立場を手に入れ、そのまま旗色を織田家に変える事が出来る。建前上は京極家、そして足利義昭を担ぐ感じにはなる。寝返りの大義名分を整えるのも重要だが、もう一つ重要なのが浅井家を牽制する事である。
当然ではあるが、浅井家は堀家の領地の所有権を主張している。だから前に攻めてきた訳だが。堀家が織田家に付けば文句の一つも言ってくるだろう。最悪は軍勢を繰り出してくるかも知れない。
それを防ぐためにも京極高吉は鎌刃城に居てもらう訳だ。いくら浅井家が下剋上を成し遂げたと言っても、あからさまに旧主と戦うのは外聞が悪い。少しくらいは躊躇わせる効果はある。
「よし、岐阜城からも援軍を出すぞ!佐渡、今直ぐ出れる兵数はどれくらいだ?」
「1000ってとこかな」
「は?何でだよ?少なすぎるだろ」
「タイミングが悪かったね。丁度、遠征訓練で余所行ってる時なんだって。だから今直ぐ出れるのは1000。招集を掛ければ、三日後くらいに8000は集まるよ」
岐阜城でも上洛戦を見越した訓練が大詰めであった。特に重要なのが行軍訓練と野営訓練である。今回は京の都までの長距離行軍となるため、実際に美濃各所に行って野営するという訓練をしていた。やるべき事を実地で叩き込んでおこうというものだが、もう一つの効果がある。兵士を暇にさせないだ。
占領地で武器を持った兵士が暇をしているというのはかなり危ない。織田家の軍規で民への乱暴狼藉は死罪と強化されたが、それでもやるヤツはやる。だがなるべく防ぐなら忙しくしてしまえばいい。それ故、実地で出来る事を増やしていた。その訓練を殆どの部隊が行っている最中であった。
現在の岐阜城で待機している兵士は傭兵部隊の1000人程だった。
「くっ、仕方ねえな。今から追い付くか?」
「今からならば荷駄隊に追い付くのではと思われます」
「よし、それでいい。佐渡、手配しろ」
「あいよ」
「政盛、恒興に伝えろ。三日後には大部隊を率いて援軍に行く。それまで何としても持ちこたえろと。あと援軍1000を先行させるから指揮下に入れろ」
「はっ、承知仕りました!」
加藤政盛は一際大きく頭を下げると、即座に退出した。一応ではあるが報せは部下にやらせて、政盛自身は少しだけ岐阜城に残る。信長から後藤高治の安堵状を受け取らねばならないからだ。
とはいえ、一刻もしない内に安堵状は届けられ、政盛は佐和山城へと走り出した。
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【あとがき】
エイプリルフールの投稿ですが別に冗談という訳ではないのでご安心を。ただ、諸事情により暇が増えただけですニャー。こういう人は結構多いはず。早く収まる事と皆様のご無事を祈りますニャー。
べ「昔は何も疑問に思わなかったんだけど、この小説書くようになっておかしくね?と思う信長さんエピソードがあるんだニャー」
恒「どんなものだニャ?」
べ「恒興くんは長男だよね?」
恒「当然だニャ」
べ「そして信長さんは恒興くんより2歳上のはず」
恒「そうだニャー。この小説ではべくのすけが間違えて3歳差になっとるがニャー」
べ「そこは置いといて!このエピソードだよ」
『養徳院の方は織田信秀さんの嫡男・織田信長さんの乳母となる。信長はどんな乳母でも乳首を噛み切ってしまってなかなか乳母のなり手がいなかったが養徳院が乳母となると噛み切ることなく大人しく乳を吸うようになった。養徳院は乳母となってからは大御ち(おおおち)様とも呼ばれた』
恒「結構有名なエピソードだと思うがニャー」
べ「知っての通り、母乳は子供を出産しないと出ない。という事は信長さんは2歳になっても母乳で過ごしていた事になる」
恒「現在でも授乳の世界平均は4.2歳だニャ。戦国時代はその期間が長かったとして何の不思議がある?今みたいに食べやすい離乳食が有る訳じゃないんだぞ」
べ「なるほど。現代日本が短いのでおかしく感じるのか。だけどそれなら信長さんは2歳までどうやって生き延びたのさ。養徳院さんしか受け付けないなら、もう餓死してるよ」
恒「そんなのは簡単だニャー。信長様が産まれて直ぐに乳母になったからだ」
べ「いや、だから母乳はね……」
恒「実はな、ニャーには死に別れた姉上がいるんだニャ」
べ「何と」
恒「死産だったニャ。どうしようもなかった。母上の嘆き様は酷かったらしい。それでその赤子の代わりを求める様に信長様を偏愛したという話だニャ」
べ「そんな事があったんだ……」
恒「……という事にしておけニャ」
べ「今、考えた話だね?」
恒「いやいや、ニャー、ちゃんと姉上の墓参り行ってるよ?ついでに父上も」
べ「まあ、そうしておこうか」
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