虎の子

 恒興率いる池田家親衛隊500騎は、出陣から次の日には佐和山城に入った。途中に障害もなく、騎馬で走り抜けたが故の速さと言える。

 ただ昼夜を徹して駆けてきたため、親衛隊も疲れが見えている。特に馬はだいぶ疲れる事になったので、佐和山城内で休憩中である。

 馬は緊張感を無くし休みに入ったが問題はない。そもそもこの佐和山城に予定されている織田家全軍が集まるには10日ばかり掛かる見込みである。なので今のうちにゆったりしていても大丈夫という訳だ。

 親衛隊員の方は一徹しただけでは疲労困憊にはならない。……が、眠いは眠いので、半眠半休という感じで休ませる事にした。敵影は未だ無し、思いのほか早く着けたおかげだろう。

 それに明日になれば飯尾敏宗率いる足軽歩兵も到着するはずなので、人数的には籠城戦力は揃う。それに数日もすれば織田家の第一陣も到着する予定だ。敵に先んじてたどり着けたという事で第一関門は突破したと言える。


「いや、池田家は中々の騎馬達者揃いですなぁ、池田殿」


「それを軽々と超える程の騎馬達者振りを見せたお前が言うニャよ、信虎」


 一昼夜を駆け続けた池田家親衛隊を褒めるのは武田左京大夫信虎。何故かは分からないがこの強行軍に付いてきた。と言っても、その騎乗っぷりは誰よりも安定していて、親衛隊の誰よりも馬を乗りこなしていた。

 とはいえ、一昼夜騎乗し続けた事は褒められるべき事かも知れない。日本のくら(馬の背に乗せる騎乗座)は騎射に特化しており、座るようにはあまり出来ていないのである。一応、座れなくはないが長時間は耐えられないだろう。馬の背に激しく揺さぶられるので座っていると尾骶骨を痛めると思われる。

 なので騎馬走行中は膝辺りで鞍を絞め、前屈みになり腰を浮かしておくのが基本となる。この状態だと上半身は割とフリーになるため弓を扱うのに最適となる(それでも難しいのだが)。その逆に槍を構えての突撃などは出来ない。膝で上体を支えているためバランスが崩れやすく、ランスチャージを行えば衝撃で騎乗者の方が吹っ飛んでしまうからだ。

 このため日の本では集団騎馬突撃戦術が流行らなかったのだと思われる。騎馬突撃と言ってもぶつかるのではなく、すれ違い様に刺す、斬るが主流となる。


「何、あの程度は甲斐で産まれていれば普通ですな。ワシ以上の騎馬達者が欲しければ甲斐に行くのがオススメですぞ」


「いや、遠慮しとくニャー」


 甲斐に池田家の面々を導きたい(特に大谷休伯)信虎の考えが明け透けに見えるので、恒興は即座に拒否しておく。だいたい騎馬隊は少数以外もちいない考えが恒興の基本なので、別に騎馬達者が欲しいという訳ではない。

 そして城内に入った恒興は馬を降りて、待っていた金森長近と顔を合わせる。


「友よ、よくぞこれ程早く来てくれた」


「長近、一応部外者がいるんだから言葉を改めろニャー」


「おっと、あぶない」


 二人は軽く挨拶を交わし、笑い合う。備えていたとは言っても、これほどまでに初動が上手く行ったのだから笑みもこぼれる。


「それで後藤高治殿は何処だニャ?」


「コッチだよ。案内しよう」


 長近の案内で恒興は後藤高治と会う。昨日とは打って変わって元気を取り戻したなと長近は思う。援軍が来たという事が彼を勇気付けたのあろう。


「池田殿、援軍かたじけない」


「後藤高治殿ですニャ。この度は大変でしたニャー」


「援軍は明後日と聞いていたが、1日で来るとは。しかし数が少ない様に見えるが……」


「心配は要りませんニャ。明日には3000弱の兵が到着しますから」


 佐和山城で元々集められていた後藤高治の兵が500。そこに恒興の池田家親衛隊500が合流。更に1日遅れで飯尾敏宗率いる足軽歩兵が1700。その直ぐ後ろを土屋長安の荷駄隊300と信長からの傭兵部隊1000が追ってきている状況である。

