閑話 続・高坂って誰よ?

 傭兵部隊を率いていたのが武田勝頼と真田昌幸と判明した翌日。

 恒興は二人に事情聴取をする事にした。何しろ何処でどういう経緯になったら武田家の子息が織田家で傭兵をやる事になるのかサッパリ理解できないからだ。


「勝頼、お前はいったい何時から織田家に居たんだニャー?」


「んー?かれこれ1年半くらいか、昌幸?」


「そうですよ」


「ワシより先に織田家に居ったのか!?しかし何故に北条家か今川家に行かんかったのじゃ?同盟国じゃろうに」


「いや、最初はそう思ったんだけどさぁ……」


「若が居た寺が諏訪にあったんです。なので駿河や相模に行こうと思うとどうしても上杉景虎が暴れまわる甲斐を横断しなければならなかったので」


「ニャるほど、それで尾張にか」


「何といいますか、当初は駿河を目指して南信濃へ。南信濃は上杉軍が居なかったので。それから木曽義康殿の援助を受けながら飯田、長篠を通り三河に。そこで若が傭兵募集の噂を聞きつけて尾張に行きました」


「口で言うのは簡単だけど、長篠の辺りはかなりの山道だったわ。道は細いわ、下り坂はキッツイわでさ。もう行きたくねえ」


 勝頼と昌幸は幽閉先になっていた諏訪の寺を出ると南信濃に向かった。何しろ当時の甲斐は内乱中で、上杉景虎が反乱を鎮圧しにかかっていた。そんな死地に行きたくなかったので、二人は反対方向に逃げた。

 そして親族でもある木曽義康に数日匿ってもらった後、路銀を貰って三河に向かう。木曽家も上杉家に降っているため、長くは匿えなかった。

 勝頼が文句を言いながら長篠を越えて三河に入ったところで勝頼は決断を変える。当初は三河から駿河に行って今川家を頼る計画だったのだが、勝頼が織田家の傭兵募集の話を聞き付けて行くと言い出したのである。


「ふーん、木曽谷の木曽義康ニャー」(上杉に対していい感情は持ってないって事かニャ?)


 木曽中務大輔義康。

 木曽谷を中心として領地を持つ豪族である。この木曽家は源平合戦の木曽義仲の子孫を自称している。

 あの源頼朝に逆らった義仲の血族が生きているのか?と問われれば、カッチリ生き残っている。確かに人質になっていた長男は殺される事になったが、次男以下は全て生き残った様だ。頼朝も真剣に追いかける気は無かった様子。

 そして何処に匿われたかというと上野国。当時の上野国が誰の支配下かというと源姓足利家である。頼朝の頃の足利家は実力的に頼朝に次ぐNO.2であるため、義仲の子供に手が出せるのは頼朝くらいしかいない訳だ。つまり源頼朝は敵対した木曽義仲や人質であった長男は殺さざるを得なかったが、それ以外はもう害を及ぼす気も無かった。だいたい、木曽義仲の妻・巴御前ですら生き残った説がある。彼の弟達の扱いとはかなりの差である。

 こうして生き延びた義仲の子孫は足利尊氏の頃に木曽家村(旧姓は沼田)を輩出。足利方として数々の武功を挙げて、尊氏から絶賛された。その彼が木曽谷を中心とした所領(信州の半分くらい)を貰って、御家再興を宣言したのである。

 ただ資料が少なく源姓義仲流を称するも現代では藤姓扱いされる事もある。(旧姓が沼田であるため)だが戦国時代では木曽義仲を祖とする名家と認識されている。


「まー、そんで傭兵になったら20人の部下が付いてさ」


「いや、待て、何故いきなりそうなるんじゃ!?」


「え?何か入隊試験で竹をズバッっと斬ったらそうなったけど?なあ、昌幸」


「はい、私もそうでした」


「池田殿?」


「いや~、ウチの傭兵入隊試験ってだいぶ温いんだよニャー。それで役立たずばっかニャんだけど、数を集めるならこうするしかニャいという」


 この辺も織田家と他家では大きく違う。他家においては傭兵 (陣借者)は結構精査する。役立たずは戦場に要らないからだ。なので経歴や腕前あたりが重視され、結果として少数のならず者や野武士ばかりとなる。

 だが織田家では役立たずでも入れる。入れてから訓練すれば一端の傭兵になるというのが織田信長の考え方だからだ。なのでとりあえず雇ってから長屋に住まわせ訓練しているのである。まあ、武芸をしっかり鍛えていないと竹など斬れないので直ぐ分かる試験法ではある。

