池田家中の編成
こんにちは、恒興です。
あの後、みっちり5時間程正座で説教を食らいました。
おかげさまで気分爽快で足が痛いですニャー。
そしてニャーの『村正』も宗珊に取り上げられました、ニャーに取り憑いた妖刀として。
つまりニャーの乱心は妖刀の仕業となったのです、スマン村正。
今のニャーの腰には代わりの無銘数打(名無しの大量生産品)が差してあります。
こうなると前のニャーの愛刀『古備前包平』が欲しいですニャー。
まぁでもお陰で冷静に思考する事は出来ました。
その一つは『明智光秀は本能寺の変を起こすのか』ですニャー。
ここは前世とは明らかに違う、前とそのまま同じ事が起こっている訳ではないのです。
そして明智光秀を今殺すと織田家にとてつもない不利益になるという事もあります。
明智光秀は幕臣という事、そして京の都の公家の折衝です。
特に公家との折衝はかなり難しく、茶道・和歌・蹴鞠あたりがちゃんと出来ないと直ぐに軽んじられます。
『田舎者よのう。ホッホッホ』みたいな感じで。
しかも足利将軍家と公家は元々仲が悪いんですよ、初代・足利尊氏からして後醍醐天皇と敵対して政権作りましたからね。
それで両者の陰湿なかまし合いの板挟みにされるのが信長様です。
将軍からは『君の事を父親の様に思ってるよ。味方してくれるよね』と言われ、公家のある人から『昔、尾張まで行って君の父上に和歌を伝授したんだよ。あの将軍、何とか説得してくれない?』と頼まれ、『何でオレに言いに来るんだよー!』てなりました。
信長様が上洛して程無く、美濃に帰ってきたのはここら辺が原因ですニャー。
それで折衝の一切を明智光秀にぶん投げたと言う訳です。
光秀はこの辺の功績が大きく、軍団長の中でも畿内統括と信長様に次いで織田家No.2まで上り詰めるのですニャー。
さて、光秀が『本能寺の変』を起こすかどうかですが、・・・実は解りません。
実際動機が解らないのです。
曰く、信長様が光秀を苛めていた・・・ねーギャ、あの功績で軽んじていたら家中統制に支障をきたします。
特に後年の織田家は新参ばかりですし。
曰く、武田征伐で皆の前で打擲(ちょうちゃく)された・・・ニャーはその時、織田信忠様の軍団にいたので分かりませんが武田家がもう無いんですよね。
なので起こすか起こさないかは考えても仕方無いのです。
要は『本能寺の変』を起こさせないか、起きても信長様が逃げ延びればいいんですよ。
ニャーはその両方で手を打とうと思います。
非常ーに嫌ですが、茶会とかで光秀に近づいておこうかと。
それなりに親密になって、謀反の気配とか感じ取れれば最高と言う訳ですニャー。
あとは・・・ん?、誰かニャーの部屋に向かってくるニャー。
「殿、よろしいでしょうか」
「政盛か、入るがいいニャー」
「はっ」
加藤政盛が襖を開いて部屋に入り、恒興に対し頭を下げる。
恒興は一人語りの様な思索を中断し、政盛からの報告を待つ。
「殿、お客様が来られております」
「来客の予定は無いはすだが、誰ニャ?」
「多治見国清殿です。土岐に向かう前のご挨拶とのこと」
「そうか、お通しするニャ」
来客は小牧山城から領地になった土岐へと向かう多治見国清であった。
彼は土岐に向かうのに多治見への山越えのルートではなく、木曽川遡上のルートを使うのだろう。
その途上にある犬山城に挨拶に来ていた。
「お初にお目に掛かります。多治見蔵人国清と申します」
「池田勝三郎恒興です。ご来訪歓迎致しますニャー」
二人は犬山城の広間で対面する。
多治見国清は現在14歳。
そんなに子供には見えず、しっかりとした印象を受ける。
この少年は龍興の軍勢に猿啄城を囲まれた時、家臣を説得して城を明け渡すから少し時間をくれと敵指揮官に申し出た。