 つまりこの兵力4000が当面の佐和山城防衛部隊となる。とはいえ、3、4日もしない内に織田家の各城主豪族軍が集結するであろうが。


「3000か、合わせて4000か。戦力としては十分だが……」


「何かありましたかニャ?」


「いや、恥ずかしながら兵糧の方が集まりが悪くて」


「そちらも自前で持ってきておりますニャ、ご心配なく。明日には到着しますから」


 その点は恒興にも抜かりはない。土屋長安の荷駄隊は当面の兵糧を持って移動中である。今回は急いでいたので量は少ないが、それでも4000の兵士の1か月分はある。本格的な兵糧は土居宗珊の本体と共に来る事になる。


(荷駄か……。そろそろ鎌刃城を過ぎた頃かニャ。長安のヤツ、油断してなきゃいいけど)


 ただ恒興にも心配になる事が一つだけあった。それは急ぎ過ぎたために部隊と荷駄隊が離れてしまった事だ。もしも荷駄隊が襲われたら、兵糧が焼かれる破目になったら、苦しい食糧事情になりかねない。

 今更ながら失敗したかもという思いが恒興の脳裏に過った。


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 たった1000の兵士を徴兵するのに2日も掛かってしまった尾上兵部はようやく佐和山城近辺に到達した。そこから斥候を出して周辺を探る。そして直ぐに伝令から佐和山城の状態を報せられる事になる。


「佐和山城には既に織田家の旗が立っております。また、織田家の援軍も佐和山城に入ったと」


「バカな、早過ぎる。佐和山城の数はどれくらいだ?」


「遠目ではありますが佐和山城におよそ1000。あと鎌刃城方面からおよそ2000の軍勢が佐和山城に入ったようです。しめて3000かと」


「1000しかいない我等ではどうにも出来んな。この事を義治様へ伝令せよ」


「はっ、直ちに」


 兵部は作戦の遅れが響いたと悔やむ。だが、それを差し引いても織田家の行動は早かった。いや、早過ぎる。まるで準備して待っていたかの様だ。

 どう考えても徴兵に掛かる時間が無い。行軍に掛かる時間だけで彼等はここに現れた。つまりに他ならないのだ。

 そして兵部の頭の中にはある考えが浮かぶ。今回の件は全て織田家による奸計ではないのかと。いや、真実はどうでもよい、これを反証材料に使えばある程度、主君・六角義治の罪を減じる事が出来るやもと。とはいえ、先代で隠居の六角承禎が健在なので当主交代は止むを得ないだろうが。

 これからの事を組み立て始めた尾上兵部の元に新たな情報が斥候よりもたらされる。


「尾上様」


「何だ?」


「鎌刃城方面から織田家と見られる荷駄隊を捕捉しました。目的地は佐和山城かと」


 荷駄隊と聞いて兵部はしめたもの(状況的に喜ぶべき事)を見つけたという顔をする。荷駄を運用するというのは非常に危険な事である。それは暗に向かう先の食料は足りていませんと示す様なモノだからだ。


「どの辺だ?」


「この辺りです。鎌刃城から佐和山城に到る道を歩いております」


「……あの辺には道の脇に台地があったな。反対側に伏せれば奇襲できるか。フム、荷駄隊を壊滅できれば佐和山城は兵糧不足に出来るかもしれんな。よし、移動するぞ」


「ははっ」


報せを聞いた尾上兵部は直ちに部隊を移動させる。鎌刃城から佐和山城に向かう道には、一カ所小高い丘の様な台地の横を通る場所がある。彼はその道の反対側に伏せれば荷駄隊を奇襲できると考えた。

この荷駄隊を壊滅させれば、もしかしたら佐和山城の兵糧は簡単に無くなるかも知れない。多少、楽観的ではあるがやる価値はあると彼は見た。


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 荷駄隊を任せられた土屋長安は佐和山城に向かっていた。既に鎌刃城は過ぎた辺りであろうか。

 途中、織田信長からの援軍の傭兵部隊1000人が合流。そのまま護衛としつつ隊を進める。この荷駄隊の編成は兵300ではあるが、実際はもっと大規模になる。何故なら荷駄とは馬を運用して荷物を運ぶからだ。

 荷駄隊には兵士と同数の300頭あまりの馬が隊に組み込まれている。馬を守りながらの戦闘など無理であるし、かといって馬を見捨てる訳にもいかない。肝心の荷物は全て馬に背負わせているのだから。故に荷駄隊とは攻撃能力も防御能力も皆無である。

 なので本来は飯尾敏宗の足軽歩兵と共に来るのが理想ではあった。しかし佐和山城への兵員補充を優先したのと、織田信長から傭兵部隊1000が合流したので、飯尾隊は先行し荷駄隊は傭兵部隊と共に行動となった。