 しかし武田家の四男と真田家の三男が周りの流民と同じ武芸レベルな訳がない。竹くらいなら何気なく一刀で切り伏せてしまったため、逸材が来たという感じでいきなり部下が付けられた。それぐらい周りが役立たずで溢れている、それが織田家の傭兵事情だ。


「あとはトントン拍子に部下の数が増えて、順調な出世だなぁーって感じか」


「若の場合、文字の読み書き、文章理解力、軍法理解力、戦術理解力が評価されたのかと。それで私は若を補佐するために副官になりました」


 傭兵とはいえ恐ろしいスピードで勝頼は出世した事になる。何しろ1000人統率しているのなら『侍大将』の能力があると評価されているに他ならない。そんな傭兵が何人もいる訳が無い。だいたいの場合は『足軽大将』止まりで、その上は織田家臣が統率する。ただ最近の傭兵の集まりが良過ぎたため、家臣の手が足りなくなったという事情もある。だからこそ本当に優秀な傭兵には部隊を預けたのだろう。つまり勝頼は傭兵の中でも数本の指に入るほど評価されている。もう少しすれば自然と推挙話が出てきたはずだ。


「……」(そんな事してニャいで、とっとと信長様に会いに行けよ。コイツは武田家の遺児という自覚はニャいのか?)


「……」(将としての才能はあると喜ぶべきなんかのぅ。当主としての教育がなっとらんのはどういう事じゃ。ワシが一から仕込むしかないか)


 淡々と語る勝頼に、それを喜べばいいのか笑えばいいのか分からなくなってきた二人は無言で微妙な顔をした。その時に信虎はハッと以前の話を思い出し、二人に聞いてみる事にした。


「おお、そうじゃ。お前らに聞きたい事があったんじゃ。高坂の事じゃ」


「「はい?」」


「ああ、甲斐国の高坂という男が人身売買をやっているという噂があってニャ。織田家の濃尾勢にだいぶ流し込んでくれたので、是が非にでも探し出したいと思う。お前ら、ニャんか知らない?」


 信虎が切り出して恒興もそうだったと思い出す。丁度いいのでこの二人にも聞いておかなければならない。あの『甲斐国の高坂』について。その者の正体は未だに何もわかってないのだから。


「え?高坂って……あの高坂昌信の事か?いやいやいや、アイツが人身売買なんて信じられん」


「勝頼もか。じゃあ、他に誰ニャんだよ『甲斐国の高坂』って」


「高坂という姓は昌信の家だけなんじゃろう。一族とかはどうじゃ?」


「うーん、たしかに他に高坂姓なんていないし。昌信の一族とかが勝手に?いや、それにしたって……」


 信虎が疑っているのは高坂昌信の親族だ。本人がやっている説は大蔵信安と土屋長安の親子に否定されたので、高坂家の親族が勝手にやってる説を予想した。

 しかし主君の名前を勝手に使って商売や犯罪など出来る訳がない。勝頼は高坂家の浮いた噂すら聞いた事がなかった。高坂昌信の出自は農民、となれば一族もだいたい農民のはず。或いは縁を結んだ小豪族くらいか。そんな彼等が犯罪など行えば、直ぐに弾劾されるだろう。成り上がりを嫌う、出世の嫉妬まで加わり激しいモノになる。だからこそ高坂家は全体的に慎ましかった。

 勝頼は特に思い当たる事は無かったが、昌幸の方はまさかという顔をしていた。


「……一人、思い当たる者がおります」


「本当なのか、昌幸!?」


「誰ニャんだ、ソイツは!?」


「『高坂甚内こうさかじんない』、武田家諜報機関『三ツ者みつもの』に属していた向崎こうさき衆の頭領です」


「『三ツ者』……忍か、道理で分からんはずだニャー」


 武田家諜報機関『三ツ者』。

 また、この者達は『透破すっぱ』とも呼ばれる。現代でも使う『透破抜すっぱぬく』という表現の語源でもある。この様な任務に就く者を武田家では『すっぱ侍』とも呼んだ。

 この透破は当初、武田家重臣の板垣信方、甘利虎泰の配下に収まっていた。だが両名が戦死すると武田信玄は透破を解体。規模を拡大して再編成し、現在の『三ツ者』という組織が誕生した。

 その『三ツ者』の中にも様々な衆団が存在しており、信玄はそれぞれに任務を振り分けていた。そのため個々で独自性の強い衆団が多数混在する事となった。高坂甚内の向崎衆もその一つであった。