指揮官も労無くして手に入るならとこれを快諾。
彼はこれで時間を稼ぎ、その間に家族、家臣、従者ら全員と何処かへ逃げてしまった。
城は完全に包囲されているにも関わらずだ。
国清の捕縛は最重要であったため、指揮官は血眼で捜したが行方は杳として知れなかった。
「いえいえ、お世話になったのはこちらですから。池田殿には感謝しております」
「感謝ですか、・・・ニャーは貴殿のお父上の仇の一人ですよ」
国清の父親・多治見修理大夫頼吉は犬山城攻略戦の際、池田衆と佐々衆に襲い掛かり佐々成政によって討ち取られた。
なので成政同様、恒興も彼にとって父親の仇と言える。
「池田殿、それは『武士のならい』というものです。確かに父は貴方達に討たれましたが、それは戦場での事。恨みになど思いません。そも仕掛けたのは父の方ですし」
(普通はこういうものなんだよニャー。久々利のヤツは殺り方を間違ったがために、あれだけ恨まれる破目になったわけだ)
『武士のならい』というのは武士の間にある常識の事である。
戦場での命のやり取りに恨みを持ち込まないというのもその一つだ。
だが久々利頼興の様に騙し討ちや暗殺などすると遺族からとんでもなく恨まれる。
この場合、頼興は遺族もろとも始末しておかなければならなかったのである。
「ありがとうございますニャー。彼の墓の場所が決まったら報せて下さい。供養に参りますので」
この供養というのは重要である。
どちらかというと生きている人にとって重要なのだ。
武士は戦場で命のやり取りをしなければならないが、人を殺してはいけないという道徳観念は当たり前の様に持っている。
だが戦国の世で戦わなければならない以上、何処かで心の安定を図る必要がある。
でなければ武士は殺人鬼と変わらなくなってしまう。
そこで供養する事で相手の霊を慰め、赦しを乞い自分の心の平静を保つのである。
・・・必ず平静が保てる訳ではなく、精神が殺人鬼クラスになる人も多いが。
「ええ、決まり次第。・・・と、そうそう、池田殿にお報せしようと思う事柄があるのです。そのために犬山に寄ったのですよ」
「何ですかニャ?」
「猿啄城内への抜け道、知りたくないですか?」
「そんニャものが有るのですか?」
「ええ、有りますとも。何しろ私達がそこから脱出しましたから」
「・・・お聞かせ願いますニャー」
かつて国清はこの抜け道を使って脱出したのである。
それは猿啄城内の古井戸から龍ヶ洞という城外の洞窟に繋がっている非常用脱出ルートだという。
洞窟のある場所はかなりの森の中で、地元民しか場所は分からないらしい。
彼等はここから密かに脱出したのであった。
ただ発見されれば潰されている可能性もあるので調べなければならないが。
恒興は土岐へ向かう国清を見送った後、従者達に命じて調べさせるのだった。
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「まず軍事における役割分担からだニャー。敏宗、長近、一盛は備大将として一部隊を率いる。本陣はニャーと宗珊、政盛も本陣で情報伝達兼伝令統括。親衛隊隊長に教忠、鉄砲大将に清良。後方支援と荷駄担当を休伯と長安。基本的にこんな風に考えている。意見があればニャーか宗珊まで言うこと」
「「「ははっ!」」」
犬山城の広間に集まった家臣達に向けて軍編成を告げる恒興。
これは軍事に関してだが、いざという時上手くやれる様に平素から努めよという意味もある。
犬山の内政に関しては宗珊主導で動いて恒興は外略に専念する形になる。
他、動かせない職務を持つ者もいる。
大谷休伯は織田家の領地が拡がる程、堤防造りが忙しくなる宿命だ。