「おい、ちょっといいか?」


「お前は……傭兵部隊の隊長だったっスね」(誰だっけ?名前忘れたっス)


 長安に話しかけてきたのは信長から派遣された傭兵部隊の隊長。年の頃は長安とそう変わらないように見える。そう考えるとだいぶ若いのだが、織田家の傭兵部隊は年功序列ではない。功は関係するかもしれないが、だいたいは適正(武芸が出来るかとか、教養はあるかとか)で判断されているはずだ。長く居るだけで農民が部隊長になったりはしない。


「この辺りの地形はヤバイぞ。伏兵が居るかも知れん」


「何を言ってるっスか?もう少しで佐和山城っスよ。敵なんか居る訳ないっス」


「何でそうなるんだよ」


「鎌刃城から佐和山城までの道は織田家の支配範囲っス」


「そうなったばかりじゃないか。直ぐ南は六角領だって忘れてんのか」


「居るんなら先行した飯尾隊が見付けてるっスよ。それに今更、道は変えられないっス」


「斥候も出しちゃイカンのか?」


「……好きにするっスよ。荷駄隊の護衛を果たしているのなら用兵は任せるっス」


「よし、分かった。そうさせてもらう」


 長安は面倒になって好きにしろと言い放つ。これは普通の武将なら有り得ない返答でもある。長安が普通の育ちの武将であったなら、武士の面目を考えて自分に従えと強制しただろう。上位下位をはっきりさせるためにも。

 だが長安は平素から商人との付き合いが長く、計算に長けた人物であるため、荷駄を守る事にしか頓着していないのだ。それは荷駄が届かなかった時の池田軍の惨状がキッチリ計算出来ているからである。この時点で長安には何を犠牲にしてでも荷駄を守る事しか頭にない。

 だからという訳ではないのだが、この傭兵部隊長のいう事が煩わしく聞こえた。というよりは、傭兵部隊の指揮まで見てられないというのが本音だった。

 なので、そっちはそっちでやってくれ的な返事をしたのだが、傭兵部隊長にとっては都合がよかった。この部隊の最高責任者から自由免状を貰ったのだから。彼は早速、自分の側近の元に戻った。


「若、どうでした?」


 この側近の部下は隊長の事を『若』と呼んでいる。年の頃は同じくらいで15、6と言ったところだろう。これだけ若い彼等が部隊長と側近を務めているのだから、実力という方面で評価されたのであろう。


「指揮官は素人だな。だが話の分からんヤツじゃないのは救いだ」


「では」


「ああ、怪しい場所に斥候を放つ」


「了解しました」


 部下は了承して兵を斥候に出す。地形を見れば相手が何処に伏せるかくらいは予想が付く。居ないなら居ないでもいい。自分達の役目は荷駄隊を無事に佐和山城入りさせる事なのだから。

 彼等はそれくらいは把握できるくらい優秀であった。そして直ぐ様、台地の反対側に六角軍が居る事を把握する。


「当たりですね、若。敵が台地の向こうに居ますよ」


「教科書通りの場所に伏せてきたな、おかげで分かりやすいが。数は?」


「約1000、我々と同数かと」


「同数か……。正面から当たるのはツライか。こっちは傭兵だし」


 隊長は数を聞いて少し考え込む。相手が少数なら迎え撃ってもいいが、同数となると少し問題が有る。この部隊は傭兵部隊だという事だ。傭兵は金で雇われている、故に逃げる者がいるという点だ。この傭兵部隊は比較的戦える者で構成されているが、それでも命惜しさに逃げる者はいるだろう。

 その点で言えば六角軍の兵士は逃げない。逃げては村にも帰り辛いから結構踏ん張る。負け戦が確定するまでは逃げないと思われる。

 このまま荷駄隊の殿しんがりを守るしかないかと隊長は考えるが、部下は明るい顔で断言する。


「問題ありませんよ。敵を奇襲してやればいいんです。勝ち馬に乗れるなら傭兵でも逃げません」


 勝ち馬に乗れるなら傭兵でも逃げないというのは当然だろう。勝ち戦なら褒美も出るし、武功の稼ぎ時なのだから傭兵稼業で一番美味しい時とも言える。そして勝ち戦は命の危険が少なくなるので、傭兵でも戦える者が揃っているこの部隊ならやれると部下は宣言する。