「何じゃ、すっぱ侍の事か。それは高坂昌信の一族なのか?」


「いえ、高坂様が何も言わないのをいい事に勝手に名乗っているだけです。普通の武家なら殺しに行くくらいには激怒しますね」


「当り前じゃ。自分の家名をそこら辺の馬の骨に名乗られたらワシでもそうするわい」


 この高坂甚内という名前の前は、向崎こうさき甚内と名乗っていた。そこから『こうさか』と『こうさき』の音が似ている事、そして高坂昌信の武名にあやかってという理由で高坂甚内を名乗ったのである、勝手に。因みに高坂昌信は無視している。

 普通であれば信虎の言う通り、殺されても文句の言えない所業である。名乗った家名が馬場とか内藤とか飯富ならもう死んでいる。だが高坂昌信はその出自が農民でお世辞にも高いと言えなかった。そして味方内で争いたくない昌信は認めはしないが文句も言わない事を選択したのだった。


「それで、その甚内なる男は妙に金廻りの良い男で私も調べた事があるんです」


「味方の忍を調査していたのかニャ?」


「昌幸は『三ツ者』の管理をやっていたからだろな」


「そうです、一年程でしたが」


「それで調査結果は?判明したんじゃろうな?」


「……判りませんでした。この甚内の事になると『三ツ者』の者達が皆一様に口を噤むのです」


 真田昌幸は7歳の時、武田信玄の奥近習衆に入っている。人質の意味合いもあるが、ここから武田家でのキャリアが始まっている。その一つとして、武田信玄が仕切っていた三ツ者の管理なども任されるようになった。三ツ者全体の長になった訳ではないが、三ツ者内で不正を働いている者がいないか、情報の取りこぼしはないか精査する役目に就いた。

 その中で昌幸は高坂甚内が明らかに稼ぎ過ぎている事に着目した。それは誰もが見落としている事でもあった。稼ぎが少ないと責める事はよくあるだろう。しかし稼ぎが多いと責める人はいるのだろうか?どんな会社でも契約を取ってくる営業マンが責められる事などない。だからこそ見落とされていたというべきか。昌幸は高坂甚内が何をしてこの巨額の上納金を収めているのか分からなかったのである。それを判明させるために調査を開始する。

 だがこの高坂甚内の調査は難航した。本人が甲斐に居ないのと、他の三ツ者達とも疎遠で情報が無かったのである。


「武田家の諜報機関は間見、見方、目付に分かれております。故に『三ツ者』という名称なのですが」


「ふむ」


「間見は他国に潜入して情報を集めます。見方は他国からの侵入者に対し目を光らせ、目付は……お味方を見張っております」


「え?味方見張ってんのかよ?」


「まあ、信濃衆には信用出来ない豪族もいましたから」


 見方は説明不要だろう。他国からの間者を探す者達でだいたい商人や農民の中から選抜される。村や町に怪しいヤツが来たら報告するのだ。

 そして目付は味方の豪族や信用できない者を見張る。大抵はその家臣などを懐柔する場合が多い。また是が非にでも潰したい豪族なら、懐柔した家臣に何でもいいから粗を探させるのである。

 分かるとは思うが、これに忍術など不要である。ただこれらの行いをする者たちの総称を『透破』というのだ。故に『透破』に属する者は農民から町人、商人、武士と幅広い。必ずしも忍者集団という訳ではない。

 だが、間見になると少し様相が違ってくる。


「ま、そうだニャ。豪族の裏切りなんて珍しいものじゃなし。それで高坂甚内は目付ニャのか?」


「いえ、間見になります。他国諜報が彼の仕事になります」


「他国諜報か。それがニャんで人身売買に繋がる?」


「確証までは掴めませんでした。ですが間見とは他国に長期潜入するため、何らかの商売をして活動費を稼いでいます」


「それで人身売買か?えらく勝手を許しとるのぅ、晴信は」


「い、いえ!普通は神社の札を売り歩いたり、御師おんしになって諸国を巡るものですよ」


 武田家諜報機関『三ツ者』の中で他国諜報を請け負う間見には様々な形がある。だが大原則として『他国で活動費を稼がなければならない』という制約が存在する。

 最も有名な衆団といえば『歩き巫女』であろうか。武田家の歩き巫女は望月千代女という女性が編成育成していた。そしてこの望月千代女自身が甲賀流忍術を心得ていたという話もある。というのも、彼女の望月家は甲賀53家筆頭格の望月家の元なのである。その繋がりが残っていたとしてもおかしくはない。