土屋長安は津島奉行補佐だが実質的に彼が主導しており、現在恒興は茶会くらいしか出席していなかったりする。
長安は商人達の利権調整も巧みにこなすので、恒興はもうアイツでいいんじゃないかなと思っている。
そして金森長近は美濃調略、滝川一盛もこれから南伊勢調略に動いてもらう予定だ。
という訳で宗珊の指揮下に加藤政盛、飯尾敏宗、土居清良、渡辺教忠、他宗珊の家臣で主に犬山の内政を担当してもらう。
元犬山侍の二人を除けば、宗珊の部下が主力だったりする。
それ故に。
「宗珊の給料は2万石とするニャー。・・・もっと故郷から人呼べない?」
恒興は地元である尾張からあまり人を持ってこれない。
この場合の人というのは侍の事であり、ちゃんと侍としての仕事をしていた即戦力の事だ。
侍じゃなかったり、初心者だったりを連れてきても役に立たない。
そしてそんな即戦力は尾張において取り合いになっている。
しかも即戦力になるはずの『織田伊勢守家』の家臣を信長は全く召し抱えなかった。
なので暗黙の了解的に現在でも召し抱えれないため、侍不足に拍車をかけていた。
そして地元なのに地縁の少ない恒興は、完全に宗珊を当てにしていた。
「了解いたしました。何とか集めてみます。しかし2万石は戴き過ぎかも知れません」
「え?前の一条家ではいくらだったニャ?」
「5千石程でした」
「家老なのに少なくね?一条家と云えば20万石近い領地があったはずだニャ」
これには土佐一条家の成り立ちが関係している。
この土佐一条家とはそもそも公家の名門・五摂家の一条家そのものである。
応仁の乱の混乱を避けて、当時の関白が土佐に避難したのが始まりだ。
なので京の都から沢山の一族や家人を連れてきており、高禄や要職はその者達に独占された。
宗珊を含め地元出身者の給料が低く抑えられたのも、これが関係している。
つまり統治には宗珊や地元出身者が必要だけど、優遇するのは京の都出身者だけという状態が土佐一条家だったのだ。
という事情を宗珊の説明から理解した恒興は呆れてしまった。
(特権とは人を腐らす毒だニャー。宗珊ほどの家臣なんて欲しくても得られないのに)
そして恒興は反面教師として心に留めておく事にした。
加藤政盛と飯尾敏宗は共に4千石。
二人にはこれから犬山の元同僚達を部下にしていかなければならない。
彼等がいないと犬山の内政は上手く回らないので、それを養う給料は必須だからだ。
政盛と敏宗は給料がいきなり20倍以上になって喜ぶよりも、責任の重さを感じている様子だった。
大谷休伯は5千石。
休伯が部下として扱えるのは3人の息子のみだったのだが、今では50人近くの部下を抱えている。
これは休伯が召し抱えたのではなく、信長から送られてきた者達なのだ。
因みにまだ増える予定らしい。
どういう事かというと、武士であっても戦いに向かない者はいるし、どうしても臆病な者もいる。
大抵の場合、そういう者達は武家の恥になるので最初から寺に送ったり、飼い殺しにして外に出さない様にする。
だが信長はそういった者達にも出来る事はあると考えていた。
そこで考え出されたのが休伯の元で勉強させるである。
堤防とは造って終わりではない、毎年修繕修復が必要である。
これを休伯ら4人だけで指揮していくのは無理がありすぎる。
さらに織田家の領地は拡大中で新しい堤防も必要になるのだから、手が足りなくなるのは目に見えている。
そこで信長は勉学が出来そうな者を送って、堤防の管理者として育てようとしているのである。
これで休伯の負担は軽減されるし、もし休伯レベルの内政官が育てば儲けものだ。
これにより休伯の職場は半ば私塾と化していた。
彼等を養うため恒興には信長から休伯の給料に関して命令がきている状態だ。
金森長近も5千石。