「え?奇襲しようとしてるのは向こうじゃないのか?」


「奇襲なんて物の見方一つです。とにかく若は荷駄隊に急ぐよう進言してください」


「おう、わかった。お前に任せる」


 隊長は部下の進言を受け入れる。それだけ彼の用兵に信頼を置いているのだ。この時に彼等は傭兵部隊を分けた。隊長に500、部下に500という具合に。

 そして隊長は土屋長安に進言し、荷駄隊と共に速度を上げた。


「兵部様、荷駄隊が速度を上げました」


「気付かれたか。ならば全軍出るぞ!ヤツラの足は決して速くない。追え、そして焼き払えー!!」


「「「おおー!」」」


 荷駄隊が速度を上げた事は台地の反対側に伏せていた尾上兵部にも直ぐに報された。猛然という勢いで彼等は走り出し、足の遅い荷駄隊に追い付こうとしていた。

 速度を上げたとは言っても荷駄隊は遅い。何しろ馬達は重い荷物を背負っているため走る事が出来ない。走れば直ぐに荷物がバランスを失い振り落とされてしまう。それでは本末転倒だ。

 そのため土屋長安は焦る。もう少しで佐和山城に着くのにと。荷物を捨てれば自分達も馬達も助かるだろう。だが荷物は籠城戦用の食料であり、4000の兵士の今後の食料なのだ。

 たしかに織田信長の本隊は数日後にやってくるだろうが、それはまだ予定だ。確定していないし、六角軍の方がやってくるかも知れない。この状況で籠城戦用の食料を失うのは作戦の失敗を招きかねない。


「うわっ、うわわ、敵が来たっス。佐和山城まであと少しなのにー」


「言ってる場合か。荷駄を急がせろ!」


「急がせるたって限度があるっス!荷駄は重い荷物背負ってるから速度が出ないっスよー!」


「なるべくでいいんだよ。それに……来たか!」


 傭兵部隊長には見えていた。既に自分達が勝っている事を。それは追ってくる六角軍後方から始まっていた。

 そして六角軍率いる尾上兵部の元に予想もしていなかった報告が上がってくる。


「兵部様、後方から敵襲です!」


「何だと!?くそっ、いったい何処から……」


「あなた方は何時から追う側だと勘違いしましたか?追うのは我々です!」


 後方から来た軍は織田軍、先程の傭兵部隊の半分である。何処から来たかと言えば六角軍が居た台地の辺りから来たのだ。

 まず六角軍は奇襲しようと台地を挟んで反対側に伏せた。だが気付かれてしまい逃げる荷駄隊を追走する、。それはいいのだが入れ替わる様に台地の裏側、つまり六角軍が居た場所に来た軍団がある。傭兵部隊長を『若』と呼んでいた部下率いる傭兵隊500である。

 彼等はそこから六角軍を追走し始めた。そのため尾上軍は後ろから来る兵士を出遅れた友軍と勘違いした。そして追い付いたら追い付いたで攻撃を仕掛けてきたので六角軍は大混乱に陥った。

 これには六角軍が旗を揚げなかった事も影響した。奇襲なのだから目立つ旗は仕舞っていたのだ。そのため敵味方の区別が難しくなった。六角軍もそうなのだが、この傭兵部隊も鎧兜が統一されていない。余計に敵味方が分からなくなっている。ただ、傭兵達にとっては目の前にいる部隊が敵なので分かりやすいが。

 更に言えば六角軍は追走に速度を上げ過ぎていたため、隊列が伸びてしまい後方の混乱が伝わらなかったのも災いした。まるで味方から裏切り者が出た様な騒ぎになっており、かなりの兵士が我先にと逃げ出していた。つまり六角軍の兵士は負け戦だと感じてしまったのだ。混乱を静めるはずの尾上兵部が部隊の先頭にいて、情報が伝わらなかった。

 後方から奇襲した傭兵たちにとっては快適な狩場だと言えた。何しろ敵は彼等に対し背中を見せて逃げているも同然だからだ。傭兵たちは今が稼ぎ時と判断し、逃げる者は皆無で六角軍に襲い掛かった。


「よし、傭兵隊反転!敵を挟み撃ちにする!皆、ここは稼ぎ時だぞ!」


「「「おおおー!!」」」


 そんな大混乱に陥った六角軍にトドメを刺すべく、隊長も残りの傭兵部隊を反転させる。六角軍は目に見えて混乱しているので、残りの傭兵達からも狩り易い獲物程度にしか見えていない。彼等が考えている事と言えば、どれくらいの稼ぎになるかという皮算用くらいか。逃げる者は居らず、全員盛んに飛び込んでいく。こんな絶好の機会はそうそうないのだから。