 この歩き巫女は祭りなどを求めて全国を歩き、おはらいやみそぎを行って生計を立てる。同時に社格の高い神社の札を売り歩いていたり、昔の白拍子の真似事もやっていた。また巫女を増やすために戦災孤児を拾ったり、人買いから労働力にならない女の子を盛んに買っていたという話もある。そうやって全国を練り歩き巫女を増やしながら情報を取得していたのである。

 因みに歩き巫女というスタイルは遥か以前から存在している。それを諜報機関化した有名人が望月千代女となるだけで、歩き巫女自体はかなりいた事になる。


 この歩き巫女の男性verとなるのが『御師おんし』である。というか歩き巫女よりもっと昔からあるポピュラーなものなのだが。

 この御師というのは参詣者を寺社に案内し、参拝・宿泊の世話をする者たちの事である。とりわけ『案内』というのが重要だ。何しろ参拝客というのは全国に居る、社格が高ければ高い程。だがこの時代は旅行なんてそうそうできない。では参拝はどうするのか?この御師達に連れて行ってもらうのである。

 故に御師には全国を歩いて良いという認識になっている。つまり修行僧や修験者と同じ者である。そのため富士山岳信仰の本場である浅間神社には多数の『すっぱ侍』が配置されたという。

 この様に諸国に間者を放ち、遥か遠くの事でも直ぐに情報を仕入れたため、武田信玄は『足長坊主』ともあだ名された。


「ですが間見はその特性上、目が届きにくい場合がありまして。特に高坂甚内の向崎衆は関東の諜報工作を担当しておりましたので拠点は国外にあったんです」


 問題は向崎衆の拠点は国外にあったという事である。そして国外で稼いでいる訳だが、そんな彼等にも上納金は発生する。というか、武田家が資金稼ぎの一部としてやっていた事でもある。

 何しろこの諜報機関は維持費がかなり掛かる。信玄の時から規模や役割を拡大しているので当然なのだが。そこで彼等に商売をさせながら維持管理費を稼がせる事も任務の一つになっている。

 その中でも高坂甚内の向崎衆はダントツに稼いでおり、昌幸が怪しんで調べようとしたのだ。つまりそれまでは見逃がされていた、稼いでいるのだから問題はないと。


「国外故に資金の出所が不明で何をしているのかすら分からず」


「信玄はニャんて言ってたんだ?」


「出所が分からなくても金は金だと。あの、その、信玄様は資金を欲していらっしゃっていたので」


「信玄ェ……」


「晴信ェ……」


「親父ェ……」


 昌幸の説明に三者三様の表情となる。とりあえず黙認してしまった武田信玄の株が下がった様ではある。

 ここら辺も金の魔性と言うべきか。高坂甚内がよく稼いでいるので武田信玄も何も言えなくなっていた。国内で不正を働いているなら咎めるだろうが、国外なので言える事が無いのだ。結局、黙認して上納金を受け取る事を選択していた。

 人身売買の疑いも証拠も一切無かったので、咎めたところで簡単に言い逃れされるだけだ。「他の間見とやっている事は変わらない。彼等の稼ぎが少な過ぎるだけでは?」と言われただけでぐうの音も出ない状況だ。結局、昌幸の調べが進む前に川中島の戦いが発生、武田家滅亡で調査が棚上げとなった。


「よく分かったニャ。名前が判明しただけでも前進だ。それでソイツは何処に居るんだニャー?」


「詳しい場所までは判明しておりませんが担当は関東です。下総しもうさ国辺りに拠点があると他の三ツ者から聞きました」


「下総か、かなり離れてるニャー」


(小作人の大部分が関東から来ている。やはりヤツが大々的にやっているのかニャ?いずれにしても、今は手が出せニャいか。くそっ!)


 下総国と聞いて恒興は歯噛みする。下総国とは上総かずさ国と合わせて総州と呼ばれる、これに安房あわ国を加えれば『房総』、つまり房総半島の事だ。現代の尺度でも約400km弱離れていて、恒興が気軽に行ける場所ではない。


「池田殿、これは甲斐に行かねば解決出来ませんなぁ!」


「うるせーニャ!一々それを挟み込んでくるんじゃねーギャ!」


「え?何の話?」


「さて?」


 勝頼と昌幸が首を傾げる中、信虎は再度、恒興の甲斐行きを勧める。恒興も辟易してきてはいるので即座に反論、と言うか上洛戦が始まったのにそんな事考えられないが本音である。

 ともあれ、敵の正体を知った恒興はその名を深く刻み込むのだった。


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【あとがき】

忍びについての閑話となりますニャー。

最近はゲームにどハマりしていましたが、やはり飽きました。なので更新速度が1.010080304倍くらいになるのではと予想されておりますニャー。

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