元は信長から8百石貰っていたが、恒興が犬山城主になった事で正式に池田家の家臣として配置された。
今までは信長から借りていた状態だった。
長近もかなりUPさせたが、これも理由がある。
彼は元々部下を多数抱えているのだ。
それは金森家(元・大畑家)に仕え続けている者達で領地が無い長近にずっと付いてきているのだ。
そのため、長近自身はその言動や行動とは裏腹に節約家であり苦労人だ。
だがこの多数の部下がいるから、長近は未だに美濃の縁を失っておらず情報収集が巧みに出来るのである。
特に若尾家に多治見国清が居ることを突き止めた者には、恒興から報償を出したかったくらいだ。
結局は長近に渡してから出させた。
こうしないと恒興が金森家の人事に干渉したことになるからだ。
恒興としてはこれからもその人脈を活かしてほしい事が理由の一つ。
(もう一つの理由は部下が沢山いるという事だニャー。つまり長近は城主候補なんだよね)
この先織田家が拡大していく中で軍団長は複数の城を任されるだろう。
だが恒興の本拠は犬山城である。
本拠ごと領地の交換もあるが、今のところは犬山城で今後離れた他の城を貰う可能性が高い。
それは犬山城に石高を加増すると、信長の本拠地である尾張の石高が削れてしまうからだ。
なので離れた城を貰った時、遠隔地の統治が問題だ。
恒興に兄弟がいれば代理で派遣出来るのだが、恒興には兄も弟も存在しない。
だから譜代の家臣を多数抱える長近は第一候補になるのだ。
滝川一盛と土屋長安は2千石。
二人共働きは良いものの部下がほぼ居ない、長安など一人もいない。
これまでは給料自体が低かった事もあるが、これを機に部下を見付けろということである。
(特に一盛は必要となるニャー。これから調略で動いて貰うんだから。長安はちと自分だけで働き過ぎだな、過労になっても困るし良い機会だろ)
調略には情報が欠かせない。
それらを拾い集める、又は此方に有利な流言を流すためにも部下が必要なのだ。
金森長近は美濃に地縁を持った部下が多数いるので美濃調略に向いているのである。
そしてこれから一盛に調略させるのは、彼の元実家である。
その近辺から部下を持ってきてほしいと恒興は考えている。
長安に関しては自分の仕事の役に立ちそうな人間を自由に召し抱えればいい。
何せ彼の出身は甲斐なので地縁はほぼ使えないだろう。
なので自分自身の負担を軽減出来る人を身分問わず、連れて来ればいいと思っている。
あと渡辺教忠と土居清良は3百石づつ。
彼等は役には就いたものの、まだ実績が無いので今後の働き次第とした。
以上4万2千6百石を家臣に分け、のこり2万7千4百石が恒興の取り分となる。
ここから恒興自身の従者の分も引くと2万5千石くらいだろう。
随分気前良く出したと思えるが、恒興には他に犬山の未開地がある。
これが目算で4万石ほどあるので意外と余裕だったりする。
「ニャーは津島奉行もそのまま兼任だから、城を空けることが多いと思う。なのでニャーがいない間の犬山の指揮は宗珊に頼む」
「はっ、承りました」
「スマンニャ。ニャーに兄弟の一人でも居れば代理に出来るの・・・に!?」
そこまで言いかけて恒興は気付いた、集まった家臣達に紛れて本来居るはずのない者が居ることに。
その者も恒興が自分を認識したことを悟ると、立ち上がって恒興の前まで歩いてくる。
普通こんな風に主の前に行こうとする者は止められるか取り押さえられるのが常であるが、誰もその者を止めなかった。
否、止められないのだ。
その者は恒興の目の前にストンと座り、キツイ三白眼で睨み上げこう言った。
「おい兄、お前には妹がいるはずだが忘れたのか?」
その者の名は栄、養徳院の娘で恒興の妹で・・・主君・信長の妹だ。