「てな訳だ。先に行ってくれ。俺はヤツラを食い止める」


「……生きて戻るっスよ。戻ったら、殿に推挙してやるっスから」


「そりゃ、有難いこって」


 推挙を約束して去る長安。それを聞いた隊長はそんなに期待してないという風だった。実際、この手の口約束は守られる方が珍しい。

 とはいえ褒美は欲しいので隊長は自らの手で稼ぐ事にした。


 一方で尾上兵部の方は大苦戦していた。後ろからの奇襲、それと息を合わせる様に挟み撃ちにされ、六角軍は崩壊しようとしていた。いや、既に兵士がかなり逃げ出していた。


「くそっ、どうしてこんな事に!」


 荷駄隊が居る事でコチラが有利のはずだった。織田軍は足の遅い荷駄隊の防衛をしながらの戦いとなる。相手が勢いの無い防衛戦闘なら、六角軍が圧倒的有利になるはずだった。

 なのに現在の六角軍は前と後ろから挟み込まれ、圧倒的不利になっている。それに味方の数もかなり減っている。おそらくは雑兵が逃げ出したのだ。このままでは自分も危ない。

 そう考えた尾上兵部は織田家の傭兵を振り払い脱出の道を探るが難しかった。

 尾上兵部は敵が自分の所に集まって来ていると思った。それは間違いではない。何しろ彼は六角軍で一番良い鎧兜を着けているからだ。手柄頸を狙って兵士が寄ってくる。

 ある程度の相手なら振り払える武芸は彼にもある。だが、彼の目の前に現れた10代と思える少年 (それにしてはゴツイが)は勢いも戦闘も尾上兵部を上回った。


「逃さん!俺の手柄になっちまいな!」


「ガッ、バカな……」


 尾上兵部は真っ向から斬り伏せられ崩れ落ちる。その少年はこの傭兵部隊の隊長である。彼はその武芸を見込まれて傭兵部隊の隊長になったのだから。

 部隊であれば指揮能力が重視されるところだが、織田家傭兵部隊ではまず何よりも武芸が優先された。腕っぷしの強い者が部隊を率いる方が早いからだ。戦いに行く以上弱い者に率いられるより強い者に率いられたいと思うのが普通だろう。傭兵部隊はかき集めたに等しいので、将兵の信頼関係を築いている暇がないのだ。

 そうやって傭兵部隊長になり、現在では城主にまで出世した男がいるほど、織田家では当たり前の事なのだ。因みにその男を『滝川一益』という。


「若、お見事です」


「何が見事なもんか。見ろよ、この刀」


「……ボロボロで刃が欠けてますね」


「ま、支給品はこんなもんか。鉄の棒でしかねーな。つー訳でコイツも死んじゃいない。そもそも斬れてないからな」


「名のある将の様ですから捕えて連れて行きましょう。敵も総崩れなので戦も終わりですし」


「挟み撃ちが決まった時点で崩れてたけどな、はは」


 駆け寄ってきた側近にボロボロの刀を見せて笑う。敵の雑兵と戦っている間に摩耗してしまったのだ。

 何せ彼が使っている刀は織田家からの支給品。さすがに数打ちの中でも最低レベルだろう。傭兵に良い刀は支給してくれないのは仕方ない。支給したら売る人間が出るからだ。

 褒美が出たらいい刀でも買うかなと思いつつ、彼等は尾上兵部を縛り上げ佐和山城へと向かった。


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 恒興は報告を聞いて上機嫌になった。何せ荷駄隊は襲われたが、無事に佐和山城に着いた。六角軍は撃破して率いていた将まで捕らえた。予定通りに進んだだけでなく、初戦を勝利した事で士気も上がっていい事尽くめだった。

 そして恒興は長安から戦いの詳細を聞く。その時に長安から傭兵部隊長を推挙したい旨を伝えられるが、恒興としてもそのつもりだった。優秀な軍指揮官は探してでも欲しいものだからだ。

 長安から推挙をうけた傭兵部隊長は側近の部下を伴い恒興に接見した。


(フム、この者が件の傭兵部隊長ですか?立ち居振る舞いから、おそらく武家崩れでしょうな)


(まあ、そうだろうニャー。信長様が滅ぼした武家じゃなきゃいいけど)


 武田信虎は傭兵部隊長の若者を一目見るなり元武士だと見破った。農民との違いが立ち居振る舞いに出ているからだ。

 それについては恒興も同意する。直ぐに頸を取ろうとする雑兵とは違い、敵将を生かして捕らえたところからもそれが伺える。武芸も出来て指揮能力もあるなら、召し抱えるに十分だろう。

 最後の懸念点は彼が信長に逆らって没落した武家ではないかという事だけだ。


「仔細は長安から聞いたニャ。ご苦労だった。傭兵隊にはニャーから報奨金を出しておく」


「ははっ」


 まずは任務達成と勝利に貢献した傭兵部隊には褒美を出す事を約束する。こういう時は派手に出しておくに限る。ここをケチると傭兵が来なくなってしまう。その場合、傭兵は他国に行って敵になるかも知れない。まあ、そこまで警戒する話ではないが、損だという風には認識している。


「部隊を率いたお前は将として抜擢するニャー。名は何と言うんだニャ?」


「はっ、諏訪四郎勝頼と申します」


「……」


「……」


「……」


 一同の間に沈黙が走る。名前を答えたのに当の恒興が一切微動だにしなかったためだ。いや、恒興だけではない、横に座っている信虎も硬直していた。

 別に彼等は無視している訳ではない。ただあまりにおかしな状況で、信虎が池田家に来てからずっと探していた人物の名前を聞く事になり二人して思考が追い付かず硬直してしまっただけだ。

 という訳で、恒興は確かめる様にもう一度尋ねる。


「……スマン、今何つったニャ?」


「え?諏訪四郎勝頼ですが……」


「……ニャあ、信虎。もしかして、コレ?」


「……コレなんですかのぉ。頭が痛い」


「え?何?何?」


「ああ、ニャーの隣に居る男を紹介しておく。甲斐武田家当主・武田左京大夫信虎殿だニャー」


「え!?それって俺の爺ちゃんの名前じゃ……」


 勝頼はその名前に聞き覚えがあった。……どころではなく、自分の祖父の名前だった。彼が産まれた頃には信虎は既に追放されていたので会った事も無く顔も知らなかったのだ。

 当然、信虎も勝頼とは初対面である。


「そうじゃ!このバカ者め!何故傭兵などやっとるんじゃ!」


「え、いや、生活費を稼ぐためにさ……」


「あのニャー、お前。そんな事せんでも岐阜城の門を叩くだけでいいだろ。甲斐武田家の子息が頼ってきたら信長様は当然保護したニャ。敵対していた訳じゃなし」


 実際の話、縁の有る無しに関わらず、亡命者というのは受け入れられる傾向にある。ゆくゆくは侵略の大義名分にされる、という事もある。まあ、家臣が付いて来たり、嫁とか出して家臣化、或いは名跡を奪う等も出来るのでお得と言えばお得だが。

 セオリーとしては自分の家を滅ぼした相手の敵に亡命する事だ。そうする事で同盟関係に持っていく事も出来るだろう。滅ぼされて国を追い出され、大国に亡命するというのはよくある。大国に兵を出させて復権するというのもよくある。そして兵を出した大国に全てを奪われるというがテンプレである。


「そこのお前は家臣か?名は何という?」


「はっ、真田喜兵衛昌幸と申します」


「真田?信州海野家のか?」


「はっ、主家は既に滅び、武田家にて奉公して御座います」


 真田家とは元々、東信濃海野家の分家である。海野家の歴史は古く保元の乱の源義朝の家臣や源平合戦の木曽義仲の家臣としてその名前が見える。その以前から東信濃に居る訳だが戦国期に入ると武田家、村上家、諏訪家の連合軍により滅ぼされる。というより、滅ぼした張本人が武田信虎なのだが。


「お前は勝頼に岐阜城へ行くように言わんかったのか?」


「いえ、進言はしたのですが、それは男として情けないと若は仰せでして」


「……アホだニャ」


「……アホじゃのう」


「いやさぁ、一端の将になってからじゃないと面目が立たないかなーと……」


「……武田家の再興の前ではお前の面子なんぞはどうでもいいニャ」


「そういう事じゃ、このたわけ」


「そんな~」(´・ω・`)ショボーン


 新しい武将の推挙話は何処へやら、恒興と信虎は呆れかえっていた。探していた人物がまさか織田家で傭兵をやっているなど、予想外に過ぎる。恒興や信虎は勝頼が何処かの武家に亡命している、或いは甲斐信濃に残って隠れていると思っていた。そのために方々の情報を集め、また甲斐信濃に人を派遣して探していた。土屋長安の父親である大蔵信安が猿楽師の立場を利用して探っている最中でもある。