「・・・栄、ニャんでお前が此処にいる?」
「私が自分の家にいたらおかしいのか、兄」
「お前の家は小牧山城だろ!さっさと帰れニャ!」
この犬山城を自分の家と言い放つ妹に恒興が反論する。
彼女は織田家の姫なので住んでいる場所は、信長の城である小牧山城になっていた。
「小牧山は殺風景でつまらない、ここがいい」
「当たり前だニャ。小牧山城は軍事拠点なんだから。我が儘言ってないで帰るニャ」
彼女は前の清州城に住んでいた時は、全く文句を言っていなかった。
清州城は城下町がかなり商業的に発展しており、とても華やかだったので彼女も暮らしを楽しんでいたのだろう。
だが小牧山城は違う、そもそも城下町が無いのだ。
有るのは足軽長屋と訓練場、そして聞こえてくるのは行軍訓練の足音と鳴り響く鉄砲訓練の音ばかりである。
彼女はこの現状に飽いてしまい、恒興の犬山城に来たのだ。
「そうはいかない、母と藤と一緒にここに住む事になったのだから」
「は、母上もだと・・・?化粧料があるのに?ニャんで?」
「それは母に聞くといい、兄」
養徳院は恒興の旧領地である『池田庄』をそのまま化粧料として貰った。
この領地の統治は信長の部下で行われ、彼女自身はあまり関与しない。
だからなのか母親まで犬山城に来ると聞かされる。
因みに恒興の拒否権は0に等しい。
「まぁ、良いではないのですか、殿。殿が不在時の緊急のみですし、名目上はいて貰った方がよろしいでしょう」
「宗珊の言う通りだぞ、兄。それに私は宗珊の邪魔はしない、それくらい
恒興がいないからと言って宗珊が独断で強権を振るうと反発が出るかも知れない。
そういう時、名目上でも宗珊の上に恒興の親族がいれば、池田家の意志という体裁が整うのである。
こうなれば宗珊は心置無く、恒興の留守を守る命令を出せるという訳だ。
「わかったニャ。たくっ、あんまり皆に迷惑掛けるなよ」
恒興は諦めた。
どうせ栄の件も母・養徳院に認められているのだろう。
なら自分に拒否権は無いし、上手く生活していく事を考えた方が建設的だ。
恒興は何だか自分が諦めという悟りの境地へ近づいている気がしてならなかった。
「心外な、私が何時迷惑を掛けたのか。でもこれで私は『女城主・栄』だ、いいなコレ」
「何を目指す気だニャー」
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恒興は南伊勢に新たな仕掛けを施すため、滝川一盛を部屋に呼んだ。
以前から考えていた南伊勢調略である。
伊勢の調略責任者は滝川一益なので、彼とも連係して動かなければならない。
その意味でも一盛という人選は最高のものである。
「一盛、お前にはこれから調略に出て欲しいニャ」
「はっ、何処から参りましょうか」
「南伊勢、素早く言うとお前の実家だニャー」
滝川一盛の実家は木造家という北畠家の庶流で重臣の家である。
現在の木造家当主は木造城主・木造具政で、彼は北畠家当主・北畠具教の実の弟である。
そもそも一盛は木造家嫡男・木造具康の息子として産まれたが、具政を当主にするため幼くして寺に預けられた。
その後、滝川一益に才能を認められ養子として引き取られ今に到る。
「何となくですがそんな気がしました」
「木造具政とは話せるかニャ?一応家督を奪われた様なもんだろ」
「私は彼に対して意趣はありません。そもそも父を殺したのは祖父ですから」
滝川一盛の実父の木造具康は何らかの事情で父親である当主・木造俊茂と対立し、俊茂は機先を制して具康を殺害。
その後、俊茂は主家である北畠家より具政を養子に迎えて当主とした。
この時に一盛は寺に預けられたという経緯である。
「むしろ具政殿は私に気を使ってくれた方で、敵視されていたら私は既にこの世にいないでしょう」