 恒興は家の再興の前では個人の面子は関係ないと言う。これは武家の常識と言える。というより家 (領地)のためなら命を捨ててこいが戦国の武士というものだ。

 何はともあれ、探し人は見付かったので信長に報告を入れる恒興だった。


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 南近江観音寺城。

 六角家の本拠地であるこの城に怒号が響き渡る。


「このたわけがあぁぁぁ!!」


「ぎゃっ!ち、父上、俺は……」


 激しく叫んで暴力を振るうのは六角家前当主・六角承禎。その暴力に堪えているのは彼の息子で六角家当主・六角義治だ。これは六角家家老の後藤賢豊が義治に誅殺された事を、承禎が怒り狂っているのである。思い切り家中の統制を乱す真似をしたので怒って当然ではあるが。


「何がどうなったら賢豊を殺す事になるのだ!?このバカ者め!!」


「た、賢豊は織田家と通じていたのです。六角家を裏切って……」


「あやつが織田家と交渉を持っているなど当たり前ではないか!」


「え?」


「お前は織田信長ととことんまで殺し合う気か?戦とはな、適度なところで止めねばならんのじゃ。そのための窓口を賢豊は保持しておったに過ぎぬ。あやつが裏切るなどある訳がないわ!この大バカ者が!!」


「ぎゃっ!?うう……」


 そう、家老である後藤賢豊が敵国と交渉するなど当たり前の話なのだ。いざとなれば家老が使者として敵国に赴く場合もある。思い返せば、六角家が幕府と敵対した時も使者になったのは当時の家老だし、幕府と交渉したのもそうだ。

 家老とはこういう外交も任せられている。敵と交渉するなど当たり前で、何の為かと問われれば主家を守るためである。

 そして戦禍で領国を焦土にしない様に、適度な辺りで戦争を終結させる事も必要なのだ。故に戦争中でも交渉の窓口を持っている事が多い。

 これを家老や任命された外交官以外がやっているなら、裏切りを疑われても仕方がない。


「承禎様、義治様。佐和山城へ向かった尾上兵部殿より報告です。佐和山城には既に織田家の旗が翻っており、3~4000あまりの軍勢が到着しているとの事です」


「そんな馬鹿な、早過ぎるだろう」


 早過ぎる織田軍の展開に何が起こったのか義治は理解出来なかった。尾上兵部の報告とはいえ、何かの間違いではないかと思うくらいだ。

 だがそれを聞いた承禎は顔を紅潮させ、更なる怒りを爆発させる。


「このバカたれがあぁぁぁ!!」


「父上!?何を……」


「お前が、お前が利用されたのだ!これは全て織田家の奸計だ、それが判らんのか!?織田家はお前と賢豊の仲を裂く様に謀り、そしてお前が何時暴走するか手薬煉てぐすね引いて待っていたのだ!だから有り得ぬほど早いのだ!」


「そ、そんな、俺は……」


「とにかくだ、当主の座から降りてもらうぞ。まずは混乱を鎮めて兵を集めねば」


「……はい」


 項垂れる義治を残して承禎は部屋を出る。そして六角義治の当主降座と家臣召集を伝える様にと部下に指示を出すのだった。


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【あとがき】

「オレが天下取ったるでよぉ。よう見とりゃー」「天下取るのは、この織田信長だがや」「アレやっといてちょーて言うたがね」


べ「本来の信長さんはこの言葉遣いでないといけないという事実」

恒「いや、ちょっとこれは威厳というモノがだニャー」

べ「まあ、これで大河ドラマとか演じていたらズッコケるね。でも秀吉さんは何故かコッチが多い」

恒「未だに農民上がりが強調されてるからニャー。本人は関白になったあたりで消そうとしてたが」

べ「まあ、信長さんの口調はこれだけではない。というより全国の大名がそうなのだが、『お国言葉』と『都言葉』を使いこなす」

恒「基本だニャ」

べ「普段は『お国言葉』で生活し、格式張った場所や来客時は『都言葉』に近いモノを使ったものと思われる。『お国言葉』同士では通じないケースが多いからね」

恒「そりゃ『お国言葉』というのは所謂、方言だからニャ」

べ「だがこれが重要だった。『お国言葉』では大名間の外交交渉が出来ないという弱点を『都言葉』によって補っていった訳だ。現代で言う所の標準語だった訳だね」

恒「しかし全ての大名が『都言葉』を使えたというのがスゴイよニャー。どうやって広まったんだ?勝手にか?」

べ「ある人達の努力によってというべきかな?本人達は金稼ぎの手段にしてたようだけど。恒興くんも知ってるはずだけど」

恒「誰だニャ?」

べ「『和歌』の伝道師こと『公家』の人達だよ。山科言継さんもその一人」

恒「ああ、なるほどニャー」

べ「当初、公家は和歌は自分たちの物で教える気なんて無かった。ただ高級武家は嗜みとして使っていた。元々貴族だし。下級武士や土着豪族はそれを羨ましそうに眺めてるだけだった。だが武家秩序の大崩壊『応仁の乱』が起こる。それまで下級とされた者、ただの豪族が大名家を上回った」

恒「『応仁の乱』は考えてみれば戦いが起こった程度の事件じゃニャいんだよな。身分制度の崩壊と言っても過言じゃニャい」

べ「だけど彼等にはやっぱり学問が足りない、格式が足りない、権威が足りない。つまりは支配権が足りない。だけど時を同じくして公家も苦境に陥った。京都が破壊され全国の貴族荘園はドサマギに持っていかれた。このままでは飢え死にだ」

恒「そりゃ今も響いてるし。まあ、だいぶ復興してるけどニャ」

べ「そこで公家は自分達で培ってきた『文化』を売って生活費を稼ぐ事にする。しかしてこれが大成功だった。殆どの大名に不足がちだった学問、格式、権威を補充する事になった。『和歌』が出来る→貴族っぽい!『蹴鞠』が出来る→偉い感じがする、あれが雅か!とこうなる。日本人は昔から『都の最先端』という言葉に弱くてね。そしてこれらの文化が尊重されればされる程、その大本となった朝廷権威が復活するという現象が起こった。そして全国の大名は飴玉を欲しがる子供の様に『官位』を欲しがった」

恒「ニャるほど、それで朝廷献金と返礼に官位斡旋が当たり前になってくる訳か」

べ「そんな感じだね。文化にもいろいろあるけど、とりわけ『和歌』は一番重要だ」

恒「何故『和歌』なんだニャ?他にもいろいろあるだろ」

べ「そこではじめの『お国言葉』の話になる。さて、日本語しか喋らない場所で『正しい』英語を身に着ける事は可能かい?才能云々の話は無し、みんなが使えないと意味が無い」

恒「みんなは無理だニャー」

べ「そう、無理だ。教科書開いて文法学んだって英語は喋れない。みんながみんな、これで英語を喋れるなら英語教室なんか要らない。それは『都言葉』にも同じことが言える。教科書開いて文法学んだって『都言葉』は喋れないんだよ。そこで登場するのが『和歌』だ」

恒「ここニャのか」

べ「『和歌』は公家や仏僧を中心にだいたい都で発達した。使われている言語は何かな?」

恒「そりゃ、『都言葉』なるはずだニャ。あ、そうか!」

べ「そう、『和歌』を学べば学ぶほど、『都言葉』が理解できる様になる。古今東西、人類は歌が大好きだからね。そしてこれで方言だらけだった日本に標準語たる『都言葉』が浸透したのさ。だから『和歌』は好まれ、公家文化の中でも一段偉い感じになる。武家が『お国言葉』と『都言葉』を使いこなしたというのはその実、最近の話さ」

恒「公家が文化を売り出す以前はどうしてたんだニャ?」

べ「お坊さんを雇うなりするのが一般的かな。これは戦国時代でもやってるけど。高級武家であれば自前で本とか教師とか抱えてると思う」

恒「これで全国の武士が同じ言葉で話せる様になった訳ニャ」

べ「まあ、『都言葉』は感覚的には外国語っぽいもので感情的になると大名でも『お国言葉』が出てしまう。東北大名の南部信直さんと九州薩摩の島津義弘さんが口喧嘩してね(場所は佐賀県唐津市の名護屋だと思う)。お互いヒートアップして『お国言葉』全開になって、何喋ってるのか誰にも分からなくなったらしい。何言ってるのか分からないから仲裁も出来ない有様だったとか」

恒「うん、そんだけ距離離れると言葉通じねーギャ。『和歌』はホントにスゲーニャ」

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