具政自身にとって一盛は既に当主の座を脅かす人間ではなかった。
寺に入っているという事もあるが、具康の廃嫡を祖父の俊茂が決めているので一盛の継承権自体が無くなっているからだ。
なので具政は一盛を敵視することなく、両者の関係はそう悪いものではなかった。
「そうか。現在の当主の木造具政はどんな人物だニャ?何が何でも兄の具教に付いていく質か?」
「いえ、彼はもっと現実的な判断をするタイプです。北畠家よりも木造家の将来を考えるでしょう」
一盛は具政が北畠家より自分の家である木造家の都合を優先させると見ていた。
木造家を継承した具政にとって北畠家はもう自分の家という認識が薄く、木造家を滅ぼしてまで兄の家に尽くさないと予想される。
「ふむ、なら行けそうだニャー。木造城は海に近い、物流の殆どを海路に頼っていたはず。つまりは限界は近いということ、北畠家から物資を廻して貰うにも限度があるニャ」
「では、私の役目は木造具政殿の説得ということですね」
恒興による経済封鎖が続いている以上、海に近い領地を持つ者は、領民を抑えるので手一杯だろう。
北畠具教は家臣や傘下豪族に対し、大和路から来る物資を融通しているが全く足りていなかった。
そもそも陸路と海路では運べる量が違うので仕方がない。
そんな訳で北伊勢よりは保ったが南伊勢でも強訴の動きが活発になってきたのだ。
「あともう一人、田丸城主・田丸直昌にも声を掛けて欲しいニャ。」
田丸城主・田丸直昌。
田丸家は北畠家庶流で木造家と同様に北畠家重臣に名を連ねている。
この田丸城は伊勢の直ぐ西(度会郡)にあり、物流は完全に海路に頼っていた。
因みに木造城も松阪の北方の雲出川の流域にあり、これまた海に非常に近い。
この木造・田丸両者は経済封鎖の影響をまともに受けているのである。
それだけに民衆を抑えるのに四苦八苦しているだろう。
「木造城と同じ様に田丸城も海側、内応の可能性は十分あるニャー」
「分かりました、取り掛かります」
恒興は木造具政と田丸直昌に狙いを定めて、調略を開始する様に一盛に言い渡す。
一盛はここで活躍してみせると気合いを入れていたのだが、恒興から驚きの発言が出る。
「注意事項としては、決して寝返らせない事だニャ」
「え?それはどういう意味なので?」
流石に一盛も何故と思った。
それなら調略する意味が解らなかったからだ。
「一盛、お前はこれから調略に携わる訳だ。なので知っておくべき情報はちゃんと渡していくニャー」
「はっ!」
ここら辺は『need to know (必要なら知らされる)』である。
調略というのは敵に覚られると必ず失敗する。
だから知る人間は限定しなければならないのだ。
恒興が調略計画の全容を語らないのはこのためであり、主君・信長にすら話していない。
信長は誰よりも信頼している恒興だからこそ何も聞かずに委ねている状態だ。
「まず木造家と田丸家は共に北畠家の重臣筆頭格。これが寝返れば北畠家は必ず懲罰の軍勢を差し向ける。戦になるということだニャ」
大名も豪族もそうだが家臣が寝返りをすれば懲罰の軍を出さなければならない。
そうしないと家中統制に響く上、他の家臣から弱腰と取られるからだ。
弱腰な当主に付いて行きたいと願う者は少ないだろう、人は支配者は強くて立派な者がいいと思うものだ。
なので木造家、田丸家程の重臣が寝返れば、北畠具教は北畠家の威信を懸けて何が何でも懲罰せねばならないのだ。
「織田家は状況的に美濃に戦力の大半を使っていて、南伊勢に廻せる戦力が無いニャ。神戸家や関家は傘下大名であって家臣じゃないし、滝川殿も北伊勢を治めたばかりで動き辛い」
北畠家が懲罰に動いたとしても織田家側は態勢が全く整っていない。
一見隙が無さそうに見える織田家だが、その実伊勢侵攻はまだ不可能だ。
まず東濃の支配体制がまだ緩く、尾張にいる信長・林佐渡・佐久間出羽・恒興は警戒のため動けない。
この4者が尾張にいるから美濃の斎藤龍興も動けないのだ。
支配体制の緩さなら滝川家もまだ整っていない。
そして傘下大名の神戸家と関家が自領防衛以外するとは思えないのだ。
頑張れば恒興の犬山軍だけなら動かせるだろうが、それだけでは勝てるかどうかは博打でしかない。
「だが織田家は美濃を攻略したら上洛せねばならん、次期将軍様との約束だからニャ。ニャーとしてはその前に南伊勢を攻略し、後顧の憂いを無くしたい。今回はそのための『布石』だ」
美濃を攻略し近江路を確保したなら織田家は足利義秋を担いで上洛しなければならない。
つまり美濃攻略が終わると伊勢には行けないのである。
なので恒興は今の内から伊勢攻略のための詰め将棋を始めようとしていた。
「一つ目の理由はそんな事だニャー」
「ということは他にも理由が?」
そして恒興が今回の伊勢攻略の絵図面をひく切っ掛けがあった。
それがもう1つの理由となる。
「うん、滝川殿の所に面白いヤツが来てニャ。分部光嘉って知ってるか?」
「長野家の家臣ですね。分部家は細野家と共に筆頭格の重臣のはずです。」
伊勢4大豪族の1つ、長野家。
その長野家の重臣筆頭格が分部家と細野家である。
また分部家現当主・分部光嘉は細野家からの養子で、細野家現当主・細野藤敦とは実の兄弟である。
「そう、その分部だニャー。実は自分から内応話を持って来た。しかもかなり良さげな長野家制圧作戦まで提案してきたから、滝川殿もニャーもそのままやらせようと思う」
この時の長野家当主は長野具藤で、この者は北畠具教の息子である。
長野家乗っ取りのために養子に入ったのだ。
そしてある事件が起こる。
具藤が養子に入って暫くすると長野家当主とその親である先代が同日で病死したのだ。
誰がどう見ても犯人はあの家しかなかった。
このため現当主・具藤と家臣の間は冷えており、細野藤敦に至っては主君とかなり仲が悪かった。
だが北畠家の実力はかなりのものであり、逆らえずに忸怩たる思いを全員がしていた。
そんな時に尾張の織田家があっという間に国境を接する所まで拡大してきたのである。
分部光嘉は織田家に日の出の勢いがあると認めると、頑張って自前の伝手を使い滝川一益までたどり着いた。
分部四郎次郎光嘉、僅か12歳の少年である。
「この作戦が上手く行けば、労せずして長野家が丸ごと手に入る。だが北畠家が動く可能性があるから、木造具政と田丸直昌には北畠内部で工作して欲しい訳だ。そのために寝返りはさせない方向で話を持って行くニャ」
いくら北畠家の当主であったとしても、重臣の反対を押し切っての派兵は難しい。
兵を出すには戦費や兵糧や兵士を揃えなければならなず、それには家臣や豪族の協力が必要不可欠なのだ。
そして経済封鎖を受けている現状なら幾らでも派兵反対の意見を出せるだろう。
その役を北畠家内で木造と田丸にやらせるのが今回の調略の肝なのだ。
「成る程、分かりました。しかしそうなると木造家や田丸家の領民蜂起が心配ですが」
「ああ、なので大湊の商人から秘密裏に物資の横流しをさせるニャ。それである程度は保つだろ」
強訴一揆は恒興にとっても望むところではない。
農地が荒れ商業が破壊されるからだ。
なので作戦期間中は密輸という形で物資を送り、強訴一揆を抑えさせる。
だが恒興が言わなくても彼等は理解するだろう、恒興の意に反すればこれ等の物資は直ぐに止まると。